月花に謳う



2




――月花さん、早く来ないかな。

 硝子を緩衝材に心地良い日差しが温室に差し込み、最近の寝不足もあってまどろみを誘う。ガーデニングテーブルについていた腕の上に誘われるように頭を伏せた。やがて目蓋も意思に反して下がり始める。
 ここに来るとよく眠れる。とろり。襲い来る睡魔に身を任せた。


******



 梅雨のなかでも珍しく晴れた昼下がり。陽光を受けて水溜まりがきらきらと反射している。
 月花は悠璃からの連絡を受けて温室を訪れていた。温室にいることが多いがいつでもいるというわけではない。

 そういえば、彼は自分のいないときにはどう過ごしているのだろうか。

 温室は植物に囲まれるばかりで他には何もない。行くたびに彼は何をするでもなく、ただ笑顔で出迎えるのみだ。
 静かに温室内の小道を行く。さっと開ける視界、いつもは月花が姿を現した時点でやわらかく掛かる声がない。月花は内心驚き、その原因を目にしてそっと目を見開いた。
 いつもの白のガーデニングデーブルに上体を伏せて微かに肩を上下させ、穏やかに眠る悠璃の姿があった。
 月花は起こさないようにそっと近付いて彼の顔にかかる猫っ毛を撫でる。やんわりと酷くやさしい手つき。起きる様子はなく、静かに息をしている。

……よく寝ているな。

 開けた空間の中央部分、やわらかそうな天蓋付きの寝台をちらり、と見遣る。起こすかもしれないと躊躇ったのは一瞬。
 悠璃の細い肢体にそっと手を回し、座っていた状態からなんとか横抱きに抱き上げる。悠璃を支える腕から伝わる頼りない重さは、存外その外見から想像するよりずっと細くて軽い。そのことに驚きつつ、顔を顰めた。
 これはもしかしてなにか食べさせてあげた方がいいかな。
 食事はきちんと摂れているのだろうか。やや顔色の悪い、隈のある安らかな寝顔を見て思案する。
 そういえば、初めて彼と会ったとき。悠璃がここに迷い込んだときの様子も今ほどではないけど顔色はあまりよくなかったかもしれない。それにただここらへんを探検していて迷い込んだふうではなかった。普通であればこの温室は何の施設もない方面に位置しているのだから。この学園の特性上、人気のない所には行かないに限る。悠璃がここへ迷いこんだのには何か理由があった?

 自分は悠璃のことを知っているようで、もしかしたら全然解っていないのかもしれない。彼自身の好きなものを知っていても、温室以外の彼を知らない。つまるところ、学校での彼が今どういう風に過ごしているのか、知らないことに今更気付いたわけだ。その事実に再度、眉間の皺が深くなる。
 ガーデニングテーブルの上を見れば薄紅色の詰まった小瓶。ジャムだろうと見当はつく。されど彼のようなひとがただのジャムを持って来はしないだろう。このジャムを使ってなにかスコーンでも食べさせればいいのか。
そんなことをぼんやりと計画しながら、悠璃を運び寝台へ寝かしつける。これだけ動かしているのに一向に目が覚めないのは眠りが深いからなのか。眠れていないだろう彼にはちょうどいいと思う。

 この間、悠璃は眠るのが怖いと言っていた。けれどこの空間が少しでも彼に安らぎを与えるのであれば、いくらでもここで眠ればいい。

 願わくば、彼に安らかな眠りを――。

 シーツの白に埋もれる悠璃の額にくちづけを一つ、落とした。



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