エスパーかもね
毎食でもカップ麺は飽きない。調理と言えばレトルトカレーか冷凍食品をレンジでチン。いい時代になった、とナマエは3分待ったカップ麺の前でパチンと手を合わせた。

「いただきまぁーす」

醤油のいい香りがする。カップ麺というものは、お店で食べるラーメンとはまた別のジャンルの食べ物だと認識していた。どちらが優れているわけでも、劣っているわけでもない。それぞれに固有の素晴らしさがあり、それは伸ばすべき個性である。そんな講釈を頭の中で垂れながら、ナマエはちゅるんッと麺をすすった。

「はぁー、やっぱりスタンダードが一番美味い」

ナマエが二口目をくちにしたとき、ガラリと扉が開いた。出入り口には疲れた黒いスーツの眼鏡の男が立っている。彼はナマエを見つけるや否や少しほっとしたような顔をしてナマエのもとへ歩み寄ってくる。

「ミョウジさん、またカップ麺ですか?」
「んまいよぉ。人類の英知だね」
「美味しいのはわかりますけど、あまりそればっかりっていうのも良くないですよ」

はぁ、と小さくため息をつく。これは高専内でよく見られる光景だった。昼時でもないこのタイミングでカップ麺を啜っているのは、彼女に与えられた過密な任務の貴重な空き時間だからだ。

「伊地知くん、何か用だった?」
「ああ、ミョウジさんあてにお礼をいただいたので、報告をと思いまして」
「お礼?」

ちゅるん。麺を啜りきってからナマエがこてんと首を傾げた。誰かに感謝されるようなことは身に覚えがない。伊地知はどうせそんなことだろうと言わんばかりに首を傾げたことにはノーリアクションで、持参した紙袋をナマエに差し出す。

「ミョウジさんが救助した窓の方からです。わざわざお礼に来てくださいまして」
「え?あ、ああ、先月の?マジか、いやぁ、何だか悪いねー」

当然のことをしたまでだ、というのが彼女の言い分だった。ノブレス・オブリージュ。持てる者は与えよ。ナマエにとってそうすることは当然のことで、感謝されて気が悪いわけではないけれど、別に感謝されるようなことでもない。と、ナマエは思っている。

「今年でもう10件目ですね、ミョウジさんにお礼が届くの」
「なんだか悪いよね、私がやりたくてやってることなのに」

へら、と笑う。呪術師にとって、必ずしも人命救助が第一でない任務は存在する。目の前の1人を切り捨て、このあと起こるだろう多くの悲劇を阻止する、という選択を余儀なくされることもある。
そんな中、ミョウジナマエという呪術師は卒業以降、現場で遭遇した非戦闘員の命を損なったことが一度もない、というのは、ちょっとした伝説めいて語りぐさになっていた。

「ミョウジさん、もう少し自分にも頓着してくださいよ」
「してるしてる。伊地知くんに言われてから食料切らしたことないよ」
「全部レトルトですよね?」
「冷食もある」
「それはこの際レトルト扱いです」

ぴしゃり、と伊地知が言えば、ナマエは「ちぇ」と口先を尖らせた。ナマエは惜しみなく他人に与える。それゆえの反動か、あまりにも自分自身に頓着せず、伊地知が口を酸っぱくして言うまではサプリとゼリー飲料と機能性栄養補助食品を主食としていた。とんだディストピア飯である。

「これ、お菓子だ。私一個いただくから、あとは補助監督で分けてよ」
「ですけど…」
「五条くんに見つかんないようにね」

悪戯っぽくそう言って見せて、お礼の品であるゴーフレットを一枚抜き取ると箱を伊地知に差し出す。まさか五条と言えどいただきものを丸っと横取りすることはないだろうが、それでもなんとなく想像できてしまうからか、ナマエは勝手にゴーフレットを両手に抱える五条を想像して笑った。


ナマエには生活力がない。これは自他ともに認めるところである。放っておけばろくな食生活を送らないし、体調を崩しても自覚が薄いのか、あまりあれこれと養生しない。そのせいで元はマンションでひとり暮らしをしていたのを、高専の寮へ引っ越すように説き伏せられた。もちろん、こちらのほうがまだ面倒を見やすいためである。

「ナマエさんお疲れ様です」
「あ、硝子ちゃん。お疲れさまー」

ナマエが任務の空き時間にぼうっと中庭のベンチに座っていると、背後から声をかけられた。ナマエの一年後輩の家入硝子である。家入は缶コーヒーを片手に持っていて、もう片手に持っていた封の切られていないミルクティーをナマエに差し出した。「ありがとー」と間延びした返事をしながらそれを受け取る。

「このあいだの任務の医療費の申請書、もう出しました?」
「こないだの…って、あ、私が右足怪我したときのやつ?」
「そうです。発生源不明の一級呪霊の件」
「昨日出したよ、すっかり忘れててさぁ。伊地知くんが手伝ってくれたの」

さすが伊地知だなぁ。と家入が相槌を打つ。高専所属の呪術師という浮き世離れした身分とはいえ、結局鐘の出所は国である。そのため細々とした書類の類は例外なく多く、任務に関係のない書類になればなるほどナマエは提出を怠りがちである。

「ナマエさん、もうすぐなくなるって言ってた愛用のサプリは?」
「伊地知くんが先週買ってきてくれたの」
「支給の仕事着が一着駄目になったのも?」
「伊地知くんが発注してくれてた」

さすが伊地知だなぁ。家入がまた感心したように同じことを言った。ナマエは任務に関係のないこと、特に自分自身のこととなると極端に興味がわかないのか、なんでもかんでも疎かにする。ナマエの人柄もあって誰もかれも手を差し伸べようとするけれど、前述の家入との会話の通り、伊地知が先回りしているケースが非常に多い。

「伊地知が寮に住むように勧めてくれて良かったですよ。そうじゃなきゃ今頃ナマエさん野垂れ死んでるんじゃないですか?」
「あはは、否定できないよねぇ」

寮に住むように勧めたのは伊地知だった。もっとも、勧めるというより引っ張ってきたと言ったほうが正しい有り様ではあるが。ひとり暮らしの時は前述のディストピア飯状態だったが、高専で伊地知の監督のもと、辛うじてインスタント食品を口にするようになった。伊地知の世話焼きの性分もあるが、彼だって何とも思っていない人間にせっせと世話を焼き続けるわけもない。その裏側に何があるのか、うっすらとは知っていた。

「ミョウジさん」

噂をすれば影が立つとかなんとかというやつで、道の向かい側から伊地知が姿を現した。手には高専お抱えのテーラーの袋が握られている。

「ああ、王子様のお迎えだな」
「ほんとだ」

家入が少しからかうような口調でそう言ってみせて、ナマエもくすりと笑う。状況が飲み込めない伊地知だけがひとりコテンと首をかしげていた。家入はさっと立ち上がり、伊地知の肩をぽんっと叩いてひらひら手を振ると、校舎のほうへ歩いていってしまった。

「すみません、お邪魔しちゃいましたか?」
「ううん。丁度伊地知くんの話してたところ」

私の話ですか?とさらに不思議そうな顔をする。別に聞かれて困る話ではないし、むしろ日頃の感謝の念もあるから聞かせたい部類の話である。ナマエは差し出されたテーラーの袋を受け取って、缶の中のミルクティーを飲み干した。

「私のお世話いつも焼いてくれる伊地知くんは王子様みたいだねって話」
「……それって、王子じゃなくて執事とか召使じゃないですか?」
「お世話焼いてくれる王子様がいたって良いじゃない」

ふふふ、とナマエは笑う。一般論として王子様というものがお世話をするような立場でないことは百も承知だけれど、それでも伊地知のことを執事や召使だなんて思っていないのも確かだ。


惜しみなく与えよ、というのが、彼女の中の確固たる信念のひとつであった。自分には能力がある。だから自分は他人が出来ないようなことをしてやれる。それはきっと天命めいたものであり、他人のために使うべきものだ。自分のことを省みない、というところは彼女の大きな美点であり、そして最大の欠点でもあった。

「……はぁ、ナマエさん、最近無茶し過ぎですよ」
「あはは、ごめぇん」

数週間後、ナマエは高専の医務室で両腕を家入に差し出していた。皮膚全体が火傷のようになっていて、これは呪力の炎で焼かれたものである。現場の窓を庇って受けた傷跡だった。

「これ…厄介だな。傷痕残りそうですよ」
「いいよ、動けば。痕ぐらい全然」

家入の反転術式で傷そのものは治癒されたが、呪力の性質なのか傷を負ってからの経過時間のせいなのか、普段なら消せるレベルの傷痕のはずなのに、これはこのあと自然治癒をもってしても派手に傷跡が残るだろう。

「ナマエさんのそういうとこ好きですけどね、王子様の気持ちも考えてやってください」

王子様、というのは伊地知のことだろう。伊地知はナマエが怪我をするたびに医務室にすっ飛んでやってくる。任務中は流石にこの限りではないが、そんなときでも高専に帰ってきたら自分のことは何もかもそっちのけで駆け付ける。

「でもさぁ、目の前に困ってる人がいたら助けちゃうでしょ?」
「まぁそれが先輩の良いところですけど、先輩は極端すぎます」

後輩のお小言が耳に痛い。とはいえ先に体が動いてしまうのだから仕方がない。そのとき丁度家入のスマホが鳴って、彼女はナマエに断ってから通話を始める。どうやら他の現場で負傷者が出たらしい。

「ナマエさん、すみません、現場から呼び出して」
「うん、行ってきて。包帯自分で巻いとくし」
「すみません。医務室、使っててもらって構わないので」

家入はドクターズバッグを引っ掴むと、急いで医務室を出て行った。これは結構な大仕事とみえる。あとは念のための包帯を巻くだけだし、傷自体の治療は終わっているのだからこれくらいは自分で何とかできるだろう。パタパタ遠ざかる家入の足音を聞きながら、さて、デスクの上の包帯に向き直る。

「そういえば、最近自分で包帯巻いてないなぁ」

学生時代から自分のことを省みない行動もあいまって怪我は多い方だった。だから応急処置をしなければならない場面も沢山あって、学生の中でも包帯の巻き方は天下一品だった。もっとも、そんな天下一品が名誉なことであるかはわからないが。
だというのに、ここ数年は自分で包帯を巻く機会が激減していた。ナマエの怪我が減ったわけではない。巻いてくれる人がいるからだ。

「ミョウジさん!」

頭に思い浮かべた人物ががらりと医務室のドアを開ける。普段ならノックを欠かさない彼にしては珍しい。ドアのところに立っていたのは息を切らせた伊地知だった。

「あ、やっほー伊地知くん」
「また怪我したって……!」
「うん。でもまぁ平気だよ」

へらり、と彼女が笑った。これはいつものことだ。伊地知は生々しい傷痕の残るナマエの両腕を見て顔をしかめる。

「……どこが平気なんですか、こんな傷…」
「反転使ってもらったから痛くないし、誰も死ななかったし、上出来だよ」

伊地知はナマエのその言葉に無言を返し、デスクの上の包帯を手に取るとナマエの腕にくるくる器用に巻いていった。途中「緩くないですか」「痛くないですか」とわざわざ聞いてくれるけれど、彼が包帯を巻くときの力加減を熟知していることなど承知の上だし、実際その力は過不足なく最適な強さだ。

「あんまり怪我ばかりしないでください…心配します」
「ごめんごめん」
「またそうやって…」
「だけど、私が行かなきゃ窓の子が怪我してた」

そう言ってしまえば伊地知に返せる言葉があるはずもなく、この言い方は卑怯だったかな、と目の前の伊地知をそろりと見る。惜しみなく与えよ。自分に持てるもので誰かが救われるならそれで構わない。けれど少し、ほんの少しだけ、彼を悲しませてしまうことへの後ろめたさというものがあるのも事実だった。
伊地知が薄い唇を噛むようにしていて、その表情を見ていると心の奥がちくちくと痛む。この顔をさせているのは間違いなく自分だ。

「……ねー、伊地知くん。お腹すいちゃった」
「そう言うと思って、おにぎり握ってありますよ」
「さっすが伊地知くん」

でもごめんね。この性分を多分やめることは出来ない。惜しみなく与えよ。それだけはきっと死んでも変えられない性分だ。
ナマエはすっかり包帯の巻かれた両腕をそれぞれ擦って、眉を下げて笑った。何も言ってないのに伊地知はお見通しかのように「やめなくていいですけど、気を付けてくださいね」と言って、これは王子改めエスパーかもしれない、としようのないことを考えた。

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