わたしは心臓


幼いころのローは良く私のあとを付いて回り、紅葉のような柔らかい小さな手で袖を引き、どこへいくのと、きゅっと眉を寄せて見上げていた可愛い子だった。
今でも可愛いことには変わりないが、あの頃は格別で、愛苦しい子供だったと思う。

彼が生まれた時は両親も健在で、私に白い産着にくるまれた生まれたばかりの緑児を差し出し抱かせてくれた。
生まれてこの方、赤ん坊など抱いた事も無い私はもちろん抱き方なんて分からなくて、ふらふらと首の据わらない赤ん坊をおっかなびっくりと抱き上げていた。
落としてしまうのではと怖くて半ば泣いていたと思う。

“ネッド、あなたも今日からお兄ちゃんよ。”

母に言われて私は赤い顔をした小さな生き物を見た。
私の、おとうと。私の。
私は今日からこの子のお兄さんになる。

それは神から教えられた天啓のようでもあり、私の内、底から、胸の奥から手を伸ばして差し出した愛しさでもあった。
私は――ローのもの。
産み落とした母親のものでも無く、私のために生まれてきた。誰のものでも無い、私の。
小さくしわくちゃな赤い手で私の指を握ったローに、私はその瞬間からローのものになり、ローは私のものになった。


故郷を出て行ったあの寒い冬の朝も、ローは私の袖を掴んで離さず、泣きだすのを堪えるような顔で私の顔を睨んでいた。
私はそれが痛くてたまらなかった。
私はローのものなのに、何処へ行ってもそれは変わらないのに、そう言ったのにローは行くなと言う。
私とて離れたくはない。
それでも親の庇護を求められなくなった今、ローには私しかいなくて、私にもローしか残されてはいなかった。

けれど私にはローを育てる力は無い。
一緒に居てもローを養うどころか苦労させてしまうことは目に見えていた。だからこそ私も苦渋の決断をしたというのに。
強くなりたくて。彼を守りたくて。私は私の道を選んだ。

“いくな。おれを置いていくな。”
“どこへも。守るっていったじゃねぇか。”

泣いたら悲しみが零れ落ちて行くんだよと教えたのに、ローは自分が泣くと私が困ると分かっていたのでいつの間にか泣かない子供になっていた。
我儘なんて今までもたっぷり聞かされてきた筈なのに。
それが可愛くて甘やかしてばかりで、両親に苦笑されていたほど私は手の付けられない甘やかしっ子だったのだ。

幼いながらも賢い子供でもあったローは、泣くことが恥ずかしくてみっともない事だと信じて私の前では最後まで泣かないまま、去っていく私の後ろ姿をじっと見続けた。

こびり付いて離れない、恨みがましい視線。
帰郷できる機会も何度かあったのに帰れなかったのは、一度でも戻れば彼から離れられない事が分かっていたからだと、今ではそう思う。

それがいつしか成長してまた共に在れるようになってからは、執着と独占欲、そして愛情と甘えを感じ取れるものに変わって私はそれに違う色を見出した。

ローは、私を愛している。
歪んだ形で、それでも真っ直ぐに私を、私だけを見ていた。
私もローを愛している。
歪んだ形で、それでも真っ直ぐにひたすら彼だけを見ていた。

ローはそれをひた隠しにしている。
だから私は気付けなかった。
この心臓を渡されるまで、私はローの愛情に振りむけなかった。自分では振り向いているつもりだったとしても、それはローの欲する愛情とはまた違う。
傍に居て、抱きしめて、私はローのものだと言ってどこへも行かないと告げても彼は信じようとしないから。
それは言い訳でもあったが、ローは昔から隠し事がとても上手な子だった。

ローに愛される事は私にとっても喜びなのに、なぜ隠すのかが私には分からない。
けれどもそれをローが望んでいるのならと私もそれを聞かなかった。問いただしてローに疎まれるのが嫌だった。
私はローのものだから、彼の望む通り好きにさせてやりたい。ローの秘密を暴くのは彼自身からでなくてはいけないと思った。

私はローを愛している。彼が心身ともに健やかで彼を脅かす危険からも守り、ともに立ち向かい、ローが思うままに生きられたらそれだけで構わないと思う。

けれど、これはどうだろう。


「ネッド…」

ローに就寝時間ともなれば今ではすっかり自室もお役御免となりつつある昨今、今宵もローは私をベッドに引きこんで放そうとしない。

ローは、夢を見る。
私が自己満足を押し付けて去って行った冬の朝を。一人にさせてしまった罪深き幼い私の影を、夢に見てうなされる。
眠る時に手を繋いで彼を安眠に導くために伸ばされていた私の手は、今ではすっかり彼の腕の中に納まる形になってしまった。

これが、ほんとうに困る。

いつまでも返される兆しの無い私の心臓が彼の胸の中でトクトクと鼓動を早めて、私は彼を意識させられる。
どうしてか私の心臓は彼に抱かれると喜びに高鳴るらしい。
心臓は嘘をつかない。
だから、私は困っている。

「…ネッド」

耳元で低くささやく声が好きだ。
私を呼ぶこの声が好きだ。
包み込む腕も触れる胸も熱いこの身体も、私はローの全てが、その魂が好きだ。

私は、ローが好きだ。
それは当たり前のことなのに、どうして私は困るのか、自分の事なのに分からない。

私はローを愛している。
私はローのもの。彼の元へ来た時から私は自分の人生も生きるも死ぬのも、すべて彼のために使おうと思っている。
それが先の未来で彼に消えない傷を付けてしまうものだとしても、私はやっぱり、彼を守りたい。

「……なに興奮してんだ。やらしいな」
「……いや、べつに、してはいない…」
「心臓がうるせェ。嘘はつくな」
「そんなつもりはないんだが…」

私が自分の中でローの鼓動を感じ取れると同じ様に、ローも私の高鳴りが分かってしまうらしいから更に私は困ってしまう。
ローがひた隠しにしていた愛情を私が知ってしまったのも、この所為だ。
私の額と自分のものを擦り合わせるようにくっ付けていた彼が、髪をかき分けて私の額に唇を落とす。

やかましい。静まるがいい。私の心臓は素直過ぎて困る。
先程よりも自分の身体が熱を帯びたような気がして私は大変困惑している真っ最中である。
この素直さを自分の表情筋にも分けて与えて欲しいものだが、やっぱり私の頑固な顔はひくりとも動かない。不動だ。今更贅沢は言えない。


新世界へ私たちが来てからそろそろ二年になる。
ローもクルーも強くなり、私もそれなりの悪名と言う奴を得るべくして得たと思う。やっていることは海軍に居た頃と変わらない、海賊の取り締まりのようなものだったが、その方が遣り甲斐もあるし、何よりもローの役に立てることが嬉しかった。

ローが以前、天夜叉の部下であった話は聞いた。
過去の事をローが話すのは本当に稀だ。言ってくれて嬉しい。
その周囲を探るために色々と奔走をしていた彼に私も協力していた。

明日からローは単独行動を取るとクルーに先駆けて聞いた私は、もちろん自分も付いていくと告げた。
ローも勿論そのつもりだった様で、当然だろ、と言う顔で、その間に話しておかなければならない事があると真剣な声で言った。
私はただそれに頷いて、ローの言う事ならば何でも受け入れられると彼の手を取りながら言った。

それに暫し瞠目していたローは、はっ、と焦ったような顔で大きく息を吐き、勘違いさせるようなことは言うんじゃねェよと、何故か怒ったような顔をしたのでまた私は首を傾げるしかない。
本当にそうなのに、何故ローは信じないのだろう。
私は無理強いもするつもりも無いので、そこはすまないと謝ってこうして彼に抱きしめられている。


「ロー、…おやすみ」

とろとろと眠気で下りて来た瞼の隙間から、彼の胸へ、首筋へと視線を上げて色濃く残された瞼の影に終わる。
ああ、と私に囁いたローは、私の意識が落ちる瞬間までを自分のものにしていた。

唇にふれた柔らかい何かを私は知らずに。
目が覚めたとき一番に見られるローの寝顔を夢にみて、海の底に沈む船の中でわたしは彼の愛にただ溺れていた。

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