日陰者の大勝負
暴対法の締め付けが年々厳しくなる昨今、ヤクザ丸出しのヤクザなんて早々うろついていない。五条の親の世代はバブル景気を過ごしたこともあって見た目にもわかりやすいヤクザだったけれど、最近のヤクザで金キラのネックレスをジャラジャラつけるような連中も、葉巻を吸うような連中も街中でお目にかかることは中々ないだろう。

「で、だからって黙ってるってのはどうなんだよ」
「だって僕たち極道だよ?極道モンと付き合おうとかふつう思う?」
「まぁ普通の女の子は思わないだろうね」

でしょぉ?と情けない声を出しながらバーカウンターにべったりと貼り付く。オーセンティックなバーだけれど、五条の目の前のグラスにはアルコールは一滴も入っていない。

「そもそも、なんで隠してたんだい?」
「…言う機会がなかったし」
「機会がないなら作りなよ。本気の相手なら尚更」

親友で兄弟分でもある夏油の正論がスパスパといつも以上の鋭さで突き刺さって抉っていく。そんなにまともなことを言ってくれるな、と思うけれど、口にすれば「モタモタしてる悟が悪いんだろ」と言われるに決まっている。

「はぁ…兄弟ぃ、なんとかいい感じの作戦考えてよぉ」
「こんな時ばっかり兄弟呼びするんじゃないよ、まったくもう」

夏油が目の前のグラスをぐいっと呷った。琥珀色の液体がグラスの中でちゃぷんと揺れる。五条の眼前では着色料で綺麗に色付けのされたメロンソーダがしゅわしゅわと居座っていた。


五条悟は、関東一円をまとめる巨大な極道組織に属している列記とした極道者である。直系の組の舎弟頭を任されていて、年齢と組織の規模から考えると異例の出世であるといえる。五条は生まれもっての極道だ。父も同じ組に属していたし、母も浅草だか上野だかの小さな組の組長の娘だった。
五条にとってこの人生はあまりに普通で、むしろカタギの生き方の方がわからない部分が大きいくらいで、だけどさすがに、この世界がカタギにとってまともじゃないことばかりで出来ているということは充分心得ている。

「悟くん?」
「んぁ…なに?」
「なにって…今日どうしたの?全然話聞いてくれないじゃない」

別に自分が極道者として生きることに迷いなんてない。ただ一つ迷いというか、悩みのようなものを上げるとするならば、この恋人の存在である。彼女は街で絡まれているところを助けて出会うという少女漫画も顔負けの出会い方をしたカタギの女であり、付き合って二年間、五条は未だに自分の職業を打ち明けることが出来ていない。

「こないだね、栗おこわの美味しいお店見つけたの。ねぇ、今度のお休み行ってみない?」
「ん。いーよ。ナマエ、いつ休み?」

彼女に早く言ってしまわなければいけないということはわかっているけれど、どうにも億劫で口が重い。夏油も言ったことだけれど、普通カタギの人間が極道に関わろうなんてするわけがない。

「うーんとね、今週末は友達と約束しちゃってるから…来週だと土日どっちも空いてるよ」

ナマエが自分のスケジュールを思い浮かべるようにして言った。いつ休み?と聞いても、彼女は普通の会社員で、休日はカレンダー通りだ。対して五条はいわゆる自由業だから、どちらかといえばいつも五条の空いている日にどうにかして時間を作っているといった具合だった。
生憎と、来週は組の行事があって絶対に外せない。それを「仕事があって…」なんて誤魔化して、結局その次の週に目当ての店に行く計画を立てた。

「あ、そうだ。今日新しく出来たっていうパティスリーに行ってきたの。悟くん食べるでしょ?」
「うん。一緒に食べよ」

ナマエが嬉々した様子で冷蔵庫に向かい、可愛らしいタルトを皿に盛り付けて戻ってきた。こんな甘やかな時間がずっと続けばいいのに。そう思うけれど、それを叶えるために自分にはやらなければならないことがある。


いつものバーで夏油と顔を突き合わせる。ここにこうして呼び出すときは大体五条の愚痴やら珍しい弱音やらと相場は決まっていて、最近は専らナマエとの話ばかりだった。こないだも聞いたばっかりだろ、と言いたげな夏油を「奢るから」と何とか口説き落とした店の中、五条は大きくため息をついた。

「なぁ、兄弟、なんとかならない?」
「だからこんな時ばっかり兄弟って呼ぶなよ。私がなんとかしたとして悟のメンツはそれでいいのか?」
「…良くない」

いつも通りの正論ご高説である。彼女に嫌われたくないし、彼女とこの先もずっと一緒にいたい。だけどそのためにこれ以上隠し事をしているわけにはいかない。いつか話せばいい、今度話そう、と先延ばしにしてきた結果がこれだ。

「そういえば、この前悟の彼女見たよ」
「はぁ?どこで?」
「私のシノギにガールズバーあるだろ?みかじめ回収してたときに偶然ね」
「ナマエがガールズバー!?」
「違うって」

まさか自分の女に限ってこの街で水商売をしているなんて、と思って声を荒げると、五条の早とちりだったようで「どうどう」とまるで猛獣をなだめるように夏油が両手を留める。納得のいく回答を述べよ、とばかりに視線で責めると、夏油は呆れたようにため息をついた。

「ガールズバーの一本向こうの大通りに新しいタルト専門のパティスリー出来ただろ?そこに行きたくて迷ってたみたいでさ、声かけたら、あ、悟の彼女だなって気付いて」

夏油の説明に一応溜飲を下げるが、夏油がそのまま挑発するように「写真で見るより可愛いね」と言ったものだから、もう一度ガルルルルと威嚇を再開した。言いたくはないが、夏油傑という男は自分には及ばないながらも中々のいい男なのだ。ナマエに限ってうっかりコロッといってしまうことはないと信じているけれど、もしものことなんて考えたくもない。

「道案内しただけだよ」
「なんかそれでもムカつく。ナマエが僕以外の男と仕事でもないのに話してるとか無理」
「うわ、独占欲エグいな」

もうなんとでも言ってくれ。兄弟分相手に恥も外聞もあったもんじゃない。五条が行儀悪くべぇっと舌を出すと、夏油は子供でも見るかのような生温かい視線を向けてくすりと笑った。

「でもまぁ、そんなに執着するならさ、自分のものにするほかないんじゃないか?」

あ?とガラの悪い相槌を打つ。夏油はバーカウンターに頬杖をつき、人差し指をピンと立てて、そのままそれで五条を指さす。

「だって悟、あの子が他の男に取られても、黙っていられる?」
「…無理。カチ込む」
「だろ?」

想像しただけで具合が悪くなりそうだ。ナマエが自分以外の男と睦まじくしているところなんて考えたくもない。具体的に話をしたことがあるわけではないけれど、ナマエとは結婚だってしたいと妄想の世界を広げていたくらいなのだ。もうこのあたりで、腹をくくるしかないのかもしれない。


いつまでも黙っていたって仕方がない。どうせいつかは話さなければならないことで、隠したままでプロポーズをすることなんて絶対にできない。五条はポケットに指輪を忍ばせたまま、ナマエの部屋を訪れた。

「…ナマエに大事な話があるんだけど」
「うん?」

どんな言葉で切り出そう。今まで騙していたのかと、幻滅されてしまうかもしれない。自分は極道者だということを隠してきたけれど、ナマエに対する言葉や行動、感情に嘘はない。いや、けれど嘘つきがそんなことを言ったって信じてもらえないだろう。

「僕の仕事さ、金融関係って言ってたでしょ」
「え、うん…それがどうしたの?」
「金融関係って言っても、その……なんていうか…ヤクザのフロント企業ってやつなんだ。僕そこを任されてて……正確に言うと、僕が世話をしてる会社、で…」

自分でもびっくりするくらいの歯切れの悪さだった。組の中でも夏油と二人そこそこの武闘派であり、修羅場もそこそこ経験している。へまをやらかした人間がエンコを詰めるようなシーンだって何度でも見てきて、なのにたったひとりの女に自分の正体を打ち明けるのがこんなにも怖い。

「僕、極道なんだ」

部屋の中の温度が下がっていくような気がする。嵐の前の静けさのようなものを感じて喉が詰まる。いや、ここで怖気づいてどうするんだ。どうせいつかは通らなければならない道なのだ。わかっていたじゃないか。
五条は唾液を飲み下すと、ポケットの中に手を伸ばしてベロアの小箱を差し出す。ぱかりと蓋を開ければ、そこにはキラキラと大ぶりのダイヤモンドが輝く指輪が鎮座していた。

「ナマエ、結婚してほしい。だけど僕はいままで君に隠し事をしてた。カタギのナマエに、これからも極道者のそばにいてくれって虫のいいことは言えない。だから、この指輪は…受け取ってくれなくてもいい」

プロポーズと懺悔の間のような恰好のつかない情けない言葉だった。これからも彼女のそばにいる権利が欲しいけれど、好いた女に無理矢理極道の女になれとは言えない。彼女の本当の幸せを願うのなら、日陰者の自分はここで手を引くべきだ。夏油の言いそうなもっともらしい正論が頭の中でとうとうと流れていく。わかっているけど、わかっているからって諦められない。諦めるなら、せめてナマエの言葉が欲しい。

「大事な話って…そっか、その話だったんだ…」

ナマエの「その」という言葉がどれを指しているのか。はかっている間に彼女の白い指先が五条の差し出した指輪に向かって伸びる。そしてそのまま、ベロアの小箱を持つ五条の右手を包み込んだ。五条がいつの間にか落ちてしまっていた視線を上げると、ゆるりと微笑むナマエと目が合った。

「ふふ、悟くん、私知ってたよ」
「は…?え!?」
「悟くんがそういうひとだって、もうずっと前から知ってた」

ナマエの言ったことに頭の処理が追い着いて行かない。どういうことだ、そんなこといままで一度も彼女には言ったことがないのに。五条が事態を飲み込もうとしていると、ナマエは五条の頭の中を見透かしたようにくすりと笑って口を開く。

「……前にね、悟くんのこと街で見かけたの。何人も子分さん?みたいなひと連れてて、もうひとり髪の長いスーツのひとがいて…悟くんが立派な車に乗っていくのを見てね、あ、そういうひとなんだって、そう思った」

まさか本職の人だとまでは思わなかったけれど、と続けられる。いつのことだろう。舎弟を連れて街を歩いているなんて日常的なことだからいつのことだか皆目見当もつかない。ナマエが更に続ける。

「悟くんの世界のことなんにも知らない私だけど…こんな私で良かったら、結婚してください」

ナマエが甘やかな声で言った。ナマエの透き通った瞳が潤み、その中に呆けた顔をしている自分が写り込んでいる。はく、はく、と二度ほど唇を開閉して、それからまたそっと開いた。

「……僕で、いいの?」
「うん。私、これからも悟くんのそばにいたい」

五条はその言葉を聞き、手にしていた小箱から指輪を抜き取ると、ナマエの左手の薬指にそっとはめる。きちんと準備をしていたから、指輪はぴったりとナマエの薬指に収まった。

「ナマエ、絶対に守るから、そばにいて」

幸せにする、という言葉は言えなかった。自分は日陰者だ。平穏無事に生きているカタギの人間よりも危険は多いし、実際五条自身、身近な人間を抗争で失ったこともある。だからせめて、彼女に誓えるのは自分の命の限り愛する人を守り抜くということだけだった。

「うん。悟くん、大好き」

ナマエが薬指の指輪を見つめたあと、照れたように笑う。ダイヤモンドが部屋の灯りをきらきら反射してナマエの頬のあたりをきらめかせた。ナマエが五条の胸に飛び込んで、それを優しく包み込む。ヤクザのオンナになんてなるもんじゃないのに、と呆れ顔で正論を突きつけてくる脳内の兄弟分を、サッサッと手で払って隅っこに追いやった。

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