あの子は


目の前に付きつけられたモノを見てネッドの瞳は見開かれたまま固まっていた。
漂う血と硝煙の匂い。そこかしこで上がる爆音。
自身が席を置く海軍と海賊が未だ交戦中だというのに、それを忘れて。食い入るように手配書を見つめる。

ネッドの元へそれをこれ見よがしに持ってきた海賊は、青いほむらに包まれた片腕を解いてひどく愉快そうに笑った。
その口がもう一度同じ事を言う。

「これ、アンタの身内かい? 良く似てるじゃねェか。億超えのルーキー、トラファルガー・ローって奴はよい」

不死鳥と呼ばれる海賊とネッドはもう幾度も顔を見合わせて、もはや顔なじみと言っても良いほどの年月、拳を交えて来た。
だから、ネッドも彼が酔狂や冗談でこんなものを持ち出してくるような奴だとは思っていない。
敵とは言え、“不死鳥”マルコはひとの家族を悪戯に辱めるような男では無い。海賊でも。彼らは仲間を、家族を、とても大切にしている。

それは、ネッドにとっても賛同できる想いだ。

「不死鳥…これは、いつのだ」
「つい最近の物だよい。なんだ、今までアンタ知らなかったのか?」

そりゃ悪かったねい、と挑発的に口元を持ち上げてマルコの足が炎に変わる。
不死鳥の鋭いかぎ爪が繰り出す蹴りを交差した両腕で防ぐ。武装色の覇気で黒く変化したネッドの腕は衝撃に良く持ちこたえた。
ビリ、と肌を走る慣れ親しんだ殺気。
甲板を荒く削り取った二本の靴跡がその威力を物語る。

「あんまり疎かにされちまうとおれだって拗ねるよい」
「…気を逸らさせたのはキミだ、不死鳥」
「おれは親切に教えてやっただけだろ」
「ぬかせ」

おそらく二人は好敵手と呼べる間柄にあたる。
ネッドが将校へと駆け上がり本部から新世界に拠点をうつした時から、今日に至るまで、白ひげ海賊団と海軍が顔を合わせる度に似たようなやり取りが行われる。
海賊と海兵。相容れぬ立場だが、ふたりは互いのことがそれ程嫌いでは無かった。好きでもないけれど。

だから先程のことも他意は無く、相手の反応が見たいがための単なる好奇心だった。

「…そうか、そうか」

不死鳥からの攻撃に間合いを取りつつ呟くネッドの声は、周囲の喧騒に呑まれてマルコの耳にだけ届いていた。
見聞色の覇気でマルコの蹴りを掻い潜りながら、吟味して納得し無表情で頷くネッドの顔は心なしか上気し、喜色を滲ませる。
肩から羽織る白いコートが正義の文字を風にゆらめかせた。

マルコが訝しむ顔をした。
彼が知るネッドという男は母胎にうっかり表情筋を動かす術を忘れてきたような奴で、彼には珍しく、まったく嬉しそうでも無いのにとても喜んでいるように見受けられる。
器用な奴だねい。
内心でそう洩らしたマルコの呼吸を読んだかのように、ぴたりとネッドの動きが止まった。

「不死鳥」
「なんだよい」
「感謝する」
「……は」
「おそらくキミが私に知らせてくれなければ、私はこの先もっと身動きも出来ないように更なる監視を付けられていただろう」

こちらに犯罪者を身内に持つ者がまったくいない訳ではない。
親、子供、兄弟。入隊時に申告する者から昇級の際に身辺を検められる者まで、正義の目は向く。

大将赤犬はそういった輩を除籍に追い込むだろうが、ネッドの上司である黄猿は疑いつつも監視の手を送りこんでくるひとだ。
現にネッドは今、見張られている。
ローの手配書をネッドの目に触れさせないようにしたのも、きっと彼の上司の仕業だろう。
いつまで経っても少将止まりなのも。この若さで中将として抜擢されるほどの力を見せつけても、その機会が訪れないことも。

「…監視されてんのかよい」
「ああ。ここ一年ほどな」
「は、胸糞わりぃ話だ。身内のことも信じられねェってのかい」
「組織とはそういうものじゃないか。良くも悪くも」
「まあねい」

マルコは軽く息を吐き、首を傾げて片手で首裏を擦った。
苦い顔をしながら頷く彼も、白ひげという大所帯をささえる一番隊の長を務める立場であるからこそ分かる。
分かるからこそ疑われる立場がどんな気持ちになるのかも、もちろん知っているのだ。
決して気持ちの良い話じゃない。
まあ家族を第一にし守る立場であるマルコに、この先も改める気は無いけれど。

「不死鳥」
「…なんだよい」
「先程の手配書を私にくれないか?」
「?」
「その代わりと言っては何だが…これをやろう」

おかしな提案だ。
不思議に思いつつも別段拒否する理由もないマルコはあっさりと差し出した。ネッドが受け取った手配書はそのまま丁寧に折りたたまれて彼の懐に仕舞われる。
そして代わりに受け取らされた白い封筒。

マルコは目を疑った。
詩や文章でもつづっていた方が良いような滑らかな美しい文字でただ一言「辞表」と書かれた、封筒に。
どういうつもりだ、と封筒から視線を上げたマルコにさらりとネッドが頼むよという。

「本気か」
「ああ」
「…裏切るつもりかよい」
「そう言われることも覚悟の上だ」
「はあ、まったく…おれに渡してどうすんだよい」
「部下に託したとしても、気の迷いかと思われて握りつぶされるのが落ちだと考えてね」

おまえはそういう奴じゃないだろ。
く、と唇の端を不器用に持ち上げて笑んだともいえぬ表情で、しかしその声だけは確信に満ちていた。
海賊といえどもネッドはマルコを嫌いではない。
家族を守るためにその身を削るような戦い方をする姿はそっくりそのまま、かつての自分を見ているようで嫌いにはなれなかった。

「……随分と長い間、ひとりにさせてしまったけどね」

マルコに背を向けたネッドが寂しそうに呟く。
ばさりと大きく風を孕ませた眩しく輝く白をとっさにマルコは引き止めようとしてしまった。

「またな、不死鳥」

風を蹴って空へと駆け上がったネッドを止められるものなどいなかった。

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