イン・ザ・マカロン
呪術高専という特殊な場所に入学すると、一般社会との関わりというものは驚くほど希薄になる。呪術師の家系に生まれたとはいえ大した家柄ではなかったナマエは、地元の小学校に入学し、そのまま近所の公立中学校に入学した。つまり中学まではごく一般的な子供時代を送っており、呪術師の家系に生まれた割にはある程度非術師の知り合いもいる人生を送ってきたということである。

「あれ、ひょっとしてミョウジさん?」
「え?」

出張というほど遠くない場所に任務で向かった帰り、今日は五条が帰ってくるから、何かスイーツでも買っておこうと立ち寄った西荻窪にあるパティスリーでのことだった。一番おすすめだというマカロンピスタージュを購入したレジを終えたところで名前を呼ばれた。

「あれ、もしかしてナカムラくん?」
「そうそう。久しぶりだなぁ」

声をかけてきたのは中学の同級生でナカムラという男だった。在学中は同じ委員会だったこともあり、比較的よく話していた仲だといえる。

「今東京で働いてるの?」
「まぁね。ミョウジは高校から東京来てたんだっけ」

話がうっかり盛り上がりそうになって、流石にこれ以上店内で話し込むのは不味いだろうととりあえず店を出る。彼もパティスリーの箱を持っていて、自分と同じようにここへケーキを買いに来たのだということは一目瞭然だった。
同窓会でちらりと顔を見たっきだったから五年振りだ。その懐かしさもあって少し話さないかという流れになり、パティスリーからほど近いカフェに二人で入る。

「ミョウジもそのまま東京に就職してたんだな。なんだっけ、なんか変わったところに進学して…」
「ああ、宗教系の専門学校に入ってそのままだよ」

適当にカフェオレを注文して昔話に少しの花を咲かせる。彼は地元の高校に進学したはずだが、就職を機に上京してきたらしい。今はIT関係の企業で働いているそうだ。

「同窓会のときもろくに喋れなかったもんなぁ。ちゃんと喋ったのってもう12年振り?」
「だね。同窓会のときナカムラくん皆に囲まれてて近づけなかったよね」
「いや、あんときツレに彼女見せろって迫られてさ」

同級生と話すのは不思議な気分だ。懐かしさのようなものを感じるとともに、もう彼らとは二度と道が交わることはないのだと強く感じる。自分たちは彼らを、非術師を守ることを生業にしていて、そしてそれ自体が彼らに知られることは絶対にない。

「ああ、可愛いー!お前には勿体ないー!ってみんな騒いでた?」
「そうそう。こないだその子と結婚してさ、最近仕事忙しくて家のこと任せっきりにしてたから、今日はご機嫌取りのケーキ買いにきたところだったんだよ」
「結婚したんだ。おめでとう」

少し照れたような、誇らしいかのような顔でナカムラが笑った。そりゃあ同級生も結婚するような年なのだろうけれど、中学校の頃から知っている同級生が結婚をしたというのはどこか感慨深さのようなものがある。

「ミョウジは結婚とかはどうよ」
「あー、結婚の予定はないけど、同棲してる彼氏はいるよ」
「へぇ。ミョウジの彼氏って想像つかんわ。いや、悪い意味じゃないくてさ。高校のときとか地元でも会わなかったし。どんなひとなん?」

本当に他意のなさそうな世間話のトーンでナカムラが言った。ナマエはなんて答えようか少しだけ逡巡して、苦笑いと照れ笑いの混ざったような顔を浮かべる。

「冗談みたいにかっこいいひとだよ」

本当に、自分の恋人でいるのが不思議なくらい、強くて特別で綺麗なひとだ。


結局カフェの滞在時間も30分がいいところで、そのまま同棲しているマンションに戻って夕飯の支度をする。今日は早いって言っていたけれど、一体何時くらいになるだろうか。だいたい高専を出るときにメッセージをくれるから、それに合わせて夕飯を仕上げたい。と、思っていた矢先だった。

「ただいま」
「えっ、五条さん?」

メッセージをくれると思っていたのに、突然鍵を開けて恋人が帰宅した。ナマエが慌てて玄関まで迎えに行くと、いつも通りの不審な黒づくめにアイマスクをした恋人が少し不機嫌そうに立っていた。

「おかえりなさい、早かったんですね」
「まぁね」
「連絡くれても良かったのに。ごめんなさい、まだ時間あるかと思って夕飯仕上げてなくて…」

それにしても随分と機嫌が悪い。忙しいのはいつものことだけれど、なにか特別面倒なことでもあったのか。彼の立場であれば面倒ごとなんて掃いて捨てるほどあるだろうけれども。家に戻ってきてまでこんなに機嫌の悪さを全面に押し出しているのも珍しいなぁと五条の顔を覗き込む。

「五条さん?」
「ナマエ、僕に隠してることあるよね?」
「え?」

五条が一歩踏み出してナマエを見下ろす。身長差がかなりあるから、見上げる首がジリジリ痛い。一挙手一投足を報告しているわけでなし、細かく言えば言っていないこともあるかもしれないが、隠すというほど大それたものは何もないはずだ。そもそもそういうことは得意じゃないし、例えばサプライズなんてしようものなら勘のいい五条に先回りして知られてしまうというオチがつくことだろう。

「えっと…なんにもない、と思うんですけど……」
「もっとよく考えて」
「えぇぇ……」

ない心当たりを探せというのは無理な話だ。何をそんなに苛ついているんだろう。こんなに直球で自分に聞いてきているのだから、この苛々の原因は概ね自分なのだろうが、生憎全く心当たりがない。
今日の自分の行動を振り返る。天気が良かったから寝具を洗濯して、埼玉までちょっとした任務に出て、帰りに例のパティスリーに寄って、さっきなくなりかけてたシャンプーを詰めかえて、晩御飯の準備をあれこれと進めた。至って平和でなんてことない一日である。

「ほら、自分の今日の行動全部口に出して」
「えーっとぉ…」

じりじりと詰められて逃げ出すことも出来ず、ナマエは今さっき頭で考えていたことをもう一度、より詳細に口に出していく。

「──で、西荻窪のパティスリーで食後のスイーツ買って、そのまま家に帰って……」
「はいそこストップ。帰る前に一個忘れてるでしょ」
「えーっと…あ、ばったり同級生に会いましたね。中学の」
「そう、それ」

五条のご立腹の原因に辿り着いたらしいが、それといわれてもそれの何がそんなに気になったのかが全く分からない。「男でしょ」と追撃されて、そこでようやく彼がなにを言いたいのかをうっすら理解した。

「五条さん、ひょっとしてヤキモチですか?」
「……なに、悪い?」
「びっくりしたぁ。任務でなんか不味いことあったのかと思って心配したじゃないですか」

まぁまずそれは誤解だから誤解を解かなきゃいけないんだけれど、とりあえず重大な事態が起こっていたわけではないのだとほっと胸をなでおろす。学生時代じゃあるまいし、今の五条を苛々させるほどのことが任務で起こったのなら相当酷い事態が起きたと思わざる得えないが、その心配はないらしい。

「別に任務はいつも通りだよ。退屈な上層部のしょーもない話聞いて無駄に疲れてやーっと帰れると思った矢先に可愛い彼女が知らない男とニコニコ談笑してんの。僕の気持ちがわかる?」
「そんなんじゃないですよ。五条さんと食べようと思ってパティスリー寄ったら本当にたまたま」
「でも相手に気がないとは限らないでしょ?」
「あはは、元々昔からそんな感じじゃなかったし、いま彼新婚さんですよ?」

威圧感のある苛々がここまで来ると急に可愛らしく見えてきた。「ね、一緒にご飯食べましょ?」と部屋に入ることを促せば、少し不服そうな様子を残したまま部屋に上がった。

「五条さん、さきにお風呂入ります?ご飯もう少し用意に時間かかるんです」
「じゃあナマエも一緒に入ってくれたら許してあげる」
「は!?え!?な、なんで…」

思わぬことを言われて声が裏返った。不機嫌はなりを潜めたが、その代わりえらく悪い顔をしていた。いや、彼のこういう顔は、どちらかと言えば通常運転のそれなのだけれど。
ぐいぐいと背中を押され、あっという間に脱衣所まで連行される。

「ちょっと!五条さん!私一緒に入るなんて一言も──!」
「僕を不安にさせた罰だよ。安いもんでしょ」
「不安になんて絶対なってないですよね!?」

あれよあれよという間にシャツのボタンを外されて、キャミソールと下着だけの姿まで剥かれた。思わず前を隠したけれど、五条に背を向けているせいでガラ空きの背中ではブラジャーのホックがいとも簡単に外される。抵抗する姿勢を見せるとキャミソールごと破かれかねないぞ、という危機を感じて「バンザーイ」という愉快そうな五条の掛け声に従って両手をあげれば、すぽんと引き抜かれてショーツ一枚まで追い込まれた。ここまで来れば抵抗するだけ無駄なことである。

「ナマエ、先入って」
「はぁ…もう…わかりましたよ」

扉を開けて広々としたバスルームに足を踏み入れる。自分で用意した湯が大理石の湯舟の中をたぷたぷと満たしていた。もっとも、フルオート機能のついた給湯器が完備されているのだから、スイッチを押したくらいのものなのだけれど。
かけ湯をして湯舟に浸かり、体育座りのように膝を折り曲げてなるべく小さくなる。1分も経たないうちにまた扉が開き、彫刻みたいな身体を堂々と晒しながら五条がバスルームへと入ってきた。多少前を隠すとかそういう概念はないんだろうか。いや、ないだろうな。と口に出す前に自己完結をする。

「ナマエ、隅っこに縮まりすぎじゃない?」
「…五条さんのお邪魔にならないようにしてます」
「えー?そんな気ぃ遣わなくていいのにー」

本当は縮こまってるのだって恥ずかしいからで、彼の邪魔にならないようになんて殊勝な心がけではないのだけれど、それまで全部お見通しの上でしらばっくれて五条が湯舟に足を差し込む。体格のいい彼の体積が加わったことによって溢れたお湯が大理石の上を滑っていく。

「ナマエ、こっち」
「…嫌です。恥ずかしいじゃないですか」
「罰なんだからしょうがないじゃん」

罰も何も口実に過ぎないくせにいけしゃあしゃあと言ってみせ、ナマエの方に身体を乗り出して肩と腰をあっさりと攫う。後ろから抱きすくめられるような体勢にされ、五条の髪から落ちた滴が肩を伝った。

「だいたい、罰って私何にも悪くないじゃないですか…たまたま同級生に会っただけなのに…」
「既婚者でもナマエに気がなくても関係ないの。僕が嫌だって思ったら嫌なわけ。わかる?」
「お、横暴だ……」
「いつものことでしょ」

それは確かにそうなのだけれど、横暴を真正面から認めるというのもいかがなものなのか。まぁ逆の立場に立って考えてみたら確かにちょっとは嫌な気持ちになるかもしれない。全く異性に関わらずに生きていけなんていうのは無理な話なのだから、理由が分かれば納得は出来るだろうけれども。

「パティスリー、五条さんのために寄ったんですよ」

ナマエが少し拗ねたようにそう口に出した。数日間スケジュールの関係で顔を合わせることが出来なかった恋人が帰ってくるのだからと浮かれて家とは反対方向のに西荻窪まで向かったのだ。東京都内エリアの最西端で他に何の用もないのに。
五条が「どういうこと?」と耳元で尋ね、それをくすぐったく思いながら唇を尖らせて答える。

「五条さんが帰ってくるから、一緒に美味しいスイーツ食べたかったんです」

ちゃぷん、と意味もなく手を動かして湯を波立たせる。ぼんやり立ったその波が浴槽の端まで届き、跳ね返って戻ってくる。五条は少し黙って、そのあと盛大にため息をつきながらナマエの首筋にぐりぐりと額をこすりつけた。

「ちょっ…五条さん!くすぐったいです!」
「可愛いことするナマエが悪い」
「だから横暴!」

ジタバタしたところで彼の腕の中なのだから逃げられようはずもない。「じゃあ横暴ついでにひとつ」とのたまって、五条は後ろからナマエの顎先を引き、覗き込むような角度でキスをする。それはすんなりくっついて離れるそれじゃなくて、何度も何度も深く刻むようなキスだった。

「んっ…ごじょさっ…ちょっと…こんなとこでする気…なんですか?」
「さぁて、何のことかな」

今度はナマエの身体ごと抱えて、向かい合うように体勢を変える。太ももの上に跨るように乗せられ、少しだけ五条を見下ろすような姿勢になる。冷蔵庫ではパティスリー自慢のマカロンピスタージュが待っている。その前にのぼせずにここから出ることは出来るのだろうか。甚だ不安でしかない。

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