てのひらの上
会社の有能な後輩。顔立ちが整っていて、でも人懐っこい雰囲気から「かっこいい」よりも「かわいい」という表現のほうが似合っている。そう認識していたはずの彼を格好良くて仕方ないと思うようになったのはいつからだっただろう。
部署の飲み会でたまたま隣の席になって、確かしっかり話したのはそれが初めてだったと思う。同じ部署だけどチームが違うし、先輩から聞く「若手のホープで女性にモテる」ということくらいしか宇佐美くんのことを知らなかった。

「ミョウジさん、次なに飲みます?」
「え、ああ…どうしようかな…」

宇佐美くんにドリンクメニューを渡され、上から順に眺めていく。一杯目はまわりに合わせてビールにしていたけれど、本当はそこまで好きじゃない。甘いのにしようか、でもまだ食事の途中だから甘すぎるのは合わないかもしれない。あれこれと考えて空気を壊してしまうよりビールにしておいた方がいいんだろうか。

「えーっ…と…ビール……」
「ミョウジさん、ビール苦手ならミモザとかどうですか?柑橘系苦手じゃなければ」
「え?」

宇佐美くんが私のビールという言葉を半ば遮るようにしてにっこりと提案する。思考を読まれたようなタイミングに私は宇佐美くんをハッと見上げたけど、対して宇佐美くんは少しもそんなことを意識していないのか、ずっと視線はメニューに注がれたままだった。

「……じゃあ、それにしてみようかな」
「わかりました」

彼は片手で店員を呼んで私のためのミモザというお酒と、自分用の日本酒を注文していた。程なくして運ばれてきたミモザというお酒は綺麗なオレンジ色で、いわくこれはシャンパンとオレンジジュースをステアしたものらしい。

「…美味しい」
「でしょう?まだ食事の真っ只中って感じですけど、甘いわりにいろんな料理に合うんです、それ」

宇佐美くんがなんだか少しだけ得意げに言った。彼はくいっとお猪口を傾ける。私のいままでのイメージだと、宇佐美くんはもっと可愛らしい、例えばカシスオレンジだとかファジーネーブルだとか、そういうロンググラスの可愛らしいカクテルを飲んでるイメージだった。だからお猪口を傾けている姿はなんだか少し新鮮で、そのせいかちょっと心臓がドキドキした。

「宇佐美くん、お酒強いの?」
「まぁそれなりですね。人並みには強いですよ」
「そうなんだ。意外だなぁ」

そう言っている間にも彼のお猪口は空になっていて、手酌で注ごうとするものだから私は慌ててそれを奪ってお酌をした。「気を遣わなくてもいいのに」と笑った宇佐美くんが思いのほか近い距離にいて、またしても心臓はドキドキと鳴ることになるのだった。


そのやり取りがきっかけで社内で宇佐美くんと話す機会が増えた。元来彼は人当たりがいい方だし、社交的だし、話題に困ることはなかった。業務上のあるあるから始まり、先日のオリンピックの結果、最近見た映画の話など、盛り上がる話はいくらでもあった。

「そういえばね、宇佐美くんって日本酒飲むでしょ?ちょっと意外だなぁって思って」
「同じようなこと、飲みの時も言ってましたよね」
「うん。勝手なイメージであれなんだけど、宇佐美くんって可愛いお酒ちょこっと飲むみたいなイメージがあって」

まさか辛口の日本酒をあんなにさくさく飲むとは思わなかった。今まで部署全体の飲み会があった時も宇佐美くんと同じテーブルになることはなくて、知る機会がなかったから「かわいい」のイメージにつられて本当に勝手にそう思っていた。

「まぁ甘いの飲まなくもないですけど」
「ごめん、本当に勝手なイメージで…」
「べつに怒ってませんよ。ああそうだ。良かったら今日飲みに行きません?」
「うん、行きたい」

私はその申し出に二つ返事でオーケーをした。宇佐美くんと話すのは楽しいからもっと話したかったし、今までのかわいいイメージが塗り替えられてどんどんかっこよく見えてきて、ちょっと、いや、かなり彼に興味津々だった。

「ミョウジさん今日残業入りそうですか?」
「ううん。今日は落ち着いてるから定時で終わると思うよ」
「わかりました。じゃあ僕の良く行く店予約しておきますね」

話の早さに出来る後輩だなぁとつくづく感心する。後輩と言っても彼のほうが社歴が少し浅いだけで年齢はひとつしか変わらないのだけど。
丁度昼休憩の終わる時間になって、私は自分のデスクに、宇佐美くんは外回りに出かけた。宇佐美くんと飲みに行けるなんて楽しみだなぁ、と思うと同時に、社交的な彼のことだから、こうして異性と飲みに行くなんてこともよくある話なんだろう、と少しだけ寂しい気持ちになった。


待ち合わせは会社の入ってるビルのエントランスを出たところで、予定通りに定時で仕事を終えた私はいそいそと帰り支度をして席を立った。

「ミョウジさんお待たせしました」
「え?」
「じゃあ行きましょうか」

待ち合わせ場所を決めていたはずなのに宇佐美くんはわざわざ私のデスクまで迎えに来てくれて、私が何かを言う間もなくそう言って歩き出す。一瞬ぽかんと飛ばしてしまった思考を引き戻し、慌てて彼の背中を追った。

「エントランス出たところで待ち合わせじゃなかったの?」
「いやぁ、楽しみ過ぎて。迷惑でした?」
「そんなんじゃないけど…」

エレベーターで二人きりになって、宇佐美くんに尋ねればそんな言葉が返ってくる。私もすごく楽しみにしてたし、全然問題なんかじゃないけれど、彼の方こそ「私と二人でどこかへ行く」ということが社内にあからさまに分かってしまって良かったのだろうか。もっとも、エントランスなんて全社員が利用するのだから誰かに見られる可能性は充分すぎるほどあるのだけれど。

「今日の店、和風の創作料理なんですけど、ミョウジさん食べられないものとか苦手なものあります?」
「えっと…あんまり好きじゃないのはしいたけ…かな?」
「良かった、僕も苦手なんです。お揃いですね」

宇佐美くんは人懐っこい顔で笑った。苦手なものが一緒だなんて笑っちゃうくらい些細な共通点なのに、私は簡単に浮かれてしまった。周りに背の高い人が多いせいか、背が高いという部類ではない宇佐美くんは小さく見える。でも今日こうして隣に立っていると私より勿論背は高くて、なんだかそれを初めて知ることのような気持ちになった。
最寄りから電車に乗って繁華街を一つ外れた駅で降り、宇佐美くんに案内されるまま暮れていく道を歩く。駅前の喧騒が程よく離れたところに彼のお気に入りの店はあった。

「ここです」

小綺麗な店構えで、白玉石が敷かれてどこか日本庭園風だった。その中に配されている敷石を踏みながら進み、あと一歩、というところでヒールが少し石から外れる。転ぶというほどじゃないけど体勢を崩しそうになって、その前に手首を引かれて支えられた。

「大丈夫ですか?」
「あ、う、うん…ありがとう…」
「すみません、ヒールじゃこういうところ歩きにくかったですよね」
「えっ!全然!私が不器用なだけだし…!」

宇佐美くんの先回りの気遣いに恐縮してしまって、私はあたふたと必要以上に彼の言葉を否定する。そもそもこんなよくある敷石でバランスを崩す方が悪いのだ。
宇佐美くんは私の手を引いたまま暖簾を潜って敷居をまたぎ、私もそれに続く。予約していた席は店の奥の個室で、戸が閉められると途端に密室ということを意識させられた。

「ミョウジさんなに飲みます?」
「えっ、えと…」
「ふふ。僕と二人だからビールじゃなくもいいですよ」

見透かすような言葉にそわそわする。飲み会の日も当たり前のように私が本当はビールがそんなに得意じゃないと見破ってきたんだった。どうしよう。これから食事っていうタイミングで甘いカクテル飲むのもやっぱり変なのかな。宇佐美くんみたいに日本酒をさらっと飲めるとかっこいいなって思うけど、宇佐美くんが飲んでたのは辛口だったし、だからと言って日本酒のことはよくわからないし…。

「宇佐美くんはなに飲むの?」
「僕ですか?そうだなぁ、無難に日本酒でもいいですけど…僕が選ぶと辛口になっちゃいますから、ミョウジさんが日本酒興味あるなら甘口のやつ二人で分けましょうか」
「いいの?」
「はい。たまには甘いの飲むのもいいかなって」

渡りに船というか、宇佐美くんの気遣いによって私は誘われるままに日本酒に挑戦することになった。料理も宇佐美くんが「肉がいいですか?魚がいいですか?」「つまみ系食べられます?」「これ量が多いからシェアしましょう」とあれこれと私に選びやすくしてくれて、とんとんとスムーズにオーダーが進んでいく。

「じゃあ、お疲れ様です」
「うん、お疲れさま」

お猪口に控えめに注がれた日本酒へちびりと口をつけ、シビビとアルコールに唇が痺れる感じがする。宇佐美くんが初心者でも飲みやすいと選んでくれた甘口の日本酒は本当に飲みやすくて、これなら私でも充分飲める代物だった。

「美味しい。これ本当に飲みやすいね」
「そうでしょう?飲みやすいからって飲みすぎ注意ですよ」

宇佐美くんが悪戯っぽく笑う。すました顔はすごく綺麗で、でも笑うと可愛らしく見える。でもさっき店先で手首を引いてくれたときは男らしく見えて、なんだか彼からどうしても目が離せない。気付いたら不味いなぁと思っていたけれど、気付き始めた自分の気持ちを今更なかったことにするのは難しい。

「宇佐美くんの前なら、飲み過ぎちゃうかも」

ぽつりとらしくないことをこぼして、でも宇佐美くんの反応が返ってくる前に店員さんが料理を運んできたから、聞こえていたかどうかは結局わからないままになってしまった。
旬のお造りは新鮮で脂がのっていて美味しいし、かぼちゃの煮つけもちょっと洋風な味付けで美味しい。宇佐美くんがおすすめだからと頼んでくれたさつまいもの天ぷらもホクホクしていていくらでも食べられてしまいそうだった。

「お料理、どれも美味しいね」
「ここ、オーナーがいつも買い付けに行って目利きしてるらしいんです。だからいつ来ても旬の美味しいものが食べられるんですよ」

なるほど、店構えからこだわりを感じていたけれど、やはりとことんこだわり抜いているらしい。こんなにお洒落で美味しいお店なら、きっとデートで使うカップルも多いだろう。宇佐美くんも誰か女の子連れてきたりしてるのかな。

「宇佐美くん、いいお店知っててすごいね。私全然詳しくないから羨ましい」
「気に入ってくれたなら何よりです」

もちろん、情けなくて「デートで来たことあるの?」なんて聞けないけど。いつの間にか徳利の中身は全部なくなってしまっていて、宇佐美くんに提案されるまま今度はまた別の日本酒を頼むことにした。今度は熱燗だったから、余計に身体がすぐに温められていく。

「今日は一緒に日本酒飲みたくてここにしたんですけど…ミョウジさんの好きそうな自家製サングリア出してるスペインバルもあるんです。良かったら今度はそっちに行きましょう」
「いいの?」

また誘ってくれるんだ、ということにふっと口元が緩んでしまう。嬉しい。スペインバルにも二人で行くのかな。二人で行くの?って、聞いてみてもいいかな。
普段なら聞けないけれど、熱燗のおかげなのか舌の根元がぼんやりしてしまっていて、ついつい口をついてしまった。

「その…スペインバルも、ふたりで、行く?」

少しだけ沈黙があって、言わなかったほうが良かったかなとすぐに後悔した。後悔するくらいならそもそも言わなきゃ良かったのに、と思っても後悔先に立たずというやつだ。こんなお店に連れてきてもらって良くしてもらって、期待するなと言うほうが難しい。でも宇佐美くんにそんな気がないのなら、私はただの勘違い女になってしまう。

「ミョウジさん、何にも気付いてないんですね」
「え?」
「ビール嫌いなのすぐにわかったのも、待ち合わせてるのにわざわざ会社の中で声かけたのも、こんなに甲斐甲斐しく尽くしてるのも……」

宇佐美くんは持っていたお猪口をテーブルに置くと、大きな瞳で私のことをじっと見つめた。綺麗でかわいらしくて男らしい宇佐美くんの、どれでもない顔だった。こんなことを言われて分からないほど初心じゃなくて、顔がかぁっと熱くなっていく。これは絶対に熱燗のせいなんかじゃなかった。

「今夜は帰しません」

にゅっと宇佐美くんの厚い唇が笑う。明日は土曜日だけど、何か予定とかあったかな。そうだ、確か午前中に通販の荷物が届くはずなんだ。どうしよう。

「いいですよね?」
「……うん」

再配達になっちゃうな。と、そんなことを考えながら、私に向かって真っすぐに伸びてきた彼の指先を受け入れた。

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