こんがり妬いてねハンバーグ
ミョウジナマエの本職は呪具の研究である。呪術師として東京高専に在籍しているが、通常の呪い祓除任務よりも研究室に籠って古文書の解読や呪具の研究・実験に精を出している時間の方が長かった。
等級としては準一級術師であり、繁忙期には現地に駆り出されるとこもままある。それでも一番の仕事場は研究室で、ここが唯一無二の憩いの場であった。そんな研究室にこの男が度々居座るようになったのはいつからだっただろう。

「なーあー、古文書ばっか構ってへんで俺にも構ってや」
「ちょっと、直哉くん邪魔」

特別一級術師禪院直哉。禪院家の跡取りと目されている男で、禪院家が有する最強呪術師集団「炳」の筆頭である彼がこんなところで油を売っていていいのか。良いとは思えないが、実際ナマエに出来ることはこれと言ってない。

「ナマエちゃんこれなに?」
「沖縄で見つかった呪具。触らないでよ、多分感電する──」
「いったぁッ!!」
「だから言ったのに…」

こんな具合で直哉はナマエの研究室を訪れてはあれこれとちょっかいをかけてきた。正直出禁にならないもんかと二度ほど考えたが、彼の家柄や立場を考えるとこれは非現実的だろう。

「もー、直哉くん邪魔しないでよぉ」
「やって、ナマエちゃんいっつも構ってくれへんやんか」
「そりゃあ直哉くんが仕事中に来るからでしょ?」

いかに呪術界が一般社会とかけ離れているとはいえ、勤務時間中は仕事をするものである。直哉が現れるのはナマエが研究室に籠って作業をしている日なのだから、構おうにも構えるはずがない。
はぁ、と大袈裟にため息をつくと、直哉は何かピンときたとでも入った顔で人差し指を立てた。

「せやったら、ナマエちゃんのお休みの日教えてや」
「えっ、なんで」
「仕事中があかんのやったら休みの日にすりゃええんやろ?」

そういう話じゃない、と抗議をしたい気持ちをぐっと押さえ、ナマエはこのまま研究室に来られる面倒くささと休日一日分を天秤にかける。これはもはや一日くらいなら休みを売った方が効率がいいのではないか。

「……はぁ、わかったよ。えっと…次の休みは来週の木曜だね」
「俺も用事入ってへんわ。渋谷の駅で待ち合わせな」

直哉がにこにこと嬉しそうに笑う。このまるで少しも成長していない少年のような顔を見るたびに、なんとなく彼の暴挙を許してしまう。それはひょっとすると、そんな人物に心当たりがあるせいかもしれなかった。

「直哉くん、なんで東京に来るたびにここに顔出すの?もっと行きたいところあるでしょ?」
「べつに。東京かてナマエちゃんに会いに来とるだけやし」
「友達いないの?」
「ちゃうわ、アホ」

直哉はつんと唇を尖らせる。確か何かしらの会合で顔を見たときはもっとキリリとした顔つきだったはずだ。この表情が彼の元来のものだとしたら、そういうのを見せてもらえるのはまぁ良いことなのかもしれない。何ごとも人間関係は円滑に保つに限る。

「ナマエちゃんホンマにぶちんやな。悟くんも苦労するわけやわ」
「なんでそこで五条先輩が出てくるの」
「なんでも」

それきり直哉は続きを話そうとはせず、京都であった面白いことや炳の面々が使えないという愚痴など、取るに足らない話をしていった。結局こうして勤務時間を邪魔されるくらいなら来週の約束なんて取り付ける必要はなかったんじゃないだろうか。そう思っても後の祭りである。


直哉との休日は可もなく不可もなく。彼が行ってみたいという新しいカフェに行って、限定のチーズハンバーグを食べた。数種類の厳選したチーズを使っているというハンバーグは非常に美味しかった。意外だったのは、直哉がそんな所帯じみた店に率先して行きたがるという点である。温室育ちのお坊ちゃまってあんな道端のカフェレストランとかに入るものなのだろうか。

「ナマエー、お疲れサマンサー」

その疑問をぶつけるのにうってつけな相手が現れた。これまた呪術界純粋培養中の純粋培養、特級術師五条悟である。彼もこの研究室の安寧を脅かす面々のひとりであるが、学生時代からの付き合いがあるせいか直哉に比べれば気安い。

「五条先輩、お疲れ様です」
「はいはいお疲れ」

五条はいつも通りにナマエのデスクの真横に丸椅子を持ってきて、長い足で跨ぎながらそれに座る。まともに隣に立って比べたことはないが、長身なこともあいまって自分の臍よりも上から足が始まっているのではないかと思う。

「今日は何してたの?」
「富山で見つかった呪具の解析です。多分これ複数で一個の呪具になってると思うんで」

仕事熱心だねぇ、と五条がナマエの手元を覗き込んで笑った。仕事熱心というほどではないと思うが、元々興味のあった分野だし、自分の研究が実地任務で活かされていると思うとやりがいは感じた。

「五条先輩、ひとつ聞いてもいいですか?」
「ん?なぁに?」
「やっぱりブルジョワジーでも街中のハンバーグとか食べたくなるもんなんです?」

ナマエの唐突な問いに訳もわからないと言った具合で首をかしげる。まぁ確かに、ここだけを掻い摘んで言われたところで何とやらだろう。ナマエが説明を付け加えた。

「こないだ直哉くんとハンバーグ食べに行ったんですけど、御三家のひととかああいうところ行くのかって思って」
「はぁ!?」

五条があんまりにも大きな声を出したせいでキーンと耳鳴りがした。思わず耳を塞いだけれど間に合うはずもなく、頭の中がぐわんぐわんと鳴っている。涙目になりながら五条を見ると、学生時代に戻ったかのような凶暴な形相である。

「ご、五条先輩?」
「いつ?」
「えっと、先週の木曜日…」
「どこ?」
「渋谷の文化村通りから一本入ったところの新しくできたカフェで…」

突然始まった尋問に気圧されながらも答えていく。どうしてこんなに詰められているのだろうか。五条は無言でしばらくスマホを操作して、目当てのものを見つけてナマエに画面を見せる。まさに先週の木曜日に直哉と行ったカフェだった。

「ここ?」
「あ、はい、ここです。チーズハンバーグが美味しくて」
「夜も営業してるのか……よしナマエ、今晩ここいくよ」
「えっ!」

当然のようにスケジュールを決めていく。この後用事があるかと言われれば否だが、強引にも程がある。五条もここのハンバーグが食べたかったのだろうか。

「五条先輩、ハンバーグ好きでしたっけ?」
「いや別に。普通」
「じゃあなんで…」
「なんでも」

どうにも拒否権はないようで、五条は「定時に迎えに来るから」と言って研究室を出て行ってしまった。定時に彼は任務が終わるのだろうか。それは甚だ疑問であるが、とはいえ自分も順序良く仕事をこなさなければ定時は中々難しい。ナマエは目の前の呪具に向き直り、早速所見をまとめはじめた。


宣言通りに五条は定時きっかりにナマエを研究室まで迎えに来た。本当に任務を終わらせてこれたのかと意外に思いながらも、彼のエスコートで渋谷まで向かう。まさかの自家用車で、普段は伊地知に任せっきりの癖に一体どういう風の吹きまわしだろうと驚いた。それから自家用車というのがいわゆる外国の高級なスポーツカーで、ブルジョアジーを本当に地で行くひとだなと変なところで感心する。

「五条先輩、免許持ってたんですね」
「持ってるよ。三年の時取ったもん」
「速攻じゃないですか。あ、教習所とか行ったんですか?」
「うん、普通に」

この男が他の人間に混ざって車の教習を受けているなんてかなり面白い。三年と言えばひとつ後輩のナマエは同じく高専に在学していたはずだが、あの頃は自分のことで手いっぱいで気が付かなかった。
五条の運転は心地よく、この人は車の運転まで完璧なのか、ともはや羨望を超えて手放しに感心する域に入った。車窓を流れていく景色はいつも通りだけれど、五条の車は車高が低めだからかいつもよりスピード感がある。

「そうだ、五条先輩。答えて貰いそびれちゃってたんですけど、結局どうなんです?」
「なにが……って、ああ、街中のハンバーグ食べたくなるかって?」

昼間に聞きそびれたことを蒸し返す。熱烈に知りたいというほどではないが、丁度いい世間話だったしブルジョアジーの感覚には興味があった。

「別に僕は行くけど。高級フレンチでも町中華でも美味いもんは美味いでしょ」
「そういうもんですか」

彼ほどのブルジョアになると、単に高級な料理というものは食べ飽きているのかもしれない。そんな勝手なことを想像しながら子供みたいに無邪気にハンバーグを頬張っていた直哉のことを思い出した。子供っぽい顔を見せられると普段の横暴を許してしまいそうになるからいけない。思わずフフフと笑いをこぼす。

「これから僕とデートだっていうのに、他の男のこと考えてるなんていい度胸だね?」
「え?」
「今どうせ直哉のこと考えてたでしょ」

ぴったりと言い当てられてぱちぱちと瞬きをした。五条がハンドルを握りながら一瞬だけちらりとナマエを見る。にっと細められる目元が意味深で、なんだか簡単に視線を外すことが出来ない。しかも彼は今「デート」といった。そんなつもりは少しもなかったのに、いつの間にそんな話になったんだろう。

「デ、デートって……ご飯食べに行くだけじゃないですか」
「僕がデートって言ったらデートなんだよ」

そんな理屈をこねられても困る。ナマエはどう答えていいものかを考えあぐね、結局何も言えずにそのまま黙る。五条はなめらかなハンドリングでカーブを曲がった。

「だいたい、ナマエは何で僕が研究室に足繁く通ってるかわかってる?」
「えと…暇つぶし?」

ナマエの返答に五条は「ハァァァァ」と腹の底からため息をつく。そんなことされたって、ちゃんと口で言ってくれなきゃ分からない。つんっと唇を尖らせると、今度は五条がくつくつと笑いだす。

「ナマエに会いたいからだよ」
「え、は、えぇ!?」
「直哉になんか構ってないで、もっと僕の方見て」

五条が右手をハンドルから離し、所在なく膝の上で丸まっているナマエの手をきゅっと上から包む。握り返す勇気がなくてされるがままにしていると、五条は器用に拳を解いて指を絡めてきた。

「あと直哉のことだけ名前で呼ぶのむかつくから僕のことも名前で呼ぶこと」
「そ、んなこと言われても…」

直哉は禪院家の人間を他に知っているから必然的に名前呼びになったに過ぎないのだ。五条をこれから名前で呼ぶとなると、わざわざ自分で選択したということになってしまう。

「ほら、さんはい」
「さ……」
「さ?」
「悟…さん…」

慣れない言葉に唇がくすぐったく感じる。そわそわと落ち着かないナマエに対して五条は随分と満足げだ。結局渋谷でハンバーグは食べたものの、正直味はあんまり覚えていない。美味しかったのは間違いないはずだから、またきっと五条に連れてきてもらわなければ。

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