まだ知らない歌



※原作未満程度に宇佐美が智春を嫌っています。


同じクラスの宇佐美時重くんは、なんだか雰囲気のある男の子だった。
根暗とかそういうのじゃないけれど、周りの男の子とは群れず、クラスでひとりの時間を過ごしていることが多かった。
私の通うこの私立高校はちょっとだけお金のかかる、いわゆるお坊ちゃまお嬢様高校みたいなふうに周りから取られているなか、宇佐美くんは学費の免除が受けられる特進クラスに所属していた。

「失礼しまーす」

美術準備室の扉をノックして開く。誰もいないと思ったのに、窓が開けられていてカーテンがひらりとはためいた。

「あれ、宇佐美くん?」
「…ミョウジ?」

準備室の隅の椅子に座っていたのは宇佐美くんで、なにか音楽でも聞いていたのか、私が入ってくるのを見てイヤホンを耳から抜いた。
私は尋ねられてもいないのに「先生から雑用頼まれちゃって」と言って、宇佐美くんはそれに「へぇ」と大して興味もない様子で相槌を打った。

「何聞いてたの?」
「ミョウジの知らない歌」

宇佐美くんはつんとした態度で、そんなの聞いてみなきゃわからないじゃないか、と思ったもののそれを面と向かって言うような仲でもなくて私は口をつぐんだ。
そうだ、先生からの頼まれものを持って行かなければ。そう思いなおし、私は目的の戸棚をがさごそと探る。

「あ」

先生から言われた作品集は戸棚の上の方にあり、私はぐっと背伸びをして作品集に手を伸ばした。もうちょっと、あとちょっと。踏み台を持ってくるほどでもないしと思いながら手を伸ばしていたら、後ろから別の手が伸びてきて私の取ろうとしていた作品集をひょいっと取ってしまう。

「届かないなら台使いなよ」
「あ…ありがとう…」

伸びてきたのは宇佐美くんの手で、引き抜かれた作品集はそのまま私の手の中にぽんっと収められた。宇佐美くんはそのあとまた椅子に座って音楽を聞き出した。
私は「邪魔してごめんね」と声をかけてから準備室を出て、雑用を言いつけた美術教師の元へと足を運ぶことにした。


それが何となく、宇佐美くんと私が面と向かって話した初めての機会だった。
べつに仲良くなるとかそういうのではなくて、朝「おはよう」と声をかけたり、帰りに「またね」と声をかけたりとその程度で、やっと他のクラスメイトと同じような関係性になったと言ったほうが正しいようなものだけれど。

「宇佐美くん、おはよう」
「おはよ」
「今日は何を聞いてるの?」
「ミョウジの知らない歌」

宇佐美くんはいつもイヤホンで何かを聞いていて、尋ねるたびに「ミョウジの知らない歌」と言って教えてくれなかった。私もそれ以上は追及はしなかったけれど、宇佐美くんも嫌そうな感じはしなかったから私も挨拶みたいなノリで聞き続けていた。

その日の放課後、私は委員会の仕事で柔道場の近くを通った。この高校は柔道が強くて、インターハイにも手が届くほどの強さだ。
物凄い気迫と畳に打ち付けられるような音が聞えてきて、私は興味本位で開け放たれている扉からひょっこり中を覗いた。

「わぁ、すごい…」

熱気がぐっと押し寄せる。テレビで見たことはあるけど、こんなに近くで柔道をしているところを見るのは初めてだった。
たーん、たーん、と投げられる音がして、見ているだけで痛そうだった。受け身をとる、ということを言葉だけで知っていたものの、彼らが受け身を取れているのかどうかは私にはわからない。

「柔道部になんか用じゃったか?」
「あっ…」

ついうっかり見入ってしまって、部員に声をかけられた。誰だっけ、同級生にいた気がする。えっと、えっと…そうだ、C組の高木くんだ。お父さんが警察のえらいひとだって噂の。

「あの、ごめんなさい。近くを通りかかっただけで…」
「少し見学していく?」
「あ、いや、お邪魔になってしまうと…」

少し興味はあったけれど、たまたま眺めていただけなのだからそこまでしてもらうのは申し訳ない。
高木くんの提案を辞退しようとしていると、ふっと私と高木くんの間に人影が割りいる。

「ミョウジ」
「宇佐美くん?」
「こんなとこで何してんの」
「委員会の仕事で通りかかってたまたま…」

人影の正体は宇佐美くんで、宇佐美くんは高木くんに背を向けるようにして私に話しかける。私は隠し立てするようなこともないから正直にそう言い、すると宇佐美くんが「ふぅん」と、自分から確認してきたくせに少しおざなりに相槌を打った。

「ごめんね、お邪魔しました」

私はこれ以上部活の邪魔をするわけにはいかないとそう言ってぺこりと頭を下げる。背後で高木くんが「トキシゲ!」と宇佐美くんに話しているのが聞えた。そうだ、高木くんって宇佐美くんと仲良いんだっけ。
それにしても、宇佐美くん柔道部なんだ。道着姿の宇佐美くんが、ちょっと、けっこう、かっこよかった。
宇佐美くんは色白で顔も綺麗系で、なんだか勝手に女の子のような細身を想像していたのだ。だけど実際はそんなことはなくて、道着から覗く腕はたくましかったし、首筋や胸元も、なんていうかこう、ちゃんと「男の子」だった。

「何意識してんの、ばか」

これは別にそういうあれじゃなくて、ただ単にギャップを見てびっくりしただけで、私だってお兄ちゃんの水着姿とか見たことあるから男のひとに免疫ないとかじゃないし。
いくつもそう言い訳をしてみたところで言い訳は言い訳で、私はたった一度のそれでどうしようもなく彼を意識するようになってしまった。


「あ、ミョウジさん」

翌日、休み時間に廊下を歩いていると不意に男の子から呼び止められた。誰だろうと思って振り返れば、そこに立っていたのはC組の高木くんだった。

「昨日えろう急いで帰ったすけ、今日ちょっとでも話せたらいいなと思うたったんよ」

何か高木くんが私に話したい話なんてものがあるとは想像もできなかったが、怪しいセールスじゃあるまいし、同級生にそう言われて断る理由も思いつかない。足を止めて「どうかした?」と差し障りのないように尋ねると高木くんは「トキシゲが…」と口火を切った。

「宇佐美くん?」
「うん。トキシゲが女子と喋ってるの初めて見たすけ、ミョウジさんは仲がいいのかて思うて」

仲が良いとかどうかと言われると、それは少し違うと思う。けれど高木くんの言う通り、宇佐美くんが自分から女子と喋ってる姿って見たことがないかもしれない。

「仲が良いっていうか…私が構ってもらってるってかんじかなぁ。高木くんのほうが宇佐美くんとは仲良いでしょう?」
「トキシゲとは小さいころからの親友だすけ」

高木くんはそう言って少し照れくさそうに笑った。親友って、宇佐美くんと高木くん、そこまで仲良かったんだ。学校ではあんまり喋っているところを見ないから全然知らなかった。
ちょうどそこまで話したところで予鈴が鳴り、次の授業が移動教室だという高木くんは慌てて自分のクラスに戻って行った。
私も次の授業の準備をしなくてはと教室に戻ると、私の斜め後ろの席に座っている宇佐美くんと目が合った。それから少しイライラとした様子で宇佐美くんが口を開く。

「…智春と仲良いの?」
「ともはる?」
「C組の高木智春」

高木くんって智春って名前なんだ。流石に関りのない同級生の下の名前までは覚えていなくて、言われて初めて高木くんが智春という名前であると知った。
私が正直に「昨日初めて喋ったよ」と言うと、宇佐美くんは「ふぅん」と、聞いてきた割には気のない返事を返してくる。

「高木くんにも同じこと聞かれた」
「は?」
「トキシゲとは仲が良いのかーって」

親友って気になるところも似てるのかなぁなんて思いながら話のついでに先ほど聞かれた質問を話せば、宇佐美くんは眉間にしわを寄せて「なんて答えたの」と尋ねる。
綺麗な人ってこんな表情でも綺麗に見えるもんなんだと思いつつ、私が「誤解されるようなことは言ってないよ」と答えれば数学の先生がドアを開けて入ってきて、私は慌てて自分の席に戻って教科書を開いた。


結局そのあと宇佐美くんとは何となく話すタイミングがなくて、時間に追われているうちに放課後になった。私は友達とは帰らずに、図書室に本を返却してからまた新しい本を借りて、教室に荷物を取りに戻る。
誰もいないと思った教室の中にひとがいて、窓が開けられていてカーテンがひらりとはためいた。教室にいたのは宇佐美くんだった。

「宇佐美くん、部活は?」
「今日は柔道場の点検で休み」
「そうなんだ」

誰かを待っているんだろうか。宇佐美くんは勉強道具を広げるでもなく頬杖をつきながら自分の椅子に座っていて、今日は珍しくイヤホンが耳にはめられずに首から下がっている。

「あのさ、昼間のことなんだけど」
「昼間?」
「智春が聞いてきたってやつ」

切り出されたのは昼間の話で、まだ続きがあったのかと内心思いながら宇佐美くんの言葉を待った。
宇佐美くんはじっと私を見た後に溜息をつき「僕は仲良いと思ってるけど」とまるで内容には合わないそっけなさで言った。

「えっ…それってどういうーーー」
「トキシゲー!」

こと?と尋ねようとしたときに後ろから高木くんの声がして、宇佐美くんが苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをする。眉間にシワを寄せる顔より何倍も怖く見えた。
宇佐美くんは高木くんが教室に入ってくるより先に立ち上がり、私に向かって「帰るよ」と声をかけた。私は急なことに頭が回らず、とにかく「うん」と返事をして自分の荷物をひっつかむ。

「トキシゲ、一緒に帰らんかね…ってあれ…ミョウジさん?」
「僕、ミョウジと帰るから。じゃあね」

私の顔を見てきょとんとする高木くんにそう言い放って、宇佐美くんは私の手を引いてずんずんと歩き出した。私は高木くんに「ばいばい!」と一応の挨拶をしながら、足がもつれてしまわないように宇佐美くんの早歩きになんとかついていく。


「良かったの?高木くん。親友なんでしょ?」
「ハァ?親友ぅ?」
「えっ」

吐き出された声があまりにも嫌そうだったから思わず面食らった。男の子の友情のことはよくわからないけど、高木くんはあんなに嬉々として言っていたのにこんなにすれ違うことってあるもんなんだろうか。

「智春は篤四郎さんと僕の邪魔するから嫌なんだ」
「篤四郎さん?」
「柔道部の講師の鶴見先生」

講師ということは教員じゃないんだろう。鶴見先生と言われてもピンと来なかったから、きっと柔道部の部活をみてくれているコーチのようなひとなのだ。
篤四郎さんって、すごく親しい呼び方だなあと思っていたら、高木くんに対する愚痴は終わっていなかったらしく、そのまま言葉が続いた。

「あいつしかも天然なんだよ。天然でいっつも僕の邪魔してくんの。鬱陶しいったらありゃしない。今日だってミョウジに変なちょっかいかけてるしさ」

宇佐美くんがそう続けて、どうして私の名前がそこに出てくるんだろう、と考えていれば少し呆れた顔になって掴んでいた私の手を解く。
それから「君もたいがい天然だよね」と溜息をついた。
何か言い返してやろうと思ったけれど、言い返すより先に解いた手を今度は指が絡まるようにして繋がれ、私の言葉は喉の奥でつっかえてしまう。

「う、宇佐美くん…」
「なに?」
「えっと…」

繋いだ手の理由を聞きたくて、でも言葉はなんにも出てこなくて、そんな私を見て宇佐美くんが小さく笑う。それから彼は慣れた手つきで片手でプレイヤーを操作して、私に向かてイヤホンを差し出した。イヤホンからかすかに音が漏れている。

「いつもなに聞いてるの?」
「ミョウジも聞く?」

初めて違う言葉が返ってきて、私はこくこくと頷いた。イヤホンの片方を借りて流れている歌をきいてみたけれど、日本語でも英語でもない歌は宇佐美くんの言った通り私の知らない歌だった。

「これ、どこの歌?」
「当ててみなよ」

宇佐美くんは少し意地わるく笑って、私は流れてくる歌にじっと耳を傾けた。
結局その歌がロシアのものであるということは、宇佐美くんと付き合うようになってから知ることになるのだった。


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