くびったけ
同棲中の恋人、杢太郎さんはジェントルマン。一言で表現するなら多分それが一番相応しくって、年の差のせいもあって、余裕のある年上の杢太郎さんとお子様な私、という構図が染みついてしまっていると思う。まあ、年齢差は覆らないことだし、私がお子様なのは否定しないけれど。

「ナマエちゃん、来週だっけ。友だちのパーティー」
「はい。土曜の夜です」

友だちが結婚して、式は身内だけで済ませて、友人たちとはちょっとしたパーティーをしようと、まあよくある今どきの展開になったらしい。友だちである新婦側の友人が十数人、新郎側もほぼ同じくらい。それだけの人数がいると新婦とはあまり話せないかもしれないが、せっかくの友だちのドレス姿は拝んでおきたい。

「いやぁ、やっぱり若いよなぁ。俺の周りなんてもう既婚者か独身貴族で結婚式云々なんて話聞かないからさ」

杢太郎さんが少し懐かしそうに言う。私はこれが少し嫌い。まるで私と杢太郎さんの間に分かり合えない高い壁があると突き放されているような気分になる。もっとも、本質的に他人と分かり合えるなんてことはないはずで、だから間違ってはいないのだろうけれど。

「楽しんでおいで」

そうやって余裕たっぷりで笑うのが、ちょっとだけ憎らしい。わざわざ作ってくれなくたって、聳え立つ高い壁はいつもそこにある。


来たるパーティーの日、私は一応いつもよりも化粧をしっかりめに施し、親戚の結婚式に来ていった余所行きのワンピースに身を包んで家を出た。杢太郎さんからは「今日は一段ときれいだなぁ」なんて言われて送り出された。なんか、たとえば」ナンパされるなよとか」そういうこと言ってくれてもいいじゃん。なんて思うのは流石にドラマの見すぎだろうか。

「ナマエ久しぶり!」
「みーちゃん久しぶり」

会場であるレストランはメンツ的にもちょっとした同窓会状態だった。立食形式になっていて、新婦の高校時代の友人、大学時代の友人とそれぞれグループになっている。新郎側も然り。新郎は新婦の趣味の繋がりで出会ったらしく、新郎側の参加者は見事に誰も知らない。

「新郎側、結構独身の人多くない?」
「えっ、そんなとこ気にして見てなかった。確かに指環してないひと多いかも…」
「よし、今日は気合入れていきます」

みーちゃんが胸元でぎゅっとこぶしを握る。気合とははて、と考えて、すぐにこのパーティーを出会いのきっかけにしようということだと気がついた。確かに共通の知人の紹介で…なんて枕詞がつくような出会いは結婚式とか披露宴とかっていうのもなくはない。

「ナマエは?出会いとか要らない感じ?」
「あー、うん。私は同棲してる彼氏いるから…」
「えっ、そうなん?教えといてよぉ!結構長いの?」
「うーんと、付き合って二年で同棲半年くらい」

自分でそう数えながら、頭に浮かんだのは「結婚」という二文字だった。披露パーティーみたいなところで話しているんだから意識してしまって当然だろう。若すぎる頃ならまだしも、私は結構いい歳で、杢太郎さんはもっといい歳。適齢期なんて古臭い言葉を使うのならば私はまさにそれで、杢太郎さんはもうそれを過ぎていると言っても過言ではない。
ここでみーちゃんに「結婚とかするの?」って聞かれたらどうしようって思ったけど、幸いにもそれは尋ねられることなくパーティーのちょっとした催し物が進行していった。


友達のドレス姿はめちゃくちゃ綺麗だった。今までは興味がないと言っていたけれど、全く憧れがないと言えば嘘になるだろう。パーティーはそのまま二次会の居酒屋に流れ、だんだんとお祝いもそこそこの飲み会の様相を呈してくる。みーちゃんは新郎の友人の一人と無事話が盛り上がっているように見えた。

「あれ、メッセージ?」

スマホが震え、メッセージの受信が通知される。差出人は杢太郎さんだった。今日は遅くなるって言ってあったはずだけど、何かあったのかな。開くとそこにはパーティーの二次会が何時ごろに終わるのかというお尋ねの内容が届いている。
居酒屋の中をキョロキョロと見回して様子をうかがっていると、新郎側の参加者の一人と目が合った。逸らすのも失礼かと会釈だけを返す。
多分あと一時間くらいで終わりそうです。そう予想をつけて返信をするとすぐに既読が付いた。ついでにお店の場所も送っておこう。心配かけたくないし。

「あの、飲み物足りてますか?」
「はい?」

不意に隣から声をかけられ、はっと顔を上げる。さっき目が合った男のひとが飲み物が足りているかを尋ねてくれたらしい。自分のグラスを見ると残り少しというところで、まぁあと一杯くらい飲んでもいいかという気持ちになる。

「えーっと、じゃあ何か頼みます」
「俺一緒に頼んでおきますよ」
「すみません。えっとじゃあ…ハイボールで」

気を利かせて貰って注文を店員さんに通してもらう。彼は新郎の大学時代の友人でホリウチさんというらしい。元々いた席に戻るというわけでもなく、何となく隣で飲む流れになった。ホリウチさんは営業というだけあって中々話が上手い。初対面でもこのくらい話せるようになればいいんだろうけど、私にそれは難しい。

「へぇ。ホリウチさんお酒詳しいんですね」
「詳しいってほどじゃないんですけど。なんだかんだで集めちゃって部屋にボトルが沢山並んでるんです」

男のひとは結構コレクター気質な人が多いと聞くが、確かに杢太郎さんもお酒のボトルとか腕時計とかコレクションしてる。あのコレクション達が杢太郎さんのベッドの目の前に鎮座しているせいで、一緒に寝ているとなんだか視線を感じるような気がしてならない。

「ナマエさんは何か気に入って集めてるものとかありますか?」
「気に入って……うーん。集めると言うほどの趣味はないかもです」

趣味全般は杢太郎さんの担当みたいなところがある。杢太郎さんは多趣味で、それこそお酒とか時計とかのコレクションから始まり釣りにゴルフにそれからスキューバダイビングもやってる。最近は仲の良い部下の有古さんに教えてもらってキャンプまで手を付け始めた。強いて言えば私の趣味はそれらを楽しむ杢太郎さんに付き合うことで、語れるほどの自分の趣味は持っていない。

「今度良かったらウイスキーの美味いバー紹介します」
「あはは、ありがとうございます」

教えてもらっても杢太郎さんのほうが先に知ってそうだなぁ。そんなことを思いながら水滴をまとったグラスを傾けてハイボールを流し込んだ。


宴もたけなわというところで新郎によるシメの挨拶が行われる。そう言えば今日全然新郎新婦と話せてなかった。今度改めてお祝い言っておこう。みーちゃんはというと随分出来上がっているようで、隣にいる別の女友だちに肩を支えられている。あの様子じゃ良い感じだった新郎側の参加者とは良い感じになれなかったのかもしれない。

「三次会行くひとー!!」
「はーい!!」

新郎側の友人の中でも陽キャっぽい人がそう音頭を取り、陽キャの仲間たちが一斉に手をあげて三次会への参加を表明する。様子をうかがっていたら新婦のほうはもう帰るようだ。それなら私もここでお暇しよう。ぬるっと抜けようとしていたら背後から呼び止められた。ホリウチさんだ。

「ミョウジさん、三次会行きますか?」
「えーっと、私は遠慮しておこうかと…」
「なんだ、そうなんですね…」

しゅん、と耳の垂れ下がった子犬の幻覚が見える。惜しんでくれるのは有り難いが、結構ホリウチさんといろいろ喋ったし、もうこれ以上話題もない気がする。それに杢太郎さんにもあと一時間くらいで終わるって連絡してるし。

「今日はありがとうございました」
「あの、よかったら連絡先とか──」

常套句とともに踵を返そうとしたときそう呼び止められて、続いて別の方向から声がかけられた。

「ナマエちゃん」

はっと声のほうを見上げる。チャコールグレーのステンカラーコートに身を包み、チェック柄がトレンドマークのブランドのマフラーを巻いた杢太郎さんがそこに立っていた。

「杢太郎さん?」
「たまたま近く通ったからさ」

たまたまって、今日なんか用事あるって言ってたっけ。そんなことを考えているうちに距離を詰められ、杢太郎さんの大きな手が自然に私の肩に回される。ぎゅっとしてくれる感覚は気持ちいいけど、いまは目の前に初対面の人だっているのに。そんな私を置き去りに杢太郎さんがホリウチさんににっこりと笑いかける。

「うちのがお世話になったみたいで、ありがとうございました」
「あ、いえ、全然……」
「じゃあナマエちゃん、帰ろうか」

杢太郎さんがあっけにとられるホリウチさんを残したままそう言って身を翻そうとするものだから、私も慌てて会釈をしてその歩調に合わせた。繁華街の喧騒が少しずつ遠くなっていく。そう言えば友達には挨拶し忘れたけど、まぁどうせみんなほとんど酔っぱらっていたし後からメッセージだけ入れておけば問題ないだろう。それにしても。

「杢太郎さん、この辺になにか用事あったんですか?」
「あー、いやその………休日出勤」
「こんな遅い時間に?」

もうあからさまに言い訳めていて、休日出勤の類いでないことは一目瞭然だった。じっと杢太郎さんを見上げる。杢太郎さんは視線を逸らしっぱなしで全然私のほうを見てくれない。胸元をぎゅっと握って「こっちを向いて」とアピールすると、渋々と言った様子でやっと私のほうを見てくれた。

「……ナマエちゃんが心配でさ」
「心配?」

時間を確認したけれど、遅いと言っても残業をすればこんな時間にもなるだろうというくらいの時間だ。子供じゃあるまいし流石に出歩くのを心配されるような時間じゃない。そのままじいっと見つめ続けると、杢太郎さんが「降参だ」と言って私の肩に回していないほうの手をパッと上げた

「ナマエちゃんがいつもより綺麗な恰好してるから、変な虫つかないか心配だったんだよ」
「変な虫ってそんな……」
「いや、ナマエちゃんの友だちの友だちを信用してないとかそう言うんじゃないんだけどその…」

杢太郎さんはもごもごもごとすごく歯切れの悪いままで、もういつものジェントルマンな様子は少しもない。それが少し可愛くて、それからそうやって嫉妬してくれたことが嬉しくて、私は自分の頬がにやにやにやとにやけていくのを感じる。

「へんなことは全然なかったですよ?最初からそれが心配って言ってくれればいいのに」
「だってほら、いい歳したおじさんが余裕ないとか…かっこ悪いだろ?」

杢太郎さんがそう言ってぽりぽりと頬を掻く。私はたまらなくなってぎゅっと腰に抱き着いた。

「全然かっこ悪くないです。むしろ可愛くて最高」
「好きな子には可愛いっていうよりかっこいいって思われたいんだけどなぁ」

かっこいいも可愛いも、ぜんぶぜんぶ私が独り占めしたい。ごく胸元の近くから杢太郎さんを見上げると、ちょこっとだけ耳が赤くなっているような気がした。これは寒いからかな。それだけじゃないと良いな。どうせ私だって赤くなって締まりのない顔をしているに決まっているんだ。

「杢太郎さん、だーいすき」

ぴっとりくっついてしまえるのは年下の特権かも知れない。なんだかいまなら聳え立つ高い壁だって拳ひとつで打ち砕いてしまって、杢太郎さんのそばに並べる気がする。

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