慌てるな 落ち着いて〜 Sample 1 (なんか……周りが大きすぎやしねえか?) いちばん近くに倒れている侍の身元を確かめようと近づいたつもりが、なかなかたどり着かない。全くとは言わないが、思うように体が動いていない。 改めて遠くまで見渡すと、古びた寺院のようなものが見えた。しかし、 (距離がわからねえ) 遠いような気もするし、近いようにも思える。遠いわりにははっきり見えるが、近いのだとしたら見え方が小さい。 気を落ち着けるために無意識に懐のタバコを探った……しかし、ない。 ない。 タバコも、ない。 そもそも懐がない。 上着がない。 というか、服がない。 必然的に下を見て、土方は思わず絶叫した。そして今度こそパニックに陥った。 白い手先には短いながらも毛がびっしり生えていて、裏返すと小さな肉球があった。それに続く腕には黒い毛が、やはり密生していた。タバコを入れていたジャケットどころかベストもワイシャツもスカーフもなく、胸に白い毛が生えているだけであとは真っ黒。何より仰天したのは、自分の声が人間のそれではなかったことだ。 「フギャアアアァァァ!?」 猫じゃあるまいし。 だがこの肉球、猫みたいだ。イヤイヤまさか。 周囲の確認どころではなくなった。土方は移動を優先することにした。そしてさらに気絶しそうになる。 ごく自然に、手を使って歩こうとしていた。 つまり四つ足歩行だ。あり得ない。気が狂ったのか。まさか。 何度か二本足で歩くことに失敗し、それでも認められなくて、思わず無闇に走り出した。なるべく隅のほうを選んで走る。間違いなく四つ足で体を運んでいる。木の陰や草むらに体を隠して滅茶苦茶に走り回ったが疲れただけだった。長距離は走れない体らしい。心細さに蹲ると、カラスが上空旋回をやめてわざわざ土方の頭上に止まった。 喰われる、と思った。 カラスの殺気など今まで感じ取ったことはない。子供の頃は多少怒らせたこともあったが、怪我を厭うことはあっても食糧にされる恐怖を覚えたことはなかった。 今は違う。 たかがカラス、と心では思うのに体は動かない。ヒトの子のイタズラから身を守る動物の怒りではなく、捕食のために淡々と土方の隙を待っているのがわかる。 動いたら殺られるのか、剣と同じ要領なのか。それさえ土方にはわからない。汗をかける体であれば、冷や汗で濡れ細っていただろう。 目次TOPへ TOPへ |