07 1階K列20番

伏黒くんと過ごす時間が増えるのかと思われたが、そうはいかなかった。伏黒くんにやっと同級生が出来たのである。それも一気に二人。
ひとりは元々入学を予定していた東北の女の子。もうひとりは伏黒くんが赴いた仙台の単独任務で出逢った男の子らしい。衝撃なのは、その男の子というのが宿儺の指を飲み込んで受肉に成功してしまった器だということだ。珍事が過ぎる。
呪物を飲み込んだ受肉体に遭遇したことも呪物を飲み込んで死んだ人間もみたことあるけど、特級呪物飲み込んで受肉しましたテヘペロみたいな人間にはついぞ会ったことがない。五条さん好きそうだな、そういうイカレたヤバい子。イカレたメンバーを紹介するぜ!なんつって。

「あ、伏黒くんだ」

そんなことを考えていたら、高専のグラウンドに伏黒くんの姿を見つけた。いつもならなんだかんだ「お疲れさま」なんて言って声をかけるけど、今日は同級生も一緒みたいで気が引ける。ちょっと、なんか、寂しい。
すると、伏黒くんが私に気づいてぺこりと頭を下げた。私はひらっと手を振るだけで、声をかけに行くのはやめた。

「ミョウジさん?」
「あ、伊地知先輩」

そのまま高専の中を歩いていたら、伊地知先輩にエンカウントした。先輩は相変わらず疲れた眠そうな目をして、タブレットとお菓子を抱えている。お菓子は言わずもがな五条さんの分だ。

「どうかしたんですか?」
「え、どうもしませんけど…」

伊地知先輩は人を見る目が鋭い。ちょっとの体調不良でも見抜かれてしまうなんてこともしばしばだが、今日は本当になんでもない。何だろうと思って考えていたら、伊地知先輩が「元気がないように見えましたので」と言った。

元気がない?私が?
ぶっちゃけ朝ごはんはおかわりしたし、お昼だってラーメンと半チャーハンをもりもり頂いた。元気の塊みたいな私に元気がないとはこれいかに。

「そんなふうに見えました?」
「ええ、嫌なことでもあったのかと思ったんですが」

思い当たる節がないな、と思っていたら、後ろから「ミョウジさん!」と伏黒くんに声をかけられた。
振り返れば、手にオレンジジュースを持って息を切らしている。

「伏黒くん、お疲れさま。どうかした?」
「いや、これ、課金です」

伏黒くんはオレンジジュースをひょいっと私に差し出す。反射的に受け取ったペットボトルはひんやり冷たい。きっと自販機まで買いに走ってくれたんだ。
このごろはもはや断るのを諦めて初めからごちそうになるようにしている。もちろん、年下の男の子に奢られっぱなしってわけにもいかないから、タイミングを見計らってトレーニングルームにいるときにスポーツドリンクを差し入れたりしてる。

「ありがとー。また今度スポドリ差し入れに行くよ」
「…はい」

それから伏黒くんは組み手をするからとグラウンドに戻って行って、私は手の中のオレンジジュースの冷たさをじーんと感じる。
不意に背後から「あの」と伊地知先輩の声がした。やば、完全に空気にしちゃってた。

「…ミョウジさん、課金というのは…?」
「よくわかんないんですけど、なんか課金って言って飲み物奢ってくれるんです。私も奢り返して物々交換的なことになってるんです」
「はぁ、なるほど…?」

全然「なるほど」じゃない顔をして伊地知先輩が相槌を打った。まぁ私もまったくなるほどではないと思う。
伊地知先輩はそれから少しだけ不思議そうな顔で私を見た後、にっこり笑って言った。

「…ミョウジさん、さっきまでの沈んだ顔、なくなりましたね」
「…え?」

うそ、ちょっと待って、それって。伏黒くんと話せて、治っちゃったってこと…?
ペットボトルを手にしながら自分の顔をぺたぺた触る。心なしか熱いように思えて、私はどうしようもない気持ちになった。


来たるドクステ参戦の日、私は気合を入れに入れて支度をした。
メイクを派手にとか服を凝ってとかそういうのじゃない。精神的な問題。幸いにも一作目の予習は出来た。原作の履修もばっちり。けっこうがっつりとバトルものなので、どんな演出になるかが楽しみ。
特に加賀美くんの役はスナイパーでありながら近接戦闘を得意とする敵組織の重要なキャラクター。絶対かっこいい。というか既にビジュアルがすでに五億点だった。
物販なに買おうかなぁ。この何を買うか、というのは個人ブロマイドやパンフレットを買うか否か、という話ではない。
まず個ブロとパンフは必須。トレーディングブロマイドを何枚買うか、というのが主な争点である。あ、あと共演の他の子のブロマとか。

「お待たせー」
「いえ、今来たところなんで」

高専の門のところで伏黒くんと待ち合わせをしていた。伏黒くんの私服は白いTシャツに軽くスクエアの柄が入ったもので、それにブラックデニムとボディバッグを合わせている。足元は赤い重めのスニーカー。
イケメンというものは何を着てもイケメンだ。対する私はなるべく伏黒くんと歩いて恥ずかしくない程度に若い子っぽい恰好を意識した。結構加賀美くんの舞台に行くときはバキッとしたパンツかペンシルスカートのいわゆる「強そうな女」の格好で行くことが多いけど、伏黒くんと並んだら授業参観になりかねないと思って今日はブルーのフレアスカートに白いボウタイブラウス。

「ミョウジさん、私服すげぇ可愛いすね」
「えっ…!あ、ありがとう…?」
「ふふっ、なんで疑問形なんスか」

予想だにしないお褒めの言葉にどぎまぎと返事をすると、伏黒くんはちょっと笑った。最近の伏黒くんは、前よりも少しだけ笑ってくれるようになった。
伏黒くんの笑顔は不思議で、見てると胸がぐっと締め付けられる。

「い、行こっか!」

私は無理やりそう言葉を吐き出して、最寄り駅の方角へ歩き出した。少し遅れて伏黒くんも歩き出し、すぐにふたりで並んで歩くことになった。


会場は新宿霞ヶ丘にある日本少年館ホール。
メトロで外苑前駅を降りて北に向かて徒歩五分。もちろん、駅のあたりから重装備のお仲間がきゃっきゃとたくさん歩いている。
サンオリのネームプレートに甘カワ系のフリル多めのワンピースを着た典型的な女の子から、ブランド綺麗めでまとめた火力高めのお姉さま。それに時々混じってわりと普通の恰好をした原作オタクの子。まさに女オタク跋扈する魔の空間である。

「球場方面の出口ね」
「わかりました」

果たして伏黒くんはこの光景をどんな気持ちで眺めているのか。気になるけど怖くて聞けない。だってこれ私は慣れてるけど一般人からしたら結構異様な光景だ。バンギャの集団に勝るとも劣らない。
階段を登って北側に向かって歩くと、一階部分がずらりとガラス張りになった少年館ホールが見えてきた。早速女の子たちがトレーディングすべくクリアケースを開きながらミニ商店街状態である。
丁度もうロビー開場はしていたので、半券を切ってもらって二階に上がる。物販にそこそこの列が出来ていた。

「伏黒くん、私物販並んでお手洗い行ってから戻ってくるからちょっと待っててもらっていい?」
「わかりました。じゃあその辺にいるんで」

伏黒くんに断って物販列に並び、頭の中で合計金額を計算する。ちなみにこの計算は土壇場で物を増やして意味を成さなくなる無駄な作業である。
今日の公演は物販の捌きがいい。時々売り子さんが慣れてなかったりするとえげつないくらいまごつくからこれは当たりだ。
すいすい物販列は進み、私は個別ブロマイドA、B、それからパンフにチケットホルダー、あと勢いに負けてトレブロを10枚買った。10枚で済んだのは上限が10枚だったからである。
お金を支払って鞄に戦利品を入れ、今度はお手洗いの列に並んだ。

「ねぇ、さっき若俳っぽい子いたよね?」
「見た見た。階段のすぐそばでしょ?」
「誰だろー。めちゃ若いっぽかったし誰かの事務所の後輩かなぁ」

後ろの女の子の会話。若俳とは若手俳優の略語である。オタク、何でも略しがち。
前楽なので、これは日曜日の昼公演だ。関係者が来るならだいたい平日だけど、誰か関係者が来ているのか。少年漫画が原作とはいえ、出演者のラインナップからして客層は圧倒的に女性だ。男のひとがいると結構目立つ。

「でも今日日曜だよ?関係者来てるかなぁ?」
「だってあんなイケメン、若俳じゃないわけなくない?」
「それはそう」

女の子たちはそのまま終演後にキャストのSNSに載るかもしれないからチェックしようと話をした。丁度お手洗いが私の番になり、さくさく済ませて手を洗う。ハンカチで拭きながら戻って、私は事態の全容を把握した。
ホワイエの隅の壁にもたれかかってスマホをいじる伏黒くんを女の子たちが遠巻きにチラチラ見ていたのだ。なるほどなるほど。そりゃそうなるか。
顔に注目する機会がないのと、高専に五条さんなんていうアルティメット顔面良すぎマンがいるせいですっかり見慣れた気になってしまっていたが、彼は相当のイケメンなのである。そりゃこんな女の子ばっかりの舞台観に来てるこんなイケメンは関係者に決まっている。

「…この視線の中話しかけるのか…」

めちゃ怖いな。と思えど、このまま伏黒くんを放置するわけにはいかない。私は意を決して「伏黒くん」と声をかけた。

「ごめんね、お待たせ」
「いえ。大丈夫です」

ビシビシビシ。視線が刺さる。伏黒くんは特に気にした風はなかった。イケメンというものはこの視線にも慣れているというのか。

「欲しいやつ買えました?」
「うん、ばっちりです。あ、トレブロの開封の儀やっていい?」

私はそう言いながら、鞄にしまったトレブロを取り出す。銀のビニールに包まれていて中身のわからないドキドキわくわくブラインド商品である。加賀美くんのブロマは3種。全部出てくれとは言わないから2種くらいなんとかなって欲しい。
私ががさごそと悪戦苦闘していると、伏黒くんが「持ちます」と言って荷物を持ってくれた。私はお礼を言ったあと、集中してまず一つ目の袋を開封する。

「…やば…」
「あ、ミョウジさんの好きな俳優ですよね?」
「う、うん…」

ど初発から加賀美くんを引いてしまった。しかも一番顔がいいと思っていた横長ショットのやつ。はぁ?拝んだわ。
勢いに乗り、私は二つ目の袋を開ける。そろりと取り出すと、またしても衝撃。

「えっ、うそ!」
「今度は縦長の写真ですね」

二枚連続加賀美くんだ!すごい!めちゃ珍しい!
平素推しを自引きできないことに定評のある私である。こんなの殆ど奇跡だ。サンキュー神様!
その後8枚は流石に加賀美くんのブロマは出ず、しかしながら戦績2枚。上々の結果に私はほかほか心が満たされるのを感じながら客席に向かったのだった。


「伏黒くんは予習した?」
「虎杖…仙台から来たやつが丁度漫画持ってきたって言ってて、最新刊まで読みました」
「すご。私結局舞台てやるとこまでしか読めなかったんだよねぇ」

座席は一階のKの20、21番。真ん中寄りで見やすい。近いサイドがいいか遠くでもセンターブロックがいいかというのは本当に個人の好みによる。私はセンターの方が見切れないから好き。
しばらくでケータイの電源のアナウンスが入り、私と伏黒くんは揃って電源を落とし、私はオペラグラスの用意をする。伏黒くんもなぜかオペラグラスを持っていて、ビックリしていたら「必須だってネットで見ました」と答えが返ってきた。
なんか本当に、私の好きなものを共有しようとしてくれてる。それをじんと実感して、私は胸の奥がどくどく熱くなるのを感じた。

公演は途中休憩なしの1時間45分。爆音の銃撃戦から始まり、物語はいままでのあらすじを含むナレーションと演者の掛け合いで滑りだす。
特に演劇に詳しいというわけではないけれど、この作品の演出家は私のお気に入りの人だ。他で劇団を主催していて、昔下北沢でこの人の劇団の公演を見て一気にファンになった。脚本家は初めて見る人だったけど、シーンの切り取り方が上手い。
殺陣は迫力がある。ぶっちゃけ私たちはマジで戦闘訓練を受けているわけで、そんな人間が演出された戦闘を見ても、と思われるかもしれないが、殺陣と実践は全くもって別物である。見せるために計算された動きだから、真似しろと言われても結構難しい。
場面転換の際、ちろ、と頭が動いてしまわないように伏黒くんを見た。真っ直ぐ視線が舞台に注がれていて、私は勝手に嬉しくなった。


公演は無事に終了した。これは三作目も間違いなく作られるだろうな。めっちゃ面白かった。
拍手喝采の中トリプルカーテンコールをして、会場が明るくなり、アナウンスが流れる。手元でがさごそオペラグラスを専用ケースにしまっていると、隣の伏黒くんが言った。

「面白かったですね」

まさか開口一番そう言ってくれるなんて思わなくて、思わず驚いた顔のまま固まってしまった。
伏黒くんは不思議そうな顔をした後気まずそうに「客席出る前に感想言うとか良くなかったスか」と言った。

「ぜ、全然!そんなことない!…すごく嬉しくてびっくりしちゃった」
「迷惑じゃないなら良かったです」

目尻を緩める伏黒くんに、私はチカチカと何度も瞬きをしてしまった。何とか退場の波に乗って劇場を出て、外階段で路上に出る。

「ねぇ、伏黒くん、このあとどっか行かない?」
「え」
「や、あの、時間があれば…なんだけど…」

言葉尻はすっかり勢いをなくし、私は決まり悪くモゴモゴ唇を動かす。
突然こんなことを言われたって伏黒くんも困るかも知れない。だって元は舞台見に行こうって話だったし。

「…じゃあ、本屋行きたいです」
「本屋?」
「はい。好きな作家の新刊が出てると思うんで」

伏黒くんの好きな作家。いったい誰だろう、どんな物語を書く人なんだろう。

「いいね、行こう!」

知りたい。私も伏黒くんの好きなものを知って、好きなものを共有してみたい。


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