スポットライト


クリスマスから世の中は忙しくなる。
そこからお正月に向けててんやわんやの大騒ぎで、ウィンターセールなんて銘打って冬物がプライスダウンされる。サンタさんは子供のプレゼントを用意するのに大忙しだし、世のカップルもロケーションのいいレストランを予約するのに余念がない。
そんな皆の夢と希望が溢れる中、私は先輩社員と一緒に毎日終電ギリギリまでオフィスに居残って仕事をしていた。

「クリスマスって、爆発すればいいと思いません?」
「言いたいことはわからんでもないが、さっさと手を動かせ」
「だってクリスチャンでもないのにクリスマス祝うとかどうかしてません?ていうか、だれもイエス様の誕生祝いなんかしてないし」

ずぞぞぞぞ。冷えたブラックコーヒーを流し込む。
カフェインで眠気が飛ぶタイプではないが、雰囲気というか、癖というか、そういうものだった。

「ガキかよ」

はんっと尾形さんが鼻で笑う。こうして残業をしているのはこのフロアじゃ私と尾形さんだけだけど、ひとつ下の開発のフロアはもっと人が残っている。同志たちよ、みんなお疲れさま。節電のために自分たちのデスクの付近だけを点灯しているオフィスは、昼間と違ってひっそりしていた。

「文句も言いたくなりますよ、この土壇場でやり直しって…」

私は拗ねるのを隠しもせずにノートパソコンに向き合う。年明けにプレゼンが予定されている製品の仕様変更がこんな年の瀬になって投げられてきたのだ。
おかげでマーケティングもやり直し、資料も作り直し。そしてこの仕事にメインで関わっていた他の先輩社員が引継ぎを終えて12月の頭から産休に入ってしまっているため、後任の私があたふたと対応しているという次第である。

「クリスマスって、別に自分の特別な日じゃないじゃないですか。だからいまいちあんなに躍起になっていろいろやろうってのが理解できないんですよ」
「彼氏がいない僻みか?」
「違いまーす」

尾形さんは尾形さんで別の仕事を無茶ぶられ、ダダダダダとまるでドラマーが如き勢いでキーボードをタイプしていた。
確かに私に彼氏はいないが、彼氏がいたときもクリスマスの重要性については懐疑的だった。だって他人の誕生日だし。クリスチャンでもないし。
クリスマスを大事にするくらいなら、自分の誕生日を大事にしたい。その方がお祝いする気持ちがよくわかる。誕生日はスポットライトを浴びて主役になれる日だ。

「そういえば、尾形さんって誕生日いつなんですか」
「くだらねぇこと言ってねぇで仕事しろ」
「いいじゃないですか。くだらなくないですよ」

私が「いつなんですか」と食い下がると、尾形さんはチッと舌打ちをして「来月の22日」と仕方ないとばかりに白状した。

「もうすぐですね。彼女とお祝いとかするんですか?」
「女はいねぇし生まれてこの方祝われたことはないな」
「えっ、うそぉ」

どっちにも驚きだが、後者の方がびっくりした。尾形さんは自分の話をあまりしないから詳しいことは知らないけど、お祝いしないような家庭環境だったんだろうか。

「じゃあ、来月、私がお祝いしてあげますね」
「いらん」
「まぁまぁ」

調子良くいう私に、尾形さんがまた舌打ちをした。初めの頃は、この舌打ちが怖くて仕方がなかったものだ。
見た目も話し方も近寄り難い尾形さんに随分気安く接しているけれど、何も初めからこんなふうだったわけではない。


中途採用で入社したこの会社。前職は大手シューズショップの正社員だった。私は学生時代に接客業のバイトをしていて、自分で言うのもなんだけど結構性に合っていた。
だけど現実は甘くない。いわゆるブラックな労働に心を折られた私は三年足らずでその会社を退職した。何やかんやの縁で現在の会社に転職したわけだが、ブラックな労働のせいで正しい働き方と言うものがすっかりわからなくなっていた。
だからミスをしたのに誰にも相談が出来なかった。

「おい新入り」

入社して八ヶ月、それなりに仕事を任されるようになってきた。とは言ってもまだまだ誰でもできる仕事ばかりだけど。
その日の私は退勤間際に自分のやらかしたミスに気がついた。提出期限が明日になっている書類の、根本的なデータのミスだった。

「えっ、あっ、はい…!」

焦りながらパソコンに向かう私に話しかけてきたのは、尾形さんだった。当時はまだ挨拶くらいしかしたことがなくて、正直ちょっと、いや、だいぶ苦手だった。業務上の関わりもない私に何の用事だろう。まさか他にもミスがあっただろうか。

「フロア、もうお前しか残ってねぇぞ。OJTの相手はどうした」
「えっと…出張で、今日は内勤するように言われていて…」

私のOJTを担当してくれている先輩社員は、今日はあいにく出張で、私は指示された書類を作りながらデスクワークに勤しんでいた。子供ではないのだから、指導社員がいなくても言い付けられた仕事くらいできる。…まぁ、結果としてミスをしているのだから、出来てはないのかもしれないけど。

「他の連中は?」
「か、係長は一緒に出張でリーダーは直帰です…」
「ちっ…」

連中って、とんでもない物言いだな、と思いながら私が受け答えすると、尾形さんは目の前で隠すことなく思いっきり舌打ちをする。迫力がありすぎて私は硬直した。

「仕方ねぇ、貸せ」
「えっ!あ、あの…私がミスをして修正のために残っているので…!」

どう考えても文脈的に手伝おうとしてくれている。それに気がついて申し出を辞退しようとすると、少しムッとした顔になってから尾形さんは強引に私に貸与されているノートパソコンを覗き込んだ。

「新人ひとり残すわけにはいかんだろうが」

面倒そうな言い方だったけれど、目の前の大量の書類を前に内心かなり焦っていた私にとっては渡に船だった。
尾形さんは自分のノートパソコンを持って隣の席まで来ると、テキパキ書類とデータをいくつかのグループに分け、あれこれと私に指示を出してくれた。
尾形さんのおかげで何とかその書類は無事完成し、私は提出期限を守ることができた。
近寄り難いけど、周囲をよく見ていて面倒見のいい先輩。私の中で尾形さんに対しそういうイメージが確立し、それから少しずつ関わりが出来るようになって、今ではすっかり物怖じせずに軽口さえ言える関係になっている。


翌年、1月22日。私は盲点に一週間前にその日の気がついた。
22日まで尾形さんは泊まりの出張に行っているのだ。一応帰社する予定だけど、行き先を見るに、定時までには帰ってこれないだろう。帰社といっても、恐らく資料と荷物を置きに戻るだけで、何なら時間によっては帰社するかも怪しい。

「あれ、ミョウジさん残業?」
「あはは、ちょっとキリのいいところまでやってこうかと…」
「手伝おうか?」
「全然!大丈夫!です!」

定時を過ぎ、のろのろとフロアに残っていると、気を利かせた同僚がそう声をかけてきた。
本当はキリのいいところどころかだいぶ先の細かい仕事をしている。実は、尾形さんと食べれないかなと思って会社の冷蔵庫にケーキを買って来てあった。定時になってから一度会社を出て近くのケーキ屋さんで購入したのだ。

「ミョウジさんお疲れー」
「お疲れ様ですー」

次々と退勤していく同僚たちを見送る。今日尾形さんを待ってるなんて話をしているわけでもないし、べつに帰ったって構わないだろう。年末に「私がお祝いしてあげますね」なんて言ったのもノリだったし、尾形さんは覚えてないかもしれない。
だけどなんとなく、私は帰る気にはなれなかった。

「うーん…明日休みだし…よし、終電の一時間前まで待とう…」

ぽつんと溢した独り言がノートパソコンのディスプレイで跳ね返る。さてそれまで時間をつぶせる仕事を探さなくては。
急ぎではないマーケの資料集めや見積フォルダの整理をする。仕事なんてものは探そうとすれば無限に探せるわけで、案外時間は早く過ぎていった。フロアで最後の一人になり、例のごとく節電のために自分のデスクの近くだけの照明をつけているからスポットライトでも浴びてるような気分になった。

「…9時半か」

定時から三時間半。時計を見ると私の最寄り駅の終電まで残り二時間。つまり、残ると決めた時間まであと一時間を切っていた。
さすがにもう戻ってこないだろうか。直帰して荷物は月曜日でいいやってなってるかも。それこそ誰かに誕生日お祝いしてもらってーーいや、それはないのか。いやいや、今までなかっただけで今年はあるかもしれない。
帰るときケーキ持って帰らなきゃなぁ。でもこの時間から家帰って食べたら太りそう。経理のスイーツが好きだって言う女の子から聞いた美味しいって評判のお店だったのになぁ。そんなことを取り留めもなく考えていると、廊下をコツコツと歩く革靴の音が聞こえてきた。

「…誰か残ってーーミョウジ?」
「尾形さん!」

まさに待ち人来たるというやつで、私は思わず勢いよく席を立った。尾形さんは資料の詰まった紙袋をぶら下げて、スポットライトのそば、もとい私のデスクのそばに歩み寄る。

「なんだ、何か仕事でしくじったのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど…」

尾形さんのこと待ってたんです。そうは言いづらくて、私はむにゃむにゃ言葉を濁した。じゃあなんだよ、と言わんばかりの追及の視線で、何をどう言おうかと頭の中で計算する。けれど、最終的には冷蔵庫に入ったケーキを差し出さなくてはいけないのだから、ここで言い訳をしたってしかたがない。

「ちょっと待っててくださいね」

私は給湯室に向かい、冷蔵庫に入れていたケーキの箱を持ち出す。傾けてしまわないように慎重に、だけどフロア全体が薄暗いから二回誰かのデスクを蹴ってしまった。
なんとかスポットライトの元まで戻ると、尾形さんに向けてひょいっと箱を持ち上げてみせる。

「尾形さん、お誕生日おめでとうございます」
「ーーお前」
「さすがにホールは二人で食べられないんでカットケーキですけど…あ、尾形さんいちご食べられます?もし無理ならチョコレートケーキもあるんでそっち食べて下さいね」

ここまでしておいて今更「やっぱり迷惑だったかな」とか「尾形さんケーキ嫌いだったらどうしよう」とか「ただの後輩がキモかったかな」とか、いろんな考えがぐるぐると駆け巡り、私はじっとこちらを見る尾形さんの視線から逃れるように捲し立てた。

「…まさか、このために待ってたのか?」
「そう言うわけでは…その、残業してたらたまたま先月の話思い出して、丁度ケーキも食べたかったし…」
「ほう、じゃあこの全く緊急性のない来月でも構わんマーケ資料はなんだ?」
「あっ!これは…!」

尾形さんが私の開いていた資料を指さす。私は慌ててノートパソコンを隠そうとするけど、手にケーキの箱を持っているからそれも出来ずに無駄にわたわた首を振った。
尾形さんのいう通りなんだから言い訳も何にもできなくなって、私は観念して白状する。

「…今日、尾形さん一応帰社の予定だったじゃないですか。年末お祝いするって約束してましたし…その…」
「別にあんなの話半分だろ」
「そう、ですけどぉ…」

尾形さんの更なる追及にどんどん言葉が尻すぼみになっていく。だって、そんなこと言ったってさ。自分でもどうしてここまでしてしまうのか、その理由に気づくのが少し怖い。

「フォークはあるのか?皿はまだしも手づかみは勘弁だぞ」
「あっ!フォークだったら家からプラスチックのコンビニで貰えるやつ持ってきました!」
「ほう、家からか。準備が良いな?」

うっ。墓穴を掘った。これでは準備する気満々でしたと言っているようなものだ。まぁ、本当に、そうなんだけど。
もうここで言い訳をしたところで仕方がないので、私は鞄から個包装されたプラスチックのフォークとチャック付きのビニール袋で持ってきた紙皿を取り出す。まさかお皿まで出てくると思ってなかったのか、尾形さんは目を一瞬ぴんっと細くして「ははぁ」と笑った。

「どうぞ。ショートケーキでいいですか?」
「ああ」

尾形さんに誕生日らしくいちごのショートケーキを、私が保険で買っておいたチョコレートケーキを食べることになった。
スイーツ好きの女の子のおすすめなだけあって、ケーキはすごく美味しかった。尾形さんも「悪くねぇな」って言ってたから、本当に美味しいんだろう。

「お誕生日、おめでとうございます」

お前の誕生日はいつなんだよ。ケーキを食べ終えるころ、尾形さんがそう尋ねた。こんな日にこんなタイミングで聞かれたら、今度はお祝いしてくれるのかなって期待してしまっても仕方がないと思う。


戻る








- ナノ -