翠雨 | ナノ


翠 雨  


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葡萄石:2



「翡翠」


 困ったような、でもどこか嬉しそうな兄の声が耳朶をくすぐる。

 もっと呼んで。その甘やかな、どうしようもないくらい切ない、僕の大好きな声でもっと僕の名を呼んで。

 兄に名前を呼ばれるとときどき無償に泣きたくなった。例えばむきだしの心臓に直接触られるような、そんなイメージだ。胸の奥にちいさく湧く痛みは落涙の衝動をともなって存在を主張する。


「翡翠、俺の名前を呼んで。翡翠、お願いだよ」

「ぁ……こ、はく」


 ふるえる唇を動かしてやっと出てきた宝石の名。兄の名。ずいぶんと拙い音だった。


「いい子だね」


 兄の手が背中をさする。肩甲骨の形を確かめるようになぞり、背骨をゆっくりと撫でた。
 兄は華奢ではなかったけれどやはり少年独特の線の細さがあって、二つ違えどやはり兄の方が背は高かった。


 綺麗で、頭も良くて運動も出来る。自慢の兄だった。

 兄はよく僕の瞳の色を口にした。翡翠の目は綺麗だね、まるで宝石のよう。穏やかな表情で僕の黒髪を梳りながら、それはもう口癖のように。翡翠の瞳の色をしていたからそう名付けられたと聞いた。同じく、兄は髪の色からだ。そこには両親が宝石関係の仕事をしているという諸説もつくが。兄に言われるその言葉に返事こそできなかったが、僕は兄の髪色の方がずっと綺麗だと思っていた。こんな暗闇の中なのに、ほら、きらきら輝っている。その中に手を差し入れればきっと指の間からさらさらと金色はこぼれてしまう。留めておけないという点において、瞳が好きだという兄がすこし羨ましかった。



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