九月某日。その日は夏油に指定された街の方のカフェにひとりで向かっていた。よくあるチェーン店で、南口にも東口にも同名の店があるが、指定は南口の小さいほうのカフェだった。

「えっと…ここか」

メモ用紙に書かれた店舗名と看板の店舗名を照らし合わせる。間違いない。ここが待ち合わせ場所だ。ナマエは「よし」と気合を入れ直し、カフェの自動ドアを潜る。いらっしゃいませ、と女性店員の声が聞こえ「一名様ですか?」と尋ねられる。

「あの、待ち合わせで」
「失礼いたしました」

待ち合わせは待ち合わせだが、果たして待ち人は来ているだろうか。店内をきょろきょろ見回すと、ズズズッと非術師とは思えない呪力を奥から感じる。恐らくこれは自分に向けた合図だ。
奥の席に来てるみたいです。と店員に断り通路を進む。呪力の漏出はナマエが近づくごとに緩められ、こっちよ、と導かれているような気分になった。

「こんにちは」

呪力の持ち主は筋骨隆々の、しかしどこか女性めいた風貌の男だった。彼はちらっとナマエを確認する。正式に賛同してくれることになり、夏油がナマエに会わせたいと話をしていた呪詛師はこの男のことだ。

「私はラルゥ。あなたが傑ちゃんのお仲間ね」
「はい。ミョウジナマエと言います。すぐ…夏油とは高専の同期です」

見た目と声と言葉遣いのギャップに少しくらくらする。座ることを促されて向かいに腰かけると、紳士的な動作で店員を呼んだ。ナマエは注文を取りに来た店員にアイスコーヒーを頼む。

「ナマエちゃん、いい目をしているわ。傑ちゃんが一番のパートナーに選んだだけあるわ」
「ぱ…!?え!?」
「仕事のって意味だったけれど、やっぱりそれだけじゃないのね」

墓穴を掘った。ラルゥはパチンっとウインクをしてみせる。夏油とは想い合っているわけだし、間違ってはいないだろうが、言語化されると気恥ずかしくって、動揺してしまった。もっとも、ラルゥにはお見通しだったようだけれども。

「あれほど強大な力を持っているんだもの。揺るぎない心の支えがあるのはいいことだと思うわ」

仲間に引き入れると決めたから、夏油はある程度の話をラルゥにしている。呪霊操術を扱うことも、高専を離反して理想を掲げたことも。
店員がアイスコーヒーを運んできて、ナマエは軽く礼を言いながら受け取った。

「あら、ナマエちゃんは非術師のことは嫌いじゃないの?」
「えっ…と…」
「いいわ、正直に言ってくれれば」

夏油の掲げる理想は、非術師を排他して術師のみの世界を作るという選民である。夏油が非術師を猿と呼んで忌み嫌うように、ラルゥにもそれなりの理由があるのか。円滑に話が進むよう言葉を選ぼうとするけれど、先々のことを考えれば小細工するより彼の言う通り正直に答えてしまうべきだと思った。

「…私個人としては、非術師に対して彼ほどの憤りは感じていません。私がすぐ…夏油に賛同するのは、彼のそばで力になりたいと思ったからです」
「ふふ、愛ね」

気分を害したような様子はなく、ラルゥが笑う。愛と呼ぶには些か自分勝手だと思ったけれど、愛というものは本質的に自己完結していくものでもあると思う。そう言った意味では、ナマエの自分勝手な感情は愛そのものであった。
ナマエはおずおずと「ラルゥさんはどうして?」と尋ねる。少しだけ間をおいて、ラルゥがゆっくり口を開いた。

「私はね、傑ちゃんを王にしたいと思ったの」
「王、ですか?」
「そう。あれほどのいい男はなかなかいないわ。強く美しく、まるで研ぎ澄まされた鋼よ。そんな彼が一体どんな世界を作り上げるのか…私はこの目で見てみたいの」

ラルゥの瞳がじっとナマエを捉える。その瞳に応えるようにナマエはラルゥにむかって頷いた。
ラルゥは視線を外すと、手元のコーヒーを一口含み、何かを思い出したように少し笑う。

「傑ちゃんが言ってたのよ、自分についてきてずっと慣れないことばかりさせてしまっている。ナマエちゃんの話し相手になってくれないかってね」
「傑が…」

ナマエは驚いて目を丸くした。まさか夏油がそんなことを考えていただなんて思ってもみなかったのだ。
確かに、夏油の元を訪れてからずっと、いままで経験したことのない事ばかりと向き合ってきた。菜々子や美々子のような幼い子供の世話なんかしたことがなかったし、もちろん自分たちで同志を集めて団体を作るなんて真似も。けれどそれは夏油だって同じはずだ。

「……傑だって同じなんです。自分の方が苦しくてしんどいくせに…」

夏油は、いいやつだ。学生らしい悪戯なところもあるし、自分の力で弱者を救おうと思うくらいに傲慢な面もある。それでも根っこのところは自分より他者を優先してしまうような、どうしようもないお人好しだ。
今だって自分の方が苦しい思いをしているくせに、ナマエのことばかり気遣っている。

「…私から言わせると、似た者同士ってところよ」
「え…?」
「相手のことが大好きで仕方がないってこと」

ラルゥはそう言ってまたウインクをする。それから頬杖をついて、まるで妹でも慈しむかのような柔らかな視線をナマエへ寄越した。慣れない種類の視線はどこか落ち着かない。

「何かあったら私のことを頼って頂戴。これでも色々経験してきたの」
「助かります。いいお兄さんが出来ました」
「あらやだ、失礼しちゃうわ」

ラルゥの返答に、ナマエは少し首を傾げた後「ごめんなさい、お姉さんの方が良かったですか」と尋ねると、ラルゥは「そうじゃなくって」と首を振った。見た目に分かりづらい彼のジェンダーアイデンティティの男女の別でないのなら、一体なんだろう。

「私、あなたたちと同い歳よ」
「えっ…!」

驚きすぎて手元にあった紙ナプキンが床に落ちる。それを拾いながら、ラルゥはくすくす笑った。


それから他愛もない話を続けて一時間と少し、ラルゥ別れたナマエは夕飯の買い物をしてからアパートに戻る。カンカンカンと外階段は今日も必要以上に大きな音だ。
夏油の集めた同志に会うのは、今日が初めてだった。呪詛師と、呪いと、お金と。集めて集めて集めて、そしていつか、夏油の理想の世界を手に入れることが出来るんだろうか。
だめだ、今はどんなことを考えたって仕方がない。ナマエは一度大きく深呼吸をしてからアパートの扉を開いた。

「ただいま」

ナマエがそう声を掛けながら靴を脱ぐと、奥からとたとたと二人分の足音が近づいてくる。菜々子と美々子だ。

「おかえりなさい、ナマエちゃん!」
「おかえりなさい!」
「ただいま、菜々ちゃん、美々ちゃん」

二人は率先してナマエの持つ買い物袋を受け取り、すぐ隣の台所で冷蔵庫に入れるものとそうでないものを選別していく。そのうちに少し遅れて夏油が姿を現し「おかえり」と声を掛けた。

「ただいま」
「どうだった?」
「ラルゥさんいいひとだね。同い歳だって聞いてびっくりしちゃった」
「え、そうなの?」
「傑も知らなかったんだ?」

簡潔に尋ねられてそう答えれば、夏油もラルゥの年齢には驚いていた。夏油とラルゥであればもっと込み入った重要な話をするだろうし、年齢なんてありきたりな話はしないのかもしれない。
それから菜々子と美々子の面倒を夏油に任せ、夕飯を作った。今日のメニューは豚の生姜焼きと味噌汁、それからごぼうのきんぴらともやしのナムルだ。元々ある程度は料理が出来るつもりだったけれど、流石にこの半年で手際が随分と良くなった。

「おまたせー、菜々ちゃん美々ちゃん、運ぶの手伝ってー!」

そう声を掛けると、元気よく二人分の「はーい」という返事が返ってくる。食卓を囲み、四人そろっていただきますと手を合わせる。まるで昔ドラマで見た家族のようだな、と、どこかこの光景を俯瞰しながら眺めた。
食器洗いは夏油の分担なので彼に任せ、二人の勉強を見てやる。立場上菜々子と美々子を学校に通わせてあげることは出来ない。せめてと国語ドリルやら算数ドリルやらを買ってきて、ナマエと夏油の二人で教えていた。

「ナマエちゃん、ここわかんないの」
「ん?どこ?見せてごらん」

二人が使っているドリルはまだ未就学児向けのものだ。夏油が連れ出してからやっと一般教養の類に触れているから、平均的な同い年の子供よりも当然遅れていた。
ナマエは菜々子に差し出されたページを覗き込み、答えになってしまわないようにヒントを与えてやる。今はまだいいが、十年後やそこらに高校の勉強やなんかもみることになってしまったらどうしようとは常々思っていた。そこまで教えてあげられる自信は残念ながらない。

「…ふふっ」
「ナマエちゃん?」

菜々子が不思議そうに首を傾げる。
十年後。当たり前に自分はこれから先の未来のことを考えていた。どうなっていくかもわからないというのに、随分なことだ。十年後も菜々子と美々子と、そして夏油と、一緒に暮らしていることを当たり前に思っているのだ。

「なんでもないよ。次のページやってみようか」

ナマエは菜々子の頭を撫でる。夏油は教えるのが上手いから、中学生以上の勉強は夏油の係だな、と、まだずっと先のことを勝手に決めてやった。
しばらくして洗い物を終えた夏油が合流し、ナマエはいそいそと台所に向かうと袋を持って戻る。それから三人に向かって「ご注目下さい!」と仰々しく中身を取り出した。

「じゃーん!」
「あれ、花火だ」

一番に反応したのは夏油だった。菜々子と美々子はイマイチぴんと来ずに顔を見合わせている。ナマエが取り出したのはスーパーで値下げ販売されていたファミリーパックの花火だった。平たい紙の台紙の上に数種類の手持ち花火と線香花火が並べられている。

「近くの公園、花火やっていいんだって。季節外れで人もいないだろうから、夏油も一緒に行こうよ」

ナマエがそう誘えば、夏油は少しだけ考えるぞぶりをした後、「いいね」と言って出かけることに同意した。四人で出かけるのは初めてだ。
菜々子と美々子を連れ、四人そろって一番近くの児童公園に向かう。最近は花火を禁止している場所も多いと聞くが、幸いなことにこの公園は禁止されていないらしい。夏真っ盛りの時期なら近隣住民と鉢合わせるかもしれないけれど、季節外れの今ならそう出くわすこともないだろう。

「はい、菜々ちゃんも美々ちゃんも一本ずつ持ってね」

ナマエは開封した手持ち花火を一本ずつ二人に持たせ、夏油のライターをポケットから取り出す。柄の長いライターかろうそくでもあれば良かったが、あいにくアパートにはそんな便利なものはなかった。

「火が付くとパチパチって火花が出てくるからね、火傷しないように気を付けてね。あと人に向けちゃだめだよ」
「はぁい」

返事を聞いてからフリントホイールに指をかけて着火し、二人の持つ花火の着火リボンに火を近づける。薄い紙は瞬く間に燃え上がり、すぐに火薬に到達してぱちぱちと美しい火花を上げ始めた。

「すごい!美々子、すごいね!」
「うん、きれい…」

初めて見る花火に二人はきらきらと目を輝かせる。大きな目に煌々とした火花が映りこんでいた。ナマエがそれを眺めていれば、隣からシュっとフリントホイールの回される音がして、ぱちぱちと火のついた花火の柄が渡される。夏油がナマエの花火を用意したらしい。

「はい、ナマエの分」
「ありがと。夏油のも火つけるよ」
「いや、ナマエの貰うから大丈夫」

そう言って、夏油は新しい花火を手にするとナマエの燃える花火に着火リボンを近づけ、火を移していく。やがて夏油の花火もぱちぱちと音を上げ始めた。
四人分の花火は思いのほか周囲を明るく照らす。菜々子と美々子の花火が終わりそうになって、新しいものを持たせて先ほど夏油としていたように花火から花火へ火を移した。

「ナマエちゃん、ありがとう」

初めて花火をするときは手元で燃えている火におよび腰になる子供もいるが、菜々子と美々子はそうではないらしい。一度火を移す要領を覚えると、後は二人で真似て上手につけていく。危ないことをする様子もないし、見守ってさえいればわざわざ逐一口を出すこともないだろう。
隣で「ナマエ」と名前を呼ばれ、ふいっと顔だけで振り返る。すると掠めとるようにキスをされて、ごく近い距離で夏油がにっと笑った。

「隙だらけだったから」
「もう!菜々ちゃんと美々ちゃんもいるのに…!」
「大丈夫だよ。花火に夢中だし、暗いし」
「意外と花火で明るくなってるの」

そう問答していたら、菜々子の声が「あっ!」と投げられた。何事だ、と二人がいる方向を見れば、菜々子がこちらに向かってびしりと指をさしている。ナマエはぎぎぎ、と、片方の口角だけを歪に上げた。

「ナマエちゃんと夏油さまが仲良ししてる!」

ああやっぱり。恥ずかしい。穴があったら入りたい。言語化されたことで羞恥はいっそう浮き彫りになり、カッと顔に熱が集まる。夏油の持っている花火がちょうど終わってしまってあたりの明度がぐんと下がる。

「…見られてたね」
「だから言ったじゃない」

ナマエは熱くなった頬をどうにかこうにか冷やそうと手で扇いではみるけれど、残念ながら効果はなかった。
花火の火ばかりを見ていたから、目を閉じても瞼の裏に残像がちかちかと弾けていた。


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