おとぎ話も顔負けの
きっと好きなのは私だけ。と、ナマエがそう思ったのはなにも初めての事ではなかった。もとからナマエの方が好きで、二番目でもいいからなんて困らせることまで言って押し切ったに近いような馴れ初めだった。

「……バチが当たったんだ」

ナマエは呪霊の攻撃を受けた直後、突如巨大化した周囲を眺め、これでもかと言うほど大きなため息をついた。ナマエから見れば自分以外の風景がすべて巨大化しているようなものなのだけれど、実際のところはナマエの方が小さくなっているだろうことは明白だ。不幸中の幸いは、呪霊そのものはなんとか祓えたという点だろうか。

「んっ!っしょっ、と……もう…重っ!」

ナマエの現在のサイズは手のひらくらいの大きさだ。衣服の類は引っかかっているはずもなく、布の海から何とか這い出てハンカチで即席のワンピースを作る。そのあとポケットからスマホを引きずりだして、もはや全身を使ったダンスゲームかのような動きで操作をした。

「えっ、と……補助監督、にっ…と」

帳の外に待機しているだろう補助監督に迎えに来てくれるように頼み、なんとか高専に帰還すると、その足で家入の医務室に運び込まれた。

「…面白いことになってるな」
「しょーこちゃん、助けてぇ…」
「反転でも治らん。自分でわかってるだろ、呪霊の影響だって」
「そうなんだけどぉ…」

体調におかしなところはない。元の戻りたければ呪いを解くほかないだろうということはナマエ自身が一番よくわかっている。家入がその場で五条を呼んで、するとそんな面白いことを見逃してなるものかとすっ飛んでやってきた。

「あはははは!見事に小人じゃん!」
「小人っていうかもはや人形サイズでしょこれ」

腹を抱えて笑う五条をじとりと見つめる。べつに笑いものにされるために五条を呼んだわけではない。六眼でかけられた呪いを精密に分析してもらって、その解呪方法を探ろうという腹だった。

「もー、さっさと見てよ。こんなの不便でしかたないもん」
「はーぁー、笑った笑った。で、解呪方法ね」

五条がアイマスクをぐいっと上げ、日本人離れした青い瞳を晒しながらナマエを観察する。彼のこの目には精密に呪力を見ることが出来る能力が備わっている。ふむふむ、ハイハイ。などと要るか要らないかわからないような相槌を打ちながら、一分ほどでその瞳を仕舞った。

「これ、解呪楽勝だね」
「うそ!どうすればいいの!?」
「傑からキスしてもらえばモーマンタイ」

ぶい、と人差し指と中指を立てて、そののん気な姿とは対照的にナマエの脳内でガラガラガラとブロック塀でも壊れるような映像が再生される。そんなことはつゆ知らず、五条は「正確に言うと愛する相手からの口づけ。真実の愛ってやつ」と付け加えて、家入がそれに「御伽噺か」と突っ込みを入れた。

「むり、絶対無理」

絶望だ。そんなふざけた解呪方法が本当だとして、それなら絶対に解けない。優しい彼のことだから事情を話せばキスのひとつや二つくらいしてくれるだろう。しかしその正確な意味をなぞるのなら解呪は成立しない。

「ね、ねぇ五条…傑ってしばらく出張だよね…?」
「んぁ?変更ないと思うけど。ていうか、傑のスケジュールなんかナマエのほうがよっぽど聞いてるでしょ」

普通に考えればそうだろう。事実夏油は出張などが入る時にはいつもナマエに連絡をする。それは理解しているけれどなんだか事務的なものを感じて、結局学生時代からずっと、五条のほうがよっぽど近しい存在だろうと思える。

「あの、傑にはこのこと言わないで」
「はぁ?」

家入と五条が声を合わせてそう言い、それから二人で顔を見合わせる。とりあえず今日のところはナマエを家入が引き受けることになり、夜蛾への報告だけを済ませて彼女のマンションに身を寄せた。

「別にここに住むのはいいけどさ、いつまでも夏油に隠すっていうのは無理があると思うけど」

家入の部屋でリングピローをクッション代わりに抱えていると、彼女が頬杖をついてワイングラス片手にナマエを見下ろす。黙っていると言ったって、一週間後には帰ってくる。付き合い始めてからの連絡は出張だ何だという業務的なものが圧倒的に多く、連絡をしなくたって疑われることはないだろうが、流石に戻ってから姿かたちもないというのは不審がられるに決まっている。ナマエは気だるげな視線を向ける家入に「考えがあるんだけど」と切り出した。

「…私の呪い、解けないと思う。だからその……除籍してもらおうかと、思ってて……」
「はぁ?」
「呪いが解けないんじゃ任務は続けられないし…こんな大きさじゃ補助監督の仕事も出来ないだろうし」

呪術高専はべつに極道ではないのだ。本人が望めば高専の所属を離れることも、一般社会に戻ることも出来る。等級の高い呪術師は引き止められもするだろうけれど、二級術師の、しかも呪いで小さくなってしまったナマエであれば引き止められることもないだろう。幸い今までの貯蓄があるし、事情を受け入れてくれそうな呪術界の友人のところに身を寄せるのも悪くない。それなら、ずっとずっと自分のもとに縛っていた彼を解放することが出来る。

「ずっと、ずっと傑に無理させてたんだ…」
「無理って?」
「だって私が無理やり言い寄って付き合ってもらってるって感じだもん。傑は優しいんだよ、だから断り切れなくなったんだと思う」

涼しい目元や、紳士なところ。それから努力家で自信家なところ。そして意外と子供っぽいところ。夏油の好きなところは溢れるほど思いつく。けれど彼が自分の好きなところなんて思い浮かべてくれるかどうか分からなかったし、彼の優しさを持ってすれば押しに押されて交際を受け入れたなんてことも充分考えられることだと思った。

「真実の愛が呪いを解くんでしょ。でも傑にキスして貰って、それで呪いが解けなかったら?……私は、それを知るのが…怖い」

解呪のキーが「真実の愛」ならば、彼との間にそれが成立しているかどうかが可視化されてしまう。そんな分かり切ったことを思い知らされたくない。


出張からやっと戻ったら、恋人が高専を除籍していた、なんて、一体誰が想像できようか。夏油は学長室に呼び出され、告げられた顛末に言葉を失った。恋人であるナマエは任務で呪霊から呪いを受け、呪術師の継続が困難だと判断され、そして本人の希望もあって呪術高専を去ったというのだ。

「くそ……電話も出ない…既読にもならないって……」

こんな仕事なのだから任務で呪いを受けてしまうことはまだ分かる。その内容によっては呪術師を続けられなくなることも。だが自分に一切の連絡もなく、しかもそのまま行方さえ知れないとはどういうことか。絶対何か裏がある。そう確信するまでは早かった。

「硝子、ちょっといいかな?」
「なんだなんだ、随分おっかない顔をしてるな」

まず足を運んだのは医務室だ。家入は医務室のデスクチェアに腰かけ、ずずずっとコーヒーを啜る。同期がひとり高専を去ったというにも関わらずこの落ち着きぶりで、これは益々疑惑の色が濃くなっていく。

「ナマエが何で高専辞めたのか……知ってるんだろ?」
「お前も学長から聞いたんじゃないのか?呪いを受けて任務継続困難な状況に陥ったから辞めたんだよ」
「そんなの、普通なら解呪方法を探すだろ?それに私が出張に出ていた一週間でそこまで決まるなんて尋常じゃない」
「仕方ないだろ。それでも事実だ」
「硝子、私に隠し事してないかい」

舌戦に空気が張り詰める。家入が夏油にジッと視線をやって、夏油もそれを逸らすことなく返す。コーヒーをもう一度啜ってから家入は「根拠は?」と尋ね、夏油の中を何よりもモヤモヤと曇らせていた言葉が真っ先にこぼれ落ちる。

「……恋人の私に相談もなしで辞めて行方をくらませるなんて…そんなの絶対におかしいだろ」

思っていたよりも情けない声になってしまった。べつに高専が嫌なら辞めるんだっていい。呪術師を辞めて一般社会で働きたいと言うならそれも応援する。なのにどうして、どうして解呪も何もかも諦めて、逃げるみたいに行方をくらませてしまったのか。

「……解呪する方法はある。が、ナマエはそれを無理だと言っていた」
「何故」
「おとぎ話のお姫様にはなれないんだとさ」

含みのある家入の口ぶりに目を細める。珍しく回りくどい言い方だ。これは高専、あるいはナマエ本人から口止めでもされているんじゃないか。家入は夏油の相槌を待つことなく「これは余談だが」と言葉をつけ加える。

「私は反転術式を遣えても呪力を精密に見れるわけじゃない。が、精密に呪力を見れる人間にとっては、解呪方法は簡単にわかるだろうな」
「それって……」

それ以上は口を噤む。なるほど、五条もグルなのだ。何が起こってどういう意図でこんなことになっているのかはまだわからないけれど、五条に聞けば解呪方法がわかる。そうすればナマエがどうして高専を辞めたのかもわかるかもしれない。

「ありがとう、硝子」

ひらり、手をあげるだけで応える家入に背を向け、五条のもとへ急いだ。平素全国津々浦々を回らされている彼だけれども、幸い今日は上層部との会合やら何やらで高専にいるはずだ。恐らく普段彼が私室のように使っている空き部屋にいるに違いない。全力疾走もいいところで目的の部屋まで辿り着くと、ノックもせずに引き戸をスパンと勢いよく開ける。

「あ、傑じゃん。お疲れサマンサー」
「悟、単刀直入に聞くけど、ナマエがどこにいるか知ってるかい?」

挨拶も何もかもすっ飛ばしてそう尋ねても、五条は少しも驚く様子を見せない。想定の範囲内ということだろう。彼相手に遠慮してやる理由もなく、優雅に腰かけるバルセロナチェアまでずんずんと歩み寄ると、その背凭れにだんっと手をついて五条をねめつける。もちろんこんなことで怯む男ではないが。

「おお怖い。サトルくんビックリ」
「悟…無駄な会話をしたくないんだよ、わかるだろ?」
「はは、何のこと?」

どうせ珍しく余裕のない夏油を見て楽しんでいるに決まっているが、普段なら受け流せるようなことも今日はどうにも流してやれそうにない。夏油が低く「悟」と名前を呼べば、わざとらしく肩をすくめてまた「こわぁい」と嘯いて見せる。ぴくり、目元が痙攣したのが自分でもよくわかる。

「あー言えないなー、言えないなー。ほんとはまだ正式に除籍してないけど、解呪がきっと出来ないから傑には言わないでくれってナマエに口止めされてるなんて言えないなー」
「おい悟…それどういうことだ」
「ほとぼりが冷めるまで高専の寮に匿ってもらってそのあと姿を消そうとしてるなんて言えないなー」

ああ、もうこれで全部把握した。尋常じゃないくらい早い除籍の対応とは思ったが、なんてことはない。まだ正式に受領されているわけではないのだ。問題はどうしてナマエが「解呪がきっと出来ない」と判断して「傑には言わないで」と口止めをしているのか、だ。五条がわざとらしく口笛を吹く。ナマエもよりによって五条を口止めで何とか黙らせようとは脇が甘い。

「悟、解呪方法見えてるんだろ」
「まぁね」
「で、その方法は?」
「まさか解呪方法が愛する者からの口付けなんて、おとぎ話みたいなことあるわけないじゃん!」
「どうもご丁寧に」

きっちり一から十まで話してくれた親友に感謝をしつつ、取り急ぎ本人に会って話をしなければと踵を返せば、背後から「女子寮の一番東の部屋にいるなんて言えないなー」と声が飛んでくる。まったく口止めされているていをどうにか守る姿勢だけは見せているものの、少しもそんな気がないのだから笑ってしまう。

「ていうか…解呪出来ないってなんだよ」

五条の見立てが正しければ解呪は「愛する者からの口づけをする」だけでいいのだ。あっけらかんと言ってみせたところを見るに、それに対する副作用の類はないと思われる。そんなのじゃあ自分がキスをすればいいだけなのに、どうしてこんな裏工作めいたことまでして逃げるのか。心配とか苛立ちとかが全部ないまぜになっていく。五条に言われた通りに女子寮に上がりこみ、一番東の部屋を目指す。ドアノブに手をかけたところで踏みとどまり、一度深呼吸をしてからコンコンコンとノックをする。

「ナマエ、私だ。入るよ」

普段なら「入って良いかい」と聞くところを、もうそれだけの余裕はなかった。ドアノブを回して押し入れば、しまった、とでも言うような顔をしてナマエがベッドに座っていた。それも、手のひらサイズで。

「ナマエ、それが呪い?」
「え、っと……なんでここに…」
「ごめんね、悟に口割らせた」

もっとも、割らせたというよりは自発的に話してくれたというほうが正しいが。夏油はナマエに歩み寄ると、ナマエが膝を折り曲げて三角をつくり、その間に顔を埋める。まるでガラス細工でも触るようにそっとナマエを包み込んで持ち上げると、自分の手のひらに座らせる。うつむくナマエがちらりと顔を上げた。

「呪いの解き方、悟に聞いたよ」
「……うん」
「私のキスじゃダメかい?」
「ダメっていうか……」

ナマエがもごもごと言い淀む。体そのものが小さくなってしまっているから声も小さくて、よくよく耳を澄まさなければ聞き逃してしまいそうだった。ナマエは何度か躊躇いながらも、最後には唇を噛んで開く。

「……キスしても、呪いが解けなかったらどうしようって、怖いの」
「解呪方法がもし違ったらってこと?それでも試してみなきゃ……」
「違うの。傑は……傑はその、優しいから、あんまりにも必死でアプローチしてくしてくる私を可哀想に思って付き合ってくれてるんじゃないかって…」

は?と、間抜けな短音だけが漏れ、時間差でナマエが何を言いたいのかを理解した。つまるところ、彼女は、この関係が自分からの一方的な関係でしかなく、解呪の条件の「愛する相手」という条件を満たせないのではないかと思っているということだ。夏油は思わずため息をついて、すると揺れた手のひらの上でナマエバランスを崩してしまう。それに気が付いて慌てて平衡を保つ。

「ナマエ、キスしよう。そうすれば君のその心配が全部杞憂だって証明できる」
「でも…」
「私はね、大抵の人間には親切に生きているつもりだし、どちらかと言えば優しい方だと思う。だけど、そんな優しさや同情だけで好きでもない女の子と付き合えるほど、器用じゃないよ」

もう正直ナマエの返事を待っているものもどかしくて、夏油はそっと唇を近づける。ナマエが躊躇いがちにうろうろと視線を動かし、それから彼の薄い唇に随分と小さくなってしまった自分のそれを寄せた。ぴとりと触れるのを感じる。
彼女は真実の愛が否定されてしまうのではないかと怖がっているが、それは裏を返せば真実の愛を証明できるということだ。呪霊に証明してもらういわれはないけれど、意外と頑固なナマエにわかってもらうにはいい機会かもしれない。

「好きだよ」

呪いが解けるまで、さん、に、いち。

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