*第六章 奪還、そして
*
「わー……。綺麗だね!あの時、張宏の宿で見たのとおんなじ空」
何処までも広がる星空。吸い込まれそうな……、とはよく言ったものである。じっと見ていると遠近感が曖昧になって、星屑に手が届く気さえするのだ。
――仲間達のはしゃぐ声を遠くに聞きながら、朱色の屋根の上に二人はいた。召喚を明日に控え、広間では前祝いが行われている。このところ何かにつけて飲みまくっているような気がしたが、まあいいだろう。
その賑やかな席でさえどうにも浮かない顔の雪を、上手いこと井宿が人目のないところへ連れ出したのだ。これ以上深く彼女と関わるのは自らの首を絞める結果になりかねないのに、なぜそうしたのかは自分でもよく分からない。
「……とうとう明日かぁ」
「オイラはまだ信じられないのだ。ここまであっという間すぎて」
「私だってそうだよ。相変わらず怖いし」
雪が足を投げ出して、天を仰ぐ。黒髪が揺らいで、表面に月明かりが淡い光の輪をつくる。
正直に綺麗だと思ったその姿は、明日にはもう見れなくなるのだろうか。
複雑な想いがぐるぐると頭を巡って、静かに冷えた空気を吸う。
「……雪ちゃん」
「ん?」
振り向いた雪の体を、そっと包んだ。肩を張って体を固くしたが、別に嫌なわけでもなさそうだ。
「大丈夫なのだ、オイラ達がついてる」
「ち、井宿……、これは……その」
「最後に、少しだけ勝手を許して欲しい。……君は……忘れてしまうのだ。だから……」
何を言っているのか雪にはよく分からない様子だったが――ぼそぼそと何事かぼやいた後で、こう言った。
「……っ、井宿。私、私ね……」
じっとしていなくては聞き逃してしまうほど、小さな小さな呟きだった。今は雪の全てに意識を集中させていたので、しっかり耳をすませることができている。
「好き……みたい、井宿のことが」
頭の中をそれが何度もこだまして、手から力が抜けて……驚きに満ちた表情で、雪を見ていた。
「今……何を……?」
「しまった」とでも言いたげに口を押さえて黙った雪に、井宿は悲しげな表情を浮かべる。
「……オイラは、そういうの……よく分からないのだ」
隣で俯いた雪はもっと悲しそうだったに違いない。彼女の気持ちや勇気を踏みにじる行為だとは分かっている。だけど、咄嗟に言葉で突き放してしまった。
「ごめん……なさい。つい、意識してしまって。ほら私、まだお子様だからさ!」
「あ……謝る必要はないのだ……。オイラこそすまない。変な態度で困らせてしまったのだ」
二人の空間が、しんと静まり返った。仲間たちの大騒ぎさえ、もう一切耳に入ってこない。
あの時、井宿はどうすればよかったのだろうか。今はどうするべきだろうか。いくら考えようとしても、頭がちっとも働いてくれなかった。
「……戻ろっか」
「……そうするのだ」
ゆっくり地面に降り立った後、雪は鼻をすするような仕草を隠して、「厠へ行くから先に戻ってていいよ」と、明るい笑顔を浮かべて小走りに去っていった。
泣いていることくらい、気が付いていたのに。