翠雨 | ナノ


翠 雨  


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葡萄石:5



 苦しい苦しい、悲しい。

 両親はきっと近いうちに離婚を決めるだろう。書類上でも現実的な意味でも。一度壊れて時間が経ち過ぎた仲は修復がきかなくなる。もう彼らが手を取り合うことは決してない。そうなると父は優秀な兄を、母は僕を引き取ることになる、きっと。離れ離れになる。別離はもう必至だった。誰も言葉にはしなかったが、その空気はひしひしと充満し、家族全員が理解していた。

 離れなくちゃいけない。でも、どうして?
 これは僕たちへの罰なのだろうか。モラトリアムの楽園は所詮期限つきだということだ。

 僕はこの狂おしいほどの感情の名前をまだ知らない。ただこの想いは決して消えてはくれないことだけは知っていた。


「兄さん……」

「琥珀だよ」

「こはく」

「そう。翡翠。」


 俺たちはずっと一緒だよ。うん。
 決して叶わないことを紡ぐ。現実を言葉にするのはひどく空恐ろしかった。

 上体を起こして、再度身体を寄せる。両手をそれぞれ絡めて、己の意思だけで顔を近づけた。兄の形のいい口唇が瞼、額、眉間、頬、耳、口の端と寄せられる。僕も同じように口づけを返していった。そうして脣を一度、ふれ合わせる。二度、三度。

 お互いを求めることに夢中だった。だから豪雨のなかに混じった車のエンジン音や玄関の戸が開かれたことに、僕たちは気付けなかった。
 どれが悪かったとは謂わない。体勢が悪かった、雨がうるさかった、夢中になりすぎていた。さまざまな要因が重なっていた。だから僕たちは運が悪かっただけなのだと思う。それも最悪な形で。




「何をしているんだ…っ!」


 今までにない剣幕の父親の怒声で僕たちの時間は終わりを告げた――。

 モラトリアムは終わった。その破片すら千々と散った。





 七月七日。なんの偶然か、一年に一度の恋人の逢瀬が叶う日だった。




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