So Long Night


派手な化粧は彼女の瞼も唇も、文字通りチカチカと輝かせる。そこまで飾り立てなくてもいいだろうと思うけれど、べつにそれを口出しできる立場ではないし、本人が気に入っているなら特別言うべきことでもない。

「あ、鯉登くんだ。いらっしゃい」

締まらない笑顔を浮かべ、トテトテと寄ってくる。まだ未成年で、何度も注意しても聞く耳なんて持たなかった。煙草は吸わないが、周りに煙草を吸う男が多すぎて、彼女からはいつだって香水に交じって煙草の臭いがする。

「おまえ、今日もクサいぞ」
「女の子に開口一番そんなこと言う?」

くすくすと笑う。その余裕っぽい感じがムカつく。彼女は鯉登のふたつ年下で、なのにひどく大人のふりをするのが気に入らなかった。バーカウンターで「シャンディガフでいい?」と言いながら、鯉登の返事を待たずにビールとジンジャーエールを注いで慣れた手つきでステアする。鯉登用にジンジャーエールの割合をかなり多めに設定してある。

「私が別のものを頼む予定ならどうするつもりだ」
「えぇ?でも鯉登くんシャンディガフでしょ?」
「…そうだが」
「ふふ、やっぱり」

少し抵抗してみたものの、そんなものは簡単にいなされてしまう。それがまた腹立たしい。
フロアには暴力的なまでの爆音が鳴り響き、女も男も思い思いに踊っている。ナイトクラブ、と通称されるこんな場所に、守備範囲外の鯉登が訪れているのはひとえに目の前の女のせいであった。


つるんでいると言うほど仲が良いわけではない同じ学部の学生から食事に誘われた。課題を終えて気分がいいのもあったし、家の付き合いで世話になっている花沢勇作からも「私にばかり連絡を寄越さず見聞を広めると良い」という旨をやんわりと言われ、たまにはいいだろうと乗る事にした。
学生御用達の安い居酒屋で脂っこい料理とジンジャーエールを飲んだ。鯉登はつい2日前まで未成年だったから、飲もうという発想がなかったのだ。飲んでいないのは鯉登だけで、他の連中はビールだの酎ハイだのをこぞって飲んでいた。

「クラブ行こうぜ」

そう言いだしたのは、今日集まった面子の中でも少し素行の悪さというか、女性関係の揉め事が多い男だった。酔っぱらった勢いで「今日絶対ナンパしてキメてやるぜ」などと下品なことを言い出し、あれよあれよという間にそのままクラブに行く流れが出来てしまった。
ここで帰ることだってできたが、足を踏み入れたことのない「クラブ」の存在に多少の興味があり、鯉登もそのままついていくことにした。面倒になれば適当に抜けてしまえばいいという算段だった。

「なんなのだ、この音量は…」

そして足を踏み入れて早速後悔した。爆音だ。クラブミュージックは話し声も聞こえないくらいの有り様で、ギンギンと頭に響いてくる。沸き立つ熱は波になって押し寄せ、フロアの隅々までを熱狂させた。
圧倒されていると、気が付けば一緒に来た連中は皆人波のなかに消えてしまっていて、どうしたものかと困り果てているうちに右腕にぎゅっと圧力を感じた。

「ねー、お兄さんひとり?」
「…なんだって?」
「ひーとーりー?いっしょにあそばなーい?」

声をかけてきたのはショートパンツにオフショルダーのトップスを纏った髪の長い女だった。真っ赤に彩られた唇が何か言っていたけれど、フロアの音楽に掻き消されて上手く聞こえない。
鯉登がどうしたものかと考えていると、女は鯉登の腕を引いて歩き出してしまった。振り払うタイミングを逃してしまい、そのままずるずる引っ張られるようにしてフロアの隅に連れていかれる。そこはドリンクを提供しているバーカウンターだった。

「ナマエちゃーん、スクリュードライバーとぉ…お兄さん何飲む?」
「いや私は…」
「じゃあ、シャンディガフね」

鯉登の言葉を無視して女が注文を通す。バーカウンターの向こう側に立っていたのはカマ―ベストを身にまとったバーテンダー風の女性店員だった。鯉登とぱちりと目が合い、ナマエと呼ばれていた彼女はにっこりと笑う。

「お待たせいたしましたー」

間延びした語尾とともに運ばれたグラスに、鯉登はごくりとつばを飲み込む。いままで酒を飲んだことは一度もなかった。
背徳感と、罪悪感と、好奇心。三つ巴でもっとも強かったのは好奇心だった。鯉登はグラスを手にとる。隣の女に「乾杯」と言われて乾杯したが、あまりよく覚えていない。
グラスのふちに唇をつけ、ちびりとシャンディガフを口に含む。シャンディガフはジンジャーエールの味がした。

「ねー、お兄さん名前教えてよ」
「…鯉登」
「こいとくんっていうんだぁ。超かっこいいねぇ。モデルとかやってる?」
「いや、やってない」

べたべたとまとわりつくような声音は甘く、女はバーカウンターに肘をついて鯉登をうるうると見つめる。鯉登は目の前のシャンディガフに懐疑的だった。
正解を知らないとはいえ、こんなにもシャンディガフというものはジュースみたいなものなのだろうか。こんなものなら未成年だろうが成人だろうが酔っ払いなどしないし、人体に悪影響もないのではないか。奈良漬のほうがよっぽどアルコールを感じる。

「ん?どした?シャンディガフきらい?」
「そういうわけではないが…」
「あ、じゃあこっちの飲む?スクリュードライバー」

女は勝手にそう話を進め、鯉登の前に自分の飲んでいたグラスを置いた。シャンディガフがこれだけジュースみたいなのだから、このスクリュードライバーとやらもどうせ同じだろう。
鯉登はグラスに手をかけ、こくっと一口のむ。普段なら回し飲みを、まして初対面の女とだなんてしないが、今日は少し気分が高揚していた。つまり気が緩んでいた。

「うっ…」

流れ込んできたのは強烈なアルコールの匂いと味だ。見た目はオレンジジュースと変わらないのに、まったくの別物である。油断していたこともあって、アルコールが鯉登の脳みそを揺らすのは容易だった。

「え、ちょっと大丈夫?」
「ユッキーさん、カレシさん来てますけど大丈夫ですか?」
「えッ、うそ、なんで!?」

隣に座る女が一度気づかわし気な様子を見せたが、バーテンダーのナマエがそれに割り込むようにして彼氏が来ていると言えば、女は焦った様子でバーカウンターを立ち去った。それをどこか他人事のように眺め、ぐるぐるまわる脳みそに何とか順応しようと試みる。
不意に、居酒屋で食べたから揚げやらポテトやらの揚げ物が胃の中で主張を始める。爆音も相俟って気持ち悪さはピークだった。
鯉登は一万円札をバーカウンターに置くと、もたもたと立ち上がって出口を目指す。一刻も早くここから出たい。

「あっ、ちょっと、お兄さん!」

背後からバーテンダーの呼び止める声が聞こえたが、そんなものに構っている余裕はなかった。ふらふら何とか出入り口に辿り着き、そこから階段を上って地上に到達すると、向かいのガードレールに腰を預けて項垂れた。なんだこの気持ち悪さは。
少し待っていれば収まるか、と思いながら、頭の片隅で努めてどうでもいいことを考える。気持ち悪さのことを考えてしまうと吐きそうだった。

「あ、いたいた。ねぇ、お客さん、大丈夫?」

数分後に、ぽつんと声が降ってきた。先ほどのバーテンダーである。鯉登がのろのろと顔を上げると、カマ―ベストの上にスカジャンを羽織った彼女が鯉登に向かってミネラルウォーターのペットボトルを差し出していた。

「……おまえは…」
「いきなりお前呼びって、口悪っ!ほーら、お水どーぞ」
「…すまん」

鯉登はペットボトルを受け取ると、ごくりとそれを胃に流し込む。気持ち悪さはそう変わらないが、頭がガンガンと痛むのは少しだけマシになった。

「良かったぁ。お兄さんお酒飲めないのかなとおもってシャンディガフのビール抜いたのにさ、スクリュードライバー飲みだすから、余計なことしちゃったのかなぁと思ったら案の定顔真っ青にするんだもん」
「そういうことか…」

なるほど、シャンディガフがやたらジンジャーエールの味しかしなかったのは、その通りジンジャーエールしか入っていなかったかららしい。ノンアルコールなのだからジュースのように感じて当然である。

「何でわかった?」
「勘?間違ってたら、まぁその時はごめんなさーいって言えばいいかなと思って」

いい加減なのか洞察力が高いのかイマイチわからない女だ。彼女曰く、あのユッキーと呼ばれている女は彼氏持ちらしいが、遊び人気質が極まってああしてクラブでナンパをしているのだという。しかもそれが彼氏にバレて店の前で乱闘騒ぎになったこともあるらしい。

「世話になったな」
「ううん。家帰れそ?」
「ああ、少し休んでいけば問題ない」
「じゃあ私と話そうよ。いま休憩時間なんだ」

ナマエがニシシと笑う。派手な化粧は彼女の瞼も唇もきらきら輝かせていた。
ナマエとは他愛もないお互いの話をした。どうせ今日限り会うことはない相手だし、酒も入っていて口も軽かった。
彼女は定時制の高校に通う高校生で、鯉登よりはふたつ年下。もとは全日制の高校に通っていたが、事情があって転学したらしい。あのクラブのバイトは掛け持ちする別のバイト先の客から紹介されたそうで、もうすぐ一年になるそうだ。

「いや、クラブのバイトって未成年でやってていいのか?」
「さぁ。よくわかんないけどいいんじゃない?」
「自分の事だろう、なんていい加減な…」
「だって夜は家にいたくないんだもん」

つん、と唇を尖らせる。その仕草が可愛らしく見えてすこしドキリとした。それからも二人は他愛もない話をした。十分かニ十分かそれくらいが経過し、ナマエが「そろそろ戻らなくちゃ」と腰を上げる。

「あ、そうだ、一万円」

ナマエが思い出したようにそう言って、ポケットから一万円を差し出した。先ほど鯉登が置いていったものである。

「ウチ、入場料にワンドリンクついてるから」
「そうなのか?」
「そうなの。良心的でしょ?また遊びに来てよ」

はい、と手渡され、思わず受け取る。財布を出すのが億劫でジーンズのポケットに仕舞った。


次にナマエと会ったのは、その一週間後のことだった。鯉登はひとりあのナイトクラブに足を運んでいた。今度は何かに流されたとかそう言うものではない。純然たる鯉登の意思である。
入場料を支払い、爆音の中に足を進める。ステージから一番離れたバーカウンターの中に今日も彼女の姿があった。

「あ、鯉登くんだ」
「…ああ。シャンディガフを頼む」
「えっ、大丈夫?」
「ちょっと訓練してきたから平気だ」

鯉登がそう言うと、ナマエは少しぽかんとした顔になってから声を上げて笑った。随分と大胆な音量だったが、クラブミュージックに掻き消されて誰にも気付かれやしない。鯉登はむっとしてカウンターチェアに腰かける。

「じゃあ鯉登くん用にジンジャーエール多めにしてあげる」
「子ども扱いするな。私の方が年上だぞ」
「はいはい、おにーちゃん」

くすくす冗談めかして言って、テキパキとシャンディーガフを作っていく。ことっとカウンターにグラスが配され、ナマエがその向こうでにこにこと笑っていた。それを見ていると、何だか落ち着かない気持ちになる。
不意にナマエが他の客からオーダーを受け、にこやかに対応してシェーカーを振った。あまり周りにへらへらするな、勘違いされても知らないぞ、と、自分もそのひとりのクセに棚に上げて心の中で理不尽な言いがかりをつける。
じっと視線を向け過ぎたのか、ナマエが鯉登に気が付いて目が合ってしまった。彼女はにっと目元を緩めると、得意げにそのままシェーカーからカクテルグラスにドリンクを注いでいく。

「ねぇ、どうだった?かっこよかった?」
「…何がだ?」
「うそぉ、さっき見てたでしょ?私がシェーカー振ってるとこ!」

ナマエは客の対応が終わるとすぐに鯉登のもとに飛んできてそんなことを言った。見ていたなんてバレバレだとわかっていても素直にそれを認められず、鯉登ははぐらかして突き返す。

「じゃあ次は見ててよね」

屈託なくナマエが笑った。べつに他愛のない話の延長で、きっと彼女に他意はない。そう言い聞かせてみても、必要以上に拍動を繰り返す心臓も、手のひらの汗も、鯉登の中に生まれた感情を誤魔化してくれやしなかった。


それからというもの、鯉登は足繁くこのナイトクラブに通っている。大学では「お坊ちゃんが不良になった!」などと騒がれたこともあるが、知ったことではない。
大音量のクラブミュージックにも多少は慣れたし、声をかけて来る女のかわし方も少し覚えた。こういうことを不良になったというなら、鯉登は確かに不良になったのかもしれない。

「こーいとくん。こんなにクラブ来てて大学平気?」
「問題ない。学業を疎かにするほど馬鹿じゃない」
「結構ハマっちゃった?」
「どうだろうな」

本当は、お前に会いに来ているのだと打ち明けたらどんな顔をするだろう。そう思いながらも口にすることは出来ず、鯉登は特製のシャンディガフをちびりちびりと口にする。
途中で声をかけてきた二人組の女も適当にかわして、鯉登はナマエの前の席を譲らなかった。

「ナマエ、今日は何時上がりだ?」
「今日?今日は早上がりだからあと15分」
「じゃあ、送ってやる」
「いいの?」

恩着せがましい言い方をして、本当は自分がそうしたいだけだ。
ナマエが別の客へのドリンクの提供に追われているうち、15分はあっという間に過ぎた。バックルームで退勤処理をして着替えてくるというナマエを見送り、フロアを見渡す。男も女も思い思いに踊っている。DJブースのゲストは大物らしいが、鯉登はさっぱりわからなかった。

「お待たせー!」
「じゃあ、行くか」

着替えを終えて戻ってきたナマエを見ながら平静を装って歩き出すと、ナマエが「鯉登くんってクラブなのに踊らないよね」と言い出した。別に酒を飲んで人前で踊り狂う趣味はない。クラブに足繁く通う人間の考えとしては特殊だろうが。
ナマエは少し考える素振りをしたあと、キュッと鯉登の手を引く。

「ねぇ、おどろ!」

驚いている間にフロアまで引き摺り出されてしまって、色とりどりの照明が騒がしくフロアを輝かせる。爆音のクラブミュージックは二人の身体を直に揺らし、それでも不思議なほど時間はスローだ。
ナマエの瞼に乗せられたラメが星のように瞬く。好きになったのに、理由はなかったし要らなかった。

「ナマエ、好きだ」
「えー?なんてー?聞こえなーい!」
「なんでもないッ!」

うっかり頭の中身が出てしまった。幸か不幸かどうやら大音量に阻まれてナマエの耳には届かなかったらしい。
すると、ナマエがぐっと鯉登に近寄り、耳元に口を寄せる。

「ねぇ鯉登くん、お店出てから聞かせてよ」

前言撤回。ちゃんと聞こえていたんじゃないか
色とりどりの照明が騒がしくフロアを輝かせる。その中の真っ赤な照明がおあつらえ向きに鯉登に降り注ぎ、真っ赤になった顔を隠してくれた。けれど、どうせ彼女にはわかってしまっているのだろう。
その証拠にほら、こんなにも満面の笑みだ。


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