あの子はここに


ネッドの行動は早かった。
先程の店主に彼らが停泊しているであろう場所を聞くと、脇目もふらずに雪を踏みしめて進んだ。

どきどきと胸が騒ぐ。
今更ながらに緊張してきたネッドはローがここに居ると知っただけで参っていた。
どうしよう。なんと声をかければ良い。
色々と考えてここまで来たはずなのに何も出て来ないのだ。
握りしめた拳はただ空をかいて役に立つこともなく両脇で所在なさ気にゆれる。嗚呼。

万年雪のように固くなった雪を登り、島の裏側にある入り江に着いた。
遠目でからもわかる鮮やかな黄色。
潜水艇と思われる船体にはオレンジ色のジョリーロジャーが笑っていた。なぜ見逃したのか。彼らが隠していたのはコレだったのに。

潜水艇の甲板にはクルーと思わしき影が数人いた。
バタバタと忙しそうに動き回る彼らは、ネッドの接近に気付いてもいないようだ。
白いツナギと、オレンジ色のツナギ。
それを見止めるとネッドの足は雪を蹴り空を駆け、彼らが瞬きをするなかその両脚で下り立っていた。
遅れてふわりと舞い降りた純白が身体を包み、さながら羽を休めにきた鳥のようでもある。

「……え、いつの間に?!」
「ベポ下がれ! 海兵だ!」
「あれ? でも、このひと…」
「馬鹿、よく見ろ! 海兵は海兵でもこいつは将校クラスだぞ!」

ネッドには交戦の意思は無い。
けれどもやはり驚かせてしまったようでクルー達は慌てて武器を構えてきた。反応は悪くない。ただ未熟だ。
向けられる白刃と銃口に、ネッドは目深に被った帽子の奥で少し困ったように瞳を細めて顔を隠していた帽子を捨てた。
驚く彼らに、何もしない、と囁き両手を上げる。

「…トラファルガー・ローに会わせて欲しい…それだけだ」

ネッドはローに良く似ている。
つり上がり気味の細い眉も、鋭い眼差しも、鏡を見なくとも自分のものとそっくりだ。
ローのように表情へ色をのせることはネッドには困難だが、紛れもない血縁を感じさせるこの顔が役に立つと良い。
彼は弟の大切なクルーに怪我を負わせたくなどないのだった。

「……せ、船長…? いつの間にコスプレを…!」
「そんな訳あるか!!」
「――いてェっ!」

あれ、少し反応がおかしい。
どこかズレたクルーの反応に、どうしてそうなる、突っ込みが早いな、などとネッドが呆れている間に白クマがぱたぱたとドアまで駆け寄って行く。
そのドアが開かれる前にネッドは虫の羽音のような音を聞きつけ空を見上げる。そして、

「――“シャンブルズ”」

は、と我に返った時にはネッドの身体は甲板に倒れていた。
動けなかったのだ。あまりにも突然で。
たった数瞬、潜水艦を覆った半透明状のドームに意識を取られている間に、目の前にいたはずのキャスケット帽子の彼が、驚いたことにローへと変わっていた。

ネッドを甲板へ引き倒したのはローだ。
ローに手を伸ばされてもネッドの身体は全く抵抗が出来なかった。動けなかった。本当に突然で。
嘘のように身体が硬直して何もできなかった。

「……ロー…」

自分を跨ぐ長い足をたどり、腰をとらえ、首から繋がる顔へと視線を到達させたネッドが細く白い息を吐く。
トラファルガー・ロー。
ネッドのたったひとりの家族、愛しい弟が自分を見ていた。
それだけで彼の心臓はぎゅっと締めつけられて苦しい。
やっと、会えた…。

「よう、ネッド。…待ちくたびれたぞ」

久しぶりだしな、感動の再会とでもいくか?
そう言いながらギラつく眼差しで見下ろすローは、とてもじゃないが再会を喜んでいる風には見えない。
ローは広がる白いコートを憎々しげに靴裏で踏みにじった後、それともおれを捕まえに来たのか、と呟く。
ネッドはゆるりと首を振る。そんなこと、無理だ。

「海軍は…辞めて来た…」
「“冷徹”のネッドが海軍をだと…? 嘘を吐くんじゃねェよ。奴らがそんなことを許す筈がねェ」

ローがそう考えるのも無理は無い。
ネッドは今まで多くの海賊をその手で捕らえ、インペルダウンに送るか息の根を止めてきた。
ネッドは政府の狗だ。15年間そうして生きてきた。
海軍にとってネッドは貴重な戦力だ。実績も実力もある。手放したいなど誰だって思わないだろう。

「嘘は吐いていない。ただ、正しく受理されたかは分からないが」

なにせ海賊との交戦中にローのことを知り、そのまま勢いで新世界を飛び出してきたからな。

ネッドは裏切り者ではあるが手配書は出ていない。
しかしそれも時間の問題だろう。
裏切りは海軍の恥だ。彼らは許さない。
公にされずに有耶無耶のままネッドを捕らえて処分を下す心づもりだったのかも知れないと、淡々と自身の処遇について語るネッドをローは訝しむ目で見た。

「ローが、億越えの賞金首になったと分かった時、私は居ても立っても居られなかった、…それだけなんだ」

怪我とかしてないかと思って。
でも、元気そうで良かった。

ネッドの声は穏やかだ。心の底からローを案じている。
変わらない表情の下で今まで抱えていた不安はネッドの想像以上に膨らんでいた。
このまま彼に殺されても構わない。
ゆらぐ瞳で一つ瞬いて、ネッドは躊躇いながらも口を開いた。

「ロー、私を怨んでいるかい?」

ずっと聞きたかった。一人にさせてすまなかった。
消え入りそうな声で呟いたあと片手で目元を覆った。涙はない。ネッドは彼がどんな言葉を返そうとも受け入れる。
だから、ローの顔が一瞬悲痛に歪められたのをネッドは見ることもなかった。

「……馬鹿か、…怨んじゃいねェよ」

低くかすれた声で囁くと、ローはネッドの腕を掴み上体を起こさせた。ずっと踏みつけていたコートからも足をどけて、立ち上がってからも、その手を放さずに少し高い位置にある顔を見上げる。
マルコとそう変わらない身長のネッドはローよりも背が高い。
それに気付いてローは不愉快そうに舌打ちをした。

「おれは何度も言っていたはずだ、…帰ってこいと」

低い声が鼓膜をゆらす。
一度言葉を切ってローはネッドの脳に沁み込むのを待ってから、ゆっくりと薄い唇を持ち上げた。
瞳の奥からネッドは何かが押し出てくるかと思った。
無理やり開かれそうになった喉をぐっ、と絞るとネッドの腕を握る手に力が込められる。
皮膚と皮膚が張り付いてしまいそうなほどローの力は強い。

「捨てられるんならもっと早く捨てて来い…」
「…すまない」
「そんな紛らわしい格好してくるんじゃねェよ。…無駄に警戒させやがって。おれ達は海賊なんだ、海兵が来たら疑うに決まってるだろ」

ニヤ、と笑うローはとても悪い顔をしている。
挑発的で目付きの良くない、あの手配書と同じ顔だ。
すっかり海賊らしい雰囲気に染まっているローを見てネッドは何だか微妙な気分にさせられたが、この状況が嬉しいことに変わりはない。

感極まったネッドはそのままローを抱きしめた。

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