それを愛と呼ぶ
可愛い可愛い恋人は、自分の限界を知らない。というか正確に言うと、自分の限界が来てもなんとかやりくりしてやり過ごそうとするきらいがある。恋人であるナマエは京都高専の出身だから学生時代に交流はなかったのだけれど、同じ時期に在席していた庵によれば背負いこんで無茶をして倒れたなんてこともあったらしい。

「伊地知ィ、ナマエの今日のスケジュールは?」
「え、なんですか急に…」
「いいから」

移動中、手足の長い五条には少々手狭な車内でだらりと寛ぎながら運転席の伊地知に尋ねる。ナマエには5日ほど会っていない。倦怠期とかそういうことではなくて、一緒に暮らしていても家に帰る時間が取れないからだ。

「えぇと……ミョウジさんでしたら今日は学生との任務の同行、のちに来週の任務の現地との調整のための関係者との面会…合間に内勤事務をするでしょうし…夕方からは隣県の任務の同行ですね」
「それ、連続一週間くらいやってない?」
「……10日目です」

詰まり切った業務状況は自分の読みより数日長く継続しているらしい。5日前に顔を見たときも少し疲れ気味に見えていたけれど、そこからさらに5日追加となればもう彼女の限界はかなり近いだろう。

「伊地知、明後日のミョウジの仕事調整できいない?」
「え?」
「多分そろそろヤバいから、当欠させるよりマシでしょ」

五条が細かな説明を省きながらそう言えば、伊地知も心得たもので「そうですね」とどうやら明後日に組まれてるだろうナマエの仕事を他で捌く調整をあれこれと考え始めているようだ。人員不足は常だけれど、彼女は仕事をし過ぎなのだ。回そうと思えば他に回せる仕事だってあるだろう。

「それにしても…さすがですね」
「何が?」
「いえ、ミョウジさんってあんまり顔に出ないタイプですから、一緒に仕事してても正直頼り過ぎになってしまっているというか…」

ごにょごにょと伊地知が言葉尻を濁す。言いたいことはわかる。ナマエは仕事が早いし、あれこれと頼みごとを受けやすい性質がある。だから頼られた分まで抱え込んで、気が付くとキャパオーバーをしてしまうまで背負いこむ。しかも顔に疲れを出さないタイプだから、負の連鎖が止まらないということがよくあるのだ。

「ナマエってば結構お転婆だからねぇ」

五条はアームレストに肘を置いて、手のひらに顎を預けて窓の外を眺める。今日ものん気に世界は晴れ晴れとしている。こんな日にはナマエとのんびり日向ぼっこでもしたいものだけれども、それを許してくれないのが自分たちの業界の悲しいところだ。

「五条さん、どういうところでミョウジさんの体調見てるんですか?」
「えぇぇ…感覚ぅ?」

伊地知が難しいことを聞いてきた。どこだと言うのは難解だ。五条はうーん、と考えてみたけれど、言語化できるほどの要素は揃わなかった。

「ま、愛のチカラってやつ?」

五条がへらりと笑った。愛のチカラと言ってはみせたが、実のところ観察と集計の結果といったところだろうか。まぁそれを発揮できるということを、愛と呼べば愛なのかもしれないけれど。


翌々日、伊地知に調整させて自分のスケジュールもオフにさせた五条は自宅でいつもよりのんびりと目を覚ました。気持ちのいい朝だ。仕事がないって素晴らしい。ふわぁ、とあくび交じりに伸びをしながらリビングに向かうと、ナマエが身支度を整えようとのろのろと動いているのが目に入る。動作はいつもより緩慢だ。

「ナマエ、おはよ。今日オフでしょ?」
「悟、おはよう。ちょっとね、事務処理しに出ようかと思って…」

この期に及んで彼女は仕事をするというのか。まったく呆れた頑張り屋さんである。さて、ここで強く言ってもナマエの性格からして単純に諭しただけでは話を聞いてくれないだろう。どこからどう攻めて丸めこんでやろうか。

「フラッフラじゃん。高専で倒れたらどーすんの?」
「…だいじょうぶ…まだこないだの報告書上げられてないし……」

体調不良があまり顔に出ないタイプのナマエなのに、さすがに顔に出始めている。らしくはないが、自己管理も仕事のうちだと𠮟ってやるか。頑張るのは大事だけれど、それと同じくらい休むのだって大事なことだ。ナマエはそこがあまりわかっていない。早く弱音を吐いてしまえばいいのに、と若干イラつきながらナマエを見ていると、大した段差があるわけでもない場所でこつんと躓いた。手を広げて受け止め、転ぶのを阻止してやる。

「…ちょっともう、むり、かも…」
「良く言えました」

自分の腕の中でやっと弱音を吐いたナマエにニンマリと笑みを深める。そのままひょいっと軽い身体を持ち上げると、さっき出てきたばかりの寝室に直行してナマエを優しく横たえる。少し赤くなっている頬に手を当てれば、多少熱が高くなっているように思えた。

「ちょっと待ってて、体温計持ってくる」
「だ、大丈夫だよ、熱はない…と思う…」
「はいはいもう病人は観念しなって」

まで抵抗しようとするナマエを軽くあしらってリビングに足を運んで、体温計を手に寝室に戻る。体温計を手渡せば、彼女は少しバツが悪そうにそれを脇にきゅっと挟んだ。ほどなくして鳴るピピピッという電子音が計測終了を告げて、不正は出来ないぞとばかりに手を出すと大人しくそれを差し出した。

「微熱だね」

表示されている体温は高熱というわけではないけれど、休日出勤をして事務作業をするにはよろしくない体温だ。それに、経験則から言ってこのあと多少熱は上がるだろう。働き過ぎなのだ、彼女は。

「朝ごはん食べた?」
「…まだ」
「じゃあ作ってくるからちょっと待てって」

ポンポンと頭を撫でてから今度はキッチンに向かう。微熱ではあるけれども、消化のいいものを作って少しでも負担を減らすべきだろう。これでも寮生活のときにそれなりに自炊はしていた方で、慣れないというほどじゃない。
生姜の皮をむいてすりおろし、にんにくは薄切りに。鶏モモ肉は一口大にカットする。鍋に切った食材を水と入れて中火にかけ、沸騰したら丁寧にアクを取る。冷凍庫に保管している白飯を解凍してそれに加えて、鶏がらスープの素を小さじ一杯。
鶏もも肉に火が通って米が柔らかくなったら塩と胡椒で味を整えて、火を止める。喉を痛めている病人というわけではないから、米は触感が残っているくらいがいいだろう。

「うーん、ちょっと薄味すぎるかな」

気持ち塩を足すと、皿に盛りつけてごま油を回しかけ、と小ねぎをてっぺんにちょこんと飾ってやる。簡単サムゲタン風粥の完成である。トレイに食器と木のスプーンを乗せ、ついでに温かいほうじ茶を用意して寝室に戻る。観念したナマエは大人しいもので、五条が寝室を出たときと同じ体勢で横になっていた。

「ナマエ、お待たせ。お粥作ってきたよ」
「ん……悟、ありがと」

ベッドサイドに置いてある小さなテーブルにトレイを置いて、起き上がろうとするナマエの身体を支えた。やはり体温はいつもより高いように感じるし、なんならさっきより少し上がっているのではないかと思う。
ナマエがスプーンを取るより早く五条がスプーンを掻っ攫い、粥を少しだけ掬い上げ、火傷をしないようにふぅふぅと息を吹きかけてからナマエの顔の前に差し出した。

「はい、あーん」
「えっ…!」
「ほら、こぼれちゃうよ」

こぼれるほどの量は掬っていないのだけれど、ナマエを急かすためにそう言えば、ナマエはうろうろ視線を彷徨わせてから「あ」と小さな口を開ける。その中にスプーンを差し入れて、閉じるのを待ってからゆっくりと引き抜く。

「美味しい。サムゲタンみたい」
「でしょ?サムゲタン風お粥悟スペシャルだよ」
「ふふ、悟スペシャルなんだ?」

五条がお道化ると、ナマエがくすくす笑った。少し綻んだ様子に五条も口元を緩める。生姜を使っているから身体も温まるだろうし、消化にもいいから胃腸に負担も少ないだろう。弱っているナマエの世話をするのも楽しいけれど、そもそもとしてやはり元気でいてくれる方が自分も心地がいい。

「悟って結構料理上手だよね」
「ま、僕ってばなんでも出来ちゃうから」
「フフ…またそんなこと言って…」

概ね嘘ではないのだけれど、人に気を遣うとか、尊重するとかそういうのは苦手だ。そういうのはナマエの得意分野である。五条にも出来ないことはないが、やりたいと思えるのはごく限られた人間にだけだ。例えばそう、ナマエとか。

「はい、もうひとくち」
「もぉ…自分で食べられないほどしんどくないのに…」
「いいじゃん。お世話させて?」

わざと身体を屈めて少し上目遣いで見てやれば、こういうお願い事に弱いナマエはそれ以上の抵抗は見せずに大人しく口を開けた。先ほどの繰り返しで適温に冷ました粥をナマエに食べさせる。熱っぽい喉が嚥下のためにささやかに動いた。とろんと少し力の入っていない目元もどこか色っぽく感じられて、思わずジッと見つめてしまう。
器の中身がすべてなくなったところでスプーンとトレイをテーブルに戻し、ナマエに向かってそっと身体を寄せた。キスをしてやろうと顔を近づけると、ナマエの手のひらがすかさず五条の口を塞いだ。

「んっ…悟、にんにく入り食べたばっかだから…」
「気にしないの。僕だってさっき味見したし」

自分の口を塞ぐ彼女の手を取り去って、遠慮なしに唇をくっつける。同じ味がするのが面白い。ぺろっと唇を舐め上げて「サムゲタン味だね」と揶揄ってやると、小さい手で五条の胸をどんっと叩いて「もうっ!」と抗議をした。

「さて、じゃあしばらく寝てよっか」
「片づけ私がやるよ。微熱だし、寝るほどじゃ…」
「だーめ」

最後まで言葉を言わせずに遮る。何のために伊地知に前もって根回しをして今日ナマエを休みにしたと思ってるんだ。ナマエがつんっと唇を尖らせた。

「ナマエってさぁ、ほんっと一人で無茶し過ぎだよね。最終的に倒れちゃったら元も子もないでしょ」
「うっ……それを言われると耳が痛い……」

拗ねたような顔から申し訳なさそうな顔に変わった。「ナマエひとりで頑張ればいいってもんじゃないのに」と言ってやれば、ナマエは言葉を探して視線を泳がせた。少し待っていれば、ナマエが探し出した言葉をどうにか口にする。

「でもその…みんないっぱいいっぱいでやってるでしょ?だから私なんかで役に立てるなら何でもやりたいって…思ってて…」

志は相変わらず結構である。実際ナマエがこうして体調を崩すなんてことは珍しくて、彼女の理想の通り周囲を補うためによくやっていると思う。それは立派なことだけども、自分をダメにするやり方は決して良いとは言えない。

「たまには甘えなよ。いつもとは言わないからさ」

腕の中にナマエを抱えながら、こつんと額を突き合わせる。するとナマエは「ごめんね、迷惑かけちゃって」と少しだけ泣きそうな目をして眉を下げた。弱った顔を見せるナマエにたまらなくなって、顔を離してから少し赤くなっている頬をつんとつねってやる。

「ナマエが甘えてくれるのが嬉しいんだよ、僕は」

さて、今日は働き者の恋人を独占することが出来る。まぁもちろん無茶なことは出来ないのだけれど、どうやって可愛がってやろうかと思うだけでわくわくした。

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