09 1階I列6番

接触イベと分類されるのもがこの世にはある。ハイタッチ、ツーショット、握手。形式は様々だけど、まぁ言うなれば推しの前に自らの姿を晒す系統のイベントである。
私はそれ系が超絶に苦手だ。だって推しに自分の顔晒すとか超嫌じゃん。特に私なんか現場仕事みたいなもんだし、体も鍛えてるせいで他の女の子よりよっぽどごついし推しの前に出るとか羞恥以外の何者でもない。ツーショとかほんと無理。それなら推しのピンショが欲しい。

「…やっぱ写真集のハイタイベは見送りだな…」

今度推しの加々美くんが写真集を発売する。それを記念してハイタッチイベントが開催されるのだ。しかし前述の通り私はそれ系が苦手なので、加賀美くんを推し始めて以来数えるほどしか参戦したことがない。私はファンクラブ会員先行のページをスワイプして閉じた。

「おっしゃー、今日も任務がんばろー」

ぐっと伸びをして軽くストレッチ。今日は久しぶりに伏黒くんと任務だ。

「ミョウジさん、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくー」

ぶっちゃけたところ伏黒くんはそこそこの任務ならひとりで充分なのだけど、なんだかんだで私が同行者として指定されていた。

「伏黒くん最近調子どお?」
「拡張術式を少し練習していて…そこまで強力じゃないですけど面白い使い方ができると思います」

伏黒くんは幸か不幸か才能の塊だ。式神を調伏するだけでなく、拡張術式として応用までしているらしい。この歳にしてマジ末恐ろしいな。
私の雷の対象に帯電させるのも拡張術式のひとつだけど、会得したのは二年生になってからだったと思う。

「よーしサクサク終わらせてサクサク帰ろ!」
「何か用事でもあるんですか?」
「や、加賀美くんの写真集の発売日なの。今日届くはずだから一刻も早く拝みたい」

私がそう言うと、伏黒くんは「はぁ」とわかったようなわかってないような声を返す。発売日に一刻も早く眺めたいと言うのはオタクの特有の感情なんだろうか。わからん。


任務はざっくり言うとこうだ。行きはよいよい帰りは最悪。そもそも補助監督は送りだけで迎えはスケジュールの都合でその日のうちに寄越せないらしい。なので現場で宿泊しろという話なんだけど、その現場が問題だった。

「ラブホだよねぇ」
「そうですね」

なんでそこで冷静でいられるかなぁ。伏黒くんはいつも通りの澄ました顔で二階建てのピンクい建物を見上げる。田舎のインターチェンジの近くにある古き良きタイプのラブホテルである。
補助監督の資料によると従業員は退避済み、入り口に臨時休業の札をかけて客もシャットアウト。帳は必要があればミョウジさんが下ろしてくださいと言って補助監督は立ち去った。
ははんなるほど、場所柄学生の伏黒くんひとりってのは憚られて、成人している術師で帳を下ろせるやつみたいな選定基準だったんだろう。なんとなく五条さんが一枚噛んでる気もしなくないけど。いや、というか絶対噛んでるけど。

「伏黒くん、これ系の任務したことは?」
「ないです。何か共通点でもあるんですか?」
「だいたい痴情のもつれとかそんなんが元になってるから男女で入ると死ぬほど暴走するよ」

ラブホテルを中心に湧くという時点でどんな負の感情から発生した呪いなのかと言うことは容易に想像できる。しかもそういうのって都内のより田舎の古いホテルの方がエグいやつがいる。街の方から人目を憚って不倫関係の客が流れてくることが多いからだ。確かにこんな古びたラブホ、地元の健全な若者のカップルは使わないだろう。

「一応私サポートだから後衛に回るけど危険を感じたらすぐ言ってね」
「わかりました」

伏黒くんの声をきっかけに、私たちはラブホテルの中へ一歩踏み出した。ずずずと早速体が重くなる。二級って聞いてたけど、これ本当に二級か?
伏黒くんを魁に、私が後ろをついて歩く。ビリビリと呪いの気配がそこらじゅうから立ちのぼる。居場所を掴むのに少し時間を要し、ようやく根源らしい2階の奥の部屋にたどり着いた。私たちは視線で合図をして伏黒くんがドッと扉を蹴破る。途端にぐっと気配が濃くなり、伏黒くんが玉犬を構えた。
呪いは女性のような姿をしているけど人間の二倍以上もある大きさで膝で山を作って座り、首だけが異様に長いせいで天井までついている。

『ワかれルッてェェェ、イったでシょおオオォ』

概ね予想通りだ。やっぱり痴情のもつれ系。部屋の中は清掃前だったのか呪霊が暴れたからなのか、ローションやらコンドームやらが散乱している。私も学生時代に似たような現場に入ったことあるけど、やっぱり学生に見せるもんじゃないだろと思う。

「伏黒くん、どう?」
「問題ありません。行きます」

伏黒くんは玉犬を呼び出し、壁伝いに走らせる。そのまま呪いに飛び掛かるが、ひと薙ぎでばしんと叩き落とされた。ふざけた見た目に反して呪力量通りの力があるらしい。私は呪力を手のひらに集めながら周囲を観察する。おかしいな。こいつの呪力量は多いけど、これだけの気配は本当にこいつのみから発せられるものか?

「ミョウジさん!」
「あっぶな」

伏黒くんをすり抜けて呪いの腕が私に向かって振り降ろされる。私はそれを飛び退いて避けた。女の見た目をしているからこうなるだろうことは折り込み済みだ。ちなみに昔同期と似たような任務に入ったときは男の見た目をしていてあいつが執拗に狙われていた。嫉妬という感情なのかはわからないが、概ね見た目の性別と違う方の術師を襲いたがるものらしい。

「うーん、やっぱり標的は私になるよねぇ」

ぶっちゃけ伏黒くん狙われるよりは気持ちの上で楽かもしれない。そんなことを考えながら振り降ろされ続ける腕を避け、そう広くもないから壁際に追い詰められる。
どうするか、これは正面から祓えるとも思うけど、本来の私の任務は伏黒くんのサポートである。出来れば彼に祓わせてあげたい。
しかしそんな悠長なことはすぐに言ってられなくなった。呪いの腕から白い粘液のようなものが飛び出し、私の足元に着地する。着地した場所からじゅうっと音を立てて床を溶かした

「うっそでしょ!?」

こういうのは男の見た目してる呪いの専売特許じゃないのか!と思っても事実が変わるわけじゃない。面倒なのは、どこから出てくるか分からないという点だ。仮にどこからでも出せるのだとしたら攻撃の反動で溢れだすかもしれないし、その量によってはこの狭い部屋の中で逃げ場がなくなるかもしれない。

「ミョウジさん!今助けます!」
「ちょっとまって!今の粘液がどこから出てくるか分かんない!このまま攻撃したら二人とも被る可能性がある!」

私がそう言うと、伏黒くんは手を止めて玉犬を下がらせた。
大丈夫、一人だと結構厄介だけど二人いれば楽勝。私が結界を張って呪力攻撃を阻み、その間に伏黒くんが部屋の出入り口側に退路を確保して攻撃すればいい。粘液が溢れても私には結界で届かないし伏黒くんは廊下に逃げられる。

「伏黒くん出口に下がって退路の確保を!私が結界張るから合図して攻撃して。伏黒くんはそのまま外に退避!」

そこまで一息で言い切り、私は壁に背をつけると女の呪いに向き直る。伏黒くんはすれ違うようにして出入り口へと走って、私は呪いを睨み据えた。『ドぉしてェェェ、ドぉしてェェェ』鳴き声のような叫び声のような甲高い声がキーンと響く。出入口の方から「行きます!」と伏黒くんの声がして、私は「了解!」と応じて結界を張る。その時だった。

「うっそでしょぉ!?」

本日二回目のセリフ。ぐいん、壁側に身体が引っ張られる。人間の手のかたちをした黒い影が私を捕まえた。くそ、見た目の気配と呪力量が一致してなかったのは別の呪いが潜んでいたからだ!
私に向かって粘液がドッと吐き出される。玉犬がこちらに向かって走り、腕を食いちぎった。体勢を乱されたことで結界がぶれる。ヤバい、これは粘液被るかもしんない。それに集中し過ぎたせいでもう片方の呪いの腕が迫っていることに気づくのが遅れた。耳のあたりをガンっと殴られる。

「ミョウジさん…!」

伏黒くんの声が聞こえる。ああダサい。後輩にかっこ悪いところ、見せたくなかったのに。


どれだけ気を失っていたのか、目を覚ますと安っぽいロココ調の天井が目に入った。私どうしてたんだっけ。ああ、そうだ、ラブホに呪い祓いに来て、いけるって調子こいたら思わぬ伏兵にポカやらかしたんだ。
状況を頭の中で整理して身体を起き上がらせる。ラブホのベッドの上に丁寧に寝かされていて、布団がはらりと落ちる。胸の当たりがすーすーして、見下ろすと上半身が下着姿になっていた。

「え!?」

声を上げると、廊下の方からカタンっと音がする。慌てて布団で胸元を隠した。この状況で誰が現れるかなんて簡単に想像がつく。

「ミョウジさん、目ぇ覚めました?」
「う、うん…ごめん私気失ってたよね…」

伏黒くんはペットボトルの水を私に差し出した。私は片手で布団をキープしながらもう片手でペットボトルを受け取る。

「…その…すんません。呪いの粘液が服にかかってたみたいで危ないと思って脱がせました」
「い、いや…その…こっちこそごめん」

あの粘液の効果を見ていたら私でも同じことをする。人命救助であって、それ以上でもそれ以下でもない。そう、言うなればこれは人工呼吸とかそういうのに近いもので、伏黒くんに他意があったわけではないのだし私が妙に気にしてしまうのも変な話だ。

「高専に連絡したんですけど、今日はピックアップで埋まってるみたいで負傷者がいないなら明日まで待って欲しいと言われました」
「ああ、そっか。そもそも帰りはご自由にって感じだったもんね。私は異常ないし、迎えは明日お願いしよう」

私はそう言いながら貰ったペットボトルの蓋を開けようとするけど、片手が布団押さえてるせいで上手く開けられない。こちゃこちゃしていたら伏黒くんが私の手元からペットボトルを取り去って蓋を開けてから戻してくれた。

「ありがとう」
「…いえ」

ごくごくと水で喉を潤し、ペットボトルから口を離すと伏黒くんがまた手を差し出した。その手にペットボトルを戻すと蓋を閉めてくれて、サイドボードにペットボトルを置く。

「風呂、入りますか」
「え、あ…う、うん…」

なんでこんなに言葉が詰まるのか。ラブホという環境に妙に緊張している。私は注がれる視線から逃げるためにうろうろ目を動かすけど、コンドームを売ってるコンビニボックスやらやたら大きな鏡やらが目に入って逆効果だった。

「俺、向こう座ってるんで」

伏黒くんはそう言って私に背を向け、ベッドの向こう側にあるソファに座った。私はそろりそろりと移動し、そこから飛び込むようにしてバスルームに入った。男社会のこの世界で、うっかり任務地から帰れずに男の術師と宿に泊まったりなんなら野宿するようなことはよくある。宿に泊まるときは大概二部屋取れるけど、取れなかったら同じ部屋で雑魚寝も避けられない。実際同期は男だけどおんなじ部屋に泊まったこともある。もちろん爆睡するだけだけど。
それが尋常じゃなく今日に限って心臓が鳴るのは、相手が伏黒くんだからだ。伏黒くんはびっくりするくらい顔色一つ変えてなくて、私ばっかり意識しているのが恥ずかしい。世間的には私の反応が正常なんだろうが、任務で来てるんだし今日は伏黒くんの方が正しい。

「お、落ち着け…ただの任務…しょうがなく泊まるだけ…何を緊張することがあるの…」

私はそろそろ服を脱ぎ、シャワーのコックを捻る。焦って勢いよく捻ったからあったまる前の冷水をもろに被った。冷た!

「そう不可抗力、外部から発生した事実で普通に要求される注意や予防方法を講じても損害を防止できないもの。そう、しょうがない、うん」

頭の中で辞書を引き、徐々にあったかくなるシャワーを浴びながら唱える。バスルームの大きな鏡に自分の裸体が映り、ちょっと待てよ、と違う問題が鎌首をもたげた。
鍛えたごつい身体。男の術師に比べれば貧弱だけど、一般的な女の子とは比にならないくらい筋肉が付き、至る所に任務で受けた傷跡が残っている。可愛くないし、綺麗じゃない。素敵な服を着ていたって推しの前にも出たくなくなる程度に女の子らしくない体形。

「…まぁ、こんな身体誰も見たくないか…」

頭に昇っていた血がぐぐぐっと下がっていく。それはそうかも。私は緊張してるけど伏黒くんはそうでもないようだし、好きだと言われてるからって伏黒くんが具体的にどうこうと考えているとは限らない。先走りすぎだ。恥ずかしい。
すっかり冷えた頭で私は髪と身体を洗う。脇腹に刺し傷、右肩に切り傷、足には治りきらない火傷のあと。傷だらけで、ちっとも可愛くない。


シャワーを終えて備え付けのガウンを着てから部屋へ戻る。伏黒くんはソファから少しも動かずに私に背を向けていた。

「ごめん伏黒くん、先にシャワーいただきました」

ぺたぺたスリッパを鳴らしながら伏黒くんに近づく。ちょっとも反応しないから寝てるのかと思って覗き込むと、私の行動に驚いたみたいに目を見開いた。

「伏黒くんも入ってきたら?スッキリするよ」
「………はい」

たっぷりと間を取ってから伏黒くんは頷き、私と目を合わせないままバスルームに入っていく。私はぽつんと取り残されて、ベットのふちに腰かけた。
ラブホ、久々に来たなぁ。実はプライベートでは来たことなんかなくて、いつも任務でばかりのれんを潜っていた。なのでここで色んな人が事に及ぶというのをあんまり実感を持って想像できない。そのまま上体の力を抜いてベッドに背から倒れ込む。安っぽいロココ調の天井で、こんな笑っちゃうような光景を前に事に及ぶというのはどんな心境なんだろうなと詮無いことを考えた。


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