燃え上がって炎
「セックスが上手くて優しい男と付き合いたい」

明け透けなことを異性に対して言ってしまえるのは、相手が命のやり取りをする現場を共にするような相手だからだろうか。ナマエは丁度アルコールの回り始めた頭を持て余しながら管を巻いた。一年前に手ひどい失恋をしてからというもの、まともな恋愛をしていない。仕事が忙しいというのもあるが、巡り合わせが悪いというのもある。
先日交際に発展しかけた男がいたのだけれど、成り行きで入ったホテルでのベッドマナーがあまりに悪く、そのうえセックスが驚くほどへたくそで、この先交際したらこの男としかセックスしなくなるのかと思ったら嫌になってお別れをした。

「お前、俺相手やからって明け透けすぎるやろ」
「いいじゃん。神々廻くらいだよ、こんな話出来るのは」

神々廻はナマエにとって数少ない親友であり戦友だ。下品だと言いたいのは分かるけれど、このくらいの話はさせてほしい。

「エッチって大事だよ、やっぱ。だってどのくらい相手のこと大事にしてるとか、相手のこと見てるとかまるわかりじゃん」
「まぁ、一理あるわな」
「でしょぉ?やっぱ大事なんだって、セックス」

セックスは一種の高等なコミュニケーションだ。本能がむき出しになる瞬間だからこそ、そういうときにあまりにも自分本位なのは高が知れているというものだろう。あと単純に、気持ち良くもないのに気持ちがいいみたいな演技をするのもほとほと疲れた。

「ほんなら、俺と試してみるか?」
「は?」
「結構上手いで。俺」

一体何を言い出すのか、と思って思考が停止する。じっと神々廻がこちらを見つめた。いつも気だるげなその瞳の中にわずかに炎が燃え上がっているような気がして、思わずひゅっと息をのむ。
大した抵抗も出来ないまま、あれよあれよと流されてホテルに連れ込まれ、その晩ナマエは神々廻に抱かれた。想像の何倍も、むしろ今までで一番気持ちの良いセックスを提供され、この友人は女のことをこんなふうに抱くんだ、と、初めて知る彼の一面にどんな反応をすればいいのか皆目見当もつかなかった。


神々廻とセックスをしたことによって、彼との関係性がひとつ追加されることになった。親友で戦友で、それからセフレ。べつに告白なんてされなかったし、ナマエもしなかった。お互い多分興味本位で、これが世間一般の倫理観からズレていることは承知の上だったが、殺し屋というものにマトモな倫理観など存在しないのだからしかたがない。

「って思ってたのにぃ…」

ナマエはハァとため息をつく。あれから神々廻と度々セックスをするようになって、だけど一緒に朝を迎えたことはなかった。だって付き合っているわけでもないんだし、自分たちの関係はセフレであって、それ以上でもそれ以下でもない。だけど食事をした流れでセックスをしたらハイさようなら、みたいな出来事が積み重なるたび、それを寂しく思うようになってしまっていた。

「あ、ミョウジ発見」
「今アンタの相手してる気力ないから」
「ひどいなー。仕事の話かもしれないじゃーん」

鬱々と思考を巡らせていると、この上なく能天気な声がかけられて、その発生源をじろりと睨む。そこには同僚の南雲がいつも通りヘラヘラした顔をして立っていて、疲れ切った頭のままこの男の相手をしなければならないのかと思うと心底げんなりした。

「で、仕事の話なの?」
「いーや全く。神々廻が最近無表情で浮かれてるから何かあったのかなぁと思って」
「ああそう。それなら私は何も知らないよ」

シッシッと右手で追い払うようにしてあしらう。親友の機嫌の良さの理由は生憎本当に知らない。それに身体の関係になってからというもの、妙に距離がよそよそしくなると言うか、今までと変わってしまったのをひしひし感じているのだ。こんなことならセックスなんかしなきゃ良かった。と、言ったところで後の祭りなのだけれど。

「ミョウジはやたらテンション低いねー」
「これが通常運転ですけど?」
「えええ?だってミョウジ、神々廻の話したらすぐに食い付いてくるじゃん。いつも」

無意識のうちだった自分の振る舞いを外から指摘されて少し居心地が悪くなった。こんな関係になるまで本当に心の底から神々廻を異性として意識していたことはないけれど、大切な存在であったことは間違いなく事実だったし、神々廻のことは自分が一番よく理解しているみたいな自負があった。
ナマエは閉口し、それからじろっと南雲を見た。この男に意見を尋ねてみてもいいだろうか。まともな回答が得られるかは微妙だけど、まぁ自分のモヤモヤを打ち明けずに聞いてしまえばいいか。

「ねぇ、南雲さ、女の子と付き合ったら何する?」
「え?なに?心理テスト?」
「いや、大衆の意見を収集中」

適当なことを言ってけ煙にまくと、南雲はそれ以上追求することなく投げられた質問について考えを巡らせている。大した時間も要さずに答えに至ったようで、ぴんっと人差し指を上にさしながら口を開く。

「んー、別に普通だけどなぁ。デートして、ご飯行って、イチャイチャして、エッチするみたいな」
「マジで普通のこと言いやがった…」
「あはは、ミョウジ、僕にどんな答え期待してたのさ」

想像の何十倍も普通のことを言われて、大した収穫にならなかったじゃないかと肩を落とす。いや、むしろナマエに都合のいい収穫なんて得られないのかもしれない。これがごく一般的な意見であり、やっぱりデートもなしでセックスしかしない相手というのは、恋人なんかじゃなくてセフレだということだ。セックスが上手くて優しい男と付き合いたい、と言った話の流れだったから淡い期待をしていたけれど、それもガラガラと打ち砕かれてしまった。

「で、ミョウジは一体何に悩んでるのかな?」
「あんたには言いたくない」

南雲に話したりしたらこれでもかというほどオモチャにされるに決まっている。南雲は「いいじゃーん。教えてよ」と食い下がりながらナマエの袖口をぐいぐいと引っ張った。その手を遠慮なしにはたき落すと、じっと探るような視線をこちらに向けてくる。

「なんだ、神々廻と付き合い始めて浮かれてるのかと思ったのに」

どかんと大きな爆弾を落とされた気分だ。思わず黙ってしまって、そこに自分の不調の原因があると暴露しているようなものだった。残念ながら、南雲の認識は間違っているだろう。自分と神々廻は、セフレでしかないのだ。


もやもやとしたものを抱えながらも、神々廻に誘われれば飲みに行った。雰囲気のあるお洒落なお店なんかじゃなくて、いつも通りの安い居酒屋である。ここはORDERに入りたての頃から来ている馴染みの店だった。

「なんやナマエ、今日全然飲んでへんやん。調子悪いんか?」
「いやっ…べつに…そういうわけじゃ…」

じろりと神々廻がこちらに視線を向ける。あなたとの関係に悩んでいます、なんて言えるわけがない。なんとか誤魔化してみたけれど、神々廻がこんな言い訳で誤魔化されてくれるかはわからない。ナマエが神々廻の事なら自分が一番よくわかると自負しているように、神々廻もまたナマエのことを熟知しているのだ。

「お前が大人しいと調子出ぇへんわ」
「…悪かったわね、いつも騒がしくって」
「そうは言うてへんやろ」

いつもは気安い神々廻との食事も気がそぞろになってしまって、美味いはずの焼き鳥の味もよくわからない。ぬるくなったビールでどうにか口の中のものを胃に流し込む。それから神々廻の話に相槌を打つばかりになってしまって、最終的に神々廻は眉間に皺を寄せていた。

「ナマエ、なぁ、この後時間あるやろ?」
「え、あと……その……」
「俺んち行こうや」

ぐっと腕を引かれる。神々廻の家なんて今まで何度も行ったことがある。それこそ坂本や南雲など、年の近い連中を集めて南雲立案の鍋パーティーだとか、たこ焼きパーティーだとかをした。だけど今日は違う。神々廻の部屋に行けば必ず抱かれることになる。ホテルでならまだ「そういう行為だけの関係」を受け入れることが出来るかもしれないけれど、彼の自宅でまでセックスをしたら、きっとセフレでいるのも親友でいるのも戦友でいるのも苦しくなってしまう。
あれよあれよという間に見知った道に差し掛かり、何度も見たことのある神々廻の部屋に到着すると、彼は玄関の鍵を開けて扉をひらいた。神々廻の匂いがふっと香って泣きそうになる。

「そのへん適当に荷物置いとき」
「ん……」

躊躇いながらも玄関の内側に足を踏み入れる。パンプスを脱いで廊下を進むと、見知ったローテーブルとフロアソファが鎮座していた。ナマエは所在を失くしながらも荷物を持ったままぺたりと床に座り込んだ。結局ここまで来てしまった。ここからどう言い訳をするつもりだろう。

「なんや、床に座って。ソファ使うたらええやん」

ナマエがぐるぐる考えていると、荷物やら上着やらを片づけてきただろう神々廻がひょっこりとリビングに顔を出した。ナマエは言うべき言葉を探す。視線を泳がせたあと、きっとここで流されて抱かれてしまえば、もう自分は彼にとっての何者でもなくなってしまうことを予感した。そんなの嫌だ。意を決して口を開く。

「し、神々廻…あのさ、こういうの…続けてくの、私、しんどくて…」

絞り出した声は情けなく震えていた。人を殺すことを生業にしている人間とは思えないような情けなさだった。ナマエが唇を噛むと、神々廻が長い髪をがしがしと掻きむしり、低い声で尋ねる。

「……別れたいっちゅうことか?」
「え?わ、別れるっていうか、その…セフレ……みたいなのは、やめたい……私その…神々廻のこと…好きになっちゃった、から…」

言ってしまった。割り切った関係だったはずなのにこんなことを言い出して、面倒な女だと思われただろうか。いや、でもこのまま黙って彼とセフレを続けていくのはどう考えても難しい。これでいい。これでいいはずだ。恐る恐る神々廻の言葉を待っていると、十数秒の沈黙ののち、大きなため息が吐き出された。

「はぁ〜?」
「え、な、なに…?」
「お前マジか?嘘やろ、今日までセフレやって思ってたん?」

神々廻が詰め寄ってナマエの両肩を掴んでガクガクと揺さぶる。その反動プラス肯定の意味で頭が前後にごんごん動いた。何を責められているのかわからなくて盛大にはてなマークを飛ばしていると、じとりとした視線で解説が付け加えられる。

「俺は、付き合ってると思うてたんやけど」
「えッ……えぇぇ!?」
「セックスしたとき気持ちよかった言うてたやんか」

少し拗ねたような口調で神々廻がそう言った。確かにあの日、事の発端になったのはナマエの「セックスが上手くて優しい男と付き合いたい」という言葉だった。どうやら、どこでどう行き違ったのか、ナマエはナマエで決定的な言葉がないからセフレだと思い込んでいたし、神々廻は神々廻で決定的な言葉はなくても交際は始まったと思っていたらしい。
神々廻はガクガク揺さぶる手を止めると、今度は両腕の中にナマエをぎゅっと閉じ込めた。

「お前が他の男と付き合ってんの見るんはもう飽き飽きや」
「し、神々廻?」
「お前ホンマに、人の気も知らんとヘラヘラ無防備な顔見せよるし」

神々廻の柔らかい金髪がナマエの頬をくすぐる。こんなのまるで、昔から私のことが好きだったみたいな台詞じゃないか。どくどく激しく鼓動する心臓を鎮めるのに必死で咄嗟に返せる言葉が出てこない。

「セックス上手くて優しい男と付き合いたいんやろ?」

神々廻があの日居酒屋でナマエの言った言葉をなぞる。確かにそれは願望のひとつである。神々廻は抱き寄せていた身体を解放して顔を突き合わせるようにすると、その気だるげで切れ長の視線でナマエのことを見つめた。

「そんなんもう、俺にしとけばええやんか」

なぁ、と聞いたこともないような甘い声が降りかかる。こんな声聞いたことがない。彼のことは親友で、戦友で、誰よりも自分が一番理解しているはずだと思っていたのに、こんなの知らない。
神々廻の瞳の奥にじりっと炎が燃え上がるのを感じる。それが空気を伝わってナマエにまでうつってしまって、じわじわじわと身体の温度が上がった。薄い唇に酸素を断たれても、この炎が消えてしまうことはないのだろう。

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