分岐点 extra

あまりにも不憫


マダム・ポンフリーは医務室へ戻ると、そのまま奥の事務室に足を向けて薬草の詰まった籠をデスクへ乗せた。

強張った肩をまわし揉み、軽く土埃を叩くようにエプロンを払う。
デスクの横では出かける前までは細い煙を上げていた大鍋がすっかり冷え、魔法の柄杓がクリスタルの瓶へと移し替える作業を淡々とこなしていた。
どうやらまた少し長居をし過ぎてしまったみたいね、と彼女の唇に照れ笑いのような苦笑が浮かぶ。

(マダム・ポンフリーと薬草学のスプラウトは歳も近く、女同士の気安さも手伝ってか、つい切り上げるタイミングを逃してしまうのが常だった。そこにマクゴナガルも寄れば新たな花が咲く。これは温室に足繁く通う勤勉な生徒ならば、見かける事も多い組み合わせである)

さあ、と袖を捲った彼女はちらりと時計を確認すると――そろそろ授業も終了しようという頃合いだった――今日中に選り分け終わるかしら、底の見えない籠からひと掴み分の薬草をデスクへと広げた。
目もしょぼくれるほど細かい仕事だ。
その時点で漸く、置かれていた小さなメモにポンフリーは気付く。

「…まあ、相変わらず律儀なこと」

くせのある筆致と肉筆のサインは見覚えがあった。
医務室の常連であるスネイプ兄弟、その弟からの連絡と謝罪が寄せられたメモはインクの渇き具合からいってまだ新しい。
勝手に備品を借りた事を詫びる一文に双子の兄よりも生真面目で固い彼らしさが光る。
どうやらまだ彼らは此処にいるようだ。

入学当初から(身体が弱い所為もあって)危なっかしい兄と、それを気遣う弟を(ダンブルドアを除けば)ポンフリーは一番近くで彼らを見て来た大人だ。
ポンフリーは気を揉む事の多い弟のことが少し心配でもある。

メモをしまうと彼女は再び事務室のドアを潜り、今は空きの続くベッドを横目に通り過ぎていく。
通う事も多いがベッドを使う頻度もナンバーワンな兄、セネカ・スネイプは、いつも一番奥にあるベッドを使用している。
ピッタリと閉じられているカーテンの前まで来たポンフリーは、「セブルス、入りますよ」ひとつ声を掛けると、間を置かずに蒼い波をかき分けていた。

イスに座って此方へ背を向ける後ろ姿。
緩慢な動きで振り返った弟はそのまま立ち上がる。

ポンフリーは眉を寄せた。
少し前に顔を出した時とは何かが違うことに。
それが、彼がローブを着ていない事であることと、妙に静かで凪いだ表情(というよりも、コレは目が死んでいる)であることに、長年医務室の牢乎たる番人として勤め上げて来たカンが冴え渡った。

「…どうかしたのですか?」

ベッドの中で蹲るセネカを気にしつつ、ポンフリーはそっと容態を訪ねる。
ボガートと向き合って恐怖と対面したばかりだったセネカの、幼い、子供返りをしたような姿を思い出しながら。やっぱり、今夜は入院に変更かしらと。

セブルスはくっと眉根を寄せて視線を逸らし、もの憂い雰囲気を醸し出して何やら躊躇っている様子であった。
ポンフリーはそれに辛抱強く待つ。
なかなか本音を吐き出せない子を見守る母親のような眼差しに、厳しさばかりではない、優しさを滲ませて。

…そして、

まさか顔面に鼻血をぶちまけられる日が来ようとは思いもしませんでした
誰だってそうでしょうね

重たい口が開かれた直後。マダム・ポンフリーは即座に、そう突っ込みを入れていたのでした。


***


「あーもうっ、じれったい! こんなに想われているのに、どうしてお互いの気持ちがすれ違ってばかりなのかしら。…これじゃあ相手が鈍感過ぎて逆に可哀そうになってくるわ!」
「全くその通りですねリリーさん」
「あら、セネカもこの小説を読んでいるの?」

自寮で今流行っているらしい恋愛小説をギュッと抱きしめ、俺達の可愛い幼馴染殿がこてりと首を傾けた。

なんでも「家が隣同士で兄妹のように育った幼馴染の男女が進学に伴い、離ればなれになった事で急に距離を感じて、お互いを意識し合うところから始まるじれじれ恋愛ストーリー」という設定なのだそうだ。
勿論、俺は読んだ事もタイトルを聞いた事もなかった。

断りを入れて手渡された冊子をパラパラ捲り、数分で速読し終えた俺も彼女と同じ感想を零す。
なるほど…コレは確かに(同世代の女の子ならば)主人公である少女に感情移入したくなるだろう。
十分頑張って気持ちを伝える努力を主人公はしていた。いじましいほどに。

…この実らない空振りっぷり。
そっと胸に手を当てる。
リリーは「それ、便利な特技よね」と羨ましそうに呟いたあと、恋に憧れるエメラルドを輝かせながらこう締めくくった。

「途中の展開があまりにもじれった過ぎてちょっと退屈なんだけど、でも、たまに来るきゅんってなる所がたまらないのよ」

俺の方は先日セブルスをぎょっとさせたばかりだけどね。…っ、ほんと、たまんねえなあ!
思い出して目がうつろになる俺を見て、汚れなき緑が不思議そうにまばたいた。

「ナンデモナイヨー」
「そんな風には見えないわ?」

いやいや。
あまりにも魅力的な餌をぶら下げられた結果。
真情を洗いざらい吐露するだけでは留まらずに鼻血…げふっ…流血事件へと発展したなんて、情けなさ過ぎて誰にも言えませんよ。

「(まあ、いつかは仕出かすだろうと思ってはいたけど。やっぱり、コレは無いよなあ…とほほ)」

たらりどころかダラダラと流れ落ちていた鼻血は「セ、セブからのちゅーだと!?」と、興奮していた俺の気分をブチ下げる効果をもたらすと共に、ロングスローされて投げ込まれたクアッフル宜しく頭から地面にめり込まされたのだ。
突然のことに凍りついたセブルスの顔が未だに離れない…。


「――ところで、セブはさっきから何を作っているのかしら? 妙に真剣で、なんだか声もかけづらいのよね…」
「さあ。ハッキリとは分かんないけど。…大方、鼻血を止める薬か、興奮を抑制する薬でも調合しようとしてるんじゃないかな」
「そんなものがどうして必要なの?」

放課後、地下牢教室に集合する前から取り組んでいるセブルスの背には、ただならぬ気合いとヤル気に満ちたオーラが煙と共に立ち昇っている。
純粋な疑問に首を捻るリリーに、俺はなんとも言えぬ思いを隠して笑うしか無かった。



そうこうする内に月日は流れ、今学期初めてのホグズミード休暇が訪れる10月へ突入していた。

初めて迎える三年生はもう見るからに浮足立っている。
ふっくらとした頬を興奮に染めて、きらきらした瞳を、あれやこれやと思い浮かぶシーンでいっぱいにしている様はとても子供らしく。
非常に微笑ましいものだった。
飽きるほど訪れた上級生たちの視線も生ぬるい。

尚、そうした興奮は伝染するものらしく。
リリーやトーマは兎も角。
セブルスまでもが心なしかそわそわカレンダーを見る瞬間が増えていたくらいだ。…嗚呼、

「セブが可愛すぎて発狂しそうです」
「藪から杖に不吉な事を言うな」
「不吉…? 僕は素直な感想を述べたまでさ!
そういうのはね、『大丈夫、僕も直ぐに追いかけるから…先に行って待っていてくれ』って、緊迫した空気のなかで別れ際に言う時にこそ使われるべき言葉だ」
「お前がベッドの上で『最後の一枚が散る時、僕も一緒にいくよ』と言うのと同じくらい有り得ない台詞だ」
「オー・ヘンリーの『The Last Leaf』?」
「…ああ、」
「へえーいつ読んだの? マグルの小説…いや、小説を読むこと自体めずらしいじゃん」
「別に…単なる暇つぶしだ」

――リリーからこっそり借りたあの恋愛小説も単なる暇つぶし? 巧妙に隠しているつもりでも、俺からしたらバレバレだとしか思えない、アレも?

素っ気ない口調と動かない視線。
消えぬ傷痕と締め上げる荊を白で覆い隠す。
真新しい包帯をくるくる動かしながら、慣れた手付きで巻いていったセブルスは、二の腕を覆い尽くした所で指を止める。

「よし。これで良いだろ」
「ありがとうセブルス!」
「ばか、振り回すな。巻いたばかりなのにまたやり直しをさせる気か?」
「…あー…ごめん」
「反省しているのならさっさと上着を着ろ」

しゅんと項垂れた俺のオデコが爪先でピンッと弾かれる。
うっぐ! …ちょっと痛いですよセブルス。
風呂場でズッコケて打った場所も(尻とか、腰とか。…大理石で出来たタイルは結構な硬さだった)じくじく痛む俺は、渡された手袋に腕を通しながら唇を尖らせていた。

そして、ぼやく。

「あーあ、誰かさんが約束のご褒美を僕にくれないから欲求不満に陥りそうだなあー」
「……っ、」
「薬も結局無駄に終わったしさ。僕が『僕用に』改良も加えてない薬を使えないこと、なんで最後まで気付かなかったのかなあー」
「……黙っていたお前も悪いだろ」
「意気込みに水を差す気はない」

ぼそっと、小さな声で「性格が悪い」なんて言われたので「どういたしまして」と返しておいた。
まことに心外である。

「ねえ…鼻血ならでないよ?」
「それは信用ならない」

ソファから立ち上がってベッドに向かう背へ、不満たらたらの声で言ってみるもキッパリとお断りされてしまう。
これに俺は更にむくれた。
そう。俺の失態、鼻血の所為でセブルスからのキスは…お預けを言い渡されたままなのである。

「ねえってばー!」
「ば、馬鹿! ちゃんと着て来い!」
「…? 何を焦る必要があるのさ?」

ニヤリと意地悪く笑う。
でも、それをすぐに引っ込めて無邪気に絡みついてくる俺に、セブルスはギシリと身体を固くした。

シチュエーション、夜のベッド。風呂上り。密着、からのキス。
今までの経験からいって上記三つが満たされた現状は俺からの誘惑と言う名の『おねだり』が発動される条件が揃っている。
だからセブルスは、それに身構えて動きを止めたのだ。

「(ふん。あの一件以来、お預けにされているのはキスだけじゃないんだ。…俺の欲求不満は掛け値なしの本音だよ、セブルス)」

袖を通しただけで前も閉めていないパジャマからは、肉付きは悪いが抜けるように白い肌が惜し気もなく晒されている『だけ』である。
シミ一つない。何の痕も無い。
肉体に若さだけは自慢できるほど潤っている。

俺もセブルスも湯上り卵肌ってやつ、かね?
ほんのり色がのっていて、肌も髪も甘い石鹸の匂いがしてすっごくそそられる。
大胆にも馬乗りになって彼を跨いだ俺は、ヤル気満々ですと顔に書いて唇を舐めた。

「(…ああ、やばい。押し倒して……いや、既に押し倒してるか。べろんべろんに舐め回したい)」

セブルスはあれだけ(反射的にとはいえ)俺が無い勇気を振り絞ったにも関わらず。
こっそりキスマークを付けてくれる素振りもなく、実践して見せてもくれないでいた。
ほんと。遠慮なんていらないのにさ。
むしろドンと来いって伝えたと思うのに何を躊躇う必要があると言うのか。プリーズ、キスマーク。

「(あれか。下手くそだったっていうのが結構効いてるのかな…)」

だとしたら、それは大変悪いことを言った。
でもね。誰でも最初は初心者で下手くそなのは変わらん。
今更そう言ってもセブルスは益々意固地になるだけかもだけど。

「…っ、」
「うん? なに? なんか言った?」
「……なら、…ちゃん、と、」
「? 声がちっちゃすぎて聞こえないよ、セブ」
「――っ、言えるか!」
「なんで突然怒り出したの?! ぅあ、ちょ、」

叫びと共に跳ね起きたセブルスに俺はいとも簡単に転がされてしまった。
あわや落ちる寸前となったが、ベッドからはみ出ていたのは頭だけ。
仰け反る首。視線は転。
胸に、荒くしめった息が意外にも近く。

「し、シたいのなら朝から予約を入れておけ!」
「そんな予約制度いつからしかれましたっけ?!」
「今だ!」
「そんなあ!」
「そんなもこんなも、無い! お前はもう少し恥じらいを学べ!」

ふと頭に過ぎる不安。
あの恋愛小説の主人公よりも、俺はストレートに欲求を伝えているつもりだ。でも、もしかして。
セブルスに届いているのは俺の性欲だけじゃ…ないだろうな。


コンコン、

真っ赤な顔で殺人的に可愛い睨みをそそぐセブルスと、ショックを受けて真っ青になる俺。
二人の間を邪魔するようにノックの音が響いた。
どちらからともなく視線が交わる。

先に動いたのは俺の方だった。

「はーい!」
「お、おい! 待てっ、」

後方で何やら焦るセブルスの声がする。
しかしその時には既にドアは開かれていた。

「失礼します。セネカせんぱ、…ぃ……」
「あれ? どうしたのレギュラス。こんな時間に訪ねてくるなんて珍しい」
「……えっ、いえ、…あのっ」
「うん?」
「セネカ!」

高速の平手というのはまっこと痛い。
目を白黒させている後輩の周囲に星がチカチカ飛んだ。
痛みにしゃがみ込み。視界がぐりんと回る。
くらくらする頭を抱えながらも把握できたことは、セブルスが鬼の形相で俺のパジャマのボタンを止めていたこと。

「(言ったそばからすぐコレだ!)」
「……あー…ごめんねレギュラス。見苦しいものをみせた」
「……」
「(しかもよりによって、…ッ、無防備にもほどがある!)」
「で、どうしたの? 何か、あー、用があったんでしょ?」
「ハッ、…あ、はい。その…とても困っていまして、助けて頂きたくて」
「困っている?」

目尻に朱を刷いたレギュラスは純情を絵に描いたような美少年である。
(うちのセブルスも負けず劣らずの純情ボーイだが)
彼は、チラチラとセブルスの顔色を窺いながら――セブルスはまだ、怒ったように煙を上げている――慎ましやかに助けを求めて来た。らしい。

「トーマ先輩たちが僕らの部屋で…その…」

10を言われずとも察してしまった。
アイツらまた、なにやってんの。

***

恋愛小説、真相

「え、人の心を理解するための勉強をしたいけど何を読んだらいいかが分からない? そう…だったらこういうのがオススメよ! はいコレ! セブの肌には合わないジャンルかも知れないけど、客観的に心の動きを見て自分を振り返れる素敵なアイテムよ! わたしはもう何度も読み返したから返すのはいつでも良いわ、感想も是非聞かせてね! じゃあ!」
「…え、あの…リリー!(って、もういない…!)」

了(笑)

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -