7-2 / 絶望の果てに

切り立った岩山の世界は再び生命を宿し、深い緑に変わる。霧が立ち込め、鳥が不気味に囀る。大樹も苔むし、それが仄かに明かりを灯す。蜥蜴がその上を這い、光蟲が自由に森を踊る。精霊、妖精、或いは神と呼ばれるような類の者達が草木に命を吹き込み、新たな生を育んでいる。はずだった。

「スエルンの森って、もっと生き生きとしていなかったか?」

レイメは疑問の声を上げる。数日歩いたこの森は、お世辞にも生き生きとしているとは言い難かった。やせ細った樹木、茶色に染まる草、僅かな小動物が恐怖に身を寄せながら僅かながらの息を吐く。はるか昔にレイメがスエルンの森を訪れた際の記憶では、神々に愛され、あらゆる命が生き生きとしていた。実際、エマの記憶の中でもそうだった。

「僕の記憶違いじゃなかったら、クルクスっていう神様とか、アフセイフの乙女たちとかが歌声を聞かせてくれるはずなんだけど……」
「何かあったんだろうな」

ローエンは目を瞑り、両手を握り締めるようにして足元の名も知らぬ死体に祈りを捧げる。隣でミフルも手を合わせていた。

「人じゃない」

死体は死後数時間経っているのか、それともそのようにして死んだのかは分からないが、その死体は干からびた様に死んでいる。

「血の匂いも感じる」

イルヤの瞳が輝いている。

「誇りあるなら、屍肉は食べるな」

久方ぶりの肉にあり付けると思ったイルヤは少しばかり残念そうに頭を垂れた。代わりに飢えた獣が貪る。
暫く歩くと少しばかり明るさを取り戻す。先に広がるのは泉、そのように見えた。

「嘘、だろ……」

森のエルフの血、森の民の血、人間の血、そして神の血。全てが混じり合い、巨大な湖のように溶け合う。無残に大木に括りつけられたエルフの死体、矢に射抜かれた森の民、一様に胴体と脚が切り離され、内臓を顕にした人間、そして干からびたようにして死んでいる神。その近くには数多の凶器、そして見たことの無い鋼色の機械が、壊れたまま放置されている。それは鈍色に煌めき、赤い血にも負けず、よく磨かれた素地は辺り一面を映す。

「アクラガスのものだな」

ローエンは冷静に分析する。

「多分この道具で神様殺されたんだろうな」

蓋を開けると、中には小さく縮こまった体制をした死体が入っている。とても小さなもので、背中には翼がもがれた跡が生々しく残っている。

「マジか…」

若干の吐き気を覚える。エマの顔は至極不愉快だと言わんばかりだった。

「木々も死んでる。土も、水も。そして剥き出しになってるユグドラシルの根も腐りかかってる」

枯れた色の大木を絡めるように出ている、大木よりも太い根は、内側を剥き出しにし、時間をかけて深いところまで黒を広げていた。そこから内側へ染み込んだ血が赤々としている。

「もう少し進んでみようか。でもその前に」

エマは杖を強く打ち付ける。衝撃波が走り、それに呑まれたものは光の粒になって消える。

「ちゃんと弔」
「行くぞ」

エマの一連の行いに目もくれず、ロームングルは先へと進む。エマの自信に満ちた笑顔は凍てつき、その後直ぐにしょげながら短い歩幅で小刻みに歩く。

やはり、生き物という生き物がいない。居たとしても既に死んでいる。それは虫も同様だった。勝利の象徴であり、屍肉の運び手たる骸蝿(ベオル)の眷属さえも死んでいる。

幾つもの屍肉を横目に、先へと進む。すると次第に木々は完全に朽ち砕け、遥か遠くまで荒地が広がっていた。
言葉を失った。完全に生命が死に絶え、神すらも死んでいる。剥き出しになったユグドラシルの根も腐り果てていた。
ミフルは咄嗟に目を小さな肉球で覆い隠す。そしてそのまま、服の中へ潜り込んだ。

「有り得ない、誰がやったのこんなこと」

エマの声が低く震える。大気が恐怖に戦慄き、どこからか乾いた風が散発的に吹き上げる。
レイメの首に下げられた鍵が熱を帯びる。

「流石に魔導師として許せないな」
「……エマ」
「如何なる者であろうと死を以て」
「エマ!!」

肩を揺らすレイメに、エマはきょとんとした顔を浮かべる。

「どしたの?」
「どしたの?ってお前な……」

呆れて言葉が出ない。何事も無かったように流すエマは、いつものことかと思いつつも多少の違和感を覚える。

「ぎゃーぎゃぎゃ」

ロームングルの首に巻きついたイルヤが、尾でレイメの頭を叩く。そのままするりと降りて、何かを訴えるように鳴く。

「新鮮な肉の臭いがする」

ロームングルが徐ろに翻訳する。

「食われかけた肉の臭いだ」
「本当にそう言ってるんですか…」

静かに頷く。
早く早くと急かすイルヤに若干の不信感を抱きながら再び歩む。龍の瞳に映される影は鮮明に、そして龍の鼓膜を震わす僅かな声、それを頼りにイルヤは嬉々としながら蛇行する。




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