分岐点 extra

チャイルドロック


Sideレギュラス

「すみません、お呼び立てしてしまう形になってしまって…」

下がる肩と浮かない表情。
心から申し訳ないと伝える僕の声が低い天井に吸い込まれた。

「消灯時間まではまだ時間はあるのですが…あまりにもその、トーマ先輩の声が大きくて…」

あまりにも明け透け過ぎてとても困りました、と苦笑いをひとつ。アルコールを持ち出していることも包み隠さずお伝えした。
…まあ、彼らが見回りの監督生に見つかるのも時間の問題のような気もしますけれど。
お話している内容も内容だから巻き添えは食いたくないなあという本音も…ほんのちょっとだけ、ですけどね。

「なるほどねえ…」

呆れの染みいる溜息が傍らで飲み込まれた。
半歩遅れて歩くセネカ先輩はうつむいてしまった僕に少し笑い、軽く頭をふる。

「下級生である君達に迷惑を掛けているのはうちのお馬鹿さんなんだから、君がそんなに畏まる必要はないさ」

むしろこっちが謝らなきゃいけない気がするよ。
馬鹿騒ぎが広まる前に回収しなきゃ、ね。
止まること無く視線だけを彼の方へ向けると、想像通りの表情で前を見る横顔。
優しく穏やかに、けれど意地の悪い笑みだ。
胸元では指先が(無意識なのか)髪をくるくると弄っていた。

通路にはエメラルド色のランタンがまあるい灯りを広げている。
僕はふと彼の髪が、クラスメイトの彼女たちから密かに注目を浴びていたことを思い出した。


セネカ先輩の髪は長い。
もちろん、長いだけではなくとても綺麗で。
後ろ姿などはまるで少女のようだ。
(その点だけは御本人も認める所です)

ほんと、さらさらだ。
うらやむ気持ちが僕にも少しは分かる。
洗いたてのやわらかさを堪能する軽やかな動きに、ランタンの明かりが艶やかに返る。
指先からこぼれ落ちた黒がするりと逃げた。

――ふれてみたいな。

漠然とただそう考える。
何気なくかき上げられた髪とほそい指の動きにどきりとした。


「…レギュラス?」

くるりと回って不思議そうに瞬いた黒い瞳に慌てて頭(かぶり)を振る。
寄せられた眉の下では、緑を閉じ込めた潤み色が急に黙り込んでしまった僕を映していた。

「な、んでもありません」

一瞬過ぎった疚しさはぎゅっと拳を握りしめて潰してしまう。

「ただ、僕らの部屋は一つ上の階なので先輩が階段の段差でつまづかれたりしないかなと、」
「あー…そう…」

咄嗟の嘘は不自然に感じられただろうか。
いったい…何を考えているんだ、僕は。
慌ただしく騒いだ心を治めようにも、やっぱり、隣が気になって気になって仕方がない。

「(……どうしてだろう。真っ直ぐに先輩の顔が…見れない、)」

妙な困惑を感じて胸がもやもやする。
彼を伴って歩き始めた段階から――否、もしかしたらその前から感じていたこの違和感は、僕にとって初めて感じる類の当惑だった。
決まりの悪いような恥ずかしいような。言い知れぬ悔しさも混じる、複雑な気持ち。
黒い髪とその流れる首筋に僕の目が泳いでいる。

「…セブルス先輩、とても怒っていた様子でしたけど…大丈夫なんですか」
「ん? ああ。うん…」
「僕の所為でまた叱られる様なことには、」
「うーん…まあ大丈夫でしょ。セブはあれでもちゃんと理解はしてくれてるから」

それは暗に納得はしていないと。そういうことでしょうか? 声には出さずそう思うも、やわらかに微笑む表情に言葉が、

「別にセブが回収に行っても…あー…いや、宜しくはないんだけど、まあね、基本的にこういうのは僕の領分だからなあ…」

ほら、真面目な分彼は融通もきかないし。
場を円満に纏めて後味良く引けるのは無理そうじゃない?
ねえ、と同意を求められ一度だけ視線を合わせ、僕は再び爪先を見つめたまま頷いた。

じわりと溶ける熱っぽい瞳に灯った、いとおしむ光。
僕からそらされた意識は最後まで送り出すことを渋っていた彼の弟へ向けられていて…寂しさと羨ましさに、少しだけ胸が軋んだ。

「(いいなあ、セブルス先輩は)」

大事にされていて。


***


一方その頃。

誰もいなくなった部屋でセブルスは憮然とした顔で佇んでいた。
鋭い眼差しはじっとドアを見据えたままだ。
やがて彼は盛大な溜息を吐くと何にも目もくれずにデスクへ向かい、固い背凭れへとだるい体を傾ける。
やわらかなベッドも、セネカのお気に入りのソファも、今の彼は身を沈める気にはならないようだ。

そもそもセブルスは頷いてやるつもりなど毛の先ほども無かった。

レギュラスに呼ばれて彼にセネカが案内をされている間、波立つ気持ちにイライラと煩わされるなど御免だった。
だいたい、放っておいても就寝時間になれば怪し気な集まりも解散するだろうに何故態々。
疑り深い彼は、頼ることでさらなる親密さをアピールしたいのではと考えていた。

それなのに――、

「じゃあ、そういう事だからちょっと行ってくるね。…もう、そんな顔しーなーい! すぐに片を付けて来るから待っていて、ね?」

あいつはホント何にも分かってない。
セブルスのそれはそれはもうひどい、不快さをこれでもかと前に押し出している渋い顔へも「頼れる先輩って素敵でしょ?」と、含みのある笑みを残して出ていってしまった。

「(あれはまた何かを…いや、良い気味だな)」

説教、お仕置き、餌のお預け。
影でランコーンの飼い主認定をされているセネカの「おすわり事件」はある意味とても有名である。
もちろん、懲りない主犯以外にも効果的に手札をチラつかせて黙らせるに違いない。

トーマ・ランコーンのデスクに(セネカのヘルプを当てにして)手付かずなまま放置されている古代ルーン文字学のレポート(提出期限は明日)を見つけ、彼の鼻はフンと音を鳴らした。
一人では静かすぎる広い部屋で、それはやけに大きく聞こえて少し空しい。
しかし今夜ばかりはセブルスの胸を焦がす吐き気を催すほどの嫉妬も、ルームメイトのマヌケが原因となれば矛先も逸れた。多少なりとも。


「(……どこまでも僕を子供扱いして、腹立たしいやつめ)」

セネカがセブルスを置いて行く理由。
それは、私情を差し込みまくりな判断によるものであった。
つまるところ精神衛生上に悪い猥談や破廉恥な単語を弟の耳から遠ざけなければとお考えなのだ、彼は。
教えるなら自分が。聞きたいなら自分に。
てか、他人に先を越されるくらいなら俺がさあ!
そう右斜め147度辺りでねじ曲がってしまっているセネカの考えがセブルスには透けて見えていた。

セネカが思うほどセブルスはなんにも分からない訳じゃない。
キスマークの意味だって、ちゃんと知っている。
だから、

「(どうぞと言われてはい分かりましたなんて…できる訳がないだろ、馬鹿が)」



ひとりの時間を有効活用(?)し、悶々とする頭を抱えていたセブルスはノックの音(というには少々やかましい)で意識を呼び戻されて振り返った。
今度は何だ。時計をながめて首を捻る。
セネカが出ていってからまだそう時間も経ってない。
気の進まない体で立ち上がると、セブルスは眉間にまた一本しわを増やしながらドアの前に立つ。

ドアノブに手を掛ける前にそれは突然、勢いよく開かれた。

「セブルス! パス!!」
「…は?」
「そしてすまん!」

わけが分からない。
ドアを開けた人物はよく知った顔だった。
セネカが諌めに行ったはずのルームメイト、トーマ・ランコーンである。
その彼が顔色をとても悪くさせて立ち塞がっていたのだ。
気まずそうな顔が飼い主に悪戯がバレたとき、怒られるのだろうかとビクビクする犬に何となく似ている。

見上げたまま目を丸くするセブルスに、ランコーンは抱えていた荷物らしきモノをずいっと突きだした。
とっさに両手で受け止めたセブルスはその温かくてやわらかな感触にひどく驚き、支えたまま上半身をのけ反らせた。

「――セネカ?!」
「…ふにゃ?」

いや、ふにゃ、じゃなくてだな…。

くたりと凭れてきた荷物はセネカだった。
ふにゃふにゃ。えへへへ。ふひひひっ。
なんだこれは。可笑しな笑い声をあげている。
おまけに触れている部分が異様に熱く感じられるし、上気した頬もほんのりピンク色に染まっていた。

「(まさか。この短時間で発熱したのか…?)」

パスを受けてキャッチしたセブルスは説明を求めてランコーンを仰いだ。
そろりと忍び足で逃走を図ろうとする背中が見える。
透かさず「どこへ行く!」と胸元までずりずり落ちてきたセネカをしっかり抱き寄せ、彼の杖を引きぬいて杖先を向けた。
が、…魔法は発動しない。
持ち主にしかなびかぬ忠実な杖からは、全く手ごたえを感じなかった。

「…どういうことか説明してもらおうか」

イライラした調子で低く問う。
見ると、急ぎ追いかけてきたらしきレギュラスにその逃走は阻まれていた。
「自首してください!」「イヤだよおっかねえし!」
わけの分からんドラマが目の前で展開されていた。

ひやりと冷たい廊下の空気が張りつめていく。
怒りの点火一歩手前まできているセブルスは、息を荒げているレギュラスのことも同じ鋭さで睨みつけていた。
彼にしてみれば狙いがふたつに増えただけである。

――その所為か。次にセネカがとった思いもかけない行動を、セブルスは防ぐことが出来なかった。


「あ、せぶだぁ」

はっきりとしないが恐らくこう呼ばれた。
セブルスが気付いたときには既に遅く、両頬をがっしり掴まれて――、

ちゅっ

キスを、されていた。


唇を離した仕掛け人は満足気に笑い「あはっ、やわっけー!」と感想を述べてまたへにゃへにゃと凭れかかった。
よろよろとセブルスの足が二、三歩室内へ後退する。

目撃者たちも言葉が無い。
一方はあちゃーと口元を押さえているだけ。(その下では笑っているのかも知れない)
しかしもう一方に至っては何やらひどいショックを受けたらしく、完全に呼吸を忘れている。
受けた当人でさえも「今何が起こったのか」と頭を真っ白にさせていた。

しーんと耳が痛むような静寂が下りている。
しあわせなひとりを除いて。

ああ、そうか。室内だったからか。部屋以外ではキスをするなという言い付けをセネカは守っただけなのか。なるほど、そうか。
セブルスは こんらん している。
ぐるぐる頭の中だけで考え込むのはセブルスの悪い癖、セネカの愛してやまない部分。


しばらくして。
セブルスの口元がひくっと痙攣した。
うつむく表情は髪に遮られ、傍観者たちには歪む唇しか見えない。
徐に持ち上がる片手。それがセネカの後頭部をガッとわし掴むと、勢いよくふたりの額と額が衝突した。凄い音で。
良く見れば額には青筋が浮き上がっている。

――キスをされたとき。セネカから香ったアルコールの匂いが、今度こそセブルスの怒りに火を付けた。

レジリメンス!

有無を言わさぬ力強い声。
説明を聞くことも吐き出させることもすっ飛ばして、強制的に記憶をひらいた。
相手が相手だ。まったくと言って良いほど抵抗もない。
すくい上げた顎で視線を固定し、思考を一枚一枚引き剥がしながらセブルスは記憶を遡った。

ゆれる視界。焦る男の顔。
まばたく間に移る鮮明な映像。
見覚えのある寮生たちの顔がしっかりと刻まれていた。
はにかみ顔をこちらへ向けるレギュラス。
ふたりっきりで歩く薄暗い廊下。
(違う、違う。もっと先だ)
セネカがドアを開けた途端に耳へ届いた不快な発言。
「諸君! 男でもちくびの開発が可能なのだと、このほど俺は衝撃の事実を知った!」
(っ、だからなんだと言うのだ!)
「誰からそんなことを教えてもらったのかな?」
にこやかに詰め寄るセネカにひらひらと手を振る、言い訳を紡ごうとした友人の手にはゴブレットが。

彼の手から偶然ぶちまけられた――あまいハチミツ色。そこで記憶はぷっつりと切れている。


セブルスは把握した。
セネカがこうなった原因は目の前にいる男だ。
暗い瞳を向けた彼は一言だけ、怒気を抑えた冷たい声で吐き捨てた。

「貴様に帰る部屋はない」

固まる男を視界から追い出すように無情にもドアが閉ざされる。
セネカをソファへ放り、さっと自分の杖を掴みコロポータスを唱えて扉を閉鎖すると外の世界から完全に遮断された。
防音呪文を重ねがけすれば音も届かない。

しかし、ここまでしてもまだセブルスの怒りは静まらなかった。
当分とける事もないであろう怒りの矛先に、知りうる限りの呪文を唱えずに閉めだしたのは彼なりの譲歩だ。
長い長い溜息を肺から絞り出す。

落ち付け。ひとまずセネカを寝かせてやらねば。
たぶん、アレは酔っている…ということで間違いないのだろうか?
かけられただけで酔うとは。アレは相当酒に弱いのだろう。
彼らは未成年。飲まないということを前提に処方されている薬で体調を崩されることをセブルスは危惧していた。

「ん、…せぶ、」

ソファに沈むセネカをベッドへ移動させようと杖を向けた所で、うっすらまぶたを押し上げた瞳と視線が合う。
気がついたか。ふにゃ? ふにゃじゃない。まともな言葉を返さぬのにも真面目に答える。
仕方無く杖を下ろして上体を起き上がらせた。
根気よく話せば少しはまともな会話も出来るようになるだろうと。

「どこ…?」
「ここは僕らの部屋だ、セネカ。気分はどうだ?」
「んー、んんー? …はあ、」
「こら。ここで寝るな」
「あーだってーねむい…」
「ベッドまで連れてってやるから、立てないならそう」
「ふにゃ、やだ、もっとちゅうしようぜー」
「……ここじゃダメだ」
「もーわがまま言わないの! お預けはもうじゅーぶんです!」

…酔っぱらいってめんどくさいな。

不貞腐れた顔でぷんすか言ってセネカが両腕を伸ばしてくる。
しがみ付いた頃合いを見計らい、ぐっと腰を持ち上げてベッドまで移動する事にセブルスは成功した。
抱きしめた体温はとても心地良く。
熱い吐息を耳元でもらす唇がしつこくせがんでいた。

「ほら着いたぞ」

出来る限りの優しさでそっとセネカを横たえたセブルスは、放すように促しながら彼の前髪を指先ではらう。
いちおう約束通りにキスを額へと落とすが、相手はまったく満足をしていないようだった。当然ながら。

片膝に体重がのりスプリングがギシギシ軋む。
うすく隙間をあけて誘う唇から出来るだけ目を逸らし、セブルスは無理やり身体を起こそうとした。
そう上手くことが運ぶはずもないのに。

「――ッ、おい、何を、脱ぐなっ!」

セネカは器用に片腕を巻き付けたまま、指をパチンと鳴らして一気にボタンを外してしまった。
魔法に長けた者の完全なる無駄使い。
これではふり出しだ。
セブルスが躊躇っていたばかりに、不満の溜まっていた片割れの限界が振りきれている。

開かれたしろい肌に主張しない程度に色づく、ふたつの褐色。
記憶の中で偶然のぞき見た、あの愚か者が放った台詞を思い出しセブルスはカッと羞恥に燃える。
ぼくだって別にふれたくない、訳じゃない。


「ねえ。ここにちょうだい」


くするぐように囁いたこの唇は。
心臓の上をくるりと回るこの指は。
セブルスを誘って彼が落ちることを望んでいる。


「キスマーク、付けてもいいっていったでしょ、」


ごくりと唾を飲み込む音が妙に生々しい。


***

続きは「鍵のお部屋」行きで。
※)お酒は成人してから! ね!

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