気づいてベイビー
この顔をもってして、恋愛ごとで苦労する日がするとは夢にも思わなかった。
僕は自他ともに認めるグッドルッキングガイであり、世界に羽ばたいてもおかしくないイケメンである。
ほうっておいても街で逆ナンされるし、バーで隣に女の子がすり寄ってくる。そんなこんなで僕は今まで女性関係を切らしたことはなかったし、もちろん苦労もしたことがない。なのに。

「ミョウジ、付き合って」
「はい、今日はどこに車出しますか?」

僕は今、人生で初めて好きな女の子相手に苦戦を強いられていた。


ミョウジナマエ、25歳補助監督。伊地知の弟子と言われている有能な補助監督だ。
きっかけは自分でも驚くほど些細なことの積み重ね。伊地知の代わりに僕に付く日が何回かあって、その間にミョウジのことを好きになった。
単純に有能さとか、僕に媚びてこない態度とか、そういうのに好感を持って、そのうち補助監督たちと話しているときの笑顔が可愛いと思うようになって、気が付いたら好きだった。

「五条さん、どうぞ」

送迎の車の中、ミョウジは白いハンカチを取り出した。
何が、と思ったら「手の甲に汚れが」と言われ、見れば少しだけ泥がついている。さっき少し無限を解いたときにうっかりついたらしい。

「ありがとね」
「いえ」

僕はそのハンカチを受け取って泥を拭う。するとそのまま返せとばかりに手のひらを差し出されて、僕は「洗濯するのに」と思ってもないことを言ってみたら「術師の方の手を煩わせるわけには」と返ってきた。
取り上げたハンカチをミョウジはポケットに仕舞い、エンジンをかけて車を発進させた。
一番初めは本当にそんな些細なこと。

それからミョウジは「お疲れですか、ホットアイマスクありますよ」とか「空調はきつくないですか」とか、送迎のたびにいちいち尋ねた。

「ミョウジって補助監督知ってる?」
「ええ、私も何度かついてもらったことありますけど」

高専の待合室で新聞を読んでいた七海を捕まえてどうでもいい話をしていたとき、ふと話題に出してみた。七海もミョウジのことは知っているらしい。ぺらり、七海が新聞をめくる。ちなみに英字新聞で、何が楽しくてそんなものを好き好んで読んでいるのかさっぱり理解できない。

「めちゃくちゃ細かいところまで気ぃ回してくんの。まぁ別に迷惑でもないんだけど、僕相手だからってそこまで媚び売るの大変だよね」
「彼女の場合、媚では無いと思いますが」

新聞から視線を外さないまま七海が言う。あん?と思って見遣ったが、相変わらず視線は新聞に向けられていた。

「彼女、誰にでも分け隔てなくそういう態度ですよ」

ぱさ、また新聞をめくる音がする。どうせ僕に対する媚だろうと思っていたから虚を突かれて、思わず「ふうん」とつまらなそうな声が漏れてしまった。
七海曰く、細かいことに気が付いてくれるミョウジは他の術師の間でも評判らしい。

僕にだけだと思っていたものが僕にだけではないとわかると、途端に面白くないなと思った。
今日は伊地知の送迎の予定だったけど「ミョウジ空いてるんならミョウジにしてよ」と伊地知に言って、数分後にミョウジが顔を出した。

「五条さん、お呼びと伺いましたが…」
「ああ、ミョウジこっちこっち」

ミョウジを近くまで呼び寄せ「任務概要見せて」と声をかけるとミョウジはすいすいタブレットを操作して僕に今日の任務予定を見せた。僕はそれをわざと肩が触れるほどの至近距離で覗き込む。その資料、昨日伊地知から送られてきてるから全部知ってるんだけどね。

「伊地知先輩から引き継いだ内容はここからここまでです。何か不足はありますか?」
「いや、大丈夫」
「承知しました。では車を回しますのでしばらくお待ちください」

ミョウジは至近距離の僕に顔色変えずにそう言って、キーを確認してから駐車場に向かった。
いやいやいや、僕とあんな至近距離で接して顔色一つ変えないなんてことある?
自慢じゃないが、仕事中だろうがそうでなかろうが、女の子は皆ちょっと目を合わせて微笑めばすぐに僕のことを好きになった。
硝子とか歌姫とか例外はいるけど、あの二人は例外中の例外だ。

「すみません、お待たせしました」

しばらくでいつもの黒塗りのセダンが姿を現し、僕は大人しく後部座席に乗り込んだ。
今日は珍しく隣県の事前調査だ。対象が厄介だからと僕にお鉢が回ってきたが、ぶっちゃけ僕じゃなくてもいいやつ。

「空調きつかったら言ってくださいね」

そう声をかけ、ミョウジは車を発進させた。揺れが少なくブレーキングも丁寧で乗り心地のいい運転だ。
べつに、この子にこだわらなくてもいいじゃないか、というのはもう僕の中で二回は考えた事だった。でもなんとなく誰かのものになってしまうのは惜しいような、そんな気がする。

「ミョウジ、付き合ってよ」

事前調査を呆気なく終えて、僕は車の前に立つミョウジに言った。
ミョウジは「はい」と言って、僕はそりゃそうだろうと笑みを深める。

「今からですよね。どこに車出せばいいですか?」

いつも通りの笑顔で続けられた。いつも通りの笑顔すぎて一瞬なんて返されたか分からなかった。
いや、こんな漫画みたいな返しある?このグッドルッキングガイに対して?
僕はこのとき二の句を失って、用事もないのにミョウジの運転でお台場まで行った。


好きだと自覚してしまえば、あとはとんとん拍子だった。とりあえず誰かのものになるのが気に食わないなと思って、それなら早いとこ僕のものにしてしまおうと考えた。
先日の思い付きの告白は行き違いによりあえなく失敗したが、そんなことはどうということでもない。
仕切り直しとばかりに僕は高専で遭遇したミョウジを呼び止めた。

「ミョウジ、ID教えて」

そう言ってスマホをひらひら振ってみせると、一瞬きょとんとした後にポケットから黒いスマホを取り出す。

「五条さん、スマホ紛失されたりとかしたんですか?高専支給のスマホには補助監督の連絡先は入っていると思うんですが…」
「違う違う。プライベートの方。教えてよ」

高専から支給されるスマホには予め補助監督や高専、提携する宿の情報が入れられている。勿論僕が知りたいのはそんな他人行儀で誰でも知っているようなものではない。ミョウジのプライベートな連絡先。

「すみません、私ガラケーで…」

そんなナンパを断るときの常套手段のようなことを言われてじっとミョウジを見ていると、ポケットから申し訳なさそうに白いガラケーが出てきた。嘘ではないらしい。

「僕、久しぶりにガラケー見たよ」
「あはは、友達からもよく言われます」

僕の苦労はこれに留まらなかった。食事に誘ったら「融通の利くお店を予約します」と接待のセッティングの話だと思われ、ケーキを買って行こうものなら「補助監督でいただきますね」と差し入れだと思われる。
言わずもがな、付き合ってと言えば「車出しますね」と毎回車の準備をされていた。
どうしてこうなってるかって?そんなの僕が一番聞きたい。

「なんでこんなに伝わらないんだと思う?」

次の任務までの空き時間を高専の待合で潰す七海を見つけ、僕はすかさず話を振った。ぱさり。七海は一瞥もくれないまま新聞をめくる。

「日頃の行いじゃないですか」

学生時代の僕の女性関係を知っている七海は当然とばかりに言って、まぁそこに言い訳する気はないしする必要性も感じない。
日頃の行いったって、ぶっちゃけそれでも苦労してきたことはないし僕が好きって言わなくたってちょっといいなと思った女の子はだいたい向こうから告白してくるものだ。
長々と言い訳をしたがつまるところ。

「僕、アプローチの仕方なんかわかんないんだもん」
「男子高生みたいなこと言わないでください」
「だって今までそんな必要なかったし」

七海は呆れたようにフゥーっと長く息をついて新聞をぱたぱたと畳む。

「面倒なので首を突っ込みたくはないのですが、いい加減鬱陶しいのでアドバイスして差し上げます」
「あん?」
「婉曲的な表現でなく、ストレートな言葉で伝えてみたらどうですか」

七海はそう言って、すたすたと待合を出て行った。
七海の言葉を頭の中で二、三回反芻する。ストレートな言葉、ストレートな言葉…。

「…ストレートな言葉ねぇ」


数日後、任務を終えた僕は深夜に片足を突っ込んだような時間に高専に戻った。今日は伊地知の運転。
面倒だけど書類整理でもするか、と建物の中を歩いていると、補助監督室にまだ明かりがついていることに気が付いた。
世間様と違って任務に昼夜は関係ないので珍しいことではないが、誰が残っているのか、とひょっこり覗くと、そこにいたのはミョウジひとりだった。
僕はふと思いついて、一番近くの自動販売機に向かう。ぽちっとココアをふたつ購入し、さくさくと補助監督室に戻る。室内にはまだミョウジが残っている。

「ミョウジ、お疲れ」
「えっ、あ、五条さん、お疲れ様です」

こん、とココアの缶をデスクに乗せる。僕は隣の椅子を引いて座り、自分の分のココアを開けた。安っぽい甘さが脳に効く感じがしていい。

「ありがとうございます」

ミョウジはココアを受け取り、かしゅっとプルタブを引いて口をつける。「甘いですね」とあまりに当たり前のことを言うから「甘いね」と僕も馬鹿みたいに当たり前のことを返した。

「書類整理?」
「はい。明後日締め切りのものがいくつかあるので」

ちらりとデスクの上に視線をやると、ノートパソコンに事前調査のフォーマットが開かれていて、そこに北関東の案件が途中まで記入されているようだった。仕事熱心なことだ。

「ふぅん、真面目だねぇ」

許可も得ずにカチカチとマウスを操作して内容を流し見する。内容は一級呪物の記録。現在死人こそ出ていないが、状況が芳しくなく、被害状況を鑑みて回収輸送に一級術師の派遣が必要になるらしい。ついでにその一級術師は七海の予定。
最後まで画面をスクロールして、僕は担当者の欄を何となしに確認する。ちょっと待って、これ担当者のところミョウジの名前じゃないじゃん。

「ミョウジ、これ自分の仕事じゃないの?」
「え、はい。元は後輩のだったんですけど、別の仕事で立て込んでいるので私が代わりに…」

それが何か?と言わんばかりの態度でミョウジが言った。
立て込んでるっつったってミョウジだって随分夜遅くまで高専に残って書類仕事してるくせに。

「それ、もうすぐ終わる?」
「そうですね、あと15分くらいで終わると思います」

ふぅん。と相槌を返し、僕はそのまま頬杖をついてミョウジの作業を眺めた。無駄な動きのないなめらかなタイピングで資料につらつら文字がつづられていく。
細くて白い指があんまりにも休みなく動くものだから、そこだけ別の意志を持って動いているようにさえ見えた。

「あの…何か…?」
「いや別に。気にしないで仕事続けてよ」

今までの経験上、待ってるなんて言ったら間違いなく「申し訳ないです」とか言って僕を帰らせようとするに決まっている。
不思議そうな顔をするミョウジを笑顔で無視して、僕はココアの缶を傾ける。底のほうに粉っぽいのが固まってる。
ものの15分でミョウジは作業を終えたようで、パソコンの電源を落として資料をトントンとまとめ始めた。

「送るよ」
「術師の方の手を煩わせるわけにはいきません。それに私、自転車通勤なので」

え、自転車通勤の補助監督なんているんだ?と驚いていたら、ミョウジはてきぱきと荷物をリュックにしまっていく。

「女の子ひとりで危ないでしょ?」
「いえ、このくらいの時間は日常茶飯事ですから」
「僕がひとりで帰らせたくないって言ってんの」
「ははは、お気遣いありがとうございます」

事も無げに言ってみせて、僕は思わず溜息をついた。はぁ、なんで伝わんないかなぁ。
荷物をまとめたリュックを持ち上げる手を止め、そのままくるりと手首を掴む。びっくりしてこちらを見上げるのもお構いなしで、そのままトン、と壁際にミョウジを追い詰める。

「あのさぁ、これでもまだ僕に口説かれてるってわかんない?」

状況が理解できていないのか、ミョウジは目を見開いて、今度はうろうろと視線を泳がせた。
「え」とか「あ」とか、言葉に満たない声だけがぽろぽろと漏れている。

「ねぇ、ミョウジ」
「だ、だってまさか…その、五条さんみたいなひとが…」
「僕みたいなのが?」
「…私のことそういうふうに思ってるなんて…想像も…してません、でした」

どんどんミョウジの顔が赤くなっていくのが見えて、僕は空いた左手でミョウジの顎を軽くつかまえると、強制的にじっと目を合わせる。潤んだ瞳が蛍光灯の光で一層つやつやとして見えた。
僕はそのまま顔を近づけて、反射的にミョウジが目を閉じたのを確認してから額にちゅっとキスをした。

「どう?意識してくれる?」
「し…します…」

ミョウジは真っ赤になった顔を俯かせて、僕はしめしめと笑みを深める。
今はまだ返事は聞かないよ。だけど絶対、僕のこと好きだって言わせてみせるからね。

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