クレイジー・アバウト・ユー
11月某日。このところ、ナマエの様子がおかしい。と、五条はじっと隣に座るナマエを観察した。
一緒に住んでいるのにすれ違いの生活、というのは今までもそこそこあることで、時間も曜日も不規則な勤務を要求される呪術師同士、まして五条は特級として任務を課せられているのだから、繁忙期はもちろんそうでないときも随分な多忙を極めている。
ナマエの好意を疑うわけではないが、流石に殆ど話せないような日が続くと、フラストレーションは溜まる一方だった。

「ナマエ、今度の休みだけどさぁ」
「えっ!あ!はい!」

加えてこれだ。ナマエの挙動がおかしい。
珍しく一緒に食卓を囲んでも上の空といった様子で、声をかければ大げさなほど肩を揺らす。
出逢った頃とまでは言わないが、それに近い態度が五条をもっとイラつかせた。

「水曜日オフでしょ。僕も早く帰って来れそうだし、どっかご飯食べに行こうよ」
「えっと、すみません、その日はちょっと先約があって」

デートの誘いを断られ、大人げなく「僕より大事なの?」とでも言ってやろうと思ったが、あまりに申し訳なさそうにするから五条は思わず口を噤んだ。

「そう。じゃあまた今度空いてる日教えて」

はい、という返事を聞いて、隣に座るナマエのつむじを見下ろす。学生時代から彼女のことは知っているが、呪術師の家系に生まれて呪術師になるために生きていた彼女にホイホイと遊ぶような友人がいるとは知らなかった。
女性の術師や補助監督と食事に出かけているのは何度か見たことはあるが、学生時代上にも下にも同性のいなかったナマエの友人と言えば伊地知くらいなものだと思っていた。ちなみに、その伊地知は水曜日全日五条の送迎なので先約の相手でないことは確かである。

「この映画、今度続編やるんだって」
「…え、あ、そうなんですね」

五条は視線をテレビに向け、ハァと溜息をついた。せっかく久しぶりにゆっくりできると思ったらデートの誘いは断られ、挙句受け答えも上の空。
何かあったわけだはないならいいが、これは硝子と伊地知に探りを入れておこう、と手元のリモコンでチャンネルを興味もないバラエティ番組に変えた。


翌日、任務までの少しの時間を利用して五条は家入の常駐する医務室を訪れた。
デスクに向かってなにやらペンを動かす家入の斜め後ろで丸椅子に足を持て余しながら跨る。

「ねぇ硝子、なんか知らない?」
「いや、何も聞いてないが」

家入は視線もくれずに言った。何も聞いていないらしい。
体調がどうのとか、怪我をしただとか言うことがあれば真っ先にナマエは家入を頼るはずだ。それが何も聞いていないというなら、そういった類の話ではないらしい。

「お前は心当たりないのか」
「僕ぅ?あるわけないじゃん」

五条は両手を挙げて降参のようなポーズで言う。こればっかりは本当に一切何の思い当たる節もないのだ。五条はだらんと足を伸ばした。
家入はカレンダーで日付を確認し、書類の右上に記入する。

「五条、お前時々引くほど鈍いよな」
「はぁ?」

家入は急に訳知り顔でそう言って、にやりと笑うと頬杖をついて振り返るように五条を見る。

「まぁしばらく待っていれば解決するさ」

その兆しがないから言ってんだけど。と言ってやろうとしたところで医務室の扉がノックされた。がらりと引き戸を開けたのは本日の送迎担当の伊地知である。

「失礼します。あの、五条さんそろそろ…」
「あ?あー、もうそんな時間か」

これから二泊三日の出張である。そのあとも立て続けに日帰り出張と学生の同行が続き、それらが終わればやっとナマエとデート出来ると思っていたのに、それが不意になったのは正直面白くはなかった。

「いやぁ、人気者はツラいね」

内心苛立っていることを悟られないようにいつものお道化た調子で言えば、家入は「隠せてないぞ」とその背中に投げた。


任務は、いつも通りさほど困ることはない。
多少手こずることがあっても、怪我をするなんてことはよっぽどないし、今回は面倒なだけで術式を使うほど強力な呪いには遭遇しなかった。
二泊三日の出張と日帰り出張を2件終えて、今度は一年生の任務の同行だ。
虎杖と伏黒と男子寮で合流し、中庭まで歩く。集合時間までは少しあるので、自販機の近くのベンチで釘崎を待った。

「あれ、ナナミンだ」

虎杖がそう言い、視線の方を確認するといつものスーツ姿の七海が待合のある棟の近くに立っていた。
あいつも任務か、と思ってそのまま眺めていると、七海の隣に人影があることに気が付いた。ナマエだ。
随分と嬉しそうに笑っている。僕の前じゃ最近そんなふうに笑わないくせに。ピリッと空気にヒビが入った。
虎杖と伏黒は無言で顔を見合わせ、それからコソコソと五条を避けるように話をしているが、五条は二人を気に掛ける余裕はなかった。

「あら、あんたたち早いじゃない」

そのうちに釘崎が現れ、ヒビ割れた空気が少しだけ緩和される。釘崎は七海とナマエには気づいておらず、虎杖と伏黒は五条に見えない位置からジェスチャーで状況を伝えようとするが、釘崎は首を捻るばかりだ。
途端、五条の雰囲気がいつもの軽薄なものに戻り、先ほどまでの空気が嘘だったように元に戻る。

「いやぁ、野薔薇遅かったね。トイレ?」
「あ?違うっつーの。あんたマジでデリカシーないわね!」

釘崎がそう返して脛に一発蹴りを入れるが、あえなく無限で防がれる。
五条は三人の背中を押すようにして出発を促し、釘崎が「触んじゃないわよ」とそれを叩き落そうとする。それをふいっと五条が避けた。

「さ、行こうか。今日の呪霊はチョー強いから期待しといてね」

虎杖がこっそりと振り返ると、もうそこには七海の姿もナマエの姿もなかった。


水曜日、五条は伏黒の単独任務に監督の立場で同行し、高専まで戻ると自家用車で帰路についていた。
基本的には伊地知の送り迎えで済ませているが、時おり気が向いた時やナマエが一緒の時には車で高専と自宅を行き来することもある。

「結局伊地知もなんにも知らないんだもんなぁ」

ナマエとはロクに話せていなかった。この前の休みから出張続きで、数回荷物を取りに自宅に戻っても今度はナマエが任務でいないという具合ですれ違っている。
学生ほどべたべたしたいと思うわけではないが、いや、べたべたはしたいが、さすがにこれだけ会えないというのはフラストレーションどころの話ではなくなっていた。トントントン。ハンドルに添えた右手の人差し指を打つ。
自宅までの道のりの途中、青山通りで信号待ちをしているときにふと、良く知った呪力を感じた。右をちらりと見れば、五条の六眼は雑踏に紛れて歩くナマエと七海の姿をとらえた。

「は…?」

思うも束の間、後ろから激しくクラクションを鳴らされ、五条は交差点を走り去らざるを得なくなってしまった。


マンションに戻っても、明かりは点いていなかった。当たり前だ、ナマエはまだ青山通りを歩いている。
ひょっとすると、七海とどこかに入っているかもしれない。七海は五条も納得するほどのグルメで、あのあたりならいくらでもいい店を知っているだろう。
楽しそうに笑うナマエを想像して舌打ちをした。

「ただいま戻りましたー」

しばらくして聞こえたのは、五条のぐつぐつと煮える思考とは裏腹に軽やかな声だった。とんとんと軽い足音が近づき、一度奥の自室のほうへ引っ込むと、また軽い足音が近づきリビングのドアが開かれる。
ソファに座ったまま横目でナマエを確認すると、五条がプレゼントしたワンピースを着ていた。他の男とデートするのに僕がプレゼントした服着ていくなんて、良い度胸してるな。と考えながら、五条はソファから腰を上げる。

「五条さん、お夕飯もう食べちゃいましたよね?」

リビングからダイニングのほうへ移動しようとするナマエの進路を妨げる。ナマエはきょとんとした顔で五条を見上げた。
ここ最近のパターンであれば、大げさなほど肩を揺らすだろうタイミングなのに、今日はそれがない。なんだよ、七海に会ったばっかだからか?と五条は心の中で毒づいた。

「…おまえ、今日何してたの?」
「え?」

まだ隠すつもりか、と思って、五条はナマエを壁際まで追い詰めると少しも屈むことなくナマエを見下ろす。
ナマエの顔に少しずつ怯えのようなものが滲んだ。

「先約って七海だろ」
「み、見てたんですか…?」

サッと顔が一気に青くなって、その動揺する態度が五条をさらにイラつかせた。どん、と壁に手をつくと五条はさらに問い詰めた。

「僕に言えないこと?」

はくはくとナマエのくちが開閉して、何か言葉を探しているようだった。言い訳なんていらない。
胸の前で震えるナマエの手首を掴み、ぎりっと力を強くする。痛い、とナマエが言うのもお構いなしだった。

「ナマエ最近おかしかったもんね。僕と一緒にいても上の空だし、必要以上に驚くし、挙句の果てにデート断ったと思ったら七海と出かけてるとかさ」

フラストレーションは限界まで溜まって、もう言葉を止めるすべを持たなかった。
自分の前ではぼうっとしていたくせに、七海の前であんなふうに笑って、あまつさえ二人きりで出歩いて。
僕から離れていくつもりなのか、と、五条は奥歯を噛みしめる。

「浮気?そんなの絶対許さない」
「ち、違います…!」
「何がどう違うんだよ。僕より七海を優先したってことだろ」
「ご、五条さんのためなんです!」

断ち切るようにナマエの一等大きな声がした。あまり聞く機会のないナマエの大きな声に思わず気を取られ、五条の手が緩む。逃げ出せるはずの力になっているはずなのに、ナマエが逃げることはなかった。
僕のためってどういうことだよ。と問い詰めようとしたところで、ナマエが先に口を開いた。

「あの…五条さんの誕生日プレゼントの相談をしていたんです…」
「…は?」
「すみません、びっくりさせたくて黙ってました」

誕生日、という単語につられて頭の中でカレンダーを思い浮かべる。確かに、明後日は12月7日、五条の誕生日だ。
ナマエは思わず手を離した五条の隙間をすり抜けて、廊下の奥の、自分の部屋に向かった。ぱたぱたと戻ってきたナマエの手には、小さな紙袋が下げられている。紙袋には黒に特徴的なゴッサムミディアムの白抜きフォントでロゴが入っていた。メンズ向け商品をよく取り扱うブランドのものだ。

「ちょっと誕生日には早いですけど…」

受け取った紙袋の中身はレザーの黒い手袋。肩がからドッと力が抜けていくのを感じる。
ナマエは少し様子を窺うようにして恐る恐ると言葉を続けた。

「あの、五条さん何でも持ってるから何がいいかわかんなくって、男のひとのブランドもそんなに知らないので、七海さんにずっと選ぶの付き合ってもらったんです」
「僕のために?」
「はい。付き合って初めての誕生日ですし…」
「このところずっと上の空だったのは?」
「ずっとプレゼントのことばかり考えていて…すみません」

五条はハァァと思い切り息をついて、その場にぐっとしゃがみ込む。「大丈夫ですか?」と心配そうにナマエも隣にしゃがんだ。

「めちゃくちゃ焦った。ナマエが別れるとか言い出したらどうしようってさっきからずっと考えてたよ」
「ふふ、私がそんなこと言うわけないじゃないですか」

でも、不安にさせてしまってごめんなさい。と、ナマエは謝って、膝の上に組むようにされた五条の指に手を重ねる。
自分のとは違う細い指を五条はそのまま捕まえて、逃げ出せないように指を絡める。

「サプライズじゃなくなっちゃいましたから、当日はまた考えますね」
「いーよ、サプライズもプレゼントもいらない」

ナマエがきょとんとした顔で五条を覗き込む。五条は顔を傾けてキスをして、そしたら普段キスなんかしない体勢だから、少しだけ逸れて五条の唇はナマエの口の端に着地した。

「ナマエの手料理食べたいって言ったでしょ。だから、僕の好物作って、二人っきりで食べよう」

本当に特別なことは何も必要ない。五条は膝をついて、ナマエを抱きしめた。
やっとずっと欲しかったナマエが手に入って、それだけで充分なのだ。この腕の中にナマエがいれば、それだけで。

「何が食べたいですか?」
「ナマエ特製のマカロニグラタン」
「ふふ、五条さんそれ好きですね」

どうして五条がマカロニグラタンを好きになったかを知らないナマエは、他人事のようにくすくす笑う。
ナマエのせいだよ。と言わずに、五条は「そうだよ」とただ肯定をした。
広いリビングの中で小さくなって抱き合えば、このところ感じていたフラストレーションもまるで嘘みたいに消えてしまった。

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