08 3階D列23番

任務の報告を終えて寮に向かって移動していたときのことだった。寮の近くで学生がわちゃわちゃとしている。一年生か、二年生かと思って近づくと、伏黒くんを含む一年生三人組だった。
仲良さそうだなぁと思って眺めていたら、伏黒くんがこちらに気付いた。

「ミョウジさんお疲れ様です」
「お疲れさまー」

とことこと寄っていくと、女の子と男の子がきょとんとした顔でこちらを見ている。きっとこの男の子が宿儺の器だということはすぐに分かった。

「ミョウジです。卒業はしてるけど寮の申請してここに住んでるんだ。これからよろしくね」
「虎杖悠仁っす!」
「釘崎野薔薇です」

一年生はそれぞれ虎杖くんと釘崎さんといった。元気で可愛い。虎杖くんと釘崎さんはお互い顔を見合わせ、それから私を見て、そのあと伏黒くんを見る。示し合わせたような動きになってるのが面白い。

「ふ、伏黒…もしかしてミョウジさんって…」
「この前話してたひと?」
「…なんだよ」

虎杖くんと釘崎さんが口々にそう言って、伏黒くんがむっと口をへの字にして顔を歪める。伏黒くんは二人に私の話をしてくれていたようだ。
二人ともさらに追撃するように伏黒くんにああだこうだと話しかけて、伏黒くんは最終的に虎杖くんの足をぎゅっと踏みつけた。

「ふふ、仲良いね」
「別に…」

伏黒くんは少し照れくさそうに視線を逸らす。こんな感じの顔久しぶりに見たかもしれない。伏黒くんは大人びているけど、やっぱり同級生と一緒にいるとちゃんと子供らしいところもある。可愛いなぁ。なんて、言ったらきっと怒るんだろうけど。


それから五日後のことだった。虎杖くんが任務で命を落としたと聞いたのは。
私は虎杖くんが命を落としたという少年院での任務があった日は地方出張に駆り出されていて、戻った高専で伊地知先輩からその話を聞いた。術師の死はべつに珍しいことじゃない。だけど学生が、しかも入学して間もない一年生が命を落とすなんてかなりのレアケースだ。

「…推定特級相手に一年生を派遣ですか?」
「…ええ。呪胎が変態した場合には撤退との指示つきではありましたが…」

ありえない。変態して特級になる可能性があるのなら少なくとも一級でなければ何人束になったって殺されるに決まっている。伏黒くんと釘崎さんが生きて戻ってきたことのほうが奇跡だ。
どうしてそんな無茶な任務を、と思ったとき、宿儺の器の文字が脳裏を過ぎる。そうか、虎杖くんを殺してやろうなんて考える人間がいてもおかしくない。五条さんがまた無茶を言って我儘を通してるけど、本来彼は処刑対象なのだ。

「あの、すみません、伏黒くんの様子は…?」
「冷静でした。あくまで表面的な様子でしかありませんが…」

伊地知先輩がぽつぽつと暗いトーンで返す。このひとは呪術師になれないほど優しい先輩だ。命令とはいえ無茶な任務に学生を送り出して平気なはずがない。

「伏黒くんの様子見てきます。伊地知先輩も少しは休んでくださいね」

私はそう言い、挨拶もそこそこに伏黒くんを探して歩いた。この世界に入って長いから伏黒くんも呪術師が死ぬところに遭遇したことがないわけじゃない。けれど彼の歳ほどで前線に出ている術師は少ないし、同じような歳の子が死んだのは初めてなんじゃないだろうか。
同級生が死ぬのは、つらい。

「伏黒くん…!」

夜の高専を走り回り、結局伏黒くんを見つけたのは、医務室のある棟を出るところだった。伏黒くんは緩慢な動作で顔を上げ、私を視認するとぺこりと頭を下げる。医務室の棟から出てきたということは家入さんの治療は受けたんだろう。

「伊地知先輩から聞いた。虎杖くんのこと」
「…そう、ですか」
「ねぇ、ちょっと歩こっか」

私はそう言い、伏黒くんを誘って緩やかに歩き出した。伏黒くんはいつも以上に無口で、私たちは目的もなくふらふらと歩き、いつの間にか自販機のところまで歩いてきてしまっていた。
私はちょっと待ってて、と断って自販機に近づき、カフェオレとブラックコーヒーを購入すると、ブラックコーヒーを伏黒くんに差し出す。

「ん。これ伏黒くんの分」
「…ありがとうございます」
「そこ座ろ」

ベンチに腰かけ、隣をぽんぽんと叩いて伏黒くんを呼び寄せたら、伏黒くんは大人しく隣に納まった。プルタブを引けばかしゅっと缶の空く音がする。
カフェオレはいつも通りの甘さのはずなのに、どうにも普段より苦い。虎杖くんのことは良く知っているわけじゃないが、あんな歳で死ぬべきでなかったことは痛いほどわかる。

「…虎杖は、俺を助けようとしたんです」

ぽつりぽつりと、伏黒くんが少年院の中での出来事を話しだした。特級に遭遇した場合は撤退するように言われていたこと。未完成の生得領域の中で変態した特級呪霊に遭遇し、動くことも出来なかったこと。虎杖くんが伏黒くんを逃がそうと残ったこと、虎杖くんが少年院に送致されている男の子だというのに迷いなく助けようとしたこと。そして両面宿儺が虎杖くんを乗っ取り心臓を引きちぎって、伏黒くんはそれと対峙したこと。
そして最後に虎杖くんが主導権を取り返し、そのまま死んでいったこと。

「俺がもっと強ければ…もっと違う結果がありました」
「…うん、そうかもしれないね」
「虎杖は…いいやつでした。典型的な善人で、明るくて、人のことをよく見てるやつだった」
「うん、最初だって学校の先輩助けようとして呪物飲み込んじゃったんでしょ?」
「どうして、あいつが…」
「いつだって、死んでいくのはどうしてって思うような仲間ばっかりだよね」

伏黒くんはアルミ缶をぐっと強く握る。それから視線を足元に落としたまま私に問いかけた。

「ミョウジさんも、亡くしたことあるんですか、同級生」
「…うん、あるよ。たった一人の同期をね」

私は随分久しぶりに、自分の思い出話をひとに話すことにした。


私が高専の二年の時だった。
私には同期がいて、入学当時はこれでもかというほど気の合わない男だったけど二人しかいないせいでそのうちに否応なく仲良くなった。物言いがストレートで辛辣。でもだいたい正しいことしか言わない。そいつは呪術師のそこそこの家の出身で、私は一般家庭の出だっただからそういう価値観の違いも物凄かった。だけど仲良くなるにつれてその違いが面白いと感じるようになった。
そいつは私より強かった。術式がないのに、だ。呪術師の家に生まれたのにも関わらず術式を持っていなかったことを凄くコンプレックスに思っていて、一般家庭の私に発現してるのをひどく羨ましがった。

「いいよなぁ、俺もミョウジや兄貴みたいに術式があったらなー」
「でもあんたそんなん無くてもちゃんと強いじゃん」
「や、結局上に上がれば上がるほど術式が物を言うんだって、この世界は」

同期には兄がいて、兄には術式があった。だからもちろんその兄が家を継ぐという話になっていて、面倒なことしなくていいからラッキーじゃん、と私は心の底から思っていた。

「大丈夫でしょ、私の雷とあんたの呪力と頭があれば向かうとこ敵なし!」
「簡単に言ってくれんじゃん」

私たちは二人組で任務に出ていた。だからお互いの戦い方も弱点もよく理解していたし、それをカバーし合っていたらそこそこの呪霊を相手にしてもひどい怪我を負うような事態にはならなかった。
その日の任務は少し遠出で、秋田県の山間部、田沢湖に注ぐ川のひとつが現場だった。

「あんた毎朝パンたよね、腹持ち悪くない?」
「いや、おまえパンを侮り過ぎ。パンと俺と七海先輩に謝れ」
「なんで七海先輩?」
「俺は美味いパン屋情報を七海先輩から仕入れてる。あの人めちゃくちゃパン好きなんだよ」
「あー、確かにいつもパン食べてる気がするわ」

そんな軽口を叩きながら、補助監督の車を降りて山を登る。川辺の古い朽ちた神社に呪いが観測され、周囲の村の子供が何人か怪我をして帰ってくるということが立て続き、ついにひとりが帰ってこなくなった。一級案件と目されていたが人手不足で私たちが派遣された。同期は一級査定中の準一級で、私はまだ二級だった。

「このあたりだよね…」
「ああ、だけど呪いの気配がない」

川辺を散策し、ようやく辿り着いた神社を外から観察する。想像していたより随分と朽ちていて、今にも鳥居が崩れそうだ。
私たちは何か呪術的な手順があると踏み、まず一番可能性の高い「鳥居をくぐる」という方法に出た。同期は鳥居の右端を、私は鳥居の左端をくぐる。それでは何も起こらない。次は何を試そうか、と私がうっかり鳥居の真ん中を通ると、頭上から突如として髪の塊のような呪霊が降ってきた。

「ミョウジ!」
「大丈夫!」

私たちは間合いを取り、蠢く髪の呪いを挟むようにして構えた。髪の塊には小さい人間の身体がついている、と、いうより頭部だけが肥大化しているのか。
私は素早く呪力を雷に変換し、一撃を呪霊に放つ。それは機敏な動きで私の雷を避け、大きな口を開けてこちらに「おおぉぉぉお」と鳴き声のような、うめき声のようなものを上げる。
空気がびりびりと痺れた。

「なんで急に!?」
「多分ミョウジが鳥居の真ん中くぐったからだ」
「え、どういうこと!?」

同期は、私にこの呪いの正体を推測して聞かせた。同期によると、これは「おとろし」ではないかとのことだった。おとろしとは文献の少ない怪異の一つで、一説によると神社にいたずらをすると頭上から突然降ってきて、人を襲うのだと言われている。
神社の鳥居というものは真ん中が神の通る道だ。そこを通ったことでこの呪いが出現したというならおとろしというのもそれらしい話だし、図画百鬼夜行や化物づくしに描かれている特徴とも一致した。

「何せ伝承が少ない。何の手がかりもないのとほとんど変わんねーからな!」
「了解!」

手がかりが少ないだとか、事前調査と話が違うだとか、そんなのは日常茶飯事だ。大丈夫、今までだって二人で何とかしてきた。ちゃんと呪いを見極めて戦えばいい。もしも最悪の事態になっても、私には最終手段がある。これを使えば格上相手にもそこそこ通用するはずだし、その隙に同期だけは逃すことが出来る。
おとろしは想像以上に素早く、また顎の力が強い。ひと噛みで人間の体なんか噛みちぎられてしまうだろうことは想像に難くない。

「やばい!動きが速すぎる…!」
「ミョウジは下がれ!俺が斬る!」

同期はそう言って獲物である刀を振りかぶった。刃がザザッと髪を断ち切り、しかし髪はすぐに形を取り戻す。何度斬っても同じことで、しかも髪に阻まれて本体にたどり着くことが出来ない。
私の雷も機敏に避けられ、その上髪に同期が絡め取られたりするものだから当たってしまいそうで思うように打てない。

そんな攻防を繰り返し、1時間が経過した。正直気力も体力も呪力もカスカスだ。視界が霞む。途中で背中に受けた傷がじくじく痛む。呪力で塞いでいるけれど、これが塞げなくなったら多分数分で失血死する。
イチかバチか…私は眼前で応戦する同期の背中を見つめた。手のひらに呪力を込める。それからパン、パン、パン、と手を三回打つ。私は対象に三回触れることでそれに帯電させることができる。それは自分自身も例外じゃない。

「…避けて!」

おとろしの口の中に突っ込んで、自爆する。どうせもうすぐ呪力が切れれば死ぬしかないんだ。二人そろって死ぬくらいなら、あいつだけでも生きてくれればいい。
私が地面を蹴ろうと構えたときだった。

「ミョウジ…!」

その瞬間、どん、と突き飛ばされた。何が起こっているのか分からなかった。目の前で同期がおとろしの大きな口に飲み込まれ右腕だけがぼとりと落ちる。それからごくんと嚥下するような動きをして、ぐぱっとまた口を開けた。そこにはもう同期の姿はなかった。
おとろしはそのまま私のほうをくるりと向き、ずるずる髪を引きずって近づいてきた。どうして、どうして、どうして。

「あぁぁぁぁッ!!!」

どうして私を、庇ったの。

それからの記憶は曖昧だった。事後調査によると、恐らく私が術式を発動させておとろしを祓ったのだろうということだった。
どうやって戻ったのかはもはや覚えていないが、どうにかして補助監督の元まで戻った私は立っているのが不思議なくらいの重体で、そのまま高専提携の病院に運び込まれた。覚えていたのは、同期の右腕を抱えて戻ってきたということだけだった。


かこん。飲み干したカフェオレの缶をゴミ箱に投げ入れる。

「…まぁ、そんなかんじ」

私の昔話を伏黒くんは黙って聞いていた。不幸自慢というわけじゃない。この業界にいれば遅かれ早かれ親しいひとを必ず亡くすし、私のだってわりとありふれた話だ。

「ミョウジさんは…術師辞めようと思ったことないんすか」

伏黒くんが探るように言った。私ははっきりとした声で「ないよ」と答えた。本当は同期が死んだ後に一度だけ思ったことがあったけど、ほんのわずかな時間の、ほんの少しだけのことだ。

「もっと強くなりたいと思ったから」
「強く…」
「そう。私が強ければ同期が死ぬことはなかった。でも私は弱くて同期は死んだ。死んだ同期はもう帰ってこないけど…これから誰かを救えるかもしれない」

本当は、私が死ぬべきだったんじゃないかと、思うことがある。例えば私の術式でおとろしを足止めして、そしたらあいつは死ななかったんじゃないかとか、いくらだって後悔する。
だけどそれを原動力に私たちは前に進むしかない。

「伏黒くん、今日ちゃんと寝て休んでさ、明日私と手合わせしよう」

きっと生きていたら、あいつは一級術師になっていた。だから私は一級術師になってあいつよりたくさんの人を助けたいと思う。

「一緒にもっと強くなろう」

私がそう言うと、伏黒くんは膝の上で拳を握った。「はい」と力強い声が聞こえて、私はこの子はもっと強くなるんだと思った。
大丈夫、君はひとりじゃない。


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