ようこそ、紅南国へ

しばらくして恐る恐る視線だけを上げると、女性の眉が僅かに動いた。

もしかすると、馬鹿にしていると思われたのかもしれない。

「異世界……?」

そんな意図はないのだと慌てて、思わず服の裾を握ってしまう。いかにも高そうな布地だったので、すぐにやめたが。

「あっ、いや、誤魔化しとか冗談なんかを言ってるわけじゃなくて……!」

「そうですか、異世界から!不思議な事もあるものですねえ!」

雪の焦りも知らず、彼女はけらけらと楽しげに笑って、そう言った。何故だか、やけに嬉しそうにさえ見える。

「え、信じて……ます?」

「その姿、あながち嘘とは思えませんしね。私の知るどの国にも、そのような衣装を身に着ける地域はないですから」

優しく微笑むその美しい瞳に見惚れながら、雪はほっと息をついた。

「ん……ちょっと隠れて待っててください。近くに誰かいるようです。厄介事になるのは避けたいので、私が戻るまでその場を動かないで」

「あ……はい!」

裏返った声を出して、「絶対にですよ」と念押ししながら立ち去ったその背を見送る。

それから少しの間があって、がさがさと背後で鳴った茂みに目をやる。

「……っはあ!お前!何処に行くんだ!今更礼が惜しくなったか、こら!」

「た、鬼宿!?」

あの状況でどうやって追いかけてきていたのか、と雪は目を丸くする。無事に会えたのはよかったが、鬼宿のその執念が恐ろしい。

「あわわ、しっ……違うの、とにかく静かにっ」

「――おいこら。なんだ、お前らはっ!」

びくりと肩を揺らして、再び前を見る。これまた映画の世界から飛び出してきたような、重苦しい鎧を着込んだ複数の兵士が、雪たちを睨み付けていた。

筋骨隆々、いかにも屈強。雪くらいの体格なら指先でつまみ上げてしまうかもしれないと思ったが、それは単純に彼女が座り込んでいるせいもある。

「あ、あわわわ……!どうしようっ」

つまみ上げられなくたって、いずれにせよ見つからない方がいいに決まっている。

「出てこい!宮殿に潜り込む不届き者め……牢にぶちこんでやる!」

「ひゃあああ!」

思わず小さな悲鳴をあげると、後ろにいたはずの鬼宿が茂みを飛び出して兵士と向かい合った。

「ほいよ、出てきてやったぜ」

鬼宿はそのまま降参する様子でもなく、むしろ両手を鳴らして挑発するような姿勢をとる。止めたいのは山々だが、上手く声を出せない。

「貴様、やるのか!?相当痛い目みたいらしいな!」

「痛い目をみるのは、どっちだかなあ? ……おい雪、時給弾んでくれよな」

そう言うと不敵に笑って、兵士が繰り出してくる槍のような武器を見据えた。

「たっ……!」

「――鎮まらぬか!」

雪がようやく声を発するよりもわずかに早く響き渡った、とても大きくて鋭い声。それが聞こえた瞬間、兵士は身を強張らせて背筋を伸ばし、槍を引いた。

「私の許可なく、その者達に手出しをするな!」

「あ、さっきの……えっと、」

印象が違いすぎて、気付くのが遅れてしまった。そうだ、先ほどの彼女である。

「こ……皇帝陛下っ!」

兵士が急いで振り向き膝を折り、鬼宿も同じような様子で続く。

「え? は? なに……」

「馬鹿、お前もだっ!」

立ち尽くしたままの雪の手が引っ張られ、訳もわからず膝だけを折る。

「そのままでよい。それより二人とも、私と一緒に来てくれぬか」

上着を脱ぎ捨てたその下から、明らかに高貴な人間の装いが姿を現した。あの服装で、よく雪を連れて動き回れたものだ。

どういうことか。雪は混乱しっ放しである。

「鬼宿、あの女の人が皇帝様なの?」

「何言ってんだ、あのお方はれっきとした男だ!」

「へ、へ!嘘でしょ!」

あんなに美しい男性が存在するなんて!ぽつりと洩らしたとても小さな言葉に、本人が口角をあげる。嬉しかったらしい。

「ふふふ。素直な娘だ……。名乗るのが遅れてしまったな。私の名は星宿」

「……星宿さん?」

「馬鹿、"様"だ!様っ!」

「よいのだ、鬼宿。さあ、こちらだ」

衣を翻して歩き始めた星宿を追って、二人は躊躇いがちに宮殿の中へと進んでいくのだった。






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