04 ワンウェイ

悟くんの連絡は、予告通り本当に次の日の夜に来た。

『もっしもーし、起きてる?』
「…いま寝るところだったんだけど…」

時刻は深夜1時半。明日は金曜日でまだ平日。このところ元カレの荷物の整理でばたばたしていたから、今日こそは早めに寝てやると意気込んでいたのだ。
悟くんは大層元気な声で『マジで?寝るの早くない?』などとのたまっている。
悟くんの職業は知らないが、昨日あんな時間に「これから仕事」と言っていたところをみるに少なくともオフィスワーカーではなさそうだ。

「ふつうの会社員はわりとこんくらいの時間に寝るんだよ…」
『ふうん。まぁいいや』

私はベッドに寝ころばせていた身体を起こし、水でも飲むかと立ち上がる。
食器棚も随分すっきりした。ひとり分の食器というものは、こんなにも少なくていいらしい。

「で、こんな時間に何の用?」
『え、冷たくない?』

いや、悟くんに優しくする理由がそもそもなくない?と思ったが、言ったら面倒くさそうだなと思って辞めた。

『またお茶してよ、いつヒマ?』
「え」

そういえば、社員証のお礼としてスイーツビュッフェのお代を払おうとしたら「また僕とお茶してよ」なんて言われた気がする。
言葉の真偽のほどは定かではないと思っていたが悟くんは本気だったらしい。

『土日休みだよね?』
「うん」
『じゃあ次の土曜日ね。場所は…飯田橋の駅でいいや』

私の意見を挟む間もなく悟くんの都合でとんとんと予定を詰められていく。いやいや私の都合聞かんかい。
悟くんのペースだなぁ。なんで悟くんに振り回されてるんだろう。
ぼうっとそんなことを考えていると、電話の向こうでがちゃがちゃと音がする。それからトントントンと足音がして、女の人の声が聞こえた。

『ちょっと、いつまで電話してんのよ』
『え、ああ、ごめんごめん。…じゃあまた土曜日ね』

ぷつん。一方的に電話を切られた。いや、私の意見。
私は通話が切られたスマホのディスプレイをじっと見る。女の人の声、だったな。
こんな夜中に一緒にいるってことはそういう女の人ってことだろうな。いや、別に悟くんとそういうことを期待していたわけではないけれど、なんか胸のあたりがモヤモヤする。っていうか、彼女の前で他の女に電話するってどうなのよ。

「やめやめ、もう寝よ」

考えたってしょうがない。
別に私は悟くんのそういうんじゃないし。まぁ一回やらかしてるけども、ただそれだけだし。いやそんな相手となんで茶飲み友達になんのよって言われたら弁明の余地はないけども。


結局昨日はあんまり寝付きが良くなかった。別に振り回されてるとかそういうんじゃない。断じて。
私は社員証をピッとかざし、自分の席に荷物を置く。今日は先輩のほうが早くて、もうすっかり仕事の準備を完了していた。

「おはようございます」
「おはよう、ミョウジさん」

先輩は鋭い目でじっと私を見た。何だろう、なんかミスでもしたかな…。でも基本的に先輩と私は業務が被らないから、ミスをしていたとしてもとんでもない迷惑をかけることはないはずなんだけど。

「ミョウジさん、大丈夫?」
「え、何が…ですか…?」
「その肩」

じっと先輩は私の肩を指さした。え、と思って自分の肩を見下ろす。当然だけど、何にもなってない。
埃か?とぱふぱふ払ってみたものの、先輩の視線は依然肩に向けられたまま。

「あの…先輩?」
「すごく、嫌な感じがするわ。ごめんなさい、私もあまり強く感じられるわけじゃないからちゃんとしたことは言えないんだけど…」

普段冗談とかを言う先輩ではないし、今だって大真面目に私の肩を観察している。
三年目にして社内にスピリチュアル女がいたことを知った私は、あはは、と乾いた笑いを溢した。

「最近肩が重いとか、そういうのは感じない?」
「え」

ぎくりとした。確かに、先週の金曜日からやたらめったら肩が重く鈍痛を感じている。まさかスピリチュアルの力は本物なのか?

「あ、あの…」
「おはようございまーす」

私が口を開いたところで丁度後輩ちゃんが出勤してきて、なんとなくその話はそこで打ち止めになってしまった。
後輩ちゃんの参加する週末の合コンのメンバー情報を聞きつつ、始業準備を進める。午前9時になり、朝礼が始まった。
指摘されると、肩はより重く感じた。特に右肩。上からすごい力で押さえつけられてるみたいな、そういう類の痛みだった。
電話の対応と見積書の作成、受注作業や資料の整理。いつも通りの仕事もなんとなく調子が出ない。霊感というものを信じたことは今まで一度もなかったが、これはひょっとしたらひょっとするのか?

「あの、先輩、今朝の話なんですけど…」
「えっと、あなたの肩の?」

午前中いっぱいろくに集中できないまま半日を終えた私は、思い切って昼休み先輩にそう声をかけた。
先輩の視線はやっぱり私の肩。

「嫌な感じがするっていうと、やっぱりその…悪霊的な…?」
「私にはしっかり見えるわけじゃないの。けど私にも嫌なものは感じるわ」

いや、その嫌なものが何かを聞きたいんだが。
私が黙っているのを事態を深刻に感じているのかと思ったのだろう先輩は、少し考えてからスマホでどこかに連絡を取り出した。

「私の叔母が、とてもそういうものに詳しい人を知っているのだけど、ちょっと連絡とってみるわね」
「えっ!」

まさかそんな話になるとは。「そこまでしていただかなくても」と言ってももう遅くて、電話は先輩の叔母さんに繋がってしまったようだ。
「うん、うん、そう。会社の後輩の子で、肩がね」と先輩は電話の向こうの叔母さんに説明をしている。そのうち「ミョウジさん、日曜日空いてるかしら」と言われ、ほぼ反射的に「はい」と答えたら先輩は人差し指と親指で丸をつくって電話に戻っていった。
やがて電話を終えた先輩はスマホをポケットにしまって、私のほうへ向き直る。

「叔母が日曜日その人のところに行くらしいから、一緒に行きましょう」

どこに…?と思ったものの、話はついてしまっているし、まぁ一回くらいいいかぁ、と先輩の誘いに乗ることにしたのだった。


翌日の土曜日、私は電話で指定された飯田橋駅で悟くんを待っていた。
悟くんとのやり取りは地味に面倒。何故なら、私は悟くんの電話番号しか知らないから。
スマホが普及しだして大体メッセージアプリで待ち合わせのやり取りはするし、ガラケーを使っていた学生時代だってメールだった。音声のみで待ち合わせ、しかも「いま着いたよ」なんてメッセージを気軽に送れないのも意外と落ち着かない。

「悟くん、遅刻?」

スマホで時刻を確認すると、約束の午後2時を8分過ぎている。
私はこういう待ち合わせに大抵5分前には着くタイプだから、合計13分JR飯田橋駅の改札を出たところで待ちぼうけしていた。右斜め上を中央線の黄色い車両が何本も通り過ぎる。
たぷたぷスマホをいじりながらそこから更に5分が経過し、プレイ中のパズルゲームに通話が割り込む。悟くんだ。

「もしもし」
「あ、ナマエちゃんいまどこ?」
「え、飯田橋の駅の改札出たとこだけど」
「うそ、僕、地上出たとこなんだけど」

地上?なんで地上?

「もしかして悟くん、メトロ?」

案の定、悟くんは東西線でここまで来たらしい。やっぱこういうやり取りだってメッセージだったらもっと気楽に確認できるのになぁ。
「そこで待ってて」と言われ、私は悟くんの到着を待つ。道行く人より頭一個分飛び抜けたサングラス姿の悟くんは割と遠くからでも見つけられた。

「お待たせー」
「ごめん、場所確認しとけば良かったね。悟くんも待ったでしょ?」
「いや?僕8分くらい遅れて着いたしそんなには」

いや、そもそも遅刻はしとったんかい。


悟くんにいわれるがまま目白通りを飯田橋方面に歩き、駅の東側に移動した。今度は外堀通りを神楽坂方面に歩く。
そこから一方通行の道に入り、ほんの少しで悟くんは足を止めた。

「ここ。僕のお気に入り」

そこは随分と年季の入った佇まいの老舗の和菓子屋さんで、ちょっとびっくりした。
いや、そりゃすごく美味しそうなところだけど、高級ホテルのスイーツビュッフェを嬉々として楽しんでいた姿を見ていたから、ああいう系統の場所が好きなのかと思ったのに。
悟くんについて店内に入ると、ちょうど席が空いていたようですんなりと座ることができた。

「何食べる?」
「悟くんのおすすめは?」
「抹茶ババロア一択だね」

メニュー表にはかき氷、白玉、あんみつ、温かいおしるこやお食事も少しあるらしい。悟くんのおすすめという抹茶ババロアは「いろいろ」と書かれたカテゴリーの中に混ざっていた。
どれも美味しそうで気になるけれど、ここはやはり悟くんのおすすめにしておこう。

「私も抹茶ババロアにする」
「うん、わかってるね」

声を弾ませて悟くんは言った。わかってるというよりもわかんないから抹茶ババロアなんだけど。
悟くんが店員さんを呼んで、抹茶ババロアをふたつ注文する。長い悟くんの足は不格好に折り曲げられていて、スタイルがいいというのも考えものなんだな、と関係ないことを思った。

「お、きたきた」

しばらくで、緑色のつやつやした抹茶ババロアに生クリームとあんこがちょこんと盛られた器が運ばれてきた。
うん、確かにめちゃくちゃ美味しそう。
二人していただきますと言ってスプーンを手に取る。デザート用のスプーンは悟くんが持つとおもちゃみたいだ。

「わ、美味しい」
「でしょ」

抹茶ババロアはすごく濃厚で、鼻から抜けていく抹茶の香りがたまらない。
あんこの甘さもババロアに合わせるとちょうど良くって、そこに生クリームが乗っかてるのだから美味しくないわけがない。ぱくり。もうひとくち。

「ここさぁ、仕事終わりだと大体営業時間終わっちゃってるから食べたいなって時に食べらんないんだよね」
「悟くん、仕事の時間遅いの?」
「うーん、日によるけど時計の針てっぺん越えることも多いし、酷いときは夜通しとかもあるよ」

やっぱり聞けば聞くほど芸能人みたいだなぁ。私は悟くんの話に相槌を打ちながらまたババロアをぱくりと口に入れた。

「休みは普段平日?」
「いや、バラバラ。てか殆ど休みとかないかな」

ははは、と事も無げに悟くんは笑ったけど、そんな貴重な休みに私なんかとお茶してていいのか。深夜に電話を取ったときの「ちょっと、いつまで電話してんのよ」という女の人の声が頭を過ぎる。
いや、マジでそっち行ったほうがいいのでは。

「ナマエちゃん、調子は?」
「え、いたって普通ですけど」

思わず敬語になった。悟くんはサングラスの向こうからじっとこちらを観察している。
それから左手をひゅっと水平に動かして、それに合わせるように肩のあたりが少しひんやりする。

「ナマエちゃん、心霊スポットとか好きなタイプ?」
「いや、信じてないから興味ないね」

悟くんは妙なことを聞いて、そっか、と簡単な相槌だけでまたババロアに集中しだした。
なに、元カレも先輩も悟くんも。スピリチュアルブーム?

「あんま変なことしちゃダメだよ」
「えぇ、なにそれ」

結局悟くんはこの話題にそれ以上言及せず、私たちは抹茶ババロアの美味しさを堪能したのだった。


お店を出て、そのまま神楽坂通りを当てもなく歩く。
悟くんから出てくる話は都内の新作スイーツの感想だとか、地方の銘菓の話だとかそういうのばかりで、さっき甘味処で聞いてきたようなスピ系の話は出てこなかった。
なんで悟くんと二人で出かけてるんだろうなぁなんて根本的な疑問はそのままだが、悟くんは話が上手なのか喋っていて飽きない。

「悟くん、話し上手だよね」
「マジ?初めて言われたよ」
「そうなの?」

聞けば、悟くんはどうやらよく、会話の行き違いで人を怒らせることがあるらしい。まぁ確かに私もいま別に意思の疎通が取れているわけではないけど。なんだろう、いうなればラジオリスナーの気分だ。

「あ、そこの雑貨屋寄って良い?」

そう断って、道沿いにぽつんと立つ小ぢんまりした雑貨屋さんに入る。そうそう、食器を買いたかったんだ。
別に今まで使っているものを使えば良いと思うけど、こう、心機一転ってかんじでなるべく色んなものを一新したい。お金かかるし、全部は無理だけど。

「食器?」
「うん。引っ越すんだよね、だからいっそ新しくしよっかなーって」

棚を物色する私の後ろを悟くんは律儀についてきた。いや、デカいな。
悟くんは興味なさそうに店内を見回すから、ああそうか、ここに入る前に解散しときゃ良かったな、と今更気づいた。私の買い物に付き合わせるのも変な話だ。

「ごめん、気づかんかった。私しばらく買い物するし、解散しよっか」
「え?なんで?」
「なんでって…詰まんないでしょ?ひとの買い物なんて…」
「いいよ、僕今日ヒマだし」

私は悟くんの言葉に「そう?」と相槌を打つしかできない。楽しくも何ともないだろうに。まぁ、悟くんがいいなら良いけど。あ、このお皿可愛い。
買い物はなんだかんだと長引き、悟くんは夕方まで私の買い物に付き合った。
一週間前までワンナイトのお兄さんだと思っていた悟くんはいつの間にか、普通の友達みたいになってしまっていたのだった。

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