お食事はそのあとで
ジリジリと毎日暑い。あまりの高温だと蚊でさえ活動をしないらしいが、呪いというものはなんでこうも年がら年中湧くんだろう。私はしょうもないことを考えながらなるべく日陰を選んで歩いた。

「あ、ミョウジじゃん」

高専に報告を済ませようと立ち寄ると、五条さんがちょうどアイスを食べながらぷらぷらしている。「暑いねー」という言葉には同意するけど、だらだらと歩きながらアイスを食べる姿は恐らく仕事中だろうアラサーの男とは思えない。

「なに、報告?」
「はい。今日締め切りのがいくつかあったんで」
「真面目だねぇ」

真面目というか、いや普通では?とは思うが、この人にそんなことを言おうもんなら面倒くさいことになる気しかしないので私は「あはは」と笑ってやり過ごした。

「五条さんは任務の空き時間ですか?」
「いんや、今日は生徒の引率」

珍しい。五条さんが単独じゃなくて学生の監督なんて。そういえばこの人教師だったな。忘れてた。
何となく立ち話する流れになってしまい、私は思わず足を止める。アイスは五条さんの大きな口の中に恐るべきスピードで飲み込まれていった。

「最近七海どお?」
「どうもこうも、1週間以上会ってません」
「あ、あいつ出張か」

はい、と私は肯定した。
私が1週間前から短期出張で、帰ってきたら建人さんが入れ違いで出張。出張そのものは珍しくないけど、1週間以上会わなくなるのは少し珍しい。
話を振っておいたくせにさして興味はないのか、五条さんは「ふぅん」と相槌を打つだけだ。

「今日帰ってくる予定ですけど、何か伝えますか?」
「特にそういうわけじゃないよ。ただこの前会った時にヒットマンみたいな形相だったから疲れてんのかなって思っただけ」

いつのことだろう。私が出張に出る前はそんなことなかったから、ここ数日の話だろうか。それにしても、五条さんって意外と他人のこと見てるんだよね。
厄介な人だけども、後輩の建人さんのことは可愛いのかもしれない。

「ちょっと悪戯しただけなのにガチギレされてもう困っちゃうよ」

いや、ただ可愛いとかではどうやらないらしい。
建人さんは大人オブ大人だが、五条さんには容赦がない。五条さんの悪戯だって時々、いや大体度が過ぎるから、ガチギレの現場はさぞ地獄絵図だっただろう。遭遇しなくてよかった。

「ミョウジ今、遭遇しなくてよかったとか思ってるでしょ」
「えっ!いや、思ってませんよ!?」

声が裏返った。図星なのは丸わかりだ。五条さんの読心術は何とかならないものだろうか。


スーパーに寄ってから帰宅して、夕飯の準備に取り掛かる。最終日である今日は夕方そこそこの時間に帰って来れると言っていたから、夕飯より先にお風呂に入るかも。
建人さんはご飯が冷めるのを良しとしないタイプなので、準備を整えてしまうと何としてでも夕飯を先にとなってしまうだろうから仕上げの少し前までで一旦調理の
手を止めた。

「よし、と。こんなもんかな…」

キッチンをさっと片付け、それからお風呂場に行って湯船にお湯を張る。暑い時期でも疲れをとるならちゃんとお湯に浸かった方がいい。そうだ入浴剤はリラックス系のハーブのものにしておこう。
そうこうしていると玄関の鍵がかちゃんと開く音がした。建人さんだ。

「ただいま戻りました」
「お帰りなさい、建人さん」

ぱたぱたと建人さんを玄関まで出迎える。五条さんの言うヒットマンというほどではなかったけれど、目元に疲れが滲んでいた。
暑かったのか、建人さんはジャケットを脱いで腕に抱えていて、鉈やらホルスターやらは手持ちの鞄に入れているらしい。
この暑さで汗もかいただろうし、出張帰りの任務帰りだから先に汚れを流してしまいたいだろうと言うことは聞かなくてもわかった。

「お夕飯の準備もう少しかかりそうなんです。先にお風呂に入ってください」
「助かります」

気を遣わせないように言ったつもりが、建人さんはお見通しのようだ。まだまだだな、と思いつつ建人さんの鞄とジャケットを取り上げると「片付けておきますから」と言ってバスルームに建人さんを誘導した。

「着替えとタオル持ってきておきます」
「ありがとうございます」
「いーえ」

そう言って、脱衣所の扉を閉める。鞄を寝室の一角の所定の位置に戻し、ジャケットをハンガーにかける。着替えを一式取り出して脱衣所に戻って、ノックをしてから中に入った。ざぁざぁとシャワーの音がしている。

「建人さん、着替え置いておきますね」

シャワーの音に混じって建人さんの「ありがとうございます」と言う声が聞こえて、私も「どういたしまして」と返した。些細なことでもお礼を欠かさないのは私たちの習慣で、癖で、多分一番似ているところ。
夕飯の準備はすぐに整うけれど、今日は何となく建人さんを待っていた方がいいかもしれないなと思って、先にちょこちょことキッチン周りの片付けをした。
しばらくで建人さんがお風呂から上がる音がしたから、冷蔵庫の炭酸水をグラスに注ぐ。いつもならドライヤーの音がするはずが今日はしなくって、あれ、と思ったらドライヤーを手にした建人さんがリビングに現れた。

「ふふ、建人さんお疲れですね」

私はトコトコ建人さんの方に寄ると、ドライヤーを受け取って、そのままソファに建人さんを座らせてその後ろに立つ。これはつい最近追加された建人さんお疲れの合図である。
とは言っても、スーパーお疲れモードよりは随分と軽度の疲労の時に発揮されるもので、あそこまで限界になる前に言ってくれればいいのに、と打診した結果だ。

「乾かしますよ」

私は声をかけてからドライヤーのスイッチを入れる。コォと音を立ててドライヤーから勢いよく温風が出て、建人さんの綺麗な金色の髪をサラサラと揺らす。

「熱くないですか?」
「はい、丁度いいですよ」

髪を頭頂部から乾かす。上から下へ、指を振って髪の一点に熱が集中してしまわないように注意。自分の髪より何倍も丁寧にドライヤーをかけ、建人さんの湿った金髪がいつものサラサラ心地よい感触に変わっていく。
ドライヤーの熱でシャンプーとトリートメントの香りが強くなる。おんなじものを使っているのに、建人さんのだと思うとどうしてこんなにもどきどきしてしまうんだろう。
そうこう考えているうちに髪がすっかり乾いてしまって、最後に冷風で整えるようにすると、楽しいドライヤータイムはもう終わりだ。

「はい、終わりです」
「ありがとうございます、スッキリしました」

建人さんはそう言って毛先をちょんちょんと触った。髪の毛をセットしていない建人さんは仕事中と違って、きっちりしてるんだけど少しだけ緩い空気があって、それが私にだけ許されているようなもののように思えるからすごく好き。

「炭酸水飲みます?」
「いただきます」

私はキッチンに戻って炭酸水の入ったグラスを持ってリビングに戻った。
ふふ、別にキッチンから炭酸水持ってくるだけことなんだけど、建人さんが私に頼ってくれるのはすごく嬉しい。
だって建人さん、早々誰かに甘えたりとかしないし。

「どーぞ」

お礼を言いながら受け取る建人さんをじぃっと見る。炭酸水に落とされていた視線がふいに上がり、私の目と合った。

「…何か?」
「何でもないです。ただ建人さんが甘えてくれるの嬉しいなぁって思ってただけで」

だって建人さん、今まで限界じゃないと甘えてくれなかったから。と付け足すと、建人さんはグッと炭酸水を飲み干してグラスをテーブルに置いた。
それからちろっと私を見て、珍しくそのまま逸らす。

「…私だって、ナマエさんにくらい甘えますよ」

可愛い。建人さんを可愛いと思うなんてあんまりないことだ。
だって建人さんはいつもカッコよくて、優しくて、強くて、スマートで、大人オブ大人。こんな可愛いところ恋人にしか見せないだろうな。もしかして私しか知らないのかな、と、建人さんの今までの恋愛経験もろくに知らないくせに私は浮かれた。

「建人さん、他にして欲しいことありません?」

私は建人さんのくっついてしまうほど近くに座り、建人さんの綺麗な指を見つめる。すると建人さんの指がゆるりと動いて、隣に座る私の手を上から握った。
お風呂上がりのせいか少しだけしっとりとしていていつもより熱い。

「では食事の前に、もう少しだけこうしていてもいいですか」

そう言って、建人さんは私の指の形を確かめるようになぞる。それが気持ちよくて、私も同じようにして建人さんの綺麗な指をさすった。
少しだけ重心を傾ければ、すぐに建人さんの腕と肩にぴったりくっついて、建人さんも同じようにして少しだけ私に体重を預ける。

「…もうちょっと、近くがいいです」

これ以上近づきようがないのに私がそんなことを言えば、建人さんはふっと笑って私の横髪を掬い上げると、王子様みたいにキスをした。
面食らっていたら今度は標的を髪から頬に移し、そして鼻先、唇と順番にキスをされる。

「私も、もう少し近づいてもいいですか」

そうかけられた声に私はこくりと頷いて、そしたら建人さんのキスがもっと深く与えられる。
唇を割って侵入する舌の熱さを感じ、ついに私と建人さんの距離はこれ以上ないくらい近づいた。
舌と舌が隙間なくひっついて、隔てるものが限りなくゼロになっていく。

「ん、建人さん、もいっかい…」

甘いものなんて食べていないのに建人さんのキスはいつも甘い。
甘えられて嬉しいなんて言ったけど、結局これだって私が甘えているのかもしれないな。溶けそうになっていくのを感じながら、お夕飯の準備終わらせてなくてよかったと頭の片隅で考えていた。

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