04 1階O列11番

私は自分の部屋でスマホを握りしめてうなだれていた。

「惨敗…」

惨敗。さんざんに負けること、さんざんな負けかた。
私は自分の言葉の意味を無意味にスマホで調べた。調べても別にそれ以上の情報は出てこない。当たり前だ。流石にこのくらいの日本語の意味なら分かる。
本日13時、舞台パラドックス公式先行とキャストファンクラブ先行のチケット当落が発表された。お察しください。

「えぇぇぇ、ここまで…ここまで…?」

私が申し込んだのは東京公演平日全日程。こんだけ入れたら被るかもだけど、もし重複したら都内のお友達に譲渡しよう、くらいの意気込みで臨み、結果1枚の戦果も得ることが出来なかった。ドクステ舐めてた。
いや、舐めてたわけじゃないんだけど、ここまでとは思わなかった。ぶっちゃけ平日なら1公演くらい当たると思った。

「くっそぉ…SNSの譲渡もマジ見当たらん…」

最終手段のひとつであるSNSでの譲渡をサーチするが、譲→定価+手数料送料、求→東京公演(日付問いません)。みたいなのばっかりで、たまに譲→東京6/12昼みたいなのがあっても基本交換優先ばっかり。譲渡は殆どない。稀に譲渡の人がいても、既に呟きに返信が何件もついていて、私が食い込める余地はなさそうだった。
元々の作品人気と、今回の公演には敵役でめちゃくちゃ人気のある俳優くんが2人出ることで倍率がヤバかったらしい。
私のSNSの友人でチケット戦争してた子も結構な複数名義をかけてようやくといった様子だった。
いや、落ちこむことはない。昨今の2.5次元舞台はよくライブビューイングをしてくれる。これが洋ミュージカルや小劇場系だったらアウトだっただろうけど、ドクステはライブビューイングが行われる可能性が非常に高い。

「よしよし、切り替え切り替え!」

このあと夜にかけて任務が入っている。一般発売ワンチャン狙って、ダメならライブビューイングだ。贅沢は言えない。


「お疲れ様でーす」

ひょいっと補助監督室に顔を出すと、見知った顔の補助監督たちがぱたぱたと仕事をしていた。
今日の補助監督誰だったっけ、と思いながら、ひょこひょこ室内を歩く。

「あ、ミョウジさん、丁度良かったです」
「伊地知先輩?」

補助監督室でバリバリ仕事をしていた伊地知先輩に声をかけられて立ち止まる。タブレットを手にした伊地知先輩にひょこひょこ近寄れば、差し出されたのは任務の事前調査資料だった。

「今日はミョウジさん単独の任務の予定でしたが、先ほど変更になって伏黒君と同行してもらいます」
「あれ、例の一級案件は大丈夫なんですか?」
「はい。あちらの方は別の術師の方に引継ぎが出来ましたので問題ありません」

私が受けるはずの任務は山村の推定一級案件だった。別の術師、と言っても割り振るならおそらく準一級以上。そんな急に空いてる人よくいたな。

「伏黒くんのサポートですか?」
「いえ、今日はミョウジさんがメインで任務に当たってもらいます」
「私が?」

ますます謎だ。わざわざ他の術師見繕って玉突きで私を出して、しかも伏黒くんが同行なんて。まぁこの時点で裏で糸を引いてるだろう人物は簡単に思い浮かぶので滅多なことは言わない。

「どんな任務なんですか?」
「水虎です」

水虎、というワードに私が呼ばれた理由を悟った。なるほど、水辺での戦闘なら私の術式はおあつらえ向きだ。伏黒くんと任務に出ることは何度かあったが、彼をサポートするのが目的のものばかりで私の術式を見せたことはない。五条さんは多分、いろんな術式の術師を見せておこうという腹だろう。

「了解です。水辺は私のオハコなんで」

私は伊地知先輩の指示に従い、表で待っているという伏黒くんと補助監督と合流することにしたのだった。


現場は群馬県某所の山中。荒船山の近くの川辺だった。
任務の概要は水虎の祓除。水虎というのは河童のような妖怪の総称で、3、4歳くらいの児童程度の大きさであり、体は矢も通さないほどに硬い鱗に覆われている。
荒船山は初心者でも登山を楽しむことのできる山として人気があり、登山客の負の感情が漏出して発生したらしい。

「伏黒くん、事前資料の確認は大丈夫?」
「はい。問題ありません」
「よっしゃ。今回は私がメインで戦闘に入るから、伏黒くんはサポートをお願いね」

私はそう声をかけながら送迎のセダンを降りた。うんと伸びをしてから荒船山を見上げる。空母みたいな特徴的な山の形が遠くに見えた。さて、中腹まで少し歩くことになる。軽く屈伸をして、それからアキレス腱を伸ばす。

「あ、でも五条さんは多分伏黒くんに私の術式見せたいんだと思うから、よく観察しておいて」

そう言ってから伏黒くんを見ると、五条さんからそれらしいことをあらかじめ言われていたのか「はい」と頷いた。

「それじゃあ私たちは現場に向かいます。帳は必要ないんで、ここで待機をお願いします」
「はい。承知しました。お気をつけて」

私は運転席に座る補助監督にそう伝え、獣道に足を踏み入れた。既に呪いの気配が薄く漂っている。思っているより近くにいるのかも知れない。
低木の続く道を踏み分けるようにして進む。春だというのに標高のせいか陽が当たらないせいか、随分と寒く感じる。

「おさらいになっちゃうけど、今日の呪いはおそらく水虎。平たく言えば河童みたいなもんで、主に川などの水辺に発生する。青森の方では水神信仰にも繋がってて、地域によっては特級クラスに化けるかもしんないから要注意ね」
「水虎って元は中国の妖怪ですよね?」
「お、よく知ってるね。元は中国の湖北省とかに言い伝えられてる伝説の生き物だよ。日本でその名前が知られるようになったのは江戸時代くらいからかな」

道すがら水虎の解説をして歩く。今となっては水虎という総称もあまり聞くことはないというのに、勤勉な伏黒くんはバッチリ起源まで知っているらしい。
呪いというものは人間の負の感情から生まれる。それゆえに共通認識のあるような名前のある呪いは強力になることが多い。

「水虎は結構硬いからね、近接仕掛けるなら呪力強化厳重にしとくといいよ」
「わかりました。今日は近接で祓うんですか?」
「ううん。私の術式は近接とかじゃないから今日は違うよ」

がさ、がさがさ。茂みを分け入って進めば、チャプチャプと水の音が聞こえてきた。川のから呪力がぐんぐんと濃くなってきている。よし、ビンゴ。

「ミョウジさんの術式って…」

ちろ、と伏黒くんを見る。呪力を感じ取って、彼も印を組めるように手を構える。
私はニッと口角を吊り上げ、手のひらに呪力を集めた。

「いかずち」

網のように呪力が広がり、川めがけて飛んでいく。ばちばち音を立てながら川面へ着水し、あたりが一度カッと明るくなった。
水が蒸発し、ギェェッと鳴き声のような悲鳴のようなものが聞こえる。川の底から姿を現したのは4、5歳の児童くらいの大きさの、体に鱗を持つ苔色の呪い。水虎だ。

「私の術式は雷。呪力で雷を生成し、また対象に三回触れることによって一定以上の呪力を持ったものであれば帯電させることが可能」

私はそう言いながら上着を脱ぎ、腕全体に練った呪力の雷を乗せていく。それから川に向かって人差し指と中指をピストルのようにして狙いを定める。

「よぉし、よく見といて!」

貯めた呪力を川に向かって一直線に放つ。水虎の胴体に衝突し、火花をあげる。周りの水がまた蒸発して水蒸気に変わる。
水虎はこちらに向かって牙を剥き、噛み付くべくヒュッと間合いを詰めた。私は練った呪力をまた網のように展開して漁の要領で水虎に被せる。水虎はそれを右に避け、私はその牙をすれ違いざまにかわしながら硬い鱗で覆われた体に触れた。

「よっ!」

進行方向の木の幹に足をつき体を反転させると、ぐんと勢いをつけて水虎の方へ戻る。そして水虎の頭部に手をついてバク転の動きで水虎の目の前に着地する。

「これで二回ね」

サッと伏黒くんを横目で見て、さてもう一回。水虎は己のテリトリーに戻るように二、三歩飛び退いた。残念残念。それ、私の術式相手だと悪手なんだよね。
初撃ならまだしも、数発食らって水に戻る選択をするということはあまり知能は高くないらしい。
とはいえ、伏黒くんに術式を使った戦闘を見せるために同行しているのだから、もう少し派手にやっておきたい。

「何か質問ある?」
「え、いや、戦闘中…!」
「ああ、全然大丈夫だよ」

私は伏黒くんに話しかけながら水虎に向かって地を蹴る。目の前まで迫ると、そのまま回し蹴りで水虎をさらに川の中央へ誘導していく。

「じゃあ、その、一定以上の呪力ってどのくらいの呪力量が基準になるんですか?」
「うーん、一般人には使えないけど窓には使えるくらいって感じかな。ちなみに対象の呪力量が多いほど強く帯電させられるよ」
「いや、なんでわざわざ人間に例えるんですか」

あれ、わかりやすいと思ったのになぁ。
水虎の胴体が3分の2程度浸かっているのを確認して一旦浅瀬に引き、踏ん張れるとろで踏み切って水虎に飛びかかった。
水虎はまた牙を剥き、それを寸でで避けて水虎の首に一撃を入れる。

「はい、これで三回目」

パチン、と指を鳴らすと、その瞬間に水虎の体が音をたてて感電した。水の中だから帯電した体をどこにも動かすことができず、水虎はその場で断末魔の叫びをあげる。
呪力の雷とはいえ雷だ。水に濡れていれば電気は流れやすくなる。だから水辺は私のオハコ。

「私の術式は伏黒くんのと違って環境条件に左右されるから戦闘スタイル自体はあんま役に立たないと思うけど、まぁ同じような術式持った呪詛師に遭った時の対策ってことで」

私は水虎の呪力が消失したのを確認し、ざばざばと伏黒くんの立っている岸へと上がる。
水辺が得意なのはいいけど、大体こういう戦い方になると濡れるから厄介。

「ありがとうございます。ミョウジさん…やっぱり強いですよね」
「え、そう?万年準一級だけど」
「や、さっきとか、解説しながら戦闘なんてとてもじゃないですけど俺にはできないんで」

水を含んだ衣服を絞れるだけ絞っていると、ぞの辺に投げておいたはずの上着をいつの間にか回収してくれていた伏黒くんがそれを差し出した。

「ありがとー」

春だからと油断してタオルの類を車に置いてきてしまった。このあたりでも充分冷える。失敗したなぁと思っていると、隣の伏黒くんが自分の上着を脱いでそれも差し出す。

「えっ、いいよ。濡れちゃうし」
「いや、見てるこっちも寒そうなんで」

まさか年下の男の子にそんなことさせられない、と思って断れば、伏黒くんは少しムッとした顔になってから強引に私の肩へ上着をかけた。身動きしたら落としてしまいそうで、私は大人しくされるがままになる。

「…ありがとう」

あったかい。やっぱり一枚あると違う。ていうか、伏黒くんってこんなに大きくなってたんだ。そりゃ、身長を見ていればある程度分かることだけど、かけられた上着でこんなに体格差が出るとは思わなかった。
伏黒くんも、大人になってきてるんだなぁ。上着から香ってきた柔軟剤を不覚にも妙に意識してしまって、私はぶんぶんと頭を振った。


補助監督の運転する車まで戻り、養生シートで防水対策をしてから後部座席に座る。ここまでびしょ濡れになったのは久しぶりだけど投入される現場の種類や術式の性質上、事後処理の準備には余念がない。
立ち寄った途中の人の少ないサービスエリアのお手洗いを拝借して着替え、やっとさっぱりすることが出来た。補助監督が別件で高専からの電話に対応する間、私と伏黒くんはバイク駐車用のスペースを隔てる柵にもたれかかった。

「あの…実は当たったんです」

不意に伏黒くんが切り出して、当たった?何が?と思って伏黒くんを見ると、彼はたぷたぷとスマホを操作して画面を私に差し出す。そこには「当選のご案内」と書かれたメールが表示されていた。しかも公演名は「舞台パラドックス第二夜」だ。

「えっ!はっ!?やば!」

私は興奮気味に画面を覗き込む。やばい。当選してる。しかも前楽。前楽とは千秋楽のひとつ前の公演のこと。千秋楽や初日よりは取りやすいが、それでも充分奇跡的な当選確率だ。

「すごいね、伏黒くん当たったの!?てか抽選入れてたんだ!?」

思わずめちゃめちゃな大声になってしまって、はっと手で口を塞ぐ。いかんいかん。驚きのあまり隠しきれないオタクが顔を出してしまった。いや、隠してもないんだけど。

「実は、その…一緒に行きませんか?」
「え?」
「俺こういうのあんまり分かってないんすけど、もし当たったらミョウジさんと行ってみたいなと思って」

いや、連れてってくれるってこと自体はチケット戦争惨敗勢としてはありがたすぎるお誘いなんだけども、パンピの伏黒くんと?しかも伏黒くんは舞台が好きというわけでも原作の漫画が好きというわけでもない。どうしてこんなことを、なんていうのは尋ねなくてもわかったが、伏黒くんが決定的な言葉をくちにした。

「俺と舞台デートしてください」

ああ、ほら、やっぱり。

「け…検討させてください…」

私はどうにかそう言って、伏黒くんは「わかりました」と返事をしてからスマホの画面を落としてポケットに入れる。
公演まであと二か月と少し。なんだかんだと伏黒くんのペースに乗せられ始めている気がする。


| 戻る |
- ナノ -