大逆転
安居酒屋で行われる定例会。ビールは既に5杯目。

「あー、彼氏欲しいー!」

マッチングアプリで会った男のひととお付き合い寸前で話が流れた。
もうこれは私の口癖だった。だってもう二年も彼氏がいない。そもそもその二年前の彼氏だって付き合って2ヶ月で別れた。何、お前と一緒にいたら命がいくつあっても足りないって。私は疫病神か。

「まーまー、ナマエちゃん、焦ってもいいことないってぇ」
「てかなんで白石さんいるんです?」
「いやいや、俺今日最初からメンツに入ってたからね」

私はジョッキ片手に管を巻き、それを隣で白石さんが宥める。もうこれも恒例の光景。そしていつもならもう一人ここに悪友が加わっているところだ。

「で、杉元なんで来てないんですかぁ」
「仕事遅くなるって連絡あったでしょ?」
「そうでしたぁ?」
「ナマエちゃんもう酔っ払ってるねぇ」

杉元というのはこの悪友の会の主催のような男だ。と言っても、この会三人しかいないんだけど。
杉元は私の高校の同級生で、白石さんはその友達。自称パチプロの不思議な人である。私たちよりちょっと年上で、そういえば杉元とどういう知り合いなのかは聞いたことがない。

「ほらナマエちゃん水飲んで」
「いやです、今日はとことん飲んでやる!」

白石さんはたらっとしてて基本あんま頼りになんないけど、めちゃくちゃ優しいひとだから私は過ごしていて心地が良かった。私と杉元の二人で開催していた悪友の会にいつの間にか一緒に混ざるようになって、なんかそれが定着して、二人の会はいつの間にか三人の会になっていた。

「ナマエちゃん、本当はわかってるんでしょ」
「何がですかぁ?」
「彼氏ができない理由」

白石さんにそう言われ、私はぎくりと肩を揺らした。別に驚くことはない。これはずっと白石さんに相談してきている話なのだから、白石さんが知っていて当然だ。

「無理に諦めなくてもいいんじゃない?」
「…でも今更無理ですよ…散々友達面しておいて…」

私はジョッキをごとんとテーブルに置いた。ほとんど入ってもいないビールがちゃぷんと揺れる。
酒臭い息をハァっと吐き出し、ジョッキの中身を飲み干してぬるくなったビールでまた酒臭さの濃度を上げる。

「ナマエちゃんがそれでいいならいいけど…俺ちゃんとしては、多分きっと次の彼氏その辺で見つけてもうまくいかないと思うぜ」
「なんですかそれ、私が事故物件ってことですか?」

ぎっと睨んで白石さんに詰め寄れば、白石さんが「そうじゃなくてさぁ」と言葉尻を濁す。私ってそんなにやばいか?別に普通じゃない?
まぁ多少束縛が強いとか言われがちではあるけれど、彼氏にスマホ見せてって言うタイプじゃないし、デートは毎回オシャレなレストランがいいとか言うタイプでもない。至って平凡な願望しか持ち合わせていないつもりである。

「だってナマエちゃん杉元が好きなんでしょ?だから他に男探しても結局はうまくいかないんじゃないの?」
「…でも」

杉元とは、高校の同級生である。当時杉元には他校に好きな女の子がいて、それは彼の幼馴染で、勝ち目のない恋に私は友達でいることを選択した。
ミョウジにならなんでも話せる。そう言ってもらえるのが嬉しくて、もうそれだけで充分だと思っていた。思うようにしていた。

「私は、杉元の、友達なんですよ」

友達ということを選択したから、私はずっと杉元の一番近くにいる女という立ち位置を守ることができた。杉元の幼馴染は別の幼馴染の男の子と付き合うようになって、結局杉元はそれから幼馴染でもない別の女の子と付き合った。
だったら私を選んでよ、なんて、そんなのは自業自得だ、選ばれないようにしたのは自分なのに。

「ナマエちゃんも杉元も、不器用だよねぇ」

そう言って白石さんが私の頭をぽんぽんと撫でた。白石さんには杉元のことが好きだと勘づかれて以降、何かと話を聞いてもらっている。お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかな。まぁ、自称パチプロのお兄ちゃんなんて御免なわけだが…。

「わかってるんですよ、考えたってしかたないって」
「ナマエちゃん…」
「…よし、飲むぞー!」
「ほどほどにねぇ?」

私は店員さんを「すいませーん!」と手を挙げて呼び止め、早速ビールのおかわりを注文した。そうだそうだ。今更それがどうしたっていうんだ。恋愛の傷は恋愛で癒せとどっかの誰かが言ってた気がする。やっぱりさっさと次の相手を見つけるのが賢明だ。

「善は急げだよ、はやくマッチングしないかなー」
「え、またマッチングアプリで探す気なの?」
「うん。だって同じ趣味のひととかに出会えるし、この前だってまぁ結局うまくいかなかったけど、同じバンド好きないい感じの人とマッチングしたもん」
「俺はやめといたほうがいいと思うけどなぁ」

隣で何か言いづらそうに口ごもる白石さんの声を聞えないふりをして、私はたぷたぷとマッチングアプリの画面を操作した。
そのうちジョッキが運ばれてきて、私は白石さんともう何度目かもわからない乾杯をしたのだった。


ーーふわふわ、ふらふら。あれから何杯飲んだんだっけ。

「らってぇ…しょおがないじゃん…」
「何が?」
「まっちんぐあぷりもぉ、悪いことばっかじゃないってぇ」

頭の中がぐわんぐわんする。視界はぐにゃぐにゃ。あー、酔っぱらってるなー、という自覚はあるけど、身体を制御できるだけの鮮明さは残って無い感じ。
私は身体の前面に感じる温かさでぬくぬくと温まりながら浮遊する足元の不安定さをプラプラ動かすことで再確認した。

「いつも潰れるまで飲まないじゃん。なんで今日こんなに飲んでるの」
「えぇぇ?フラれたからぁ?」

こんなに飲んだ理由はいくつかある。仕事が上手くいかなかった。ちょっとしたミスで必要以上に指導を受けた。それから最近仲のいい友達が結婚ラッシュ。なかには子供が生まれたって子もいる。そんで、私はいまだ彼氏が欲しいと思っているのに出来ず、しかもマッチングアプリまで使ってもちゃんと出会えない始末。まさに八方塞がりとはこのこと。

「フラれたって、どこのどいつ?」
「家は知らないけどぉ…ちょっと年上の優しいひとでぇ…」
「名前わかんないの?」
「えっとぉ…名前はぁ…」

三回くらいご飯行って、結構盛り上がったんだけどなぁ。「俺とはちょっと縁がなかったかな?」って言われてサヨナラしちゃった。盛り上がってたって思ってるのが自分だけだったら超恥ずかしい。

「そいつのこと好きだった?」
「んー、わかんない…だって三回ご飯行っただけだし…」
「俺とはもう何百回も飯食ってるじゃん」

えぇぇ。白石さんってそんな何百回もご飯食べたぁ?
私はぼんやりする頭を抱えながら身じろぎをする。すり寄った頬に髪がふわふわと当たってくすぐったい。髪が…髪が?

「えっ!」
「ん?」

坊主頭の白石さんの髪ってなんだよ、と思って頭が一気に覚醒した。私は誰かおぶられていて、あろうことかそれは杉元だった。
なんで杉元が?え、今日仕事だってメッセージ来てたはずじゃん。なんで、いや、ちょっと、どういうこと?
もう私の頭は混乱しっぱなしで、次から次へとハテナマークが浮かんでくる。

「す、ぎもと…な、なんで…?」
「ミョウジが酔っぱらってるからさっさと迎えに来いって白石から連絡来たんだよ」

杉元は私を背負って前を向いたままそう答えた。どうやらあのまま酔いつぶれた私を運んでくれているらしい。仕事で遅くなるって言ってたから、そもそも全然飲めてないんじゃないだろうか。私はうなじに向かって「ごめん」と言うと、杉元は「別にいいけどさ」と、あまり良くなさそうな声で返ってきた。悪いことをしてしまった。

「あの、あ、歩けるから…おろして…」

すっかり意識も覚醒したし、このままおぶられているわけにもいかないとそう進言すると、杉元は道の端に寄って私をゆっくりと地面に降ろす。着地の時に一瞬ふらついたけども私の足はしっかり地面を踏み、本当に問題なく歩けそうだった。

「あの、ほんとにごめん。今日杉元全然飲めてないよね」
「や、まぁそうだけど…そうじゃなくて」

そうじゃなくてって、じゃあ別に何かしちゃったんだろうか。酔いつぶれてる間になんかめっちゃ失礼なこと言ったとか?でも私と杉元の仲で今更そんな失礼も何もない気がするけど…。
要領を得ずに私が首を傾げていると、杉元がちょっと溜息をついてから口を開いた。

「今日、白石相手だったからいいけど、まぁ良くはないんだけど…他の男の前で酔いつぶれんなよ」
「き、気を付けます…」
「てか、マッチングアプリもそろそろやめろよ」
「え、それはちょっとぉ…」

前者に関してはまぁひと様に迷惑をかけるわけにもいかないし完全に同意だが、後者に関しては承服しかねる。だってもう学生時代の友達の伝手の合コンとかやりつくした果てにマッチングアプリに行きついているのだ。
これがなきゃあとは最早結婚相談所か運命の出会いを待つかしかなくなる。

「…彼氏、そんなに欲しいの?」
「ま、まぁ…」
「それって、俺じゃ駄目?」
「は?」

思わぬ言葉に私は固まって、ブリキの人形みたいなぎこちなさで杉元を見上げた。杉元はキャップのつばで顔を隠すようにしていて、でも残念ながら隠れ切らない耳が赤くなっているのが街灯にばっちり照らされていた。

「そ、それって、杉元が私の彼氏になってくれるってこと?」

なにか絶対聞き間違いに違いないと私は疑って馬鹿正直にそう確認すれば、杉元は「そうだけど」と小さい声で吐き出した。その声を聞いて杉元の耳の赤さが伝播するみたいに私に押し寄せ、覚めたはずの酔いが戻ってくるように体を熱くさせた。

「だ、だめじゃない!」

杉元のブルゾンの袖口を掴み、私は混乱する頭の中で必要な言葉をああでもないこうでもないと探していく。
駄目なわけがない。ずっとずっと杉元のことが好きだった。だからどんな人と出会っても最終的に自分の中で納得できなくて別れてきた。
だって杉元以上に好きになれる人なんか、いままで出会ったことがないから。

「ずっと…私ずっと杉元がーー」
「好きだ、ミョウジ」

私の言葉を遮って杉元がそう言い、私の腕を引くと大きな腕の中にすっぽりと収められてしまう。好き、好き、杉元が私のこと好きだって。
目の前で聞いたはずの言葉も嘘みたいで信じられない。ずっと友達だと思ってた。それ以上になんてもうなれっこないって思ってた。

「嘘じゃないよね」
「こんなことで嘘なんか言うかよ」
「嘘ついたら針千本だよ」
「千本でも一万本でも飲んでやる」

杉元の胸に耳を寄せれば、どくどくどくと心臓が大きく鼓動している。私は杉元の背に腕を回し、目一杯の強さで抱きしめてみた。すると、杉元がそれに応えるように抱きしめる強さをぎゅっと強くした。

「アプリ、あとで消しとけよ」
「うん」
「それから、潰れるまで飲むの禁止」
「うん」
「あと、白石の前でも、あんまその…隙は、見せないで、欲しい…」

白石さんの前でも?と思って腕の中から見上げると、杉元が真っ赤になった顔のまま私を真剣に見下ろしている。

「白石がそういうやつじゃないってのはわかってるけど、なんか、嫌だ」

そう白状する杉元が可愛くて、私はどうしようもなく愛おしくなった。白石さんにはとばっちりでごめんなさいだけど、杉元が私にこんな顔を見せてくれる日が来るなんて思っても見なかったのだ。

「えっと、あのさ、杉元…今からうちで飲み直したり、とか、する?」
「…する」

私がそう聞くと、杉元は提案に乗ってきて、どちらともなく身体を離してもう目と鼻の先にある私のアパートに二人そろって歩き出した。
肩がちょこんと杉元にぶつかって、杉元が「大丈夫?」と気遣いながらこちらを見て声をかける。杉元の目に私が映ってるんだと思うと嬉しくて、私はふふふと意味もなく笑った。

「まだ酔っぱらってるから、手ぇ繋いでていい?」

私は酔っぱらってもないくせにそう言って杉元の大きな手を握り、杉元はそれを柔らかく握り返す。
夢みたい、夢かもしれない、夢でもいい。柄にもなくロマンチックなことを考えながら、私は杉元の横顔を見上げた。

「…すき」

歩く速度の何倍も心臓が速く脈打つ。頬が緩んでいくのが止められない。
実は杉元も私と同じように白石さんに相談していたこと、それから二年前彼と別れたときは直前に杉元と彼がオハナシアイをしていたことを知るのは、まだ半年くらい先の話である。

戻る



- ナノ -