しつげんにて
ナマエという女性に出会ったのは、この金塊争奪戦に参戦してからのことだった。永倉の弟子だという彼女は流石に強く、剣の腕だけで言えば自分よりよほど優れている。真面目なところは好ましかったし、女性特有の柔らかい雰囲気というものにはよく和まされた。
そんな彼女に対して、ひとつだけ気になることがある。

「ちょっと!尾形さん!またつまみ食いして!」
「はは、いいだろ少しくらい。減るもんじゃないし」
「減ってます!」

それはこの尾形との関係だ。彼らも別に昔からの知り合いというわけではなく、尾形が軍を脱走して土方一行に加わってからの付き合いだというが、妙に仲が良く見えた。尾形は皮肉屋なところも相俟ってどちらかというと人を寄せ付けないタチだと思うけれど、ナマエは平気な風で接していて、それがどうにもしっくり来ているように見えた。

「まったく…そんな跳ねっ返りじゃ嫁の貰い手もつかんぞ」
「その話は永倉先生に散々されてますから結構です!」

尾形に嫌味を言われてもぴしゃりとそう言い返して見せ、尾形はその反応をにやにやと見ている。好きな人ほどイジメたくなるなんて子供めいた発想だけれど、そう言われればしっくり来てしまう。つまるとこと、彼ら二人は相思相愛なのではないかと思っていた。

「杉元さん?」
「え?」

不意に声をかけられ、はっと意識が引き戻される。何を考えているんだ。今はそれどころじゃなくて、刺青の暗号をどうやって手に入れるかを考えるべきなのに。

「ごめん、ちょっとボーっとしてた」
「最近気を張っていたからかもしれないですね。ゆっくりできるところがあればいいんですけど…」
「はは、そうもいかないよな」

杉元がそう言って眉尻を下げると、ナマエも一緒になってどこか気落ちをしたような顔を見せる。わざわざ自分のことまで気遣ってくれるのか、と、彼女のひとの良さに嬉しいような、切ないような気持ちになった。


釧路湿原のなか、谷垣を捜索している時だった。アシリパと杉元の組、白石とインカラマッとチカパシの組、そして尾形とナマエの組に分かれ、湿原の中を注意深く捜索していると、出し抜けに尾形がこんなことを言った。

「だとよ」
「……何がです?」
「杉元佐一が金塊を探す理由」

どうせそのことだと思った。意地の悪いこの男にとってあの話題は格好の餌食だ。ナマエはムスッとした表情を隠すこともなく尾形を睨み付けた。

「放っておいてください。べつになんでもありませんから」
「ほう。そう言う割には随分と気が立ってるじゃねぇか」

尾形がニヤニヤと口元に笑みを浮かべる。この男の策略に乗ってなるものか、と思うも、態度にも顔にも出るのを抑えられない。杉元に好意を寄せていると気付かれてしまったのはいつだったか。全く厄介なことこの上ない。

「ほんっと尾形さんって意地が悪いったらないですね」
「なんだよ、お前が気にするかと思ってわざわざあの場で聞いてやったんだぜ?」
「余計なお世話です!」

尾形は数ヶ月前に杉元に大怪我をさせられたらしく、それも相まって驚くほど仲が悪い。その延長線上なのか、杉元に好意を寄せるナマエをなにかといじり倒してくるのがよくある光景だった。

「大体よぉ、お前杉元のどこを見て好いてるって言ってんだ。こないだ知り合ったばかりだろう」
「尾形さんには関係ありません」
「ははッ、さすがに今のは傷ついたよ。俺はお前のためを思って言ってやってるんだぜ?」

何がお前のためを思って、だ。面白がっているのが顔に出ているじゃないか。尾形の言う通り杉元と出会ってまだ間もない。それでも彼の人の良さや勇敢さなど、好意を寄せる理由なんていくらでも思いつく。もっとも、それをわざわざ尾形に説明してやる気はないけれど。
それから谷垣にかけられた嫌疑を晴らすため、真犯人と思しき刺青囚人、姉畑を捕まえなければならないという話に発展した。そこでもナマエは尾形とともに谷垣の勾留されているアイヌのコタンに残ることになり、そのあいだ要所要所で神経を逆なでするように尾形が「杉元の地元にいる未亡人」の話を持ちかけてきた。ずっと適当にあしらっていたが、尾形という男はこういうことに関して驚くほどしつこい。一行と合流できたころにはもうすっかりへとへとになってしまっていた。


姉畑騒動のあったコタンでイオマンテという儀式に参加することになった。これはアイヌの人々にとって重要な儀式のひとつであり、熊を神々の国へ送るという意味があるのだそうだ。独特の掛け声、振舞われる馳走や酒。賑やかな人々の声。
コタンの男によって潰される勢いで酒を飲み、ナマエは少しくらくらする頭のままチセの外へ出る。夜風が頬に気持ちいい。中ではほとんどの面々が眠るか酔いつぶれるかしていた。

「はぁ……絶対明日調子悪い自信ある……」

ぽつんとこぼす。そんな自信は微塵も要らない。少しでも酔いをさましてから眠らなければ絶対朝がつらくなる。これは経験則である。夏の虫がそこかしこで泣いていて、近くの森で大きく音が反響する。それに耳を傾けていると、後方のチセからざりっと地面を踏む音が聞こえた。

「ナマエさん」
「あ、杉元さん」
「よかった、姿が見えないから探したんだ」
「すみません。ちょっと酔いをさまそうと思って」

惚れた女のためってのは、その未亡人のことか?と、頭の中で数日前の尾形の言葉がよみがえった。戦争で死んだ親友の奥さんをアメリカに連れて行って目の治療を受けさせてやりたい。それが杉元の金塊を探す理由だ。そしてその未亡人が、杉元の「惚れた女」とやらなのだろう。尾形が吹っ掛けてくるせいでずっと考えてしまっていたことだけど、杉元を前にするとそれはことさら重い灰のようにナマエへしとしと降りかかる。

「杉元さんは大丈夫ですか?」
「まぁ、俺は何とかね。谷垣なんて相当気に入られたのかめちゃくちゃ飲まされてたぜ」
「ふふ、小熊ちゃんなんて言われてましたね」

疑って拘束した分の罪滅ぼしのつもりもあってか、谷垣は特に絡まれ、あれやこれやと飲ませ食わせという具合だった。谷垣も断れない性格だから、それもあいまって飲まされているという節もあるが。

「ナマエさん良かったの?」
「え?」
「いや、その、尾形についてやらなくて……」

ナマエは杉元の言葉にこてんと首をかしげる。尾形も恐らくこのまま寝こけるだろうなという様子ではあったけれど、夏だし雑魚寝でも風邪は引かないだろう。というかそもそも
ナマエは尾形が風邪になろうがなるまいが関係がない。そりゃあ、引いてほしいと思うほど性根が腐っているわけではないが。

「別にいいですよ。風邪も引かないでしょうし」
「まぁ…引かないとは思うけどさ…」

杉元はなにか歯切れ悪くそう言った。普段随分と仲が悪そうに見える二人だが、存外そういうことでもないのだろうか。言葉が途切れてしまって無言になって、気まずい空気に何か話さなければと内心慌てる。杉元とはまだ無言の時間も心地いいという関係ではない。

「す、杉元さんは幼馴染の女性のために金塊を探しているんですよね」
「え、あ、ああ…」

言葉にしてしまってから「しまった」と思った。頭の中を占拠されすぎていてつい口をついてしまったが、これじゃまるで自滅だ。そうは思ったって今更取り消せるはずもない。苦肉の策で「無理やり聞こうとかじゃないんですけど!」と付け加えるだけ付け加えてみた。

「……うん。梅ちゃんっていってさ。俺と梅ちゃんと、それから寅次は三人同い年で幼馴染だったんだ。梅ちゃんは寅次と結婚したんだけど…寅次は日露戦争で俺を庇って死んじまってさ」
「そう…だったんですか…」

杉元がどこか遠くを眺める。星の光が少しだけ瞳に反射する。本当に大切な人なんだろうということは、言葉にされなくてもよく伝わってくる。別の幼馴染と結婚しても彼女のことを思い続け、未亡人になった今も力になろうと尽力している。取り入ることのできない、隙の無い愛だろうと思う。

「好きな方のために頑張れるのは…素敵なことだと思います」

ナマエはなんとか言葉を絞り出す。嘘ではないけれど、強がりなのは確かなことだった。女だてらに剣を握り、いままでがむしゃらに生きてきた。そんな自分が誰かに恋をして、それ簡単に実るなんて都合のいい話があるわけがない。自分を好いてほしいわけじゃないと思っていたはずだけれど、突きつけられる事実に落胆するたび本当は期待していたのだと思い知らされる。

「その子には幸せになって欲しい。俺に出来ることは、もうそれくらいしかないからさ」

杉元の言葉は真っ直ぐだった。優しくて、勇敢で、時おり怖いくらいに強くて。嘘のないところが眩しかった。きっとこの恋心はすぐには忘れられない。けれどいつか、いい思い出だったと言えるようになれたらいい。

「ナマエさんはどうしてこんなところまで?こう言っちゃなんだけど、女の子には厳しい旅だろう?」
「私は杉元さんみたいにかっこいい理由なんてないんです。一人で小樽の屋敷に残っても出来ることもないし…永倉先生に育ててもらったご恩を返したいだけで」

杉元の問いにそう答える。幼いころに永倉に拾われ、永倉のように強くなりたいと剣の稽古ばかりしてきた。屋敷に残るように諭そうとする永倉を押し切って一行に加わった。杉元のような大それた理由じゃない。

「立派だよ。俺、剣の腕じゃナマエさんに敵いっこないし」
「そんな。実戦経験のある方の足元にも及びませんよ」

杉元の言葉に恐縮して頭を左右に振る。褒めてもらえるのは嬉しいけれど、日露の激戦を生き抜いた杉元に言われるのはなんだかくすぐったい。

「最初は永倉先生のお供のつもりで来ましたけど……今は少しでも皆さんの助けになれたらいいなと思ってます」

言葉に嘘はなかった。今はこの一行の、何より杉元の手助けになれればいいと思う。それから少しためらって「私も好きな方のために頑張れたらなって」と付け足した。気付いてほしいわけじゃない。きっと叶わないこの気持ちを成仏させたくて言った言葉だった。だけど結局言ってしまってから居たたまれなくなってしまい「なんちゃって」と言って誤魔化そうと杉元を見上げると、予想だにしない真剣な瞳で杉元がナマエを見つめていた。

「…それって、尾形のこと?」
「え?」

杉元の言葉を頭の中で復唱する。それだけで理解が追い付かなくて、その前に自分の放った失言までもを再生した。「それ」がさすのは「好きな方」に違いなく、ナマエはそんなことがあってたまるかと顔面蒼白で両手を左右に振った。

「え、違います!なんで尾形さんなんですか!?」
「いや、その…ナマエさんって尾形と親しいみたいだし…」
「ないです!ないない!絶対ない!だって私の好きな人は杉元さんなのに!!」

ぴたりと言葉を止め、顔面蒼白のまま今度は冷や汗がだらりと垂れてきた。何で今日はこうも失言ばかりしてしまうんだろう。ああ最悪だ、これはどうにも誤魔化せようはずもない。もう顔なんて見ていられなくて目を閉じて、それでもこの場を何とかしなければと口を引き結ぶ。すると杉元の声はかかってこなかった。片方の瞼をぱちり、と開けるのと同時に肩がぐっと引かれた。目の前にいるはずの杉元の姿は見えず、代わりに満点の星空だけが広がっている。

「ナマエさん、突然ごめん。でもその……このまま聞いてほしいんだけどさ。俺実は───」

心なしか杉元の声が震えている気がした。ナマエは彼の言葉を聞きながら、そっと広い背中に手をまわす。どくどくどくと、杉元の心臓が脈打つのが聞こえた。

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