私の一番好きな夏油の形態は「教祖夏油」なんですが、夏油を好きになったのは呪術の0巻を読んだときでした。
乙骨先輩サイドから見れば訳の分からない過激な思想を持つ夏油にはちゃめちゃにテンションが上がったことをよく覚えています。私としてはぶっ飛んでいながらも、あながち否定できない思想だなぁと思っていたので、高専夏油のあの実直で生真面目な様子からどうしてそうなっていったのかを想像するのに夢中でした。

以前、別の媒体で夏油傑という人物について考えたときも少し自分の解釈を話していたことがあるのですが、夏油傑というひとは非常に強烈なロマンチストであると感じています。
五条悟という類稀な才能を一番身近で見ていた夏油にとって、自分の目指す理想郷の実現は、五条悟がいる限りほぼ不可能なものだとわかっていたはずです。それでも自分の中で傾いてしまった天秤を戻すことはできなかった。共存する道を妥協することもできず、いずれ自らが滅びるとわかっていても、修羅の道を歩くことをやめられなかった。どうしようもなく真っすぐにしかなれなかったのだと思います。
ファンブックに「五条は夏油を善悪の指針にしていた」という記述がありますが、夏油自身が「悪」になったのではなく、夏油自身の「ものさし」が変わったのだと私は理解していて、それが今まで生きてきた価値観や多くの人間にとって「正しく」なかったので夏油は悪役にまわることになりましたが、もしも夏油が勝っていたなら、夏油は間違いなくのちの歴史では正義たり得たはずです。
たとえ里香ちゃんを使役することが出来たとしても、その気になれば日本の人間を全員殺してしまえる五条にとって、決してその状態の夏油を倒すことは不可能ではなかったと思います。つまり夏油は百鬼夜行の日の賭けに勝っていても目的を完遂することは困難だったんじゃないでしょうか。

夏油にはもう、滅びる道しかなかった。それは何より彼自身が一番よくわかっていたはずのことです。
だから夏油は「五条になりたい」と焦がれていたと思いますし、それは彼が五条袈裟を着用していることに表れていると思います。
夏油自身も決して凡庸ではなく、特級と区分されるような強大な力を持っていた。五条は生まれながらの環境から非術師の弱さや醜悪さを知っていて、ゆえに自分の施すノブレスオブリージュの精神がありましたが、あくまで一般家庭に生まれ育った夏油にはそれがなかった。高専夏油の「弱者生存」を説く姿には、ある種の奢りというか、非力なものを下に見るようなものを感じました。突然変異的に強大な力を持ってしまった少年の思考としては充分理解できるものです。
それゆえに、自分の想定をはるかに超える非術師の醜悪さや身勝手さ、仲間の死に耐え切れなくなった器がひび割れ、それらを救うことに傾いていた天秤が大きく反対側に傾くことになったのだと思います。一般家庭で、恐らく不自由のない生活を送っていた少年が過激な思想を持つ過程で恐ろしいほどの苦痛や恐怖を感じたことは想像に難くありません。
たとえば夏油が凡庸な術師であったなら、世界を変えるなんて夢を見ずに済んだのではないか。なまじ力を持っているがゆえに、分不相応ともいえる革命の夢を見てしまったのではないか。なんとなく、私にはそう感じられました。

天秤を振り切った夏油は、走り出した道がどれだけ暗く不安定なものであっても、その先に滅びしか待っていないと分かっていても、もはや突き進むしかない。破滅に向かう道だとしても掲げた理想と覚悟のために、雲をつかむような理想郷を目指して走り続けるしかない。そのさまは美しくて、命を燃やす苛烈な輝きを感じます。
夢を見て、駆け抜けて、花火のように夜に散る。夏油傑の死の瞬間、焦がれ続けた才能を持つ五条悟がただの「親友」として隣にいてくれたことが何よりの救いだと思えます。
どうしようもなくロマンチストだったのだな、と、夏油傑のことを振り返っては考えるばかりです。そんな夢見がちでロマンチストな彼が大好きです。
以上、毒にも薬にもならない自解釈語りでした。


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