すったもんだの狂騒曲
私と五条悟は犬猿の仲である。
相容れない、不倶戴天、水と油、さるかに合戦。いや、さるかに合戦は違うけど。
まぁ兎にも角にも顔を合わせれば言い争い、必ずと言っていいほど喧嘩が始まる。べつに高専でお友達ごっこをしているわけではないのだから、学生同士仲が悪いからって支障はない。
けれどただひとつ、どうしようもない大問題がある。

「しょぉーこぉー、またやっちゃった…」
「ナマエも学習しないよね」
「だって…」
「好きなら好きって言えばいいのに」

そう、私は五条悟のことが好きなのだ。


きっかけはよく覚えていない。見た目では?と言われれば否定できないかもしれない。
確かに五条の水鏡みたいな瞳は綺麗だと思うし、人形みたく整った顔は危ういくらいに美しいと思う。
けれど私が五条のことで一番好きなのは、夏油と馬鹿なことをするときの少年然とした笑顔だった。
初めてその顔を見たとき、五条ってこんなふうに笑うんだなと少し意外に感じた。あまりに綺麗すぎて、笑顔のイメージが出来なかったからだ。

「何見てんだよ」
「別に見てないし。自意識過剰じゃない?」

指摘されたことが恥ずかしくて思わずそんなことを言ってしまって、そこからは正直全自動。
五条の言葉に言わなくてもいい一言を足し、五条がそれに突っかかって私がまた言い返す。
本当はこんなふうに話したいんじゃない。もっと昨日のテレビとか、最近食べた美味しいお菓子とか、そういう他愛もない話をしてみたい。

「見てんじゃねーよ気持ち悪りぃ」

五条がべぇっと舌を出した。
とてつもなく手遅れな気しかしない。


五条に少しでも意識してもらおうと、一応私も色々考えた。五条ほどの美形となれば、言わずもがな引く手数多である。この前も街中で美人なお姉さんに声を掛けられていたし、やっぱり私も見た目は磨くべきだと思う。磨いて光るかは知らないが。
硝子と一緒に見ていた雑誌から学んだスキンケアを実践してみたら、最近ニキビが減った。髪もあんまり気にしてこなかったけど、コテを使ってせっせと巻くようにしてみた。それから今日は軽く化粧をしてみることにした。幸い高専はそういう規則に厳しくないので、化粧をしていたところで怒られることはない。

「ナマエ、リップ買ったの?」
「うん、ジレの新しいやつ」

コスメフロアに足を運び、キラキラした女の子たちに圧倒されながら調達したリップ。
気おくれしてもう帰ろうかと思ったが、私のライバルはこのくらいキラキラした女の子たちなのだと己を奮い立たせてお店に入った。コスメカウンターのお姉さんが優しかった。

「いい色じゃん。似合ってる」
「へへ、ありがとう」

五条、こんな感じの好きかな。好きだといいな。
こんなリップ一本で好きになってもらえるなんて思ってないけど、少しでも五条の好みの女の子になれたら嬉しい。
そうこうしているうちに五条と夏油が談話室に入ってきて、夏油が「おや」と言い、五条が不機嫌そうに顔を歪めた。

「ナマエ、今日は化粧してるんだね」
「え、あ、うん…」

夏油にそう言われ、ちろ、と五条の方を見る。視線を逸らして不機嫌そうな顔のまんまだった。
ああ、あんまり良くない反応だな、なんてことはもう考えなくてもわかる。

「ブスが化粧して悪あがきかよ」
「はぁ?」
「似合ってねぇって言ってんの。ナマエが化粧なんかしたら七五三だろ」

なんだその言い方!確かに化粧は慣れていないけれど、そんな言い方ってないじゃないか!

「べつに五条に気に入って貰いたくてしてるわけじゃないし!」
「はぁ?そんな化粧で引っかかる男なんてたかが知れてるっつーの!」
「何よそれ!」

ダメだ、と思っても言葉が止められなかった。
せっかく、せっかくちょっとでも可愛くなろうと思って努力したのに、そんな言い方あんまりじゃないか。

「悟…」
「あ?ンだよ」

夏油がなんかフォローしてくれようとしていたけれど、もうそんなことはどうでもよかった。

「もういい!知らない!」

私はそう言って、バンとテーブルを大げさに叩くと、逃げるようにして談話室を後にした。


ああ、今日も売り言葉に買い言葉で五条と言い争ってしまった。
私はあのあと自分の部屋で頭を冷やし、お茶に誘ってくれた硝子の部屋でうなだれた。

「もうどうしていいかわかんないよぉ」
「ナマエさぁ、そもそもなんで五条なワケ?別に違う男で良くない?」
「…良くない」

良くないから困ってるんだ。硝子はものすごく面倒くさそうな顔をして、カチカチとケータイを操作する。
何だよう、もう少し真剣に話聞いてくれてもいいじゃないか。
と思っていたら、硝子が「ん」と言ってケータイの画面を私に突き出した。

『わかったよ。彼も都合大丈夫みたいだから、土曜日駅前って伝えておくね』

なにこれ?ニコニコ笑う顔文字が末尾につけられている。差出人はミキコさん。
ミキコさんって誰?

「なにこれ?」
「ナマエのデートの予定」
「は!?」

デート!?私が!?どういうこと!?

「一回他の男と遊んで目ぇ覚ませばいいじゃん。五条とか辞めとけ」
「え!いや!知らない人とデートなんてそんな…!」
「大丈夫大丈夫、ミキコさんの推薦だから間違いない」

ミキコって誰よ!なんて浮気男を問い詰めるような突っ込みをして、しかし取り付けられた約束を今更反故にするのは申し訳なくも思い、私は硝子の言う通り、土曜日に知らない男のひととデートをするため、駅前に向かうことになってしまったのだった。


他の男も見て勉強しなよ。と、硝子の言うことには一理ある。
私は確かに五条のことが好きだが、ぶっちゃけほとんど初恋なのだ。五条より前に好きになったのは5歳のころの近所のお兄ちゃんくらいなもので、それ以外は本当に縁がなかった。
デートしたところで絶対付き合わなきゃいけないとかそういうわけでもないんだし、女の子と遊ぶくらいの感覚でちょっとお茶してみよう。この世の男は五条ひとりというわけではない。

「えっと、ミョウジさん?」
「あ、はい」

ミキコさんの知り合いの紹介だというユーイチさんは大学一年生。ミキコさんのバイト先の後輩なのだという。ちなみにミキコさんって誰、と硝子に聞いたら、中学時代の地元の先輩だと言っていた。

「ごめんね、ミキコ先輩が無理言ったみたいで…」
「いえ、こちらこそ…」

ぎこちなく始まったデートは、ユーイチさんのエスコートで映画に行くことになった。
ユーイチさんは大学で民俗学の専攻をしているらしく、最近の講義で聞いたという面白い話をしてくれた。呪いは民俗学と通じるところもあるし、私も興味があったから話すのは楽しかった。
行く先々でドアを開けてくれて、飲み物とポップコーンを買いに並んでくれる。飲み終わった紙カップは捨てに行くよとまとめて持って行ってくれるし、歩くときは当然のように道路側を歩いてくれる。
男のひとのエスコートっていうのものがどういうものか私はよくわからないけれど、きっと五条はこんな感じじゃないだろうなということだけはよくわかった。

一緒に見た映画はCMでもやっていた洋画のミステリで、正直私には難しすぎてよくわかんなかった。そういえばこの映画、五条も見たいって言ってたっけ。
私は結局なんだかんだと五条のことを思い浮かべてしまっている。

「映画、どうだった?」
「えっと、その、面白かったです!」
「はは、嘘でしょ」

ユーイチさんはいとも簡単に私の嘘を見破った。
失礼なことをしてしまったかな、と隣を見ると気分を害したふうではなくて、にこにこ温和な笑みを浮かべている。

「すみません…」
「別に構わないよ。なんだかぼうっとしてるみたいだったし」

こっちこそ好みの映画選べなくてごめんね、とユーイチさんが続ける。
なんだかとんでもなく出来た人だ。五条だったらこうはいかない。
そもそも相手に合わせるなんて発想がないだろうし、相手が満足しているかどうかなんて気にもしないだろう。前に四人で映画見た時だって全部五条の好みで、私は嫌だって言ってるのにスプラッタ見せられたし。

「ミョウジさん、好きな男子とかいるでしょ」

不意に、ユーイチさんが言った。えっ、と思って見上げると「あたりだ」と言って笑った。
ちょうど五条のことをまた考えてしまっていたから、余計に驚いた。

「…どうして、わかったんですか…」
「今日ずっとうわの空だったから」

気づいてなかった。それってものすごく失礼なことをしてしまったんじゃ、とさっきと同様考える。ユーイチさんは「気にしないで」と先周りして言った。

「学校の子?」
「…同級生の男子で…でも犬猿の仲っていうか、顔を合わせるとすぐ言い争いになっちゃって」
「ああ、あるね、そういうの」
「どうしたらいいかわかんないってなってたら友達が他の人と一回デートでもしてみたらって言って…すみません」
「それで俺にお鉢が回ってきたのかぁ」

なるほど、とユーイチさんは納得したようだった。ユーイチさんは最近彼女と別れたとかで、ミキコさんが気晴らしに女の子と遊んだら、と勧められて硝子とミキコさんで交渉が成立したらしい。

「まぁ、俺は結構気晴らしになって良かったし、ミョウジさんもなんか気晴らしになってたらいいな」
「はい、なんかこういう言い方アレですけど、すごく気分転換になりました」

ユーイチさんと彼女がなんで別れたかは知らないが、彼女は少しもったいないことをしたんじゃないだろうか。
本日初対面の私でも少しそう思ってしまうくらい、ユーイチさんは良い人だ。

「上手くいくといいね、その同級生」
「ありがとうございます」

集合した駅のところで別れて、ユーイチさんが去っていく背中を見送る。
これから帰って五条とちゃんと話してみようかな、なんてらしくないことを考えてみた。

「おい」

すると、聞きなれた声をかけられて、私ははっと振り返った。
駅の改札を出たところに白髪の長身の、サングラスの男が仁王立ちをしている。

「えっ、あれ、五条!?」

なんでこんなところに?と思ったらずんずんと間合いを詰めてきて、私の手首をぐっと掴んだ。
サングラス越しで、目は多分じとりとこちらを見ている。

「今の男、誰だよ」
「ユーイチさん?」

私がユーイチさんの名前を呼ぶと、五条はあからさまに顔を歪めた。
それから視線は逸らさないまま、唇を尖らせて拗ねたみたいな顔に変わる。

「お前、あいつと付き合ってんの?」
「え、違うよ。硝子が一回デートしてきたらって」
「…じゃあ、付き合うのかよ」

拗ねたような態度に、なんで、と首を傾げる。私がどうなろうとどうでもいいと思っていそうなのに。どういう風の吹き回しだろうか。
いつもならこの時点で言い合いになるところを、今日は呆気に取られて憎まれ口のひとつも出てこない。
どうしたものか。考えているうち、五条が私の手首を掴む手にぎゅっと力を込める。

「付き合うな」

しんと、時間が止まったみたいだった。
何それ、子供のわがままみたい。まるで、私が誰かと付き合うと困る、みたいな。

「なんで…五条がそんなこと、言うの」

私がそう言って、五条を見上げるよりも早く、掴まれた手首をぐっと引き寄せられる。
バランスを崩した私はそのまま五条の方へ倒れ込み、すっぽりとその両腕に収まってしまった。

「好きなんだよ、気づけバーカ」

なに、そんな、偉そうな言い方。気づけるわけないでしょ、いつも私に向かって気持ち悪いとかブスとか言うくせに。
気づけっていうなら、もっと気づけるような素振りみせてよ。

「…私も、すき」

いくつもいくつも言ってやりたい文句は思いつくのに、やっと絞り出せた言葉はそれだけで、しかも雑踏の音にかき消されてしまいそうなほど小さかった。
それでも五条はきちんとその声を拾ってくれて、小さく小さく「ん」と言った。

「もう他の男とデートとかすんなよ」
「うん、しないよ」
「あと化粧とか…俺以外の前ですんな」

えっ、と思って見上げようとしたら、頭を押さえられてそれは叶わなかった。だけどその分胸に耳が押し当てられて、どきどきとうるさい五条の心音が伝わってきた。

「これ以上可愛くなったら、困る」

五条はそう言って、もうちょっとだけ抱きしめる腕を強くした。少し痛いくらいで、それがどこか心地いい。
私はどうにか両腕を抜いて、五条の背中にくるりとまわす。

「五条のためにしか、しない」

私の言葉に「ん」とまた小さく返事をする。
ばか。最初からお化粧なんて、五条のためにしかしてないんだよ。

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