好き×好き
私たちの住むマンションはペット禁止だ。
部屋をここにしようと決めたときとくにそのあたりにこだわりはなかったし、子供のころからペットの類を飼ったことがない私にはそもそも犬猫を飼おうという発想がなかった。いや、一応金魚は飼ったことあるけど。
一方建人さんは実家で犬を飼っていたそうだが、呪術師という仕事柄満足に世話をしてやることが出来ないかもしれないとペットを買う気はないようだった。
そんなこんなで、哺乳類のペットというものにとんと縁が薄い。とはいえ、犬や猫が嫌いというわけではない。高専で野良猫に会えばなんとか懐いてくれないかと試行錯誤するし、散歩中のよその犬とすれ違えば「なんていう犬種かな」と勝手に想像したりする。

「いいなぁ」

私はスマホの画面を見ながら思わず声に出してそう言ってしまった。隣に座っている建人さんが「どうかしましたか?」と私に尋ねる。
今は夕飯とお風呂を終えて二人でのんびり赤ワインを飲んでいたのだ。私は建人さんに眺めていたスマホの画面をぱっと見せる。

「猫ですか?」
「はい。すーちゃん…中学の同級生の実家に子猫が生まれたらしくって」

可愛いですよねぇ。と、画面をスワイプして送られてきた子猫の写真を次々と見せる。同級生のすーちゃんの実家はものすごい愛猫家で、大きなおうちに何匹も猫がゆうゆうと暮らしているのだ。
学生時代に何度かお邪魔したことがあるけど本当に猫猫パラダイスって感じだった。

「猫、お好きなんですか」
「そうですね、猫も犬も好きです」

建人さんはしげしげとスマホを見つめる。青とも緑ともつかない瞳にスマホの光が反射した。ちょっとレフ板みたいだな。青く血管の透けるほどの白い肌がもっと白く見える。

「…ナマエさん、何かメッセージが届いたようですよ」
「あ、すみません」

そう言われてスマホを自分の方に引き寄せる。確認するとすーちゃんからの返信だった。なるほど、今付き合ってる彼氏と同棲することになったらしい。「一件だけ返信しますね」と断ってからたぷたぷと操作して返信をした。おめでとう、引っ越し祝い何か送るよ。よし、これでオッケー。

「すみませんお待たせしました」
「いえ、ご友人でしたか?」
「はい。この子猫の写真送ってくれた子が今度彼氏と同棲するんだって報告が」

そうでしたか。と建人さんが相槌を打った。
好きなひとと同棲をするのは私も大賛成だ。だって建人さんと一緒にいられるだけで毎日が幸せで仕方がない。


翌週、私の休暇と本日の朝決定した建人さんの日程調整による突発的な休暇が重なり、朝からのんびりゆったりとモーニングを楽しんだ。
突発的な休みで特に計画は立てておらず、建人さんが付き合ってくれるなら買い物くらい一緒に行きたいなぁとぼんやり考えながら洗い物を済ませる。それからリビングに戻ると、建人さんが何やらお出かけの準備を始めていた。

「あれ、建人さんどこかにお出かけですか?」
「遠出するにはものたりない時間ですが、近所にも目ぼしいところがありまして」
「そうでしたか。お昼は外で食べてきます?」
「いえ、ナマエさんも一緒に行きましょう」

私も?
どうやら、建人さんのお出かけの計画には私も頭数に入っていたらしい。そういえば昨日の夜「明日何にも用事なくて」とか言った気がする。

「どこ行くんです?」
「行ってからのお楽しみです」

珍しい。建人さんってけっこう何でも事前に説明してくれるタイプなのに。…いやいや、そうでもないか。プールに行った時もまさかのホテルのスパだったなんてことがあった。
論旨明快なタイプだけど、なんかよくわかんないタイミングで天然発動するんだよなぁ。

「すぐ着替えてきます」
「急ぎませんからゆっくりどうぞ」

建人さんに見送られて洗面所に引っ込むと、ぱたぱたと化粧を施した。建人さんはウエスタンシャツにカーディガンだったからそこまで畏まったところに行くわけではないのだろう。化粧があんまり濃いと浮くかもしれないし、アイメイクは抑えめにしておこう。


そんなこんなで準備をして、結局目的地を教えられないまま最寄りから二駅離れた町に来た。建人さんが二回くらいスマホで住所を確認していたから、恐らく建人さんも初めて来る場所なんだろうと思う。
建人さんの案内で歩くこと10分。白い外壁に大きなショーウィンドウの備えられた店舗に辿り着いた。看板に「Cats cafe」と書いてある。きゃっつかふぇ…って、猫カフェ?

「えっ、猫カフェですか?」
「嫌いでしたか?」
「いえ、大好きですけど、まさか建人さんのチョイスとは…」

ちょっと意外。
そりゃ嫌いってわけじゃないとは知ってるけど、店舗のカーペットの上に座り込んで猫とじゃれる姿は想像ができない。
カラフルな扉を開いて入店した私たちは、店員さんに諸々の説明を受けていざ二重扉の向こうのパラダイスに飛び込む。引き戸をすっと開くと、にゃーんと小さく猫の声が聞えた。

「わっ…か、かわいい…」

思わず大きな声を出しそうになって、咄嗟にボリュームを絞る。鳴いたのは三毛猫ちゃんで、人懐っこくて私の足元にぐるぐるとすり寄ってきた。私の喉の奥から「ヒェ…」と漫画みたいな声が出る。

「け、けんとさん…」
「どうしました」
「よ、予想以上の破壊力です…」

私は無意味に建人さんを呼び、よたよたと隣の建人さんにしがみつく。建人さんは微動だにせず、流石鍛えられている一級術師は違うな、としょうもないことを考えた。
室内には8匹の猫がいて、キャットタワーの上や箱状の寝床の中、水の入ったトレイのそばなどで思い思いに過ごしている。
人間はというと平日ということもあってか私たちだけで、猫用のおもちゃも選び放題だった。
建人さんが部屋の中央跪き、ちっちっちっ、と舌を鳴らして猫を呼ぶ。隠れていた猫が頭だけを出して様子をうかがった。

「わ、すごい。建人さん上手ですね…」
「そうですか?」

その猫はすぐににょきにょきと姿を現し、建人さんの差し出した指をくんくんと嗅いで鼻先をぐいっと押し付ける。その子はアメリカンショートヘアだった。建人さんはすり寄られた人差し指でちょいちょいと猫を掻いている。気持ちよさそう。

「ナマエさん、ここに」
「は、はい」

どうしたものかと突っ立っていると建人さんが私を呼んで、それに従って隣に腰を下ろした。建人さんの真似をして指を差し出してみるが、匂いを嗅がれただけでぐいぐいはしてくれなかった。

「う…猫ちゃんはきまぐれ…」
「まぁ、しばらく座っていたら寄ってくるんじゃないですか?」

猫カフェの猫というのは人慣れしているだけであって人懐っこいとは限らない。触っても引っ掻いてくるような子は危ないから流石に店頭にはいないけど、そろっと寄って行って撫でたらそそくさと寝床を変える子というのは珍しくない。
そして何よりおやつを貰えることを知っている彼らは無課金勢には案外厳しいのだ。入店早々すり寄ってくれた三毛ちゃんはレアケースだと言えよう。

「おいでおいでー…だめか…」

私は手近な猫じゃらし状のおもちゃを手に寛いでいるマンチカンにすり寄ったが、マンチカンは目では追うものの一向にこちらに飛びつく気配はない。手を変え品を変え…もといおもちゃを変え挑んでみても猫の子ひとり構ってくれなかった。これぞ猫。

「なかなか難しいですねぇ」

と、言って振り返った先、私は絶句した。先ほどと変わらない位置で胡坐をかく建人さんの足の上に黒猫が乗っていて、右サイドにアメショ、左サイドにスコティッシュフォールドが寛いでいる。

「えっ…建人さんいつの間に…?」
「…猫が集まって身動きが取れません」

なんて贅沢な悩み!と思ったものの、猫に囲まれて本当に少しも動けなくなっている建人さんが困っているのはちょっと、いや、かなり可愛い。
私はそそくさとスマホを取り出してその様子を撮影する。建人さんがそれに気づいたが前述のとおり身動きが取れないから「ナマエさん」と名前を呼んで嗜めるに留まっているので全然抑止力はない。

「ふふ、可愛い写真撮れましたよ」
「後で消してください」
「イヤでーす」

私が珍しく建人さんの言うことを聞かないものだから、建人さんは目を大きく開けてパチパチまばたきをしたあと、フゥーっと大きく息をついた。そんなことされたって無駄だ。こんなに好きと好きがコラボしたデラックススペシャル定食みたいな写真消せない。

「ちょっと猫ちゃんの課金アイテム買って来ますね」

私はそう断って、奥のカウンタースペースで猫ちゃんたちにあげられるおやつを購入した。これさえあれば百人力だ。おやつの入ったカップを持って戻ると、猫ちゃんたちはカップにはおやつが入っているということを学習済みだから数匹がいそいそと私の元へと集まった。課金は偉大なり。

「はいはいちょっとずつだよー」

一部の猫ちゃんに偏ってしまわないように注意しながらおやつをちょっとずつそれぞれの猫の前に置く。みんなはぐはぐと美味しそうに食べていて、時々覗く鋭い歯が若干怖いが、それを推しても余りある可愛さである。

「勢いがすごいですね」
「やっぱりおやつは強いです」

いつの間にか建人さんの膝に乗っていた黒までもおやつの輪に入っている。足りなくなったらあとからもう一個買ってこよう。ここまで来て課金を惜しむわけにはいかない。
アメショもスコティッシュフォールドも今はおやつの力により私の虜である。一躍人気者になった私はにやにや笑いながら片っ端から猫ちゃんを撫でる。つやつやした毛並みの子、ちょっと太めでごわついてる子、長毛がふわふわして綿あめみたいな子。みんな違ってみんな良い。

「ふふふ…可愛い。猫って世界を救うと思いません?」
「ナマエさんのとろけた様子を見ていたらあながちそれもなくはない話のような気がしてきましたよ」

珍しく建人さんがそんな冗談を言った。どうやら建人さんも猫ちゃんの可愛さにめろめろらしい。建人さんが集まってきた猫ちゃんのうちの一匹をそっと撫でる。どうだ、建人さんのよしよしは気持ちいいでしょう、なんて猫ちゃんに向かって先輩ぶったことを考える。
にまにまと笑いながら猫ちゃんたちを眺めていると、カシャ、と控えめなシャッター音がした。
自分じゃないのだからそれが誰かというのはわかりきったことで、私がシャッター音のした方を見ると建人さんがスマホを構えていた。

「えっ、ちょっと絶対私変な顔してますよね?消してくださいよ?」
「嫌です」

あ、この流れさっきの逆だ。建人さんはふっと口角を上げ、意趣返し成功とでもいうように笑う。案外このひとはこういう子供っぽいところがあったりする。
私はもう二、三言抗議してみたが、どうやら消してくれるつもりはないらしい。というか消してくれるって言ってもきっと私がさっき撮った建人さんと猫の写真を引き換えに消すように言われるに違いない。

「可愛く撮れてます」
「まぁ猫ちゃんが可愛く撮れるのはいいことですけどぉ」

それなら猫ちゃん単品で撮ってくれればいいのに。そう思いながらジトっと見れば、建人さんが手にしていたスマホの画面にちょんとキスをした。

「猫もですが、アナタが特に」

これはさすがにキザすぎる。そのはずなのに建人さんがやると不思議と様になって見えちゃうんだから本当に困る。
足元の猫ちゃんがおやつの入った器にちょいちょいと手をかけ、私が固まっている隙に全部ぺろりと食べられてしまった。
首から頭まで真っ赤になる私になどお構いなしで、猫ちゃんが「もっとちょうだい!」とでもいうように鳴いたのだった。にゃあ。

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