いっとうあまい


ミョウジナマエと名乗った娘は、未来から来たと自称している。
ある日突然僕ら小隊の演習中に姿を現し、近くにいた二階堂兄弟によって捕らえられた。攻撃をするような素振りはないが見たこともない洋装で、スカートも履いている意味がないほど短い。
鶴見中尉殿の判断で司令本部には引き渡さず、鶴見中尉殿の私邸でしばらく拘束されることが決まった。
僕も立ち会った尋問で「どこから来たのか」と聞いた鶴見中尉殿に年号を確かめ、それから眉を下げて言った。

「えっと…私、110年くらい先の未来から来たみたいなんです…」

さっさと脳病院にぶち込んでしまえばいいのに。それが僕の包み隠さない感想であった。未来から来たなんて話を信じる方が馬鹿げている。だがしかし、そう切り捨てるにはどうしても整合性の取れない部分が大いにあった。
まず彼女の服装。ハイカラを通り越して奇妙とも言える形状もそうであるが、それ以上に裁縫の技術も織布の技術も到底国内で製造されたとは思えなかった。
次に知識。彼女は日露戦争のことを知り過ぎている。兵が帰還してまだ一年と経っていない。細かな作戦内容は軍の人間しか知らないはずだし、何なら自分たちに関係のない部隊のことは兵士たちでさえ正確に知らないことがある。だというのに、彼女は日露戦争の発端から結果に至るまで、まるでどこかで勉強でもしたかのように答えてみせた。
最後に持ち物。彼女の懐から飛び出た「スマホ」というもの。これは携帯できる電話だと彼女は言ったが、あいにくと動かなかった。とはいえ、見るからに現代の技術では作ることの出来ない代物であることは明らかだった。

「よし、この屋敷にいる限り君の安全は私が保障しよう」
「鶴見中尉殿、よいのですか。こんな怪しい娘…」
「宇佐美上等兵、お前は私の判断に何か不満があるのか?」
「い、いえッ!申し訳ありません!」

思わず出過ぎた真似をしてしまった。もちろんこんな怪しげな娘を鶴見中尉殿に近づけるわけにはいかないという思いからであったが。

「そんなに怪しがるのなら宇佐美、お前が彼女の監視をしなさい」
「わ、私がですか…!?」
「何か気になることがあれば私に欠かさず報告するように」

どうして僕がこんな怪しげな娘を、と思うも、鶴見中尉殿のご命令に従わない道理などない。
こうして僕は自称未来から来た娘、ミョウジナマエの面倒を任されたのであった。


監視は僕を含めた三人が交代して行った。ひとりは岡田、もう一人は三島。そして僕。
監視と言ってもミョウジは逃げる素振りを見せないので、特にこれと言って難しいことはない。

「ミョウジ、お前何が目的だ?」
「えっ、目的と言われましても…」
「ここに来てまんまと鶴見中尉殿の私邸に転がり込んで、何をするつもりだって聞いてるんだよ」
「何も出来ないから大人しくお屋敷にいるんですが…」

ミョウジとの会話はこんな調子でいつものれんに腕押しだった。きちがいと言われても仕方のないような「未来から来た」という話は、彼女と過ごせば過ごすほど真実味を帯び、信じなければ更に整合性が取れなくなっていく始末だった。
彼女の家庭環境、今までの生活、文化。どれをとっても突飛で、作り話にしても無茶苦茶だった。

「妙な真似したら承知しないからな。僕は他の二人と違って甘くない」
「は、はい…」

彼女は本当に大人しかった。日がな一日鶴見中尉殿から「好きに使いなさい」と許された書庫で読書をして過ごし、食糧を運んでくれば自分でなんだかんだと支度する。手はかからないし泣き喚いたりもしないし、都合がいいといえば都合が良い。

「宇佐美さんもご飯食べて行かれますか?」

そして危機感というものが欠如している。僕は殺そうと思えばすぐに彼女を縊り殺せるというのに。まぁ、鶴見中尉殿の手前、もちろんそんな勝手な真似はしないけれど。


彼女がここへ来て3ヵ月。
ミョウジは案外人の心に入り込むのと、その環境に馴染むことが上手い。岡田はともかく、人当たりが良さそうに見えて案外警戒心の強い三島でさえも兵営に戻っては「今日のミョウジさんは」と彼女の様子について気を許している雰囲気で話をしていた。
かく言う僕も、ミョウジナマエという娘に何の力もないということを否応なしに理解していた。女というのもあるが、その辺の女性よりよっぽど非力でどこかの御令嬢の如き体力の無さだった。こんな始末ではなんの抵抗もできるはずがない。本人曰く、未来人では平均値であるらしいが。

「はい。これ鶴見中尉殿からの預かり物」
「ありがとうございます…あ、金平糖だ」
「全くどうして鶴見中尉殿はお前なんかを気にかけているんだろうね」

僕がそう言えばミョウジは困ったように眉を下げて「どうしてでしょうね」と笑った。

「せいぜい未来の話とやらで鶴見中尉殿に貢献しろよ」
「はい…あの、力になれることがあればもちろん…」

鶴見中尉殿はきっとこの娘の未来の情報を引き出そうとしている。そうでなければこんな小娘を私邸に匿い、あまつさえ監視と称しながら実質護衛のようなことをさせるはずがない。
そう。これほど非力な娘を監視するというのは、最早監視というより護衛に近い様相を呈していた。

「宇佐美さんも金平糖頂きましょうよ」
「…それはお前が貰ったものだろ」
「そうですけど…ほら、中のお手紙にも分けて食べるようにって書いてありますよ」

ひらっとミョウジが金平糖の包みの中に入っていた紙を差し出す。確かに鶴見中尉殿の筆跡だ。「あれ、違いました?」と不安そうに僕を見上げる。そうだ、彼女の時代では書き文字も変化してるって言ってたっけ。
僕は短く「合ってる」とだけ答えて、日のよく当たる縁側に二人で移動した。二月の厳しい寒さの中でも日が当たっていればまだ暖かいものだ。

「宇佐美さんって誕生日はいつなんですか?」
「誕生日?」

鶴見中尉殿の下さった金平糖を二人で摘まんでいると、ミョウジはまた妙なことを聞いた。自分が生まれた日なんか小さい頃は大体何月だったか覚えていれば良い程度で、大人になればそれもそう必要なくなる。

「なんで生まれた日なんか聞くの」
「えっ…あ、明治ってまだ数え年なのか…。あの、私の時代では元日に一斉に歳を取るのじゃなくて自分の生まれた日に歳を取るように数えてるんです」

なるほど、確か異国の影響で何年か前にそんな法律が出たとか聞いたな。そんなことを言われても、古くから元日に歳を数えている僕らには簡単に浸透しなかったし、いつの間にかそんな法律が出たことも忘れていた。

「不便そうだよね、ひとりずつ違うなんてさ」
「そうですか?ひとりひとりの特別な日があるって結構良いですよ」
「まったく理解できない」

不便じゃないか。あの人は1月、この人は5月とばらつけば1年の間に誤差が出来てしまう。元日に歳を数えて家族一斉に祝うほうがよっぽど効率的だ。
こんな素っ頓狂なことを言われると、やはりミョウジはここではない時代から来たのだとまた信じざるをえなくなっていく。
ミョウジはわくわくとした気持ちを隠すことなくもう一度僕に尋ねる。

「それで、宇佐美さんのお誕生日はいつですか?」
「…2月の…たしか25日だけど」
「えっ、じゃあもうすぐですね!」

彼女は妙な図太さがある。知らない男たちに軟禁されているような生活でよくもまぁのん気にそんなことが言っていられるものだ。いや、なんでミョウジの側に立ってるような言い方をしなきゃならないんだ。
がりっと金平糖を噛み砕く。しゃりしゃりとした欠片が甘く舌の上で溶けていった。


5日後、鶴見中尉殿の私邸にミョウジの監視で向かう道すがら、今日が2月の25日であることに気が付いた。
確か昇級試験を受けたときなんかは書類に書いたが、普段から意識しているわけではないから認識なんてその程度だ。
鶴見中尉殿から直々にお預かりしている合鍵で屋敷の中に入る。ミョウジを軟禁するようになってから屋敷の掃除をするような使用人も入れないようにしているらしい。

「ミョウジ」
「宇佐美さん!良かった、今日宇佐美さんの日だったんですね!」

とたとたと軽い足音を立てながら玄関までミョウジがやってくる。後ろ手に何か持っていて、出会った頃ならきっと武器を隠し持っているのかと警戒しただろうが今はさっぱりそんな気にもなれない。

「お誕生日おめでとうございます!」
「ハンカチ?」
「はい!ここにちょこっとだけ刺繍してるんですけど…あ、ハンカチ自体は私が持ってたもので申し訳ないんですが…でも買ったばかりで使ってなかったものなので安心してくださいね」

差し出されたのはなんだか分厚い生地でできたハンカチだった。いや、ハンカチにしては少し面積が小さい。早口で捲し立てるように言うミョウジからそれを受け取る。触ったことないくらいふかふかしてる。間に綿でも詰まっているんだろうか。

「タオルハンカチって言うんですよ。文字通りタオル生地で出来てるんです。あれ、今ってタオルはもうありますか?」
「タオルはあるけどこんなに小さくて柔らかいのは触ったことない」
「よかったら使ってください。結構使い勝手いいですから」

タオルは確かにあるけれど、基本は高級品で襟巻に使ったりするものだ。こんな小さく、しかもハンカチとして使うなんて聞いたことがなかった。
ふかふかとその感触を確かめる僕をミョウジがにこにこ笑って見ている。少し居心地が悪くて、僕は渡されたタオルを軍衣の物入れにしまうとじろっとミョウジを見返した。

「誕生日、悪くないでしょう?」
「…まぁ、思ったよりは、悪くないね」

誕生日おめでとうございます。なんて一言で今日がいとも簡単に特別な日に変わる。110年後の未来というのは、毎日どこかの誰かがこうして祝われているのだろう。

「宇佐美さんを喜ばせるのに成功したので、私の誕生日にも何かプレゼント…贈り物くれませんか」
「なに、随分図々しいな」

何か欲しいものでもあるの?と尋ねると、ミョウジは「物じゃないんです」と答える。物じゃないならなんだ。まさか自由か?そんなものは与えられるわけがない。
一体何なんだと言わんばかりに僕が目を細めて見ると、ミョウジは少し言いづらそうにしてから「実は」と切り出す。

「あの、私のこと、名前で呼んでもらえないかな、と、思って…」
「は?」
「いえっ、その、変な意味じゃないんですよ!ただ…こっちに来てから誰にも名前呼ばれなくなっちゃったから…誰かに呼んでもらわないと、なんだか忘れちゃいそうで」

何を大袈裟な、とも思ったけれど、案外大袈裟ではないのかもしれない。ミョウジは頼る辺もなく、しかも周囲は知らないものと知らない人間ばかり。そんな中でそもそも平気な顔をしていられる方がおかしいのだ。いや、なんで僕はまたミョウジの立場になって話をしてるんだ。

「ナマエ」

気が付くと、僕は彼女の名前を口走っていた。いじらしくて可愛いなどと思ったわけではない。断じて。決して。
たかが名前を呼ばれたくらいできらきら飴玉みたいな目を僕に向けるのは、意外と悪くない気分だ。

「…別に、そんなの誕生日じゃなくてもいいでしょ」
「ありがとうございます!」
「僕が呼んでやるんだから、他のやつには滅多なこと言うなよ」

例えば岡田とか三島とか、他の連中が同じように名前を呼ぶのは面白くない。こんなの僕ひとりが呼べば充分だろう。
べつにこれは嫉妬とか独占欲とかそういうんじゃない。断じて。決して。

「はいっ!」

遠い未来からやってきたという飴玉は、僕が一等その甘さを知っているに違いない。なんて、何の根拠もないのにそんなことを考える。
ナマエの名前を呼んでやろうなんて思ったのもこんならしくないことを考えたのも、きっと誕生日のせいなのだと思う。


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