06 1階M列25番

私は待合室で新聞を読んでいた七海先輩を見つけて、これはチャンスだとぱたぱた近づいた。

「敬愛する七海先輩、どうぞ私めの話を聞いていただけませんでしょうか」
「…アナタは普通に話せないんですか」

そう言いながらも、七海先輩は新聞をぱたぱた折りたたんでテーブルに置き、私の話を聞いてくれるらしかった。七海先輩優しい。マジで神様か何かかな。

「で、何ですか?」

私はもう一度頭の中で相談事を整理する。伏黒くんに告白された件だ。3月に告白されて早二か月。伏黒くんはあの日以来私に「課金する」と言って会うたびに自販機で飲み物を奢ってくれる。なんで年下の学生に奢られたんだ、とは思うけど、大体もう購入済みで手渡されるのだから、断れずにずるずると。
どうして「課金する」なんてワードを使っているのかは未だ解明できないところだけど、とにかくそれが伏黒くんのアプローチの一種だっていうことは理解した。

「と…友達の話なんですけど…」

私は相談事をする際の常套句を切り口に話を始める。七海先輩のこめかみがぴくっと動いた。

「と、年下の男の子からアプローチをされているらしくてですね、その、女が年上で男が年下のカップルってどう思います…?」
「いいんじゃないですか、恋愛は個人の自由でしょう」
「その歳の差が10個でも?」
「相手が未成年でないのなら」

ちーん。見事に迎撃された。はいはいそうですよね、そうなりますよね。だって未成年に手を出すって犯罪じゃん。法律に詳しくない私でもちゃんと知ってる。

「そのご友人は、アプローチを断りたいわけですか?」
「いや、断りたいっていうか…始めはそうだったんですけど、やっぱり懐いてくれるのは可愛いし、こう、ちょっとした体格差にドキドキしちゃうっていうか、大人になってるんだなぁって思っちゃって」

正直、水虎の任務の時に上着を被せられて、かなりドキドキした。だって小さい男の子だと思ってた伏黒くんがいつの間にか私よりも背が高く、体格も良くなっていたのだ。そりゃ顔を合わせてるから知ってはいたけどなんというか、思い知らされたみたいな、そんな気持ちだ。

「なるほど、ご友人はその相手と旧知の仲なわけですね」
「そうなんです。多分六年くらいの付き合いで、初めて会ったときなんて小学生だったんですよ」

時間が経つのは早い。まだ玉犬しか顕現できなかった呪力操作も未熟な男の子が、今や複数の式神を調伏し、自在に使役している。

「常識的に考えるのなら、君がしっかりと断るべきでしょう。伏黒くんは未成年ですし、真剣交際なら罪に問われないとはいえ、大人には大人たる対応があります」
「やっぱ…そうですよねぇ」

お断りして、せっかく六年かけて作り上げた仲を全部捨ててしまうのは寂しい。だけどそれは私の我儘だ。ああ、職場恋愛っていいことないから本当に皆辞めた方がいい。余計なお世話だけど。

「ですが、私個人の感情を述べるならば、少し話が変わります」
「というと?」
「呪術師は異常だ。朝顔を合わせた人間が数時間後には死体になっているなんてことも良くある話です。君もよくわかっていますよね」

私は昔のことを思い出した。秋田の田沢湖に注ぐ川のひとつ。私はおにぎりで、あいつはパンだった。二人で朝ごはんを食べて気合をいれた。二人でかかればなんとかなると思った。現場に入って逃げられもしなかったし、私は自分の最終手段を使えば逃げ切るだけの自信はあった。だけど。

「…年齢や性別は関係なく、そんな中で誰か大切に思える存在がいるということは、貴重なことだと思いますよ」

私の思考を堰き止めるように七海先輩が言葉を続けた。
大人オブ大人の七海先輩なら反対しそうだなと思っていたから、その答えは意外だった。

「伏黒くんが誠意をもって気持ちを伝えてきたのなら、君もきちんと向き合ってから答えを出すべきなのでは?」
「そっか、そうですよね。確かに、逃げるだけなんて失礼ですよね」

確かに、かわして逃げるなんてそれこそ大人のすることじゃない。ちゃんと誠心誠意向き合わなきゃ、伏黒くんに失礼だ。
ん?あれあれ、ちょっと待って。

「な、なんで七海先輩伏黒くんと私の話だって知ってるんですか!?」
「最初からバレバレです。友達の話なんていうのは大体本人の話に決まってます」

ああ、私のしょうもない偽造は初めからお見通しだったらしい。こんなことなら正直に言ってしまえばよかった。


伏黒くんの距離が近い。彼は学生で私はもう高専を卒業した術師で、本来であればそこまで毎日のように顔を合わせることはない。私が寮に住んでるからって学校生活を送る彼と私の生活リズムがそうそう合うわけがないのだ。
それがあら不思議。私は三日に一回は伏黒くんと顔を合わせて、あまつさえ手合わせをしているのである。

「伏黒くん、踏み込みが甘い!」
「クッソ…!」
「はい、右隙だらけだよ!」

今日は術式なしの体術をメインにした戦闘訓練である。今日の任務は夕方からだったはずで、なのにどうしてこんなことをしているかというと、五条さんに呼び止められたからだ。

『あ、ミョウジちょっと』
『はい?』
『今日の任務夕方からでしょ。恵の体術みてよ』
『え、またですか?』

五条さんは『そ』と短く肯定して、僕出張だからとさっさと出て行ってしまった。
また、というのは、これが初めてではないからだ。まぁ、仕方ない面も多分にある。今年の一年生は二人。もう一人の東北の女の子の入学が諸事情で遅れているのだそうだ。
そうなると、伏黒くんは一年生でひとりきり。二級術師だから単独の任務も行くらしいが、組み手となると二年生に混ざるしかない。そして二年生は二年生で任務にガンガン入っているから毎日付き合えるわけではない。
そこでお鉢が回ってきたのが私だ。募集要項はみっつ。伏黒くんと面識があって、一応教えられる程度の実力があり、更に五条さんの言うことを二つ返事で聞く術師。ちなみに一番最後が一番重要。

「伏黒くん、避けたとに右を庇う癖があるね。並みの相手だったら多分問題ないけど、格上だったら一発で気づかれると思うよ」
「っす…。ありがとうございます」
「あとは…うーん、場数って言っちゃうとそれまでなんだけど…身長伸びたよね?」
「はい。中三の終わりくらいからですね」
「自分の身体のリーチに慣れてない気がするから、組み手の時はそのへん意識すると動きやすくなるかな」

誰でもできそうな初歩的なアドバイスしか出来なかったけど、伏黒くんは真面目に聞いてくれた。正直なところ今は私のほうが年齢的に経験があって勝てているけど、数年、もしかするこの一年とかで簡単に追い抜かれてしまうかもしれない。伏黒くんは優秀だ。

「ちょっと休憩しよっか。あ、待ってて」

私はそう言って、一番近くの自販機に走った。一番近くと言っても結構な距離がある。まじでもっと自販機の数増やしてくんないかな。
伏黒くんが何を飲むか分からないから、お茶とスポーツドリンクを買う。ペットボトル二本を抱えて戻れば、伏黒くんは先ほどと変わらない場所で待っていた。

「はい、お茶とスポドリどっちがいい」
「いや…」
「遠慮はナシね。今日は私が伏黒くんに奢る番」

何か言おうとする伏黒くんを先回りして言えば、伏黒くんは抵抗は無駄だと思ったのか「スポドリで」と言った。
伏黒くんにスポドリを渡して、お茶のほうのペットボトルのキャップを捻る。ぱきっと小さい音を立てて蓋が開いた。

「すんまんせん、いただきます」
「いーえ」

近くの石段に二人で腰かけ、ごくごく喉を潤した。もう5月になって数週間。日に日に暑くなっている。
昔は初夏ってこんなに暑くなかった気がするんだけどなぁ。更にごくごくお茶を飲んでいたら、隣の伏黒くんが口を開いた。

「ミョウジさん、考えてくれましたか」
「え、な、何が?」

咄嗟にしらばっくれたけど、何がなんてことはもちろん分かっている。だって最近そのことばっかり考えてた。

「舞台デートです」

ですよね。
結局、その後の一般販売でも見事に惨敗を決めた私の手元には一枚のチケットもない。これがただ単にフォロワーのお誘いだったら二つ返事で受け、お礼の品を包んで参上したことだろう。
それができないのはやっぱり、伏黒くんの「異性として、ミョウジさんが好きです」という言葉だった。

「あ、はは…うーんと…」

伏黒くんは冗談を言ったりこういった内容で大人をからかったりする子じゃない。だからたぶん、私のことを好きだと言っていたのも嘘や冗談ではないだろう。
そんな子に「デート」という言葉を使われたお出かけにほいほいと応じていいものか。しかも相手は10個も年下の男の子。

「デートだっていうのが引っかかるなら訂正します。別にミョウジさんと出かけられればそれでもいいんで」

伏黒くんは涼しい顔のままそう言った。いやいや、そうは言っても一回聞いてしまうと気にならないわけがない。
伏黒くんはかっこいいし、優しいし、呪術師をやっていて大丈夫かと思うほどいい子だ。まぁ、中学時代に学校でめちゃグレてた時期はあるけど、こんな業界の奇人変人たちに比べれば誤差程度だろう。

「…伏黒くんはさぁ、なんで私なの?まだ26だけど、君たちくらいからしたら充分おばさんじゃない?同級生…はまだいないけど、同じような歳の子でもっといい子たくさんいると思うけどなぁ」

私は、ずっと引っかかっていた疑問をついにぶつけた。特別卑下するわけじゃないが、私は見た目も中身も結構平凡だと思う。その上心にオタクという名の十字架を背負っている。伏黒くんみたいに若くて綺麗な子が相手にしたい女じゃないだろう。

「ミョウジさん、自己評価低いですよね」
「え?」
「初めて会った時もそうでした。強いんですかって聞いた俺に、ミョウジさんはそうでもないって、自分を生かすのに精一杯だって言いましたよね。あの時俺は規格外の五条さんしか知らなかったからピンとこなかったけど、ミョウジさんって充分強いじゃないですか」

伏黒くんが視線を合わせないままで言う。そんなことあったっけ。でも実際私は自分を生かすので精一杯で、現に学生の時だってーー。

「中二の、廃ビルでトカゲみたいな呪霊祓ったとき、ミョウジさん子供を真っ先に助けて、運び込んだ病院でその子供が目を覚ますまでそばにいるって言ったじゃないですか」
「あぁ、うん、補助監督なしで入った現場の時ね」

確か休みの日に五条さんに叩き起こされて行ったんだっけ。七海先輩も捕まんないからって私に回ってきたやつ。
当時のことを思い出していたら、伏黒くんがじっと私の顔を覗き込んだ。

「俺、そういう優しさがいいなって思ったんです」

伏黒くんはいつの間にかペットボトルのキャップを閉めていて、それを隣に置くと、膝の上に置いていた私の手に白い手を重ねた。
スポドリのせいで冷やされていて、甲がひんやり冷えていく。

「…目を覚ましたとき一人だったら寂しいでしょって言ったミョウジさんが、すげぇ綺麗だなって」

それだけじゃ、ダメですか。伏黒くんが続ける。まさかそんな些細なことを見られていて、こんなにも深く覚えられているなんて思いもしなかったからもう不意打ちで心臓がどきどきと鳴った。いやいや、こんな年下の男の子にそんな。

「歳の差とかそういうのは理由にしないでください。年下のガキってだけじゃなくて、俺のことちゃんと見て、知って、それから決めてほしいです」
「伏黒くん…」

七海先輩と話したことを思い出す。誠意をもってきちんと向き合わないと失礼だ。子供だからってあしらうなんて許されるべきじゃない。

「行こう、舞台」

私が空いている手を伏黒くんのに重ねる。咄嗟にそうしてしまったけど、あれ、私手汗かいてない?大丈夫?

「マジですか」
「いや、あの、まだお付き合いとかそういうのは結論待って欲しいんだけどさ…」
「今は別にそれで構わないです」

私が日和ったことを言ったら、伏黒くんは口元を緩めて笑った。
伏黒くんの笑顔を見ると、なんか居ても立っても居られない、そんな気持ちになってしまう。

「伏黒くんのこと、ちゃんと教えて」

まずもって、この時点で「待って欲しい」なんて言葉を使っている時点で結論なんて決まっているじゃないかと、頭の中でもう一人の私が呆れていた。
出かける先が若手俳優の舞台ってどないやねん、自分の部屋に戻ってからやっと気づいたことだった。


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