分岐点 extra

暗くて狭い所を好むアイツ


Sideセブルス

夏の匂いの残る鋭い日差しを隠す、どんよりと重い灰色の雲。
『ホグワーツの歴史』にも書かれている魔法のかけられた天井が、現在の天気を再現していた。
僕はふと再現しているだけならばこの空には果てがあり、愉快な頭をしているポッター一味が箒に乗って頭をぶつければ良いのにと考えた。
また同時に。おもえば入学式の夜。
楽しむ余裕など欠片も無かった当時は、長いこと空も見上げず足元にばかり視線を落としていたなとも思い出す。

そんな、入学して三年目ともなれば目新しくも感じないはずの光景を、僕の隣に腰かけている片割れが惚けた顔で見上げていた。
心ここに有らず。
そう表現するに相応しい集中力を書いたセネカの横顔をチラチラと盗み見しながら、二人分のカボチャジュースをゴブレットへ注いだ。

「――なあセネカ。今日のお前、やっぱどっか悪いんじゃねーの?」

長テーブルの向かい側で頬杖を突きながら本日3度目になる問いをランコーンが発した。
僕の差し出したゴブレットがゆるく組まれた指の背にあたる。
言葉と同時に触れた冷たさにふっつりと糸が切れ、間延びした動作でセネカが正面を向く。
怪訝そうに寄せられた金色の眉の下では、深く濃い、夜の森に似た緑が、曖昧に笑うセネカを映していた。

「(…またこの顔か、)」

へらりと口元を緩め、気まずそうな瞳を薄く引く横顔。
僕らの上で通り雨に濡れている空に似た、イマイチはっきりとしないそれは、セネカが何かをはぐらかそうとしている時によく見る笑みだ。

「…あのねえ…僕にだって、なんとなーく上手くいかない日の一日や二日くらいあるんだよ?」
「なるほど。じゃあ今日はアノ日か」
「そのジョーク笑えない」
「医務室行くか?」
「笑えないだけで医務室送りとか、ちょっと強引過ぎる」

まったく。身体だって特に調子は悪くないのに、とうとう君にもセブの心配性がうつったのかい?
と、気遣う言葉をからから笑い飛ばして、思い出したように昼食へと手を伸ばした。
しかし。口に運ぶ様子も無いことから会話を続けながらも頭の中は別の事でいっぱいなのだろう。
特に親しくも無い上級生が話しかけてくるのにもへらへら笑って受け答えて、いつもの愛想笑いを振りまいている。

「(…近頃、こういう輩が妙に増えたな…。これもあの雑誌による効果ならば…あまり歓迎は出来ないな)」

ランコーンはセネカの答えに不満そうな顔をしていた。
彼と同じ事を既に何度も聞いていた僕も、か細い雨音を消すように、空になったゴブレットを置いて人知れず溜息を吐く。
この僕にでさえ…今朝から明らかに様子がおかしい癖に、セネカが同じ答えしか返さないのがとても不満だった。

二限目の呪文学。続いて、得意なはずの変身術の授業でもヘマをやらかしていたセネカは、既に二教科の教授からも医務室行きを勧められていた。
でも、何故かセネカは今日に限って、頑なに首を縦に振らない。
体調が優れない時など途中で退席する事も珍しくも無いのに。
僕が寮に戻れと言っても「ひとりは嫌だ」と渋るし、医務室へ行く必要も無いとこうして意地を張る。

正直、お手上げだ。
考えても意地を張る理由がちっとも分からない。
昨夜だっていつも通り、誘って来たのはセネカの方からだ。

「(……いや、まさかな……気付いたのなら真っ先に問い詰めにくるだろうし、そんな素振りも…ッ)」

逆サイドにレギュラスが滑り込んできた事でセネカの横顔も窺えなくなる。
さらさらと傾く首から肩へ零れる黒髪の隙間から白いうなじが覗き、僕は目を逸らした。
…少しだけ気まずい。
就寝前に付けた痣が見えそうでドキドキしてしまった。
汚れた口元を拭うフリをして唇を弄りながら僕は、動揺を悟られないように頭の中で必死に閉心術の基礎を唱えていた。
空っぽに出来なければ意味も無いのに。

「(……やっぱり、下手くそなんだ…僕は、)」

どうしても、上手くいかない。
何度やっても淡く斑に散っては儚く消えていく。
馬鹿な僕はこの時、セネカが振り向いているとも知らずに。
これが上手に出来る頃にはセネカを許してやろう等とひとり考えていたのだった。


レギュラスの登場でしつこかった上級生の追従は途絶えていた。が、席を立つ一瞬、ギラついた瞳で男がレギュラスを睨む。
その表情に僕は嫌な感じを覚えた。
プライドを傷つけられて歪む、嫉妬混じりの視線だ。
以前どこかで…似たような表情を向けられた奴が僕らの傍近くにいた気がする。
自然と上がった視線の先には快活に笑うルームメイトの顔があった。

そうだ。確か――この大きな身体をした上級生は、今年もまた、選抜メンバー入りを逃したのでは無かったか?

「(…変な事に巻き込まれなければいいが…)」


***


セネカに開心術を掛けるべきかと僕が悩む間、レギュラス・ブラックが念願だったシーカーの座を射止めた事が話題に上がっていた。
生意気にも、今学期から自前の新しい箒を抱えて登校してきた彼は、心から溢れる喜びに笑みを深くし、ここぞとばかりにセネカへ「試合を見に来て欲しい」と強請って来た。

「…どうして断らなかった」
「へ? …ああ、試合の事?」
「そうだ」
「まあ…成り行きで、かな」
「クィディッチに興味なんて無いくせに」
「あそこで頷いとかなきゃレギュラスだって引き下がらなかったよ」
「僕は許してないぞ」
「…別に一回くらい良いじゃないか。それに、セブだってトーマから何度も誘われて面倒がってたでしょ? 同時に片付いて一石二鳥じゃん」

どうでも良い風に言葉を切り教科書を開いて前を向くセネカ。
また、横顔しか見えなくなる。
教壇では今年度も新しく就任したDADAの教授が、指定したページの頭から『まね妖怪』ボガートについての説明を始めていた。

「(…気に食わない)」

セネカが約束に承諾をしたことが。
相手がレギュラス・ブラックだったということが。
…去年までは確かに一定の間隔を置いていた。
そんな後輩との距離が狭まったように見えれば、面白い訳がない。

僕は急に、教室に広がる抑揚の抑えられた静かな声が不快に感じられ、胸がムカムカしてきて、喉の奥が熱くなる程の吐き気を覚えていた。
実際に吐くことは無いが…とにかく、胸が悪くなった。

最近、こういう事が良くある。

原因は分かっていた。
ルシウス先輩の事を考える時も同じような症状が僕を襲う。

「(…これは嫉妬だ)」

名前の付けられないあの衝動より確かな。
覚えのある感情――独占欲。

どうやら僕の幼稚な嫉妬は、僕の予想以上に大きく成長をしていたらしい。
夏季休暇中に思わぬショックを与えられた所為もある。
僕にとって、それ程にセネカとルシウス先輩がキスをしていた(ように見えた)光景は衝撃的だったのだ。
例え本当に――セネカが僕に嘘を言わないのは分かっているけど――本当に誤解だったとしても。
記憶は鮮明で、思い出すだけで胸に嫌な思いが渦を巻く。

「(…僕はなんて子供なんだろう)」

多分僕は…セネカが奪われてしまうのでは無いかと、本能的に恐れているんだ。
けれど。想いとは逆に抑えが効かなかった僕の独占欲は、酷い言葉でセネカを傷つけて――悲しませた。


「――では本日は実地練習も行う。書き写した者は杖を出して、教科書をしまいなさい」

教壇に立つ教授がチョークの粉を払いながらそう指示をした。
予想外の流れに怪訝そうな顔を上げる者や、ひそひそ囁きあって顔を見合わせる者。
クラスが一気にざわつき始める。
実地練習など…闇の魔術に対する防衛術の授業では、もっと上のクラスにでも上がらなければ無いだろうと考えていたのは明らかだ。

「実地か…。何をやるんだろうなあ、セブルス」
「説明を聞いていなかったのか。今話していたボガートに決まっているだろ」
「へえ、ほんとかよ?」

忙しく羽ペンを動かしながら、後ろの席から身を乗り出すように話しかけてきた低い声(ランコーンはとっくに声変わりを終えている)に答える。
前では、奥の事務室から重そうな衣装箱を魔法で引きずり出してきた教授が、大人ひとりでも余裕で入れそうなほどのそれを教壇の横にセットしていた。
みな急いで書き終えようと必死になる。
僕が教科書をしまい杖を取り出す頃には、身を乗り出すようなマネはしないものの、殆どの者がわくわくと瞳を輝かせていた。
けれど、衣装箱がひとりでにガタガタ震えるのを見てそれも不安に染まった。

「おー怖っ、あの中にうちのじい様でも昼寝してるんじゃねえの?」
「そこは普通…棺桶じゃないのか、」
「そりゃ偏見ってもんだセブルス。生まれた土地の土さえ敷いてりゃ入れ物はなんでも良いんだとよ、うちのじい様が言うには。何でも最近なんかはニホンの棺桶があの人達のトレンドらしいぜ? 窓は付いてるし、ヒノキの匂いが良いんだってさ」
「…どこから入手しているかが直ぐに分かるな…」

吸血鬼も通販をするなんて情報は正直いらなかった。

「まあ――それはそうとして。お前らの一番怖いもんて何?」
「さあな。考えた事も無いから分からん」
「知らないの間違いじゃなくてか?」
「…煩い。もう黙れランコーン。いい加減にしないと僕らまで減点をされる」
「えー? 俺には聞いてくんねえの?」
「今更聞くまでも無い」
「ちょ、ハハッ、察し良すぎ! …あ、セブルスの怖いもんって…意外と隣に居たりしてな? なあ、セネカ、お前の方はどう…なん……おい、どうした?」
「…? セネカ?」

戸惑う声に隣を見る。
見て…僕は即座に。無理やりにでも医務室へ押し込んでおくべきだったと今更ながらに後悔をしていた。

そこには、羊皮紙に書き写しているとばかり思っていたセネカが顔を強張らせ、唇を固く結んでいるではないか。
焦る僕に気付くといつものように笑おうともする。
しかしそれは失敗に終わり…ぎこちないものでしかない。
次第に身体は何かに怯えるように丸くなり、顔を伏せて頭を抱え込んでしまった。

そして一言。
僕は呼ばれても、絶対にあそこへは行きたくない――と。

ボガートを退散させる呪文を黒板に書き出す音がセネカのくぐもった声と被さった。
こちらを振り向く教授の姿に慌ててランコーンが引っ込む。
その際。彼と僕は視線を交わし、身を守るように机へ齧りつくセネカを心配そうに見た。
…行きたくないって、一体どこへ?

説明を再開させ「衣装箱の中にいるボガートを退治する手伝いをしたい者はいるか」と響く声に、僕らはまた顔を見合わせる。
恐らくセネカの言うあそことは、ボガートの前には、という意味なのだ。

「おい…具合が悪いんなら…ちゃんと教授に説明すれば医務室へ行かせてもらえるだろ…?」
「行かない。気分が悪くて言ってるんじゃないもん」
「ッ…なんでそこまで意地を張る…!」
「……」
「セネカ」
「…………行きたくないのは……見られたく無いもんがあるからに決まってるでしょ、」

セブのばか。

「……は? それは一体、どういう意味――「では、希望者もいない様なのでそこで怖がっている彼に手伝ってもらいましょうか。…えー、Mr.スネイプ。セネカ・スネイプくん。前に出てきなさい」

教授の声にクラス中の視線が集まる。
…確かに。机に突っ伏しているセネカは恐れている様に…見えなくもない。
指名されたことで忍び笑いと指を指してささやき始めた同寮生たちは確実にそう思っている。
これを向けられたのが僕ならば、恥ずかしさと憤りで顔を熱くしただろう。

遮られる形になってしまった僕は内心で大きく舌打ちをしていた。
いや、今、僕の物じゃない舌打ちも聞こえた気がする…。
まさか…セネカが?
僕にはあれ程「行儀が悪い」と口酸っぱく言っていた本人が? 舌打ちを? 信じられない。

「…俺は嫌だつったろーが…どうなっても俺はしらねーぞ」

伏せた顔を上げる一瞬だけ、無表情に呟いたセネカ。
非常にガラが悪い。
それだけで今どれ程セネカの機嫌が悪いかが窺えた。
普段の言葉使いは彼にとっては装飾品と同じ物だ。
その場に合わせて繕う気も起きないほど、僕の片割れはこの指名で気分を害したのだ。

気だるそうに前へ向かう背に僕は…声をかけ忘れていた。

「おい、セブルス、」
「…言うな。分かっている」

何事も無かった風を装って満面の笑みで教授に話しかけるセネカに僕は不安を覚える。
それはランコーンも同じようだった。

…とてもハラハラする。

セネカが何か仕出かすのではないかと僕は気を揉み、鮮やかな手付きで杖を構える片割れを食い入るように見つめた。
三年生とは思えないほど堂に入った隙の無い構え。
指南を受けた僕だからこそ分かる、その杖先から放たれる魔法の多彩さと精神力の強さならばこんな妖怪の一匹や二匹など簡単に退治して見せるだろう。
だが今日のセネカはおかしい。
ありえない失敗ばかりを重ねてきた。

同時に僕は、ボガートを退治するついでに教授の事も退場させてしまうのではとも密かに危ぶむ。
やってしまいそうなほど怖いもの知らずだから、尚更。
ダンブルドアにだって彼は仕返しをするのだ。

クラス中が固唾を飲んで見守る中、勢いよく衣装箱の蓋が開いた。

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