12 1階E列17番

うっかり好みのタイプの話をしてしまったのは結構やっちまったなと反省している。
好みのタイプというのはあくまでそれまでの話であって、実際好きになる相手がそうだとは限らない。そう思っていても、自分が逆の立場だったらきっと気にしないでいることなんて出来ない。
距離を取るのも変だし、かといってどうやって伏黒くんに接すればいいんだろう。10歳年上だといっても本当に歳が上なだけで、恋愛経験で言えば同い年もいいところだ。どうすればいいかなんてもちろんわからず、私はハァと溜息をついた。

「ミョウジさん、談話室にいると聞いたのですが」

こんこんとノックをされて、七海先輩の声が聞こえた。何か用事だっただろうかと思って戸の方に向かい、がらりと開ける。思いのほか至近距離に七海先輩がいて思わず二、三歩後ずさった。

「お、疲れさまです…」
「お疲れ様です」

別に私の部屋じゃなくで談話室なんだから勝手に入ってくれていいのに、七海先輩は毎回ノックをして招かれるのを待っている。ちなみに五条さんならノックなしでずかずか入って私の食べてるお菓子まで勝手に食べる。

「あの、なんかありました?」
「いえ、出張先で土産を買ってきたのでついでに」

お土産、と言って七海先輩は私の手に紙袋を乗せる。なんだろうなぁと確認したら生キャラメルだった。私の好きなやつ。ラッキー。

「ありがとうございます。あ、なんか飲んできます?お茶くらい出しますよ」
「ごちそうになります」

お、珍しい。断られるかと思ったのに。私は七海先輩を招き入れ、簡易冷蔵庫から冷え冷えのアイスティーを取り出した。コップにとくとく注いで座卓の向かい側に置く。七海先輩はその前に座って「いただきます」と言ってからコップに口をつけた。
立ったままぼんやり七海先輩を眺めながら、やっぱり顔がいいなこの人、とわかっていたはずのことを再確認しそれから芋づる式に好みのタイプの話に思考が引っ張られる。七海先輩は見た目もかっこいいし呪術師にしては超マトモで凄いいいひとだとは思うが、好きかどうかと言われたらそれは否だと思う。

「七海先輩、私、大人として踏み外しそうです…」
「君が大人としてふるまえていた覚えはありませんが、一応聞いて差し上げます」

アイスティーを黙々と飲む七海先輩にそう言えば、七海先輩は辛辣な言葉を混ぜつつ私にボールを投げ返す。五条さんには言いたくないし、伊地知先輩の心労をこれ以上増やすわけにはいかないし、相談先なんて七海先輩くらいしか残されていない。

「…み、未成年を好きになってしまって…」

私がそう言うと、七海先輩は一瞬手を止め、それからもうひとくちアイスティーを飲んだ。視線だけで座ることを促され、私はそろそろと向かいに腰を下ろす。七海先輩には前伏黒くんだとバレてしまっているし、これも伏黒くんの話だとわかっているだろう。

「…お得意の推しの話ですか?」
「いえ、ちがくて、その…リアルで…」
「…面会には行って差し上げますよ」
「それ私さっそく捕まってません?」

冗談です。と言って七海先輩がまたアイスティーを口にした。真面目なテンションで冗談をかますのは辞めてほしい。
私は自分のアイスティーにくちをつけた。

「いいんじゃないですか」
「え?」

うそ。七海先輩が良いって言った?
私はびっくりしてパッと顔をあげて、七海先輩は「何ですか」と不服そうな声を投げる。

「え、いや、すみません。七海先輩がそんなふうに言ってくれるなんて思ってなくて…」
「否定してほしかったんですか?」
「いや、そういうわけじゃ…ないんですけど…」

ホントにマジでめちゃくちゃ意外で、まあそういえば前に相談したときも「きちんと向き合ってから答えを出すべきでは」と比較的優しい言葉を貰っていたと思い出す。でも流石に私も好きだと言い出したら止められるかなと思ってたのに。

「君が同期を亡くしたとき、死ぬつもりかと思いました」

七海先輩の声が、クリアな響きで私の鼓膜まで到達し、私は体が硬直した。
同期を亡くしたとき、17歳の秋。それまでどうやって呼吸をしていたのかさえ忘れてしまいそうだった。

「話しかけても上の空で時間さえあれば鍛錬に明け暮れていた。もう自傷行為のようなものでしたよ」
「それは…」
「あの時君を生かしていたのは自責の念だけだったでしょう。私にも伊地知君にも他の人間にも、君を救いあげることは出来なかった」

仲間が死んでいくのは、決して珍しいことではない。現に七海先輩も同期を亡くしたと聞いたことがあるし、他の術師だってそうだ。
だからといって、平気な顔をして生きていけるかと聞かれたら、それは否だ。少なくとも私は、あいつが死ぬくらいなら自分が死ねばよかったと、毎晩のように唱えていた。

「これから君が生きる理由が、愛するもののためになるなら、少しだけ安心できます」
「七海…先輩」

七海先輩はそう言って、アイスティーの最後のひとくちを飲み干した。結露したコップがことんとテーブルに置かれる。

「アイスティー、ご馳走様です。健闘を祈りますよ」
「…任せてください!」

少しだけ笑った七海先輩は立ち上がり、私は見送るように後ろから追った。別に私の部屋というわけでもないのに戸のところまで見送って、私は七海先輩の背中に「ありがとうございました!」と声をかけた。七海先輩は一回立ち止まって、少しだけ振り返るとまたちょっとだけ笑った。学生時代には良く見せてくれた、懐かしい笑い方だった。


感情の行方を決めてしまえば案外収まりどころを心得て、なんだかもやもや色々悩んでいたのがすっきりした。
私は任務の合間に高専をぷらぷらしていてグラウンドの近くで伏黒くんを見かけた。伏黒くんは私を見るやとことこと近づいてきて「お疲れ様です」と挨拶をしてから本題に入った。

「ミョウジさん、次のオフっていつですか?」
「え、五条さんに妙な任務入れられなければ今週の日曜だよ」

最近は繁忙期も終わったから結構落ち着いてきている。五条さんが妙な嫌がらせさえしてこなければ七割はシフト通りに休むことが出来ていた。

「その日一緒に出かけませんか」

伏黒くんが私をじっと見つめ、ぐっと胸が掴まれたみたいな感覚になった。感情の行方を決めたばかりの私には些か刺激が強すぎる。

「ふ、二人で?」
「はい、二人で」

私のどぎまぎとした声音とは裏腹に、伏黒くんはしっかりばっちり落ち着いた声だ。これはデートのお誘いというもので、ただのお出かけとは一線を画すものだと私も充分に心得ていて、だからこそ言葉に詰まってしまった。
早く了承の返事をしなければと、あまり多くない語彙の中から最善の言葉を探していく。

「あの、用事があるなら、別に…」
「な、ない!用事とか全くない!フリー!全日ヒマ!」

慌てて食い気味にそう言ってしまって、伏黒くんがぽかんと口を開けてこちらを見た。ああやってしまった。これは超恥ずかしい。何が最善の言葉を探すだよ。
そう思っても、飛び出たアホ丸出しのセリフは取り消せない。伏黒くんは驚いたあとにフッと口元を緩め「じゃあ行きましょう」と改めて私を誘ってくれた。
その顔がどうしようもなくかっこよく見えて、同じ笑顔でもこんなに胸を掴むのは七海先輩じゃなくて伏黒くんなんだよなぁと勝手に巻き込み事故で考えていた。


来たる日曜日。高専の門で待ち合わせをして二人で山を下る。
伏黒くんは今日もラフでシンプルな恰好をしていて、だけどやっぱりかっこいいからなんだって良く似合う。
女性でもよく「美人は白シャツとジーンズで様になる」というが、それは何も女性に限った話ではない。

「どこか行きたいとこあるの?」
「デカい本屋に行きたくて。好きな作家の新刊出たんですけど、小さいところだと売ってないんです」
「あー、なるほど。この辺大きい本屋さんないもんね」

伏黒くんのご要望は本屋さんらしい。以前舞台を一緒に観劇したときも伏黒くんの希望で本屋に行ったけど、大きな商業施設に入っている大手チェーン店でやっと伏黒くんの好きな本は買えたようだった。
私はあまり本屋さんに縁がないのでピンとこないが、伏黒くんの好きな作家は小さい本屋には並ばないようだ。
最寄りから私鉄に乗って、そこから乗り換えて乗り換え、辿り着いたのは渋谷。どうやら伏黒くんの目的の本屋さんはここにあるらしい。

「伏黒くん、どんな本買うの?」
「サレンダーっていう本です。去年アメリカで出版されたんですけど、ようやく翻訳版が出るらしくてそれを」
「へぇ。小説?」
「はい。実際の事件に基づいたミステリです」

伏黒くんは、本の話をするときは少しだけ饒舌だ。それが可愛らしく思えて、私はあれやこれやと続けて質問をする。そのすべてに伏黒くんは丁寧に答え、私はそれを聞いているのが楽しくなった。

「ミョウジさんは本読むんですか?」
「うーん、私はあんまり読まないなぁ。良かったらおすすめ教えてよ」

私がそう言えば、伏黒くんは「わかりました」と言っていくつか勧めてくれる本を頭の中で探しているようだった。活字には滅法弱い私だが、伏黒くんが勧めてくれたら読める気がする。自分でも現金だとは思うけど。
本屋に辿り着き、私は伏黒くんの後ろをついて歩いた。普段は雑誌や漫画のコーナーくらいしか見て回らないから、ハードカバーの本ばかりが並んでいる棚は少し新鮮だ。伏黒くんは慣れた様子で店内を進み、目的の外国文学の新刊が並ぶコーナーで右から左に目的の本を探す。その間「今もっとも読むべきラブロマンス」やら「今冬映画化決定!」やらの文字が書かれた本の帯をひとつずつ眺めた。

「ありました」
「あ、本当?良かったね」

伏黒くんは目的の本を抱えて私にそう報告した。表紙は犬がぐあっと口を開けているような写真で、ミステリというだけあって全体的に薄暗い雰囲気だ。
レジに行くという伏黒くんを見送り、私は引き続き新刊のコーナーを眺める。あ、これは私でも知ってる。どうして新刊コーナーにあるんだろう、と思って帯をよくよく見ると、これも最近映画化が決定したから新装版になったらしい。

「すみません、お待たせしました」
「ううん。良かったね、欲しいの買えて」
「はい」

なんとなく二人で並んで歩き、本屋さんの出口に向かう。これからどこに行こうなんて決めてなかったけど、伏黒くんはどこか行きたいところとかあるんだろうか。

「あの、ミョウジさん行きたいところありますか」
「え、私?私は特にーーあ」

ないよ、と言おうとして、ここが渋谷であることを思い出した。そうだ、渋谷にはあのお店がある。

「服屋さんなんだけど、付き合ってくれる?」

私は伏黒くんを連れ、オルガン坂方面に向かった。目的のお店はさっき言った通りアパレルショップで、しかしただのアパレルショップというわけではない。
オルガン坂から一本北に抜け、ぴかぴかと真新しいモダンな店構えのショップに辿りつくと、伏黒くんが「メンズの店ですか?」と尋ねた。

「そう!実はここのブランドと加賀美くんがコラボしていくつかアイテム出してるの。TシャツはメンズのS買って着てるんだけど、パンツはどうしても履けないから、伏黒くん履いてくれないかなと思って」

ここは昔俳優をしていたというオーナーが立ち上げたブランドで、若手俳優とよくコラボ商品を出している。加賀美くんにも先日お呼びがかかってコラボ商品が出たのだが、いかんせんメンズのボトムスは流石にサイズが合わなすぎる。伏黒くんなら着こなせるかも、というのを見てみたい気持ち半分、ボトムスも買って加賀美くんにお布施をしたい気持ち半分というところだ。

「まぁもし着なかったら狗巻くんとかにあげてもいいし、とりあえず試着だけでも!ね!」

流石にデザイン的に伊地知先輩や七海先輩に渡すわけにはいかない。五条さんなら平気で着そうだけど「裾つんつるてんなんだけど。ウケるね」とか言われそうな気しかしないから却下だ。
少し躊躇う伏黒くんの肩を押し、店内に入った。私には本来縁のないお洒落アパレルショップは陳列されている商品も少なく、店の余白が高級感を醸し出している。
高級ブランドショップでも言えることなんだけど、なぜ高い店であればあるほど陳列されている商品が少なくなるのか。

「えーっと、あ、あった。伏黒くんこれ」
「はぁ…あの、いいんスか」
「え、うん。逆にこっちこそありがとうってかんじなんだけど」

目的のボトムスを持って、店員さんに声をかけて伏黒くんをフィッティングルームに押し込む。数分で姿を現した伏黒くんは少し恥ずかしそうに「あの…」と言葉を濁していた。

「え、超似合うじゃん!すごい!」

ボトムスはシルエットのすっきりとしたネイビーブルーのパンツで、サイドに小さなロゴが連続して線のようにプリントされている。おしりのポケットに小さくオオカミのマークが刺繍されていてそれがワンポイントになってかっこいい。

「えー、サイズぴったりだね?すご。買お」

未だ少し遠慮するような伏黒くんを押し切って、私は店員さんに商品購入の旨を伝える。伏黒くんをもう一回フィッティングルームに押し込めて、私はとことこレジに向かった。

「弟さんにプレゼントですか?」
「あー、いや、そういうわけじゃないんですけど」

あはは、と笑って濁すと、店員さんは「失礼しました」と会釈をして会計の作業を続けた。バックヤードから取り出して貰った同じ商品を包んでもらい、代金を支払う。もちろんこの代金すべてが加賀美くんに課金されるわけではないが、売れ数というものはシビアに次に響いてくる。願わくばキックバック率も高くあってくれと思う。
フィッティングルームから出てきた伏黒くんが「持ちます」と言ってショッパーを持ってくれて、店員さんの声に送られながらお店を出た。伏黒くんにかっこいい服も買えたし、加賀美くんの売れ数にも貢献出来たし、今日は最高だ。

「大収穫。ありがとね」
「いや、俺は何も…」
「いやいや、伏黒くんいなかったらパンツ買えてなかったし」

私は大満足なんだけど、伏黒くんはどこか居心地が悪そうにしていた。何か気に入らないことでもあったのだろうかと思って「どうかした?」と尋ねると、躊躇いがちに小さく口を開く。

「弟に見られるんだと思って」

それは、確かにそうだと思う。だって私もそこそこ童顔だが、伏黒くんと同世代にはどう頑張っても見えない。親子というほど離れてもいないし、となれば勘ぐられる関係は姉弟くらいが妥当なところだろう。それでも随分歳の離れた姉弟にはなるんだろうけど。

「本当のことはさ、本人だけが知ってれば良くない?」

他人がどう言おうがどう思おうが、そんなことは本質的に私たちには関係がない。だってどれだけ周りが私と伏黒くんを姉弟だと思おうが私と伏黒くんは姉弟にはならないし、周りの意見で私の気持ちが変わるわけではない。

「私さ、伏黒くんのことーー」

好きだよ。と、言おうとしたところで北側から呪力が爆発するのを感じた。
近い。しかもこんな街中で。私と伏黒くんは咄嗟に目を合わせ、呪力の方向へと駆け出した。


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