15 ワンウーマン

私の身の回りに超常現象が起きても、仕事が減るわけでもなければ会社が休みになるわけでもない。
私は七海さんに護衛されながら電車に乗り、会社までの道のりを歩き、デスクのパソコンを立ち上げた。

「おはようございまーす」
「おはよー」

後輩ちゃんは出社するや否や、私のもとに「先輩聞いてくださいよ!」と駆け寄ってきた。

「え、なに、どうかしたの?」
「どうもこうもないですよ!マジで!」

彼女はぷんぷんと怒りを露にしながら鞄を乱暴に椅子の上へと置くと、がさがさ中を探ってシリアルバーを食べ始めた。半分満足バー、美味しいよね。

「例の男!最低最悪の嘘つき野郎だったんです!」
「え?広告代理店勤務っていう?」
「そう!それ自体が嘘だったんですよ!」

それ自体が嘘ってどういうこと?
私が話の全容を理解できないでいると、後輩ちゃんはばりばり半分満足バーを食べ進める。これはおやつなのか、それとも朝食なのか。

「広告代理店なんてとっくに辞めてたんです!それだけならまだいいですけど、今の仕事ネットで宝石売る仕事ですよ!?怪しすぎないですか!?しかも32歳って言ってたのに実年齢45歳だって!」
「うわぁ、なかなか派手な嘘だね」
「そーなんですよ!年齢はほら、まだいいですけど、嘘つかれてたことそのものがもう信用できないです!」

もぐもぐもぐもぐ。半分満足バーを勢いよく食べきり、後輩ちゃんは手にしたカフェオレで流し込む。

「嘘とか隠し事とか、全部が全部言えとは言いませんけど、やっぱ職業隠されてたり変な仕事してたりするのは無理ですよ」

ざくっざくざくっ。私の心に見事に突き刺さった。身に覚えがありすぎる。
私は別に悟くんから口説かれているわけではないけども、まぁ後輩ちゃんの言う通りだ。隠されていたわけじゃないが、私たちからすれば充分怪しい仕事である。

「ミョウジ先輩?」
「あはは、いやぁ、ダメだよね、嘘つきってさ」
「そうですよ。些細なことでも不誠実な態度をとるってことはそういう人だって事ですからね!」

普段であれば全面的に同意し、半分満足バーの一本や二本奢っていたことだろう。しかし今は結構くるものがある。
そうだよね、一回やらかした相手と引き続きデートなんて言いながら会い続けるのはなんというかこう、遊び人極まる感じがするよね。
私は曖昧に乾いた笑いを返して、その後も続く広告代理店の男、もといネット宝石商の男の愚痴をうんうんと聞き続けた。


一日の仕事を終えるまでの間、特に変わりはなかった。お札はお手洗いに立つときも肌身離さず持ち歩いた。
特に変わりがない、というのは昨日のように倒れるほどのことはないという意味で、決して体調が万全という意味ではない。慢性的な気持ち悪さや息苦しさはずっと続いていた。
会社の入っているビルを出て、駅とは反対方向に少し歩く。二つ目の角を曲がったカフェに七海さんが待ってくれている手筈になっている。あ、いた。

「七海さんすみません、お待たせしました」
「いえ、問題ありません。行きましょうか」

紙のカップをゴミ箱に捨て、七海さんが立ち上がる。変わったサングラスをしているのは趣味なんだろうか。似合ってるけど、彫りが深くないとかけられなさそう。
幸い私の使っている駅は皆が使う地下鉄ではなく在来線の駅なので、会社の人に見られて不要な詮索を受けることはなさそうだ。

「あの、七海さん。呪術師?ってどんな仕事してるんですか?」
「…五条さんから説明はなかったんですか?」
「呪いを祓うっいうのは聞きましたけど、詳しくは何も聞いてないです」

並んで歩きながら私が正直にそう言うと、七海さんはフゥーっと大きく息をついた。それから七海さんは「規程上あまり詳しくは話せませんが」と前置きをして、普段どんな仕事をしているのかを教えてくれた。
悟くんが言っていた通り呪いを祓いにいろんな場所へ出張すること、呪いの発生しそうなスポットをパトロールしたりすること、呪いのこもったアイテムなんかがあって、それが暴走しないように封印をしたりすること、それから呪術を使って悪いことをする呪詛師と呼ばれる人と戦って一般人を助けたりすること。
思ってたよりなんか、警察とかそういうのみたいだ。

「あ、だから悟くんよく色んなところに出張に行ってたんですね」
「あの人は術師の中でも特別です。特級で五条家だなんて私たちの比じゃない」
「悟くん、そんなにすごいひとなんですか?」

私がそう尋ねると、七海さんは少し驚いた顔になったあと、しまった、とでもいうように少し眉を動かした。

「七海さん、あの…悟くんのこと…教えてもらえませんか」

私は気が付くと、そんなことを口走っていた。卑怯だ、悟くんに聞けないから七海さんから聞いてしまおうなんて。「忘れてください」と撤回しようとしたら、七海さんのほうが先に口を開いた。

「本来は他人のことを勝手にベラベラ話すことは好きではありませんが、今回は私もほとほと五条さんから迷惑をかけられていますので、ご協力しますよ」
「えっ!」

意外だった。七海さん堅物っぽいしあんまそういうこと協力してくれなさそうだと思ったのに。七海さんは「今回は特別です」と念を押して悟くんのことを話し始めた。

「…あの人は、五条という家の出身で呪術界においては相当重要な家柄の当主なんです。それに規格外の強さを有する、文字通り最強の呪術師なんですよ」

曰く、呪術師の世界というものはお家柄が重要視されるらしい。その中でも悟くんの実家は御三家と呼ばれる大きな家のひとつで、悟くんは若くしてそこの当主なのだそうだ。
そして悟くんは呪術師の中でも特別強力な力を持っていて、呪術界で「最強」と呼ばれているらしい。
初めて高専に保護された夜、悟くんは自分を「最強」だといった。私は子供っぽい大げさな言葉だと思ったけれど、どうやら本当に事だったらしい。

「あの人は、本来スケジュールをみっちり詰められて仕事を回されるんです。ヒマだからお茶をしようだなんて時間があるわけがない」

悟くんの約束の取り付け方はいつだって急だったけど、必ず私の仕事が休みの土日にしか持ちかけて来なかった。多いときは毎週末のように会っていた。
それはきっと私に憑いている呪いを祓うためだったのだろうけど、無理してスケジュールを詰め込んでくれていたらしい。

「それでも、アナタとの約束を取り付けて、その度嬉々として私に毎度自慢してくるんですよ」
「嬉々として?」
「ええ。とても鬱陶しいくらいに」

七海さんは涼しい顔でそう続けて、それと裏腹に私の頭は混乱した。嬉々としてって、そんなの期待する。
仕事の一環で私のことを見てくれているだけだと思っていたのに、会いたいと思って、会ってくれてたの?

「あの人は器用ですが、とんでもなく不器用だ。それにずっと呪術師をしているせいで一般常識はないし馬鹿みたいな嫌がらせはクソガキかと思うこともあります」
「とんでもない言いようじゃないですか…」
「ですが私は、五条さんが誰かのために時間を尽くしているところなんて、初めて見ましたよ」

ひゅっと、息が出来なくなった。
どきどきするのとは違う、どこか心臓を締め付けられるような、そんな心地。

「ミョウジさん」

悟くん、どうして無理やり時間作ってくれたの。
私に会いたいって、思ってくれたの。
それは私にだけ?それとも他の女のひとにも?

「ミョウジさん」

私にだけだったら、いいのに。

「あっ!!」

気が付くといつの間にか駅についていて、ぼうっとしてたから改札にばちんと阻まれた。私は慌てて鞄から定期を取り出してICカードのマークの上にタッチした。
ラッシュで後ろの人に迷惑をかけてしまって、サラリーマンが咳払いしている。私はすみませんと謝りながら改札を通過し、入った先で待っていた七海さんにも「すみません…」と謝ったのだった。


マンションの最寄り駅からエントランスまで七海さんと並んで歩き、やっと同行の護衛というものが終わる。
悟くんの話を聞いた後は美味しいパン屋さんの話を振ってくれて、思っていたよりも緊張せずに済んだ。

「ありがとうございました。あの、七海さんこれ預けておきます」

私は鞄からがさごそスペアキーを取り出して七海さんに手渡した。部屋にいる間はお札頼みになるのだし、何かあったらきっと私は自分で玄関を開けられないだろうと思ったからだ。

「…勝手に護衛だなんだとしている我々の立場で言うことではありませんが、男に合鍵を易々と預けないで下さい」
「えっ、でも七海さんって悟くんがお願いして護衛してくれてるんだし…え、ダメでした?」
「いえ、護衛中は助かります。万が一の際にドアを蹴破らずに済みそうですので」

あ、大家さん呼ぶとかじゃなくて蹴破るの一択なんだ…。
私だって普段ならこんなこともちろんしないが、守られる側として鍵が開かないなんて迷惑をかけたくはない。それに七海さんは悟くんが選んでお願いしてる人なんだから、信用できるに決まってる。

「じゃあ、おやすみなさい」
「ええ、何かあれば連絡を」

そう声を掛け合い、私はエレベーターで4階まで上がると自分の部屋の鍵を開けた。


翌日もとくに変わりはない。朝エントランスで待ち構える七海さんと合流して電車で出勤。昨日あんなに荒れていた後輩ちゃんはまだ多少気が立っていたが、基本サバサバした子だから数日のうちに自分のペースを取り戻すだろう。

「ミョウジ先輩!私昨日見ちゃったんですけど!」

後輩ちゃんは昼休みに私に小声でそう話しかけた。なんだろう、と思って話の続きを待つと、後輩ちゃんは「あの人彼氏ですか?」と続けた。

「あのひと?」
「やだなぁ、しらばっくれないで下さいよ!会社の近くのカフェで待ち合わせしてましたよね?」

あ、見られてた。七海さんだ。
これはどうやって説明したらいいんだろう。もちろん彼氏などでは断じてないと明言するが、退勤を待ってた理由って何を言えば納得してもらえるんだろう。そうだ。

「あれ、七海さんだよ」
「えっ!うちの社長の元担当の?」
「そうそう。ちょっとNISA始めようかなぁと思って相談に乗って貰ってたんだよね」

我ながらまことしやかな言い訳だ。ヤバいもんに憑かれて護衛されてますなんてとてもじゃないけど言えない。

「なるほどー。投資かぁ。時代はやっぱり投資ですかね?」
「まぁ銀行預金の代わりに堅い株買うみたいな程度だけどね」
「確かに。預けてるだけなら銀行の金利より配当金のがお得かも!」

平素お金の話が大好きな私たちである。後輩ちゃんの興味はすっかり株に移って行って、どうして七海さんの連絡先を知っているんだ、なんて誤魔化すのが面倒そうなことからは意識が逸れていったのだった。


金曜日の夜、疲れているのに一向に眠れなかった。
ご飯もやっぱり食べられないし、なんだか熱っぽい気もする。目を瞑っていても少しも眠気は訪れなくて、私は仕方なくベッドから起き上がると水を飲むためにキッチンに向かうことにした。水切りかごにひっくり返しているガラスのコップを手に取り、冷蔵庫のミネラルウォーターの封を切る。
その時だった。

「うっ…なに…これ…」

尋常じゃない気持ち悪さだった。内臓を全部かき混ぜられるみたいな、強い力でぐるぐると振り回されているみたいな、そんな感じがする。
はっとリビングの真ん中を見ると、椿の木が出現していた。私は恐る恐る椿に近寄る。これはもう無意識に近くて、夢で見た底の椿のように身体が吸い込まれるようだ。

「…きれい」

うっすらと光を放つ。真っ赤な椿の、美しい花。
でも夢のように私を引き留める声はない。私は吸い寄せられるままに椿の花にそっと触れた。途端、椿の花がぼとぼとと五つ床に落ちていく。どうして。毎日一個ずつだったはずなのに。
そのとき、ポケットの中がごぉっと熱くなる。お札が燃えたのだと分かった。

「あれ、なんで…指が、うごかない」

スマホが鳴る。ディスプレイには七海さんの文字。だけど身体を動かすことが出来なくて、電話に出ることもできない。
時計を見ると、0時7分。私はそこか秒針が三周するまで動けないままで、椿の消失とともに身体の自由を取り戻した。
それからがちゃがちゃと鍵を開ける音がして、七海さんが私の名前を呼んだ。

「ミョウジさん!無事ですか!」
「な…なみ…さん…」

動けるようになったけど、気持ち悪さと息苦しさは段違いに増した。目の前がぐるぐる回る。

「伊地知くん、ミョウジさんの家へピックアップを。それから家入さんにも治療の用意を依頼しておいてください。はい、ええ…ちょ…五条さん!?」

七海さんは通話を始め、その内容から伊地知さんに連絡を取っているのだとわかった。頭がぼうっとして回らない。きもちわるい。

「電話口で怒鳴らないでください。今から高専に向かいます」

七海さんは「失礼します」と断って私の身体を抱き上げた。大丈夫ですとも降ろしてくださいとも言う気力はなく、私はもう息をするので精一杯になる。
私、このまま死ぬのかな。なんでこんなことになったんだろう。苦しい。死にたくない。どうして。

「さとる、くん…」

会いたい。

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