14 1階A列19番

指先を動かすと、驚いたように伏黒くんが肩を震わせた。
長いまつ毛に縁取られた綺麗なかたちの目をまんまるにして、その中に情けない顔した私が映っている。

「おはよ、伏黒くん」
「ミョウジさん…!」

伏黒くんの向こうには高専の天井が見えているから、どうやらここは医務室らしい。
全身の焼けるような痛みはもうなくなっていて、多分家入さんが反転術式を施してくれたんだろうと思う。
私は伏黒くんに向かって手を伸ばした。残念ながら、今回は葉脈のような痣までは治らなかったらしい。伏黒くんは伸ばした手を優しく捕まえた。

「もう、目ぇ覚まさないのかと…思いました」
「あはは、また死に損なったみたいだよ」
「笑い事じゃないです」

それは確かにそうだなぁ。そう思って「ごめん」と追加すると、伏黒くんはちょっと怒った顔をして「あんな無茶二度としないでください」ときつく釘を刺した。
自分自身に拡張術式を施す捨て身は実は三回目だと、言えば更に怒らせることになりそうだから黙っておくことにしよう。

「言い逃げとか、卑怯ですよ」

伏黒くんがそう言って、捕まえていた私の手をぎゅっと握る。
渋谷の現場で握られたときとは違ってもう痛まなくて、ただただじんわりした体温が伝わってくる。
私はそっと、その手を握り返した。大丈夫、生きてる。

「伏黒くん、好きだよ」

言葉にすると、たまらなくなった。
私は伏黒くんが好きだ。ポーカーフェイスにみえて結構表情豊かなとこ。意外と負けず嫌いでがむしゃらなとこ。努力家で常に前を向いて走っていけるとこ。
好きだと告白されて、伏黒くんのことをよく見るようになって、もっと他にもたくさんのいいところを知った。
出来ればこれからも、一番近くで彼を見ていたいと思う。

「マジですか」
「まじまじ」

にぎにぎと手を握って緩めてを繰り返す。そしたら伏黒くんも同じようににぎにぎした。
可愛いなぁと思って見つめると、顔を赤くした伏黒くんがふいっと目をそらした。

「待たせちゃってごめんね」
「いえ…二年待った甲斐がありました」
「二年って…伏黒くん青春無駄にし過ぎじゃない?」
「じゃあ今日からミョウジさんが無駄じゃなかったことにしてください」

私にそんな大役が務まるかなぁ。そう言ったら伏黒くんが「ミョウジさんじゃなきゃ出来ないです」とまた可愛いことを言った。


家入さんの反転術式のおかげですぐに全回復した。反転術式ってマジ才能。私なんか逆立ちしても絶対できない。昔同じようなことを言ったら「君が反転術式まで使えたらホイホイ捨て身の作戦取るだろうな」と笑われた。まぁ否定はしない。

「ミョウジさん、乗り換えって次の駅でしたっけ」
「うん。水道橋の駅着いたら西口から出るよ」

元気に全回復した私は伏黒くんと一緒に電車に乗っていた。今日はシアターJロッソで舞台を見るのだ。加賀美くんの出演作品の中で私が一番好きなスパイアクションシリーズで、前作で卒業だった加賀美くんがまさかの舞い戻りでしかも主演。
卒業のときは加賀美くんと有賀くんとダブル主演だったから、今回は単独主演でめちゃくちゃ感慨深い。しかも今回は作品を通して相棒というべき立ち位置にいた有賀くんがいないのだ。どんな感じになるのか超楽しみ。

「主演って、やっぱり凄いんですか?」
「そうだねぇ、座長ともなるとカンパニー引っ張って行ったり現場の空気作ったりすることも求められるからかなりの大役だよ。責任とかプレッシャーとかエグい」
「じゃあ、加賀美さん今回すごく大変だったんですね」
「うーん、加賀美くんはわりとその辺ドライというか、メンタル強いというか…まぁ普段よりは緊張してると思うけど」

私の説明を伏黒くんが興味深そうに聞いた。座長というものは、本来その作品を引っ張っていくリーダー的な存在で、役者の中でもかなり重圧のかかるポジションである。幸か不幸か加賀美くんはあんまりそのプレッシャーを表に出すことはないが、きっと普段より何倍も緊張しているに違いない。

水道橋駅に着き、西口から出るとそのまま直進する。歩道橋のようになっている道を進めばお目当ての都市型複合レジャーランドが見えてきた。今日の劇場はこの中にあるのだ。
もうこのあたりからは当たり前にお仲間の女の子たちがそこかしこを歩いている。ばちばちに決めたヘアメには綺麗にリボンが編み込まれ、みんなサンオリのネームプレートを引っ提げている。だけど今回はシリーズものなので往年のファンも多く、私よりも年上の落ち着いた感じのひとも結構いた。
ゲームセンターのような賑わいを抜けたところに目当ての劇場はあり、開場前で入り口付近には待ち合わせやトレーディングの女の子たちがそれぞれタプタプとスマホをいじっている。

「今更何なんだけどさ、伏黒くん、デートが推しの舞台で大丈夫?」

いや、本当にマジで今更なんだけど。
先日から晴れてお付き合いをすることになった私と伏黒くんの記念すべき初デートが今回の舞台観劇である。連番で取っていたチケットがある旨を伝えたら一緒に行こうという話になり、本当はその前に普通のデートをするつもりが急な任務で潰れたため、まさかのこれが初デートになってしまったわけだ。

「ミョウジさんの楽しそうな顔見るの好きなんで。それに前DVD見せてもらって結構面白かったですし、続き生で見てみたいです」

うっ、ありがたいパンピのお言葉。伏黒くんは全く照れることなくそう言った。この子は意外と平気な顔をしてこういうことを言う。年上なんだから余裕の表情でいたいと思っているのに、伏黒くんには結局いつだってペースを乱されている気がする。
私が苦し紛れになんでもないふうで「そっか」なんて言うと、伏黒くんがじっと私を見下ろした。
なんか話題変えないと、このくすぐったい雰囲気に飲み込まれてどろどろになってしまいそうだ。

「か、開場まで時間あるし、ちょっと近くで休憩してようよ」

そう伏黒くんを誘い、施設内にあるカフェスタンドで時間を潰すことにした。私はカフェオレとアイスコーヒーを注文し、財布を出そうとした伏黒くんを「一緒に来てくれたお礼させて」と言って止めた。
先にテラス席を取っておいてくれるようにお願いして私はカフェオレとコーヒーを持って伏黒くんの待つ席へと向かう。

「お待たせー」
「すんません、ありがとうございます」
「どーいたしましてー」

伏黒くんの向かいに座ってストローに口をつけた。
もう9月というのにまだまだ暑いから冷たいカフェオレが身に染みる。うま。

「伏黒くん、交流会明後日からだっけ。今年は一年生も参加するんだよね?」
「はい。人数足りないらしいんで…」
「あー、二人足りないもんねぇ」

この前入学したと思ったのに、もう交流会の季節らしい。二年と三年をメインにして行われる行事だが、生憎今年は三年生が参加できないので人数合わせで伏黒くんと釘崎さんも出るようだ。

「ミョウジさんはどうでしたか、交流会」
「私も一年の時出たよ。ほら、伊地知先輩が補助監督志望に転向しちゃったから人数足りなくて」

あのときは大変だった。丁度伊地知先輩が転向するタイミングが夏の時期で、交流会までは出すとか出さないとかそういう話になって、丁度私と同期が京都校と喧嘩したもんだから「お前ら出てこい締めてやる」みたいな流れになったのだ。
喧嘩の原因はどっちかというとアイツであって私ではない。断じて。

「結果はどうだったんですか?」
「あー、私は団体戦すぐ脱落したけど総合では東京の勝ちだったよ。七海先輩いたしね。結構面白いよ、人間相手だし…まぁ、向こう東堂くんいるから怪我しないようにね」

伏黒くんが強いことは百も承知だが、向こうにはなかなか化け物級の東堂くんがいる。フィジカル勝負じゃ勝ち目はないだろうし、東堂くんってパワーゴリ押しに見えて結構テクニックで叩いてくるところあるから、彼の術式のこともあるし真っ向勝負は不利だろう。
私の言葉に伏黒くんは強い瞳で返した。

「割と負けたくないんで」
「ふふ、応援してる」

伏黒くんの負けず嫌いなところを見るのは結構好きだ。交流会は双方の教師と学長がモニタールームで見ることになってるはずだけど、なんか観覧席とかないのかな。伏黒くんの勇姿が見たい。帰ったら五条さんにお願いしてみよう。案外何とかなるかもしれない。
ズズズっとカフェオレを啜る。そうだ、伏黒くんが初めてご馳走してくれたのもカフェオレだったなぁ。

「そういえばさ、なんで伏黒くん私に課金って言ってたの?」

私はずっと疑問に思っていたことを口にした。
一連の行動が私に対する彼なりのアプローチだったことは充分理解しているが、未だに「課金」という部分が分からないままだ。
伏黒くんの答えを待っていたら「それは…」と少し恥ずかしそうにしながら言葉を選んでいるようだった。

「ミョウジさん、好きな俳優に課金するじゃないですか。好きだから課金するなら、俺のも課金になるのかなって…思っただけ…ですけど…」

え、なにそれ。可愛い。私に合わせた方法のつもりだったってこと?
そり推しに惜しげもなく課金する生活を始めて早6年、好きだからこそやってきたことだけど、伏黒くんの思ってる好きとはだいぶ違う気がする。

「あはは!ふふ…え、そんな理由?」

私が堪えきれずに笑うと、伏黒くんは不服そうに唇を尖らせた。だってまさかそんなに可愛らしい理由だと思わないじゃん。

「ごめんごめん、まさかそんな可愛い理由だと思わなくてさ」
「可愛いとか…」

おっと、誉め言葉のつもりだったけど、やっぱり男の子というのは「可愛い」と言われると拗ねるものらしい。
伏黒くんはまだ、男の子と男のひとの間をふわふわ漂ってるような、そんな感じだと思う。そういう子を捕まえて自分に縛り付けるなんてという罪悪感が全くないわけではないけど、私だってもう二度と後悔したくないのだ。
いつか伏黒くんが男のひとになったら、魔法が解けてどこか別の場所に行ってしまうかもしれない。だけど今は、そばにいてくれるだけで充分だ。

「じゃあ私も、大好きな伏黒くんに、これからは思う存分課金させてもらおうかな」

成長を見守りたいという点では、推しと言っても過言ではないかもしれないなぁ。
そんなこじつけをしながら、私は伏黒くんのことを見つめた。例えば1階のA列19番。最前列のどセンターで、伏黒くんのことを応援していきたい。
その数週間後、ひょんなことから参加したハイタッチ会で伏黒くんの顔が良すぎたために、一発目から早々に加賀美くんに認知された話は、また別の機会に。


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