一週間前、1月28日。ラルゥが菜々子と美々子に会いに来て随分と熱心に話をしていた。
珍しく「ナマエちゃんはあっち行ってて!」なんて言われるものだから、居間を追い出されて台所に引っ込んだ。仕方なく水回りの掃除をして、その間もずっときゃっきゃとはしゃぐ声が漏れ聞こえた。
自分たち以外の人間とも話せるようになるのは良いことだ。少し寂しいような気持ちはあるけれど、我が儘はよくない。
一瞬反抗期かな、とも思ったが、その後の反応を見ているとそう言うわけでもないらしかった。

「ラルゥに懐いたって話はしてたけど、予想以上の懐きっぷりだね」

その夜、いつも通りに夏油と二人でベランダに出て話をした。話題はもちろん昼間の双子のことだ。やっぱり夏油から見ても意外に映ったらしい。

「嬉しいけど寂しい…反抗期ってわけでもないみたいだよね?」
「そうだね。大事な娘が巣立つ気分?」
「…そうかも」

自分が距離を縮めるのに四苦八苦した分、やっと懐いてくれたのが離れていくようで寂しい気持ちになる。もちろん他の人間とコミュニケーションを取ることも大事だし、自分に懐いてくれたことそのものが変わるわけではないと理解はしているが、それでも寂しいものは寂しいのだ。

「私がその分ナマエに構ってあげようか」
「もう。傑はこれから忙しくなるんだから」

再来月の3月、ついに念願の団体の設立が予定された。夏油を筆頭とし、始めは小さな組織から立ち上げる。徐々に規模を大きくして、呪いと金を非術師から集めていく。
本格的に教祖という立場を取るとなると、多忙さは想像を遥かに超えるだろう。先行きが不透明だから読めないが、少なくともこのアパートでの暮らしとは比べものにならない。

「そうだ、孔さんからアドバイスされたんだけどさ、私の立場の設定決めた方が面倒が少ないって」
「設定?」
「そう。私がどこまで非術師の前に出るかは決めてないけど、菜々ちゃんと美々ちゃんのことを考えると一緒に生活するのは継続するでしょ?馴れ馴れしく素性不明の女が近くにいるのは余計な詮索されかねないって言ってた」
「まぁ、それを言ったら一緒に暮らさないとはいえ菅田さんもそうだと思うけど」
「あ、ほんとだ」

言われてみればそうだ。あのあと一度会ったが、若くて綺麗な女性だった。話題性はナマエよりあるかもしれない。出だしで躓きたくないと思っていたが、そう考えると最早なにもしないほうがいいのか。所詮は下らない詮索を前提としている話だ。
そう思考を巡らせれば、夏油が「でも」と話を続ける。

「それを両方一気に解決できる方法があるよ」
「そんなこと出来る?」

どうやって解決するのか。見上げると、夏油はナマエの左手を捕まえて、その薬指をゆっくりとなぞった。そして付け根に到達すると、かさついた指ですりすりと撫でる。

「ナマエは、私の妻だって言えばいいんだ」
「えっ」
「籍は…まぁこんな身の上だから入れられないけどさ」

夏油は普段通りの穏やかな顔で笑っている。冗談というわけではないらしい。
合理的だ。菜々子と美々子のことは養子と言えるし、ナマエは妻であり、菅田はあくまで秘書と事務を努める構成員だと説明が出来る。そもそもそんな下らない詮索をしてくること自体が馬鹿らしい話なのだけれど、これならそういう頭の悪い手合いも一掃である。
合理的だ。けれど。

「ナマエは嫌?」
「い…やじゃ…ない」

夏油が自分を隣に置くことを当然と考えてくれているのがたまらなかった。恋人同士で愛されている自覚はある。だけどそれとこれとはまた別だ。自分を生涯の伴侶にしてもいいと思ってくれているのがどうしようもなく嬉しい。夏油はふっと口元を緩め、これ以上にない優しい顔で「良かった」と笑った。

その翌日、菜々子と美々子が「夏油さまのお誕生日はラルゥと一緒に遊ぶから二人は夕方まで帰ってこないで」と、まためちゃくちゃなことを言いつけられた。
流石にラルゥを頼って誕生日祝いのサプライズでも計画しているのかと察してはしまうが、念のためラルゥに連絡を取ると「トップシークレットよ」と返ってきた。どうやら昨日盛り上がっていたのはこの話らしい。


一週間後。ここは可愛い提案を尊重してあげるべきだろうと、2月3日、夏油とナマエは寒空の中時間を潰すべく、近所の河川敷を歩いていた。

「どんなサプライズしてくれるんだろうね?」
「ああいうの、丁度いいリアクションがわからないんだけど、私どうやって驚いてあげればいいと思う?」
「いつもよりちゃんとびっくりしてあげてよ。二人にもわかりやすく」

どういう計画かはわからないが、ラルゥがいるのだから危険なことはしないはずだ。河川敷の途中にある小さな公園にたどり着いたけれど、雪の積もる中では近所の子供でさえも遊んではいないらしい。

「ナマエがここへ来て、一年だね」
「うん。あっという間だったような、もっと長くいたような…不思議な感じ」

一年前の今日、ナマエは誕生日プレゼントのケーキを持ってアパートに押しかけた。初めは高専の差し金だと疑われ、取り合ってももらえなかった。
自分がそういうつもりで来たんじゃないと、それだけはわかってほしくて打ち明けるつもりもなかったのに「好きだ」と伝え「自分を利用すればいい」と言った。今思えば笑ってしまうくらい必死だった。

「あれ、本当に私が断ってたらどうするつもりだったの?」
「えー…そうだなぁ。フリーの術師やってるかのたれ死んでるか…?」
「一か八かすぎるだろ」
「だって。とにかく傑に会いたかったんだもん」

ナマエはつんっと唇を尖らせる。夏油が「ごめんごめん」と口先だけで謝り、ナマエの手を取って指を絡ませる。すると、ナマエもそれに応えるようにぎゅっと指先に力を入れた。
不意に雲に隠れていた太陽が顔を出し、きらりとナマエの胸元で光が反射する。それは夏油がクリスマスにプレゼントしたシトリンのネックレスだった。

「やっぱりそのネックレス、よく似合ってる」
「ふふ、ありがとう」

そう相槌を打ちながら、ナマエは自分のピアスの真相について話すかどうかを悩んだ。そもそもこれは自分のために購入したものではない。
もとは夏油に渡そうとして渡せなかったピアスだ。

「…ねぇ傑、私のピアスね、本当は傑にプレゼントするつもりで買ってたの」
「そうなの?」
「うん。このシトリンも、傑みたいだなぁと思って選んだんだ」

そこまで言うと、夏油がピシリと動きを止めた。流石にこのピアスがそんな理由で購入されたものだとは想像もしていなかったようだ。
時間差で夏油は珍しく苦々しげに口元を歪めてから顔を真っ赤にする。それからピタッと立ち止まりナマエの手を引き寄せて立ち止まらせた。

「…待って、じゃあ私って自分のイメージの石のネックレスプレゼントしたってこと?」
「まぁ、奇しくも…」
「めちゃくちゃ痛い奴になってない?」

はぁぁぁ、と肺の底から溜息をついた。本当に耳の端まで真っ赤になっていて、知らなかったとはいえかなり恥ずかしかったのだとみえる。ナマエがふふふと笑う。
シトリンの石言葉は幸福、希望、繁栄。それは地上を平等に照らす太陽の色だと思った。自分は太陽なんてひとつも似合いはしないけれど、シトリンが自分のものになっていると思うと、言い知れない幸福感が心を満たしていく。

「ねぇ、じゃあ傑が私に似合うってことでいい?」

ナマエがいたずらっぽく言ってみせると、夏油が「敵わないな」と笑った。


夕方まで、と言われても具体的に何時だということは聞いていない。そのため、日が傾き始めた午後4時ごろにラルゥにメールをすると、もう帰宅してもいいとの返信があった。
さてどんなサプライズを受けるのか。二人で考えながら帰路につき、アパートへと戻る。

「ただいまー」

玄関を開けると、中からパンっとクラッカーが弾ける。これは予想の範疇である。夏油とナマエは不自然にならない程度に「わっ!」と驚いたポーズをしてみせ、するとトタトタ菜々子と美々子が駆け寄ってきた。

「ナマエちゃんはこっち!」
「夏油さまはこっち!」

今度は予想外の行動に、え、と声を漏らし、ナマエは菜々子に、夏油は美々子に手を引かれてそれぞれ寝室と居間に分けて閉じ込められる。
自分はサプライズの準備中に夏油を家に近づけないための要員だと思っていたのに、これはどういうことだろうか。何が何やらと目を白黒させていると、目の前の菜々子が「しゃがんで!」と言ってそれに従った。

「動かないでね」

何をされるのだろうかと待っていれば、造花でできた花冠を被せられる。所々綻びがあって、手作りだろうということは容易に想像ができた。それからふわりと頭から白いレースの布を被せられ、目の前の菜々子を見れば満足げにニコニコと笑っていた。

「ナマエちゃん、とっても似合ってる!」
「菜々ちゃん…」

今度は早く早くと言わんばかりに手をひかれ、居間に続く襖を開けるとそこで気の抜けた普段着の上にポケットチーフを備えた黒いジャケットを着せられた夏油が待っていた。
隣ではラルゥも待っていて、神父のカソックのような服を着ている。ハロウィンでもあるまいし、こんなふうにされれば、菜々子と美々子がしていた準備というのが夏油の誕生日パーティーのそれだけではないことは察しがつく。

「二人ともよく似合ってるわ。さぁ、こっちに来てちょうだい」

ラルゥに促され、ナマエは夏油の隣に立った。横から菜々子にぐいんっと押されて距離がもっと縮まる。ヴェールで視界も悪くなっているから、夏油の胸にぶつかってやっと体勢を整えることができた。ヴェール越しの夏油と目が合う。
ーーああ、これは結婚式だ。

「新郎、夏油傑、あなたはここにいるミョウジナマエを、病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しいときも、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

窓から射し込む夕陽を背にラルゥが朗々と誓いの言葉を読み上げる。それに夏油がふっと笑った。

「誓うって、一体誰に誓うんだい」
「そうね、じゃあ、菜々子ちゃんと美々子ちゃんに誓いましょう」
「それはいいね……私、夏油傑はミョウジナマエさんを、生涯の妻として愛することを誓います」

神も仏も信じない。そんなものがいるなら、あの日救われなかった命があるわけがない。誓うのならば、大切な人たちだけで充分だ。その気持ちはナマエも同じだった。
いつもそばにいて隣で笑い合う家族たちへ、自分たちが永遠に共に生きていくと誓えることができればそれだけでいい。
ラルゥが頷き、今度はナマエに視線をやる。

「新婦、ミョウジナマエ、あなたはここにいる夏油傑を、病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しいときも、夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい…誓います」

いつものようにアパートで、いつもの洋服で、いつもの顔ぶれで。およそ結婚式らしくないこの光景が何よりも輝いて愛おしく思える。ナマエの声が震えた。夕陽が部屋中をセピア色に変える。

「では、誓いのキスを」

ラルゥのお決まりの言葉を待って、夏油はナマエの肩にそっと触れた。それからヴェールをゆっくりと上げ、真っ赤になっているナマエと目を合わせる。留め具も何もないヴェールは緩やかに落下し、それと呼応するように夏油がナマエの唇に触れた。

「ずっと、一緒に生きていこう」

そのままナマエの体を引き寄せて腕の中に閉じ込める。菜々子と美々子がきゃあきゃあと声をあげる。
だんだん家族になっていこう。夏油が菜々子と美々子と、それからナマエに行った言葉だ。これから一体どんな未来が待っているんだろう。一年後、五年後、十年後。家族で一緒に笑っていられたらそれだけでいい。
ナマエは夏油の胸元にそっと頬を寄せた。

「…うん。ずっと、ずっとそばにいるよ」

大丈夫。家族で一緒にいられるなら、怖いことはひとつもない。
夏油の手がナマエの髪をゆっくりと撫で下ろす。くすぐったさに身をよじり、いっそう強く抱きしめた。同じシャンプーが香った。
大丈夫、他の誰にも理解されなくてもいい。ここがきっと、私たちだけの楽園。


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