02 2階A列15番

伏黒くんの課金というものの真相は結局よくわからなかった。高専に戻るまでに立ち寄ったコンビニでカフェオレを買ってくれていて「いくらだった?」と聞いたら「課金なんでいらないです」と返ってきた。
いや、こんな年下の男の子に奢ってもらうなんて申し訳なさすぎる、と思って口を開いたら、丁度新田ちゃんに出発を促されて支払い損ねた。

「ありがとう、今度私が奢るから」
「いえ別に…」

車の後部座席、伏黒くんは澄ました顔で座っている。
私に課金するという発言の意図は一切わからないままだが、まぁコンビニでカフェオレ奢られたくらいだし、お礼とかそういうつもりなのかな。
ちらりと隣を見ると、伏黒くんはブラックコーヒーを飲んでいた。

「伏黒くん、コーヒーブラックで飲むんだ」
「はい、まぁ」
「大人だねぇ」

私がそう言うと、気を悪くしてしまったのか顔を赤くしてプイっと外を向いてしまった。今どきの男の子のことはよくわからない。
結局高専に帰投したのは午後5時過ぎ。まぁどう考えても間に合わないので、私は大人しくお風呂に入って不貞寝することにした。


私の住まいは高専の寮である。
もちろん卒業はしているけれど、申請して住めるようにしてもらっている。なんたって交通の便がいい。職場まで徒歩0分。そして破格の家賃。というか0円。
高専は腐っても公的機関からお金が出ているし、学生以外が寮母さんに食事を頼む場合には別に支払いがあるけど寮に住まわせてもらう分にはタダなのだ。

「うーん、今日も推しは顔がいい…」

そして私には推しがいる。
加賀美リョウくん24歳芸歴6年目。若手の俳優がよく出る系統のエンタメ感強めな舞台に出ていることが多い。芝居の振り幅が大きく、デビュー当時は若手らしい「可愛い!元気!やる気!」みたいな役が多かったけど、最近は少し毛色の違う役どころも任されるようになった。
歌はちょっと、いや、だいぶ苦手。デビュー当時より上手くはなったけど、充分に音痴。そこがまた可愛い。
私は数日前千秋楽を見損ねた舞台のストリーミング配信を見ながらリラックスタイムを過ごしていた。

「あっ!今の表情最高!」

独り言が多くなってしまうのはオタクの習性である。デカい主語。
加賀美くんは目の動きというか、感情の色というか、そういうものを表現するのが上手い。そりゃ名だたる名俳優たちに比べればまだまだなところも多いけど、これからの可能性が無限大なのだ。
加賀美くんを見ていたら連勤の疲れなど嘘みたいに吹っ飛んだ。
推しって見ると元気になれる。推しは偉大である。

「はぁー、やっぱ生で見たかったなー」

この舞台のシリーズは人気で、チケットを取るのが結構難しい。私のチケットは最速先行で落ちてファンクラブ先行でなんとか取れたやつだった。
正直任務のせいで舞台に行けないのは初めてじゃなくて、せめて数日前にでも分かれば公式リセールなどでチケットをお譲りするようにしている。この前は流石に無理だったから、千秋楽で空席を作ってしまって、そのことにそこそこへこんだ。


配信を思う存分楽しんだ私は、そのあとちょっと散歩とばかりに高専の敷地内をうろついていた。部屋にいたら永遠に加賀美くんの円盤を見ちゃうから危険なのだ。
季節も春めいて、桜が咲き始めていた。高専の桜はソメイヨシノだけじゃなくて、案外いろんな種類が咲いている。
とことこつぼみを数えながら歩いていると、向かい側に見知った顔を見つけた。

「七海せんぱーい!」

学生時代の二個上の先輩だ。七海先輩は私を見るや否やめちゃくちゃデカい溜息をついた。え、ひどくない?

「お疲れ様です。任務帰りですか?」
「ええ。君は?」
「私は代休です。推しと宇宙の真理の親和性について思いを馳せてました」
「そうですか」

もう突っ込んでやらないぞとばかりに七海先輩は私の話を流す。
別に若手俳優オタクをしていることを隠しているわけでもおおっぴらにしているわけでもないが、七海先輩や伊地知先輩などの学生時代の知人には結構遠慮なく話をしている。
七海先輩は面倒くさそうな態度をとるわりに意外と話に乗ってきてるれるから楽しい。

「今からランチに寄って帰るつもりですが、一緒に行きますか?」
「えっ!いいんですか!」

あざーす、と言ってぺこっと頭を下げる。高専の寮に住んでいるといいことその2。先輩が奢ってくれやすい。


ランチのお店は七海先輩行きつけの定食屋だった。ここは焼き魚が美味しい。
私も七海先輩も日替わり定食を注文し、運ばれてくるまでの間私は手持無沙汰にメニューを眺めた。

「あ、そういえば来週ですよね、入学式」
「そうですね」
「伏黒くんももう高専生かぁ」

五条さんによると、今年の一年生は二人。伏黒くんと、東北のほうから女の子が来るらしい。
女の子が来るというのはちょっと楽しみだったし、何より初対面のとき小学生だった伏黒くんが高専生になるというのはなんか感慨深い。

「このまえ伏黒くんと任務行ったんですけど、超強かったですよ。あの子これから伸びますね」
「そうでしょうね。術式も強力ですが、なにより彼自身の努力を怠らない姿勢が成長の種でしょう」

七海先輩も私も、五条さん経由で伏黒くんとはずいぶん昔から面識があった。あんなちっちゃかった子が高専生だなんて、時間が流れるのは早い。
強くなればなるほど、呪術師の任務の危険度は上がる。けれど、呪術師は強くなければ我を通せない。悩ましい問題だが、彼の場合は生い立ちや術式のこともあるし強いほうがよっぽど良いだろう。

「お待たせしましたー、日替わり定食でございますー」

丁度店員さんが定食を運んできてくれて、私と七海先輩は揃って手を合わせた。ほかほかの白米ってなんでこんなに美味しいんだろう。
日替わり定食のメインは焼き鮭。皮までパリパリで香ばしかった。

「ほーいえはふひふろふん」
「飲み込んでから喋ってください」

あ、申し訳ない。もぐもぐごくん。

「すみません。そういえば伏黒くん、五条さんが受け持つんですよね?」
「そうみたいですね」
「わぁ、大変そー」
「それは同意します」

五条さんは三つ上の先輩だから、ぶっちゃけあんまり任務上の関りはなかった。
ただ、絡まれて苦労している伊地知先輩をこれでもかと見ているし、私が準一級になってからの無茶振りもすごいので信頼してるし信用できるけど尊敬できない先輩だと思っている。

「…君、まだ一級目指すんですか」
「え、はい、まぁ」

七海先輩は少し探るみたいな視線を寄越した。準一級に昇格してから一級相当の単独任務に何度かついているが、未だ私は準一級のまま。このままその辺で打ち止まってもいいと思う術師も多いだろうけど、私にはそれができない理由があった。

「いやぁ、推しのためですから」
「…そういうことにしておいて差し上げます」

何もかもを知っている七海先輩はフーっと息をついてから、そう言って折れてくれた。だってご飯食べながらする話じゃないでしょ、なんて、これは言い逃れだ。


七海先輩と別れて高専に戻ると、私服姿の伏黒くんが大きな荷物を抱えて歩いていた。そうか、今日入寮日なんだ、と一拍遅れて気が付いた。

「おーい、伏黒くーん」

私が声をかけると、伏黒くんは立ち止まって振り返りペコっと頭を下げた。

「手伝おっか?」
「いえ、重いもんは全部業者に運んでもらったんで大丈夫です」

そう言われてしまって、大量に荷物を抱える男子生徒と手ぶらの成人女性というなんとも気まずい状況が生まれてしまった。
いや、子供に荷物持たせて大人が手ぶらってどうなの。そりゃ全部伏黒くんの荷物ではあるけど。

「荷解きとか手伝う?」
「や、大丈夫です。あんま荷物も多くないんで」
「そう?」

取り付く島もない…。私も寮に帰るところだったからここで別れるってのも変だしなぁ。
そんなことを思いながらてくてく隣を歩く。

「…ミョウジさん、男子寮とか結構普通に入ったりするんすか」
「なんで?」
「…いや、慣れてるなって思っただけで」
「そう?」

別にそんなに出入りしている訳じゃないけど、まぁ必要があれば出入りする。
家に帰れず仮眠を取るために寮室で死んだように眠る伊地知先輩起こしたり、寮母さんの手伝いで空き部屋の掃除したり。それらをカウントすると、全くないって事はない。

「私女子寮に住んでるし、なんか困ったことあったら言ってね」
「ありがとうございます」

とはいっても、彼は高専に前から出入りしているから道に迷うこともないだろうし、パンダくんはじめ先輩もいるからそっちに聞くかもしれない。五条さんには聞かなそうだなぁ。これは想像でしかないけど。
それからすぐに男子寮と女子寮の別れる廊下に辿り着き、私は伏黒くんを見送った。


その日の夜、ちょっと身体を動かそうと高専内のトレーニングルームに足を運ぶと、先客がいた。伏黒くんだ。

「伏黒くん、お疲れ様」
「お疲れ様です」

Tシャツにジャージ姿で、何のトレーニングをしていたのかまでは分からないが随分動いた後のようだった。汗がすごい。
私は自分の荷物の中からスポーツドリンクを取り出し、はい、と差し出す。

「あの、自分で持ってきた分あるんで…」
「でもこっちのが冷たくて美味しいよ?」

私はそう押してスポーツドリンクを受け取らせる。この子ってずっとそうだけど、なんか一歩引いたというか主張がないというか、そういうところあるんだよなぁ。
伏黒くんがペットボトルのキャップを開けるのを見ながら、荷物をそばに下ろしてうんと伸びをする。

「伏黒くん、もう上がるとこ?」
「はい、この後五条さ…五条先生に呼ばれてるんで」

伏黒くんは五条さんを先生呼びする方針らしい。大体「悟」とか「バカ」とか呼ばれてるからちょっと面白いな。
本人は嫌がるが、伏黒くんは五条さんの秘蔵っ子である。あのひとが手ずから育てた呪術師第一号は間違いなく伏黒くんだろう。

「伏黒くんおっきくなったねぇ」
「…なんすか、いきなり」
「だって初めて会ったときは10歳とかそのくらいじゃなかった?」

こーんなに小さかったじゃん、とわざと親指と人差し指で豆粒くらいの大きさを作ると「ちっさすぎでしょ」と突っ込みが飛んできた。
まぁこれは流石に誇張なわけだが、実際伏黒くんは今より40センチ近く小さかったのだ。それが今では見上げなければいけないほどの身長になっている。

「あのちびっこがこんなに大きくなったと思うと感慨深くてさ」

あはは、と笑えば、伏黒くんは不服そうな顔になった。伏黒くんのこういう顔よく見る気がする。あれ、もしかして私って鬱陶しいと思われてる?
そう思っていたら、伏黒くんの手が私の手首をぐっと掴んだ。スポーツドリンクの結露なのか、トレーニングの汗なのか分からない水分で少し滑る。

「…ミョウジさん、好きです」
「え、ありがとう…」

なんだろう改まって。どうやら鬱陶しいと思われているわけではなさそうだけど。
伏黒くんは私がお礼を言うとなんだか今度はさっきよりもものすごく不服そうな顔をされた。え、どうして?

「ミョウジさんって鈍いですよね」
「うそ、初めて言われた」

どっちかというと人間の機微には敏い方だと思うんだけどなぁ。うーん、と首を捻ると、伏黒くんが「ミョウジさん」と私の名前をもう一度呼んだ。

「異性として、ミョウジさんが好きです。相手にされてないって分かってますけど、俺本気なんで、覚悟しておいてください」
「え?」

何の冗談だ、なんて言えなかった。だって伏黒くんあまりに真剣な表情で私のほうを見ていたから。
私が言葉を失ったままでいると、伏黒くんは「すんません、それだけなんで」と言って頭を下げ、シャワー室の中へと引っ込んでいってしまった。
伏黒くんが、一歩引いた?主張がない?とんだ私の勘違いじゃないか。

「ど、どーすりゃいいの…覚悟とか…」

先日に引き続く突拍子もない伏黒くんの発言に、私は重い頭を抱えたのだった。


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