1世紀越しのアイラブユー
前世の記憶があるなんて言って仕舞えば最後。私は小学校6年間をかまってちゃん、または霊感嘘つき女とあだ名されて過ごした。まぁ当時は結構傷ついたわけだが、それは大人になった今じゃ引きずってはいない。
中学になって学習した私はそれを誰にも言わずに過ごした。でも大事な友達になら話せると思って、ついに親友に前世の記憶のことを打ち明けた。結果は惨敗。
優しい子だったから別に絶交とかじゃなかったけど、何となくそのまま距離ができてしまったのは事実で、私はこれから二度とそんな話はしないと心に誓った。
そのおかげで高校生活は順調。なんだかんだと彼氏なんかもできてしまって楽しいキャンパスライフを謳歌した。まぁその彼氏とは別れたけど。
そしてそのまま大学に入学し、今となっては前世の記憶なんて私の夢だったのでは?と言うほど健やかに生活をしていたわけである。
今日までは。

「いらっしゃいませー!」

私はホールで大きな声を出した。金曜日の夜は忙しい。右から左へ料理を運び、今度は左から右へ空になったジョッキを運ぶ。
私がバイトをしているのは自宅からそう遠くない居酒屋で、今となってはホールの主戦力と呼ばれている。どんなもんだい。

「ミョウジさーん、10番さん運んでー!」
「了解でーす!」

キッチンで料理を運ぶ指示を受け、カウンターで受け取る。たこわさと枝豆とエイヒレ。いかにも飲兵衛なセットで悪くない。
皿を三つ手早く持ち、10番卓に向かった。半個室になっているそこに「失礼しまーす」と声をかけてから引き戸を開く。

「お待たせしましたー!たこわさと枝豆とエイヒレお持ちしましたー!」
「えっ…ナマエちゃん…?」
「うそ、ナマエさん…?」

突然名前を呼ばれたことに驚いて、知り合いだったか、とお客さんの顔を確認する。目の前の二人組のお客さんははくはく口を動かして驚いていたが、私だってまさかここでその顔を見るとは思わずに驚いた。

「ひ、ひと違いでーす…!」
「いやいや今の間絶対覚えてるでしょ!?」

さっさと皿を置いて立ち去ろう。ようやく夢だと言い聞かせられるようになったじゃないか。
私は今世でもしっかり丸められた形の良い頭を見ながら現実逃避した。「ごゆっくりどうぞー」と体を反転させると、座席の方に向かってぐっと引っ張られる。危ない。

「ちょっと、白石さん!」

あ。思わず名前を呼んでしまった。
目の前の男…白石さんはぱあっと顔を明るくしている。もうだめだ、誤魔化しようがない。私は思わずハァとため息をついた。
その日私は初めて前世の知り合いと出会してしまった。白石由竹と杉元佐一、その人たちである。


それからと言うもの、白石さんと杉元さんは私の働く居酒屋によく顔を出した。くれぐれも前世がどうのこうのなんて話はしてくれるなよと釘を刺し、今のところそれはしっかり守られている。
まぁ正直二人には前世でも結構お世話になったし、前世がどうのって言う話を私の今世の知り合いにしないでいてくれるなら普通の友人だ。前世という超常的な記憶を認めてしまう恐ろしさはあったが、それを共有できていると思うといくらかマシだった。

「で、白石さんはヒモで杉元さんはトラックドライバーをしている、と…」

バイトのない土曜の昼間。待ち合わせたファミレスでパフェを突きながら現状報告をし合った。
今日は居酒屋で遭遇した白石さんと杉元さんに加え、アシリパさんも一緒である。アシリパさんは現在おばあちゃんと暮らしているらしい。今世ではお父さんも健在である。よかった。

「そう。ナマエさんは学生さん?」
「はい。大学生です。今年三年になりました」

そっかぁ。と杉元さんが笑った。時代錯誤な顔の傷は今世も健在のようで、しかも多分前世より上背もあるせいで余計いかつく見えた。私は元々知り合いだからいいが、うっかり街でぶつかったら一目散で逃げると思う。

「アシリパさんは今何年生ですか?」
「私は六年生だ。同じ学校にエノノカもいるぞ!」

縁というものは不思議なもので、三人とも今までそこそこ前世の知り合いに遭遇してきたらしい。だから私の顔を見て白石さんは躊躇いもなく話しかけてきたのだろう。
対して私は今まで一切誰とも出会わなかった。前世という存在を避けてきていたとはいえ、こうなると流石に仲間はずれにされたような寂しさはあった。

「今度みんなでバーベキューをしようという話をしているんだ。ナマエもこないか?」
「いいの?せっかくだしお邪魔したいなぁ」

認めてしまえば、前世なるものも悪くない気がしていた。
今までは変人扱いされて共感もしてもらえなかったから黙っていたが、こうして当たり前に話をできると思うと心地良いものがある。

「尾形もくるぞ!」

ぴしり。私は出された名前に思わず動きを止めた。尾形。尾形というのは言わずもがな尾形百之助のことだろう。
尾形さんは何というか…天敵?宿敵?まぁなんというか、なんとも形容し難い相手であるのは間違いない。

「いやぁ…尾形さん来るなら遠慮しょっかナー…」

小さい声でそう言ったら小さ過ぎて聞こえてなかったのか、アシリパさんは「あいつも楽しみにしていたぞ!」と嬉しそうに笑った。

「あーナマエちゃん…なんつーか…尾形ちゃんも今はそこそこ普通だからさぁ…」
「…白石さんなんとかしてくださいよぉ…」
「うーん、いくら可愛いナマエちゃんの頼みとはいえ、俺まだ死にたくないんだよねぇ」

なんだそれ。いきなりめちゃくちゃ物騒じゃないか。向かいに座ってる杉元さんもなんだか微妙な顔をしながら黙っているのでこれは加勢も望めそうにない。

「それにナマエちゃん、ただ会いたくないってわけじゃないでしょ?」
「そ、れは…」

今度は私が黙る番だった。白石さんはさすがというか、相変わらずよく人を見ている。昔から、私がただ尾形さんを「天敵」として見ているわけではないことなど、充分お見通しなのだ。

「まーまー、バーベキューだって今すぐじゃないんだし、ゆっくり気持ちの整理しなよ」

隣に座る白石さんが私の頭をぽんぽんと撫でた。そういえば昔もこんなふうに頭撫でてくれたんだっけ。昔のことを思い出して、つんっと目頭が熱くなった。



「いらっしゃいませー!」

居酒屋では一にも二にも元気な声が喜ばれる。特に私が働くような大衆居酒屋では。
考えていても仕方がないと私は一旦尾形さんのことを忘れ、アルバイトに大学にと没頭していた。

「ミョウジちゃんまたあのお兄さんたち来てるよ!」
「えっ、マジですか?」

店長がそう言った。このところ店長にまでも白石さんと杉元さんは顔を覚えられている。アシリパさんはまだ未成年だから連れてくるのは辞めてと言っているので彼女と会うときは専ら昼間のファミレスだ。

「これ、よかったらサービスで付けたげてよ」
「良いんですか?」
「いいのいいの。うちの看板娘の友達なんだから」

店長はそう言って小鉢をみっつ差し出した。ときおりこうしておまけまでしてもらって申し訳ない限りだ。
それにしてもみっつって、白石さんと杉元さんってばアシリパさんを連れてきたに違いない。そりゃ居酒屋に未成年が来ちゃいけない法律なんかないが、お酒も出るようなところに小学生の女の子を保護者でもない男が連れてくるのはあまりよくないだろう。

「失礼しまーす」

私は半個室の前でそう声をかけ、がつんと言ってやろうと意気込んで戸を開けた。

「白石さん杉元さん、アシリパさんを連れてくるのは辞めてってあれほどーーえ?」
「よぉ」

久しぶりに聞く声のはずなのに、よく耳に馴染む。だって何十回何百回聞いたことか。いつだってその声を、ひとつたりとも逃してはなるまいと耳を澄ませていた。確かに半個室の掘りごたつには三人腰かけていて、白石さんと、杉元さん、そして。

「お、がた…さん…」

前世と寸分たがわぬ姿で彼はそこに座っていて、ただあの時失ったはずの右目だけは昔と違って健在らしい。髪をじっと撫でつける動作をおまけに私のことを見つめる。

「白石さんッ!!」
「ご、ごめんってばぁ!だって尾形ちゃんナマエちゃんに会わせろってうるさかったんだもん!」

私が白石さんにどうして尾形さんがここにいるのかを詰め寄ると、白石さんが勘弁してくれとばかりに両手を上げる。泣くような素振りをしてみせたが、泣きたいのはこっちの方だ。何の心の準備だってしてないのに。

「ナマエさん、白石のやつ借りてる金帳消しでナマエさんのこと尾形に売ってたぜ」
「あっ、おい杉元!」

なるほど、私は今世も相変わらずお金に怠惰な白石さんにばっちり売られたというわけだ。白石さんはズモモモモと威圧感を放ち始める私に向かって「ごめんってばナマエちゃん!」「つか杉元も共犯みたいなもんなんだぜ?」とあれやこれやと弁明した。
ごめんで済んだら警察はいらないというのはまさにその通りだ。警察呼ぶかこのやろう。

「残念だったな、俺は現職の警察官だ」

はい解散おつかれさまでした!

「ていうかひとの心の中読まないでください!」

私が食ってかかると、尾形さんが現職の警察官だと言い出して、ささやかなる抵抗も最早意味を成さない。尾形さんよく警察官採用試験通ったな。ああ、あれか、マル暴的な。それならこれくらい厳つい人のほうが都合がいいのかもしれない。

「心の中っつーか、お前さっきから全部口に出てるぞ」
「えっ、うそ!」

尾形さんに指摘され、私はパッと口を手で覆った。こんなことをしたってもう聞かれてしまったものは意味がない。
それから「すいませーん」と他のお客さんに呼ばれ、今がバイト中だったということをやっと思い出す。

「私バイト戻るんで」

引き留めて来そうな尾形さんの視線を振り切り、私は「今伺いまーす」と返事をして他のお客さんのほうへと足を運ぶ。後ろからかけられた「ナマエ」という尾形さんの声には、気づかないふりをした。


そのあとはホールの交代の子が出勤してきて、私はキッチンを任されて仕事をした。別に逃げているわけではなかったけれど、お誂え向きだというのは事実だった。
ラストまでの勤務を終え、キッチンの締め作業もそこそこに、明日に仕込みをしていくという店長へ「お疲れ様です」と挨拶をしてお店を出る。深夜1時。最初はどきどきした夜中の帰り道も今や慣れたものである。

「お前、いつもこんな時間か」
「えっ!あッ!?尾形さん!?」

店の外壁に背を預け、尾形さんが煙草をふかしている。ポケットからケータイ灰皿を取り出してジジっと火をもみ消した。

「行くぞ」
「えっ、行くってどこにですか」
「お前の家まで送ってやるって言ってんだ」

家どっちだ。と聞かれ、私は馬鹿正直に駅の南です。と答えた。尾形さんは南に足を向け、私も置いて行かれないように隣を歩く。

「女がひとりで帰るには遅ぇんじゃねぇのか」
「いや、でも私もう成人してますし…」
「あほか。充分危ねえだろ。最低でも防犯ブザーは持っとけよ」

私は半歩先を歩く尾形さんの言葉に面食らった。なんか、すごく、普通に心配してくれてる?
黙ったままでいたら尾形さんが「なんだよ」と不服そうに口を歪める。

「えっと、いや、なんか…ほんとに警察官みたいだって思って…」
「だからそう言ったろうが」

私は咄嗟に誤魔化してそう言い、尾形さんが呆れたように返した。でも本当に呆れてるってふうじゃなくて、どこか少し優しげだった。

「…ナマエを探してた」
「えっ…」

落とされた声はささやかで、私は聞き返すことが出来なかった。思わず立ち止まってしまい、三歩歩いたところで私がついてきていないと気づいた尾形さんも立ち止まって振り返る。

「どうした」
「いや、あの、その…」
「なんだ、もう時計てっぺん回ってんだからさっさと帰るぞ」

尾形さんは大股の二歩で私の目の前まで戻り、反射的に仰け反った私の手をぐっと掴む。私は百年ぶりに感じた彼の手の温かさに驚いて、でも尾形さんはそんなことはお構いなしで歩き始めた。

「お、尾形さん!手!」
「やかましい。近所迷惑だろうが」

なんでそんなもっともらしいこと言うんだ。まるで本当に警察官みたいじゃないか。私はさっきみたいにそう誤魔化そうとして、でもそれもできずに尾形さんにされるがままで夜の街を歩いた。

「今更離してやるかよ」

尾形さんが悪人みたいに笑う。でも私はこの笑顔が嬉しいことがあった時のものであると、よく知っていた。
結局のところ百年経っても私は、この人から逃げることなんて出来ないらしい。

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