わたしは許さない


トン、と重さを感じさせない音を立ててネッドが船縁に立った。風を背に受けながら不安定な上縁部に佇む彼は、ローの顔を見下ろしてそっと両手を広げる。

「ロー、私は空をゆく。君は潜行して湾内に潜水艦を着けて欲しい」

付いてくるのなら、出来るだけ安全な方法で。
ローは決意を固めた顔をしているネッドに、は、と大きく息を洩らした。ネッドがマルコに執着するのはハッキリ言って忌々しいが約束は約束だ。
ブリッジに引き返す後ろ姿にネッドはもう一つだけお願いを申し出ていた。

「麦わらを――この場から逃がしてやりたい」
「…ずいぶんと肩を持つじゃねェか」
「火拳には恩がある。彼をここから逃がすのはその恩に報いるためだ。死者には出来ないことを私が後押しするだけだ」
「……いいだろう」
「ありがとう、ロー…我儘を言ってすまない」

じわりと潜水を開始した船から飛び立った。
鍛え抜いた脚力が空を叩く。段階的に雲の下まで昇り上がる。
左右に控えていた船からそれを見ていた海賊たちは、あれは何だと指を指して声を上げた。

ネッドはドレークの旗にひらりと手を振る。
覇気を視力と聴力に集中させたネッドには口を開けた彼が何を言ったのかが聞こえていた。
もはや少将では無いと言った筈なのにもう忘れたのか。
広がる外套に阻まれたネッドの呟きは誰にも届かない。

湾内と広間を隔てる包囲壁が崩されている。
船着き場には逃げる海賊とそれを追う海兵が入り乱れていた。
マルコの姿を探して視野を広げていたネッドは、一段と燃え上がりのひどい場所で青いほむらを見つけた。
いた、奴だ。仲間を率いて船まで辿りつこうとしている。

ネッドの口が不器用に持ち上がり――突然巻きあがった砂塵に驚いて空中で身を捩りこの際だからと、マルコ目掛けて勢いを殺さずに落ちた。

「っ、この、焼き鳥が…!」

渾身の覇気を纏わせたネッドの蹴りが氷を砕く。
そこは丁度ジンベエを追って来ていた赤犬の前で、粉砕された氷がマグマでジュ、と音を立てて蒸発した。
驚いたのは赤犬も海賊たちも同様だったが、一番ビックリしていたのはマルコ当人だ。
不名誉な罵りに聞き覚えのある声。かわしていなければ確実に頭部を持っていかれていた強烈な一撃は、マルコを殺す気だったのではと思われるほど容赦がなかった。

「――な、おまえ…!?」
「避けるな!」
「馬鹿言うんじゃねェよい! 避けなきゃ死ぬぞ!」
「ん? それは困る。私は未だお前との決着をつけてはいない。では詫びよう。すまなかったな、不死鳥」
「てめェは全く…ほんと呆れる奴だよい! 何故ここに来た! 引っ込んでろよい!」

漆黒の外套を払い腕を組んでマルコと言いあう。
ネッドはボロボロの好敵手にビクリと眉を痙攣させたが、不器用な彼の表情筋は思うように動かなかったようだ。
マルコの目には光がある。
親と慕う船長の死を受けてなお瞳の奥で彼の魂が屈していないことこそがネッドを満足させた。
空中でバギーに受け止められたルフィとジンベエを視界の端で捉えたネッドは自分を狙ったマグマから大きく飛び退った。

「…ネッド…! 貴様ァ…こんの裏切り者が…! 今更ノコノコ面を見せに来よったか…!」
「その件に関しましては弁解及び釈明を述べる事を怠った自分に非がございます、赤犬殿。ご指導頂いた恩を仇で返すようなマネをしてしまい誠に遺憾です」
「元師も黄猿も…お前には甘い顔をしちょるからァこうなるんじゃ…! 海賊になど身を堕としよって!」

赤犬が燃える拳を振るうごとに産毛がチリチリと炙られた。
靴の中で親指をグッと曲げて、氷を踏み砕いたかと思えば赤犬の殺気の込められた糾弾を風のように回避する。

一撃も当たらないほどネッドは素早い。
師である黄猿がそうであるようにネッドが得意とするのは速さを生かした急襲だ。空を滑空するマルコと対等に渡り合うために空中戦だって得意とした。
これだって黄猿との生死をかけた追いかけっこに比べればまだマシな方であるとネッドは思う。マシなだけで…当たれば即、致命傷ではあるが。

ジッと頬をかすめた炎を首を捻って避けると、ネッドはマルコに視線を投げて僅かに頷いた。

船着き場から氷の大地へと次々に降りてくる海兵。前方には赤犬。ネッドが振り向き後方の海兵を覇王色の覇気で威圧すると、マルコはその背を守るように青い炎を広げ赤犬の燃え盛る一撃をその身で受けた。マルコの背がゾクッと震える。
ガクッと泡を吹いて膝を折る海兵たち。
気の弱い者はそのひと睨みで堕ちる。
見届ける間も惜しんでネッドは赤犬に躍りかかった。

海軍がネッドを惜しむ理由――それはこの生まれながらにして持った資質に他ならなかった。
ネッドは鈍いけれど彼は人を惹きつける。


手の内を知るマルコとの共闘はネッドを生かした。
砲撃を放った兵をネッドが一閃して薙ぎ払うと、マルコが飛び立ち赤犬を蹴り飛ばす。赤犬が衝撃を殺し切れずに奥歯を噛みしめ、ネッドがその首を刈り取る。
“自然系”に有効な覇気の一撃に彼の口からゴボリ、と鮮血が溢れた。
白ひげの一団も囚人たちも、初めは“冷徹”の登場に目を白黒させていたがネッドが海兵の敵と分かると心強く思い、マルコの喜びようを知っている家族たちは良かったですねマルコ隊長! と瞳を潤ませていた。

マルコはネッドを嫌いではない。敵ではあるが、今は背を預けることにお互い不満も無いのだ。

「おい、不死鳥…!」
「…っなんだよい!」
「ふ抜けた顔をしていたら一発殴ってやろうと思い乗り込んできたが、その必要はなさそうだな!」
「――は、選りにもよってそんな理由かよい!」
「ああ、そうだ。それだけの理由だ! 屈する事は私がゆるさん…不死鳥!」
「今度は、なんだ…よいっ! と、」
「火拳の弟は私たちが引き受ける。お前たちはここから出る事だけに集中しろ…!」
「エースの弟をお前が? …どういう風の吹きまわしだ」
「私は火拳にもお前にも恩がある。借りっぱなしの恩を私が返すと言っているんだ、遠慮なく頼れ。今日ばかりは許す!」

相変わらず傲慢な物言いだとマルコは思った。
マルコに対してネッドはいつだってこうだ。
高潔にして清廉。マルコから見てもネッドは極真っ当なクソが付くほどの真面目人間である。
およそ海賊になど身を堕とすような奴ではないのに、これが今や海賊なのだと自己申告しているのだから世の中は不思議だ。

湾内に黄色い潜水艦が出現している。
おそらくローはネッドの願い通りルフィを収容してくれるだろう。彼は医者だ。瀕死のルフィを任せるには打って付けの人物。
そうネッドが説明を入れるとマルコは僅かに目を瞠り、噂の弟付きかよい、と少し呆れ気味に囁いた。

そろそろ潮時かと足に力を溜めたネッドの耳に砲撃の音が届く。ローの乗る潜水艦の方向だ。狙われている。
ローを守らねばとネッドが地を蹴って空へと駆け上がった。赤犬が逃がさぬと上空目掛けて拳を振り被ろうとした時、ぐらりと海面ごと足場が大きく傾いた。
狙いを外した灼熱の塊が人だかりの最中に落ちて行く。

「海賊という“悪”を許すな!!」

右腕をマグマに変え、口から血の混じった唾を飛ばしながら赤犬が吠えた。
薄気味悪い地響きがマリンフォードに轟くなか、ネッドはマルコに向かってまたあの言葉を紡ぐ。

「またな、不死鳥」
「さっさと行けよい! ……エースの弟を頼む…!」
「我が弟は優秀な医者だ、死なせるものか!」

カッと沖合に伸びる光線、遅れて届いた轟音と眩い光。
黄猿の攻撃だ。ネッドは軍艦のマストにその背を見る。
会いたくは無いがそうも言っていられない。
ローを…守らねば。

己の肉が軋み上げるほどの速さで空を飛んだネッドは、懐かしい上司に横合いから蹴りつけた。腕が腹を庇う。
振り被った脚に高めた覇気はぐんと速度を増し、その腕ごと彼の元上司を吹き飛ばしていた。

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