第九章 青龍の巫女

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「予想以上に疲れるのだ……」

倶東国宮殿内で、井宿は脂汗を拭った。

紅南のそれとは違うぴりぴりした雰囲気に飲まれた彼は、先刻の独り言のとおり――心底疲れ果てた表情をしている。

やはりどこもかしこも結界があるらしく、術がろくに使えない。下手に使って悟られるのが厄介ということもあるので、そもそも判断が難しかった。

今は休みがてら気を消して、ある一室に潜んでいた。まあ実際のところ、こんなところに居るだけで体力を消耗するし、ろくな休憩になりもしないのだが。

「ふーっ……」

ひとまず鬼宿の気配がする部屋を見つけはしたが、肝心の本人が見当たらないまま随分と時間が過ぎている。

あちこち探すより待った方がいいと判断した彼が、もうひとつため息をついた時だった。

――なにやら、外の廊下が騒がしい。ばたばた走る数人の足音に、井宿は見つからぬよう身を潜める。むしろ見つかってしまったのかと少し冷や汗すらかきながら、息をのんで状況を見た。

「た、鬼宿!しっかりしてよ……!」

そう必死に鬼宿の名を呼ぶ、聞きなれない少女の声が耳に飛び込んできた。

どうやら、自分の事がばれたわけではなさそうだ。……そっと様子を窺うと、数人の兵士に運び込まれた鬼宿は傷だらけで、小さく呻きながら寝台に横たわっている。

何があったというのか。井宿は不測の事態に目を丸くした。

「もう下がってて。後は私が付いてるから」

強い口調で少女がそう言うと、深々と頭を垂れた兵士達はすぐに部屋を後にした。

「……鬼宿」

先程兵士に命令した時とは一転、今度は非常に優しい声で鬼宿の頬に手を添えている。

ぴくりとも動かない彼にため息をつくと、棚から出してきた手拭いを片手に部屋を出て行った。

「鬼宿……あれは一体……」

外の足音を聞き逃さないように耳を澄ませながら、枕元へ近づく。ちゃんと息はしているものの、全身にひどい怪我をしている。

鞭で打たれたような傷や、複数の打撲痕。もしかすると骨の二、三本は折れているかもしれない。目を覆いたくなる光景だった。

何故彼は、こんな目に遭わされたのか。連中の趣味だとしたら最低だ。

仲間の姿に背筋を冷やしつつ、井宿は敵の気配を感じ取った。間違いなくこの部屋へ来るだろう。

もう一度物陰に身を潜めて、ひとまずやり過ごす。

「……心宿、どういうこと? 彼をこんなにして」

現れた人影は大小二人分。心宿はともかく、一人は全く知らない少女だ。

「罪を犯した者には、それなりの罰が必要でしょう」

鎧の男は、表情を一切変えることなく冷徹に言い放つ。言葉遣いこそ丁寧ではあるが、自分のやったことは間違っていないと心から思っているようだ。

「私はそんなことしてほしいなんて頼んでない!それに、ここまでぼろぼろにする必要ないじゃない……死んじゃうかと思ったのよ……!」

怯まず、少女は食って掛かるようにそう叫んで睨み付けた。怒り心頭といった様子のまま「今すぐ下がって、私がいいと言うまで誰も入れないように」と命じて、鬼宿の顔に滲んだ血の跡をせっせと拭い始める。

成程、あれが青龍の巫女だ。……やや大人びた雰囲気だが、恐らく年の頃は雪と変わらない。しかし気の強い娘なのだ、と井宿は肩を竦めた。

「失礼いたしました」

心宿は不機嫌そうな少女の背中に深く頭を下げると、僅かに不敵な笑みを浮かべて部屋を出ていく。

その青い目は、まるで部屋に潜む井宿を見ているようにも感じられた。

恐らく……いや、少なくとも近くに居ることは気付かれている。

鬼宿が重傷を負っているのは、井宿にとっても大きな痛手だった。体格のいい彼を担いで逃げるわけにはいかない。頭を抱えた井宿は、一旦静かにその場を去ることにした。







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