ようこそ、紅南国へ

「しっかしまあ……まさか全部お見通しだったとはなあ」

廊下へ出てすぐ、少し気疲れしたらしい鬼宿が自分の肩を揉みながらぼやく。

――あのとき、星宿が雪を見つけたのは本当に偶然だった。珍妙なその姿に、まず例の伝説が頭をよぎり……続いて少女が叫んだ「鬼宿」の名に、確信したのだと言う。

話しているうちに、何やら誰かを捜すような素振りの鬼宿を見付けて、誘き寄せるように宮殿へと向かったわけだった。

焦っていたとはいえ、雪に違和感を抱かせることなく見事に誘導しきったのだからすごいと思う。

「頭がいいんだねえ」

「そりゃお前、皇帝陛下だぞ。俺たち凡人とは受けてきた教育の質が違う」

約束通り雪に貰った飴玉の包みを手のひらでもてあそびながら、鬼宿は笑った。

「でもお陰で宮殿に出入り出来るどころか、良い部屋まで使わしてもらえてさ!お前には感謝しなきゃなんねえなぁ」

「じゃそれ、返す?」

「返さねえよ!」

「冗談だって……あげるよ……」

獲物を横取りされそうになった肉食獣のような顔に、雪は苦笑した。あの様子だと、いつまで経っても食べやしないだろう。

それからふと遠くの廊下に目をやって、鬼宿に尋ねる。

「……ねえ、なんかあれ変じゃない?」

「あ?なに――」

振り返る鬼宿の目に、艶やかな衣装を纏った女性が必死に走っている姿が見えた。

それはまるで何かから逃げているようで、段々と近付いてくる。

「どいてー!」

血走った瞳で、彼女は喚く。

――速い。なんでその服装で、そんな速度が出るのだ。

「ちょ、ちょ……待って!わぁーっ!」

しかしその訴えも虚しく、怯んでいた雪を巻き込みながら派手に転んでしまった。

「いったぁ……」

「痛いのはこっちよ……!ったく、ぼんやりしてんじゃないわよっ!」

「こらっ、お前、巫女様に何を……口の利き方に気を付けろ!」

すぐに追いついてきたのは、二人の衛兵だった。随分長い間追いかけっこしていたのか、息を切らして、顔を真っ赤にしながら怒鳴っている。

「まあまあ待てって。そんな鬼みたいな顔でねーちゃん一人追っ掛けて……何があったってんだ?」

「そいつは女じゃありません!男です!男のくせに、後宮に潜り込んでやがったんだ!」

「お……男?この人が?」

下敷きになっていた雪が、押し退けるため胸に触れていた手に意識を集中させた。

確かに、そこにあるはずの柔らかな感触は――ない。いくら探してもない。

「ひょ……え……!」

見上げたその顔には薄くだが化粧を施しているし、丁寧に結われた長い藤色の髪も、愛らしい垂れ目も……どこからどう見ても綺麗な女性だというのに。

それに、なにやらいい匂いもするじゃないか。

「ちっ……。仕方ないわね」

彼はゆっくりと立ち上がり、真っ直ぐに衛兵を見据えた。

「おとなしく捕まる気になったか?」

「なる……わけ、ないでしょうが!」

言いながら、右手の拳が繰り出された。

軌道はまっすぐ、明らかに武道の心得がある人間の身のこなしだ。目にも留まらぬ速さで殴られた衛兵は時々転がりながら、遠くにある壁にぶつかるまで吹っ飛び続けた。

その華奢な見た目からは想像もつかない勢いに、雪達は息をのむしかない。

なにやら意味不明の叫び声が轟いた後、残ったもうひとりの兵はへなへなと床に座り込んで、何故か股を押さえていた。

「ふん、さっきあたしの手を掴んだ仕返しよ!あーもうほんとに最悪、赤くなっちゃってる……」

「し、死んだのか?」

鬼宿の震える声にちらりと目をやった後、まだ尻餅をついたままの雪に向き直った。

「そこのあんた」

「は……はい!ごめんなさい、お胸を触ったのは謝ります!どうか命だけは!」

お前よく命乞いするな、と鬼宿がぼやいた気がする。弱者ゆえの悲しさだ。

「……そうじゃないっての。あんたが、朱雀の巫女なの?」

「一応、先程からそのように呼ばれておりますが……」

妙な言葉使いに苦笑した彼は、つかつかと歩み寄ってしゃがみ込む。

そしてゆっくりと、着物の胸元に指をかけた。

「みっ、見なくても大丈夫です!」

「違うわよっ、変態じゃないんだから!よく見なさい!」

顔を覆った指の隙間から見えた白い胸元には、朱色の文字が浮かんでいる。

「でえっ!お前、七星士なのか!」

鬼宿が心底驚いたように大声をあげるまで、雪は顔から手が離せなかった。

「嘘……あなたが、三人目?」

朱雀を呼び出すために必要な七星士はあと五人、そう星宿は言っていた。きっと大変な事なのだろうと思っていたのに、まさか宮殿の中で一気に二人も見つかるなんて。

「七星士名を、柳宿と申します」

彼は襟を正しながら、にんまりと口角を上げた。






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